結婚式を今日に控えた女性
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シチュエーション


結婚を決めたとき、昔はキャリア志向の強かった自ら仕事を辞めたり、
あまり上手じゃなかった料理も一生懸命練習したりと、
俺から見ても彼女なりに『かわいい奥さん』になろうとしているんだと、
そういう風に理解していた。
だからこそ結婚式前日になっての紗智子の主張は、
最初は単なるマリッジブルーかと思っていた。
だけど、違った。
彼女は今でも仕事を続けたかったけど、俺のために辞めたというのだ。
本当ならばこんなことで口論したくなかったのだけど、
俺も連日の残業と結婚式の準備で疲れていたのか、
つい溜まっていたイライラを爆発させてしまった。

「そんなにイヤなら、主婦になるの辞めればいいだろ!働いたっていいんだ!」
「だったら働かせてもらうわよ!」

その日はお互いに背を向け合って、ホテルのベッドにもぐりこんだ。
思えば、俺が『俺』だったのはこの日が最後だったのかもしれない。

自分の結婚式という晴れの舞台のせいか、目覚まし時計にせかされることなく目が覚めた。
紗智子はすでに起きているらしく、ベッドにその姿はなかった。

「機嫌を直しているといいんだけどな」

そんなことをつぶやきながら体を起こすと、言いようのない違和感に襲われる。
昨日は確かに綿のパジャマを着て寝ていたはずなのだが、
体にまとわりつく布地の感触がなんとも心もとないものになっている。
そういえば下半身もやけに締め付けられるような感覚。
どうなっているんだ?と慌ててベッドから抜け出すと、

「なんだこりゃ!」

予想だにしなかった自分の格好に驚いて大声を出してしまった。
上半身は胸元にリボンがあしらわれたベビードール。
下半身は豪奢なレースで飾られた白い女性用のパンティと、
セットになったガーターベルトと膝上までのストッキング。
間違いない。これは昨日の夜、紗智子が着ていたものだ。
昨日の夜の腹いせだろうか、こんないたずらをするなんて。
寝起き独特のイライラも手伝ってか、ベッドに腰掛けて怒りを爆発させていると、
部屋のドアが開いて紗智子が入ってきた。
その彼女が着ているものといえばデニムのシャツにチノパンと、
くつろぐために俺がホテルに持ち込んだもの。
とんでもないいたずらに対して文句のひとつも言ってやろうと立ち上がろうとする俺を制し、
彼女は重々しく口を開いた。

「ねぇ、健ちゃん。なんか大変なことになっちゃったみたいよ」
「なにがさ」
「口で言ってもわからないかもしれないけど……。
えーと……そうだ!パスポート!パスポート見て!」

言いたいことはいろいろあったが、彼女にせかされるようにして仕方なくセカンドバッグの中のパスポートを開いた。
取得したときと何も違わない、普通のパスポート。
何の変哲もない、しかし何か引っかかるような違和感を覚える。
なんとももどかしい。

「よく見て!」

そこまでいうのなら、と、パスポートをよく見る。
名前。国籍。生年月日。間違いない。
ただ性別の欄が男性を示す『M』ではなく、女性を表す『F』になっていた。

「健ちゃんの性別欄、女性になってたでしょ」

無言でうなずく俺。

「朝起きたとき、健ちゃんのパジャマ着てたから、最初はイタズラかと思ったの。
でも、イタズラなら健ちゃんが私のナイトウェア着てるはずがないし……。
なんか嫌な予感がしたから、いろいろ調べてみたら……」

もったいつけるように話す紗智子。
その引きにつられるように、自分もごくりとつばを飲んだ。

「今日の結婚式ね、健ちゃんがお嫁さんになるらしいの」

言ってる意味がよくわからない。
なぜ。男の。俺が。お嫁さんに?

「私にもよくわからないけど、そういうことになってるのよ。
とりあえず着替えて、朝ごはん食べに行きましょ。
そうすれば、私の言ってることがわかるから」

うながされるまま、カバンから着替えを取り出そうとすると、なぜか紗智子に止められた。

「着替えろって言ってみたり、止めてみたり、なんなんだよ、一体」
「そっちのカバンじゃなくて、こっちの中のを着て」

紗智子が指差す先にあるカバンは、間違いなく彼女が持ってきたもの。
見てはないけど、絶対女性的な服装が詰まっているに違いない。
それを着ろというのか。

「あのね、健ちゃんは『結婚式を今日に控えた女性』ってことになってるの。
悪いこと言わないから、私のカバンの服を着ていって。
ホントはメイクしてからレストランに行ったほうがいいんだけど、
さすがにそうも言ってられないでしょ?」

渋々彼女のカバンの中に入っていた、ゆったりした花柄のワンピースを身にまとう。
俺の体格は大きくないとはいえ、それでも男。
なのに、彼女のワンピースは、まるで自分で試着して選んだ服のように
ちょうどいい着心地となっていた。

「やっぱり思ったとおり」
「なにが?」
「健ちゃんと私の持ち物も、すっかり入れ替わってるの」

そういえば、紗智子が着ているデニムのシャツやチノパンも、最初から彼女自身の服のようにジャストフィットしている。
本来なら彼女が俺のワイシャツを着ると、袖が余って太ももぐらいまですそがくるぐらいなのに、だ。

「ぴったりだけど、なんか似合わないね」

そりゃそうだ。
男なんだから、スカートが似合うほうがおかしい。

「じゃ、とりあえずご飯食べに行こ?
少しだけでもおなかに入れておかないと、結婚式で大変だよ?
なんてったって、花嫁さんはごちそう食べてる余裕なんてないんだから」

紗智子に寄り添うように、ホテルの廊下を歩く。
時折すれ違う宿泊客やホテルの従業員は、この体と服装がちぐはぐな2人を
ほほえましい新婚カップルとして暖かい視線を送ってくる。
朝食を摂るために訪れたレストランの入り口でも、
責任者クラスの従業員に「本日はおめでとうございます」と、自然に声をかけられたぐらいだ。
誰もが、男である俺がワンピースを着ていることを不思議に思わない。思いもしない。
ちぎったパンを口に入れながら、今日の予定を思い返してみる。
確か11時半から挙式で、12時半から披露宴。
披露宴が15時に終わって、二次会が18時から21時ぐらいだったか。
それらが終わってホテルに戻って、次の日から1週間ほどの新婚旅行……。
すでに新居に入って2人で暮らし始めているから引越しの心配はないけど、
やっぱりあわただしい数日間になりそうだ。
と、いろいろ考えていると、紗智子の両親がテーブルに近づいてきた。

「おはようございます」
「健一さん、うちの紗智子のような男の嫁になってくれて、本当にありがとう」

紗智子の両親も、俺が花嫁になるという風に認識しているようだ。

「ところで健一さん、どのぐらいで孫の顔を見させてもらえるのかな?」

朝からいきなり、ド直球でとんでもないことを言ってくる紗智子の父親。
婚約やらで何度か会っているのだが、そのときの紳士然とした振る舞いとは違い、
なんとなくセクハラオヤジっぽいのは気のせいだろうか。

「健一さん、うちの味はしっかり覚えたかしら?」

一方、紗智子の母は、料理の味付けのこととか、嫁としての心構えをねちねちと語り、
絵に描いたような姑っぷりを発揮する。
男として会いに行ったときはそんなことはなかったのに、
立場が変わるとこうも人の接し方が変わってしまうものなのか。

「ちょっと向こうへ行っててよ」

紗智子が露骨に嫌な顔を見せると、追いやられるように彼女の両親は退散していった。

「ゴメンね、健ちゃん。あんなこと言って」
「大丈夫、気にしてないよ」

気にしてはないけど、先が思いやられる出来事だった。
きっとこの先も、事あるごとにあの両親には頭を悩まされることになるのだろう。
そういう想像をしただけで、なぜか胃がキリキリと痛くなってきた。

軽めの食事を摂って部屋でくつろいでいると、ホテルの従業員がやってきた。
つまり、これから挙式の準備が始まるということだ。

「いってらっしゃい」

軽く手を振る紗智子に、苦笑いしながら手を振り返す俺。
本当に気が重い。
案内されるまま控え室に入ると、扉の向こうからふわりと甘い香りが漂ってくる。
花や果実とかのものとはまったく違う、
言うなれば女性だけが持つ独特の香気にクラクラとめまいすら覚える。

「お待ちしておりました、井上様。本日はおめでとうございます」

メイクアップとかのスタッフだろうか、数名の女性が深々と頭を下げる。

「それではさっそく支度していきましょう。
まずは、こちらのブライダルインナーをお召しになってください」

渡されたのは、胸から腹部にかけて覆うようなデザインの下着と、
おそらく下半身に履くのであろう、ぴったりしたショートパンツみたいな下着。
それと白く輝くストッキング。
女性向けの下着はよくわからないので、ただ渡されても困ってしまう。
とりあえず、着替えに手間取っている振りをして、手伝ってもらうことにする。

上半身用の下着――ビスチェタイプとか言うらしい――は、
渡されたときの印象と違ってウェスト部がだいぶ絞られていて、
まるで肋骨を折ったときのギプスのように体を締めつけてくる。
その締め付けのせいか、男の体にはあるまじき美しい曲線が描かれることとなった。
下半身用の下着は締めつけ効果で下腹部のラインが出にくくする役目があるとか。
そして改めてすね毛を剃られてから履かされたストッキングはとんでもないもので、
どこからどうみても男の汚らしい足を、女性らしいほっそりとした綺麗な脚へと生まれ変わらせた。
たかが下着1つ取っても、これだけの機能が詰め込まれているのかと驚くとともに、
世の中の女性は美しい体形を維持するため本当に苦労しているんだな、と考えてしまう。

続いて、いよいよウェディングドレスを着ることに。
彼女が「絶対これがいい!」と惚れこんで選んだ、
体にフィットしたラインで膝元ぐらいからフリルが広がって後方に伸びる純白のドレス。
胸元はキラキラと輝くビーズと刺繍で彩られ、大きく開いた背中と露出した肩が色っぽさを演出している。
男の俺が見ても『綺麗なドレス』であることは間違いないのだが、コレを着るとなると話が違う。
背中部分のファスナーを開け、上側から体を通すようにドレスの中に滑り込むと、
脇に控えていたスタッフが下着のラインに合わせるようにドレスの胸元をせり上げた。
ぴったりと胸元に合わさったと思ったら、じじじ……と微かな音がして、
さらに締めつけが強くなる。
どうやらドレスの背中にあるファスナーが閉じられたようだ。

続いて、ロングヘアーのカツラをかぶせられ(これもショートヘアにしていた彼女の要望だった)、
どんどんと女性らしいヘアスタイルに仕上げられていく。
ヘアメイクが終わると、今度は顔のメイク。
問答無用で眉毛の形を整えられ、顔に何かを塗られ、口紅を引かれる。
そしてベールやらネックレスやらアクセサリーをつけられ、最後に白く輝くハイヒールを履かされた。

「とてもお美しいですよ」

スタッフによって大きな姿見の前へと連れ出された俺が見たものは、
安っぽいコントに出てくるような気持ち悪ささえ覚える女装野郎ではなく、
今から結婚式を控えて輝くような幸せを放つ花嫁そのもの。
ありきたりだが

「コレが……俺?」

と、あまりの美しさに放心状態になってしまった。

よくマンガとかで、普段地味な女性がドレスアップした自分を見て
「これが……私?」なんて言う場面が出てくるが、
まさか自分自身が経験するとは思ってもみなかった。
馬子にも衣装なんていうけれども、たとえ男だとしてもここまで美しくなれるなんて、
本当にプロの腕前というのは恐ろしいものがある。

「では、そろそろ時間ですので、こちらへ」

顔に掛からないようスタッフによって持ち上げられていたベールが下げられると、
視界が白くかすんで前が見にくくなった。
はじめて履いたヒールの不安定さも手伝って、
スタッフに手を引かれないと1m先にすら歩いていけないほどだ。
そして案内された場所は大きな扉の前で、そこに誰かが立っているのがぼんやりとわかる。
どうやら俺の親父らしい。

「お父様、どうぞ」

シルクの手袋に包まれた俺の手を、恭しく親父へと受け渡す。
ぼんやりとした視界でもわかるほどガチガチに緊張した親父は、
俺の腕を抱きしめるように組んできた。
係員によって目の前の扉が開くと、パイプオルガンの音と拍手が洪水のように押し寄せてくる。
静かにお辞儀をして視線を上に上げると、ベールの向こうには赤いじゅうたんが伸び、
じゅうたんの終わりには1人の人物が立っていた。
その人物に向かって、親父とともに一歩一歩進んでゆく。
そして親父の足がぴたりと止まると、俺の腕をまるで貴重品を渡すかのように待っていた人物
――紗智子へと引き渡した。
するとパイプオルガンの音色が止み、続いて参列者と合唱隊による賛美歌が流れ始める。
賛美歌の終了を合図に、祭壇へと歩みを進める2人。
祭壇の向こうにいた牧師は、俺たちが祭壇へと上がったのを確認してから、
なにやら聖書の一節をとうとうと語りだした。

「……すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます」

その一節が、強烈に俺の心へ突き刺さる。
これから、様々な「ガマン」が待っていることを考えると心が折れそうになっていたが、
それすら見越していたような、この言葉。
宗教なんて信じていなかったが、やはり2000年近く信仰されているものは持っているパワーが違うということか。
そしていよいよ、夫婦の契りを結ぶ宣誓の瞬間がやってきた。

「新郎紗智子。あなたはいまこの女性と結婚し、神の定めに従って夫婦になろうとしています。
あなたは、その健やかなときも、病めるときも、豊かなるときも、貧しきときも、
この女性を愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、
その命の限り、かたく節操を守ることを誓いますか?」
「誓います」

力強く答える紗智子。
続いて牧師は、俺に宣誓の言葉を問いかけてくる。
長い長い問いかけの言葉の対し、俺もはっきりと「誓います」と答えを返す。
2人の宣誓が済むと、牧師は聖書を閉じて一歩前に踏み出した。
気がつくと、指輪が2つ載せられた盆を持つスタッフが、横に控えている。
いわゆる結婚指輪の交換だ。
指輪を受け取る前にスタッフによって手袋がはずされると、いよいよ儀式がスタート。
いつのまにか祭壇の周りに集まっていた参列者の持つカメラのフラッシュが、
ベール越しに閃いてまぶしささえ覚える。
紗智子は俺の左手をそっと持ち上げると、薬指へ優しくリングを嵌めた。
続いて俺が彼女の左手を持ち上げ、リングを薬指へ。
お互い指輪を交換したあとは、いよいよ誓いのキス。
紗智子の手によっていままでかぶせられていたベールが持ち上げられると、
一気に視界が開けて、紗智子の顔が瞳に飛び込んでくる。
昨日までとはまったく違う凛々しい彼女の顔つきに、なぜか胸がきゅんと高鳴ってしまう。
そのかっこいい彼女の顔がゆっくりと近づき、俺もそっと目を閉じる。
くちびるに感じる、柔らかな感触。
短いような、長いような、永遠の一瞬。
星よりもまたたくフラッシュのなか、俺はしびれるような幸せに満たされていった。

続いて牧師様の前で、結婚証明書なるものに署名をすることに。
アメリカでは法的効力のある書類だが、日本では単なる演出上の小道具に過ぎない。
そう、本来は小道具に過ぎないのだけれども、いざ自分の名前を「妻となる人」の欄に書くとなると、
胸がドキドキがペン先に伝わって上手く書けない。
何度か息を大きく吸い込んで、呼吸を整え、なんとか名前を書き上げる。
手作りの結婚証明書に刻まれた「妻:健一」の文字。
なんだか自分という存在が、今この場で生まれ変わったような、そんなすがすがしさを感じて、
頬がほんのりと熱くなる。
ふと横を見ると、同じようにこちらを見ている紗智子と目が合うが、
なぜか照れくささから、そっと視線をはずしてしまう。
しかし、頬は幸せで自然と緩んできてしまう。
その様子を見てかどうかわからないが、紗智子は俺に

「これからもよろしくね、花嫁さん」

と耳元にささやいてきた。

「うん……」

ベールで隠れているけど、間違いなく耳まで真っ赤になっている。
火が出そうなほど顔が熱い。
俺たちが結婚証明書に署名したことを牧師様が承認したのを合図に、参列者が一斉に立ち上がる。
チャペルに朗々と響き渡る賛美歌の中、俺はスタッフに渡された手袋をはめなおし、
ブーケを持って参列者の方へ向き直る。
すっと紗智子の腕が差し出されたので、自然と寄り添うように組みついた。
そして一歩一歩、賛美歌のシャワーを浴びながらチャペルの外へと向かってゆく。
外に出ると、あらかじめ待ち構えていたスタッフの誘導にしたがって、
参列者が退場するまで隠れるスペースに身を潜めることに。
2人がゆったり立てる程度の空間しかないため、自然と紗智子にぴったりくっつく感じになる。
初めて組んだ訳ではない腕からは彼女の体温がほのかに伝わってきて、
なぜか心臓の鼓動がどんどん高まっていく。
世界中に響き渡っているんじゃないかと思うほど、いま、自分の心臓は高鳴っている。

「大丈夫、私がついてるから」

俺の緊張を見越してか、紗智子はきりりと自信に満ちた顔を向けてきた。

「なんかね、凄いドキドキしてるんだ、俺。
こんなこと、いままでなかったのに。
ドレスを着てからずっと、自分がなんだか本当に『女性』に、『花嫁』になった気がして、
そしてお前を見ると、そのドキドキがさらに強くなるんだ」

ウェディングドレスに着替えてから、はじめて2人きりになったのも手伝ってか、
つい紗智子に本音をこぼしてしまう。
そんな俺の揺れている心ごと包み込むように、彼女は優しく微笑んだ。

「大丈夫、健ちゃん……ううん、健一。
私から見ても、あなたはとってもステキな『女性』で『花嫁』だから」

彼女の顔が、またゆっくり近づいてきた。
誓いの口づけとは違う、甘くとろけるようなキス。
スタッフが声をかけるまでの時間、俺は旦那様との熱い契りを交わしていた。

キスしているところを見られ、なんとなく気恥ずかしい雰囲気の中、
隠しスペースからチャペルの前へと再び姿を現す。
同時に割れんばかりの拍手が巻き起こり、参列者たちの祝福の声が飛び交う。
人によって作られた道を旦那様と腕を組んで歩き始めると、
左右から色とりどりの花が優しい雨のように降り注いできた。
いわゆるフラワーシャワーだ。
まぶしい日差しと空を舞う花々に混じり、「抱っこ」を求める声が聞こえだす。
俺本人ならともかく、紗智子に俺を抱きかかえるなんてできるはずがない。
そう思っていたのに、まさか。

「健一、しっかりつかまっててね」

ひざの裏に腕が差し込まれたと思ったら急に体がふわりと浮き上がり、
「きゃ」と小さな叫び声とともに、紗智子に強く抱きついてしまった。
抱きついた瞬間、歓声とデジカメのシャッター音がひときわ大きくなる。
ふと気がつく。
ああ、これが『お姫様抱っこ』されている状態なのか。
体だけでなく、心まで宙に浮いているようなフワフワ感に満たされ、
なんか自然に笑みがこぼれてきてしまう。
あのまま『男』として結婚していたら味わえない、『女』だけの幸せ。
紗智子の顔が、俺なんかより、私なんかより、やけに眩しく男らしく感じて……。

「ねぇさっちゃん」
「ん?」

私の呼びかけに振り向く紗智子の唇に、不意打ちのようなキス。
さらに沸きあがる歓声ときらめくフラッシュ、そして祝福の言葉と鮮やかな花の嵐。
心から思う。花嫁になれてよかった、と。

挙式が終わっても、まだまだ休むことはできない。
この後には披露宴と二次会が待っている。
本音を言えば、ホテルの部屋で寝転がっていたいところだけど、そうも言っていられない。
紗智子と別れ、またもホテルの控え室へと足を向ける。
挙式で崩れたメイクを直し、そして違うドレスに着替えるためだ。
ドレスを決めに行ったときは、なんで何着もドレスを選ぶんだと思っていたが、
確かにこんなときじゃないと色々なドレスを着る機会はない。
挙式と披露宴とお色直し、合わせて3着のドレスを選んだ紗智子に感謝しつつ、
スタッフの指示に従って着替え始めた。
今度のウェディングドレスは、フリルがまるで螺旋のように足元に流れていく左右非対称のスカートが特徴で、
後方に伸びたスカートのすそが丸く広がっているのがいかにもウェディングドレスっぽくてかわいらしい。
上半身はさっきまで着ていたドレスと同じで肩を出すスタイルだけれども、
こちらは左肩がワンショルダータイプになっていて、
それをドレスの生地と同じ布で作った大きなコサージュが飾られている。
シルエットからして胸が高鳴る美しいドレス。
朝はこんな綺麗なドレスを着るのを嫌がっていたなんて、なんか不思議な気分だ。
着替えた後はもちろんメイク。
今後のことも考えて、手順をしっかりと目に焼き付けていく。
道具の名前とかテクニックはあとでまた調べるとしても、
実際にメイクしているところを覚えておけば、絶対に役に立つはず。
しかしプロのメイクアップ技術を見ていると、
化粧という言葉に『化ける』という字が入っているのがよくわかる。
ちょっと疲れが見えた花嫁のメイクを落としたときは、
どこからどうみてもくたびれた男にしか見えなかったのに、
またプロの技術で丁寧に化粧されたら、
疲れどころか内面から輝きを放つような幸せいっぱいのかわいい女性が誕生した。
朝のメイクは驚きのあまり放心状態になってしまったけど、
今度はメイクアップされた姿を心に深く刻み込むことができた。
ひじまである絹の手袋をして小さなブーケを持てば、どこに出しても恥ずかしくないほどの『お嫁さん』。
姿見で全身を確認して、小さくうなずく。
うん、私はかわいい。
ちょっと朝よりも花嫁姿に自信を深めた私は、ちょっとうきうきしながら披露宴会場の扉の前に立つ。
気がつくと、白いタキシードを着てビシッと決めてる紗智子が立っていた。

「どう?さっちゃん。かわいいでしょ」

いま、一番綺麗な瞬間を見てもらいたくて、紗智子にアピールする私。
そんな自意識過剰な新妻を見て、『彼』は意味深に微笑むばかりだった。

最近流行っている女性シンガーの曲と拍手に乗せて入場すると、いよいよ披露宴の始まり。
挙式と違って新郎新婦のやることがほとんどないため、進行に任せるまま式が進んでいく。
司会の人から新郎の紗智子と新婦である私の紹介がされているが、
私の経歴が紗智子のとして、逆に紗智子の経歴が私のものとして扱われているのがちょっと面白い。
紺色のブレザーに胸元の赤いリボン、チェックのスカートを身にまとった紗智子の写真がモニターに映し出されているのにもかかわらず、
「健一さんの高校入学のときの写真」なんて説明が入るのは、もはや冗談としか思えないほどだ。
その写真を見ながら、ちょっとだけ紗智子が卒業した名門女子高や女子大に通う自分の姿を想像し、
『架空の女子学生生活』を少しだけ楽しんだのは、紗智子にすら話せない自分だけの秘密としておこう。
また、2人の馴れ初めも公開されたが、もちろんこれもお互いの置かれた状況が見事に逆転していて、
同期の紗智子の失敗をフォローするよくできたキャリアウーマンの自分といった感じに紹介された。
実際によく失敗していたのはもちろん自分のほうなので、
見に覚えのない濡れ衣を着せられた紗智子はちょっと怒っていたけど、
立場が入れ替わるってことは、他人からの評価も入れ替わるってことだから仕方ないのかも。
新郎新婦の紹介が終わると、続いてケーキの入刀。
イミテーションではない大型のホールケーキを前に、2人並んで刀のような長さのケーキナイフを2人で握る。
お約束の「新郎新婦初めての共同作業」なんていう文句を受けながらケーキにナイフを入れると同時に、
拍手とデジカメのフラッシュが嵐のように巻き起こる。
お約束とはいえ、なんともうれしい瞬間だ。
続いて最近流行しているファーストバイトの儀式。
なんでも新郎が新婦に食べさせるケーキには「一生食べるものに困らせない」という決意が、
花嫁が花婿に食べさせるほうには「一生おいしいものを食べさせてあげる」という誓いがこめられているという。
まずは新郎である紗智子が、フォークに刺したケーキを私の口に。
一口大に切られたケーキをぱくりと食べて彼の頬にキスをすると、
攻守交替で今度は私がケーキを食べさせる番。
もちろん私は花嫁なので「おいしい料理を作ってあげる」という意味をこめて、
がっつり特大のフォークに刺して

「あーん」

もう紗智子は『男』なんだから、ダイエットのために甘いモノを控える必要もないから、
ショートケーキ1つぶんぐらい一気に食べても問題ないはず。
今までガマンしていた反動で食べ過ぎてメタボになられても困るけど。





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