シチュエーション
![]() 女の子らしい華やかな彩りに飾られた寝室。 ピンクのカバーのかかったベッドでフカフカの布団に埋もれながらグッスリと眠っていた私は、ベッドサイドに置かれた目覚まし時計が7時を指し、軽やかなアラームを鳴り響かせるとともに、モゾモゾと目を覚ました。 「ん……ふわぁ〜あ、もう起きなきゃ……」 まだ眠たげに目を擦りつつ、ベッドの上に半身を起こす。 5月も末で少しずつ夏が近づいている今の季節は、早朝ならでは爽やかさがあり、やや低血圧のきらいがある私も、それほど苦労なく起きることができた。 ゆっくりと布団を跳ね上げ、スタンッとベッドから降りる。 クリーム色のコットンのナイティを着たまま、洗面所でひとまず顔を洗ってから部屋に帰り、ドレッサーの前に腰かけて、まずは寝乱れた髪を丁寧にブラシでとかす。 最初の頃は、朝から面倒だと思っていい加減にして家族に叱られたものだが、慣れと言うのは恐ろしいもので、この1年余りですっかり慣れ、髪の毛はもちろん、フェイスケアやメイクまで、女の子の朝の身だしなみは、ほとんど淀みなく行えるようになっていた。 寝間着を脱いで、夜のうちに用意しておいたブラとショーツ、スリップを身につける。ほんの一瞬だけ、乏しい……と言うよりほぼ皆無に等しい胸の膨らみを恨めしく思う気持ちが心を横切るが、慌てて否定する。 それでも、慣れた手つきで脇の方の肉を集めてカップに入れてから最後にパッドを入れると、一応それらしい隆起ができるのだから、寄せて上げるブラ恐るべし、と言ったところか。 続いて学園の女子制服へと着替える。白い半袖のブラウスの男とは逆についているボタンをはめることにも、すっかり馴染んでしまった。 ベッドに腰掛けて太ももまである白のサイハイソックスを履いてから、膝上15センチのグレーとグリーンのチェックのミニスカートに足を通す。真紅の紐タイを蝶結びにして、 左胸にエムブレムの縫いとられたクリーム色のベストを羽織れば、通学モードは完成。 「あ……忘れてた」 最後に、ドレッサーの引き出しを探って、いくつかある中から、今日はシンプルなオレンジ色のカチューシャを選んで髪にセットする。 鏡の中を覗き込みながら、左右に体を傾けチェックし、ニコッと微笑んで見せる。 そこには、ひいき目抜きにしても「可愛らしい女子高生」が爽やかな笑みを浮かべていた。 「はぁ〜〜……」 その姿を見るたびに、いまだに私は複雑な気持ちになってしまう。 「かすみぃ〜!起きてる?そろそろご飯食べないとエリちゃんが迎えに来ちゃうわよー?」 「はーい、ママ〜、今行くー!」 自室を出て、1階のダイニングへと急ぐ途中で、ボサボサの髪をして、青いスウェットの上下を着た「男性」と鉢合わせた。 「──おはよう、パパ」 「んん……おぅ、おはよう、かすみちゃん」 咥え煙草のままポリポリとお尻を掻きながら、私の継父……ということになっている「男性」は、眠そうに目をしばたいた。 「もしかして、また、徹夜?」 「いやいや、一応、6時半過ぎには寝たんだが……」 「もぅ、いい加減にしないと、体壊すよ?」 「はは、連休があったから、ココんところ、締切が不規則でなぁ」 などと気さくに会話する私達を見れば、「義理の父娘ながら比較的親子仲は良好」と傍目には見えるだろう。 確かに、私もこの人のことは嫌いではない。尊敬もしているし、再婚から1年以上一緒に暮らしてきて、家族としての情もそれなりにあるつもりだ。 しかし……。 「あら、どうかした、かすみちゃん?」 「う、ううん、なんでもない。ごちそうさま〜」 誤魔化すようにお箸を置いた瞬間、タイミングよく玄関のチャイムが鳴った。 「あ、多分エリだ。ママ、ちょっと歯を磨いてくるから、待っててもらって」 「ハイハイ、わかったわ」 急いで歯磨きを済ませ、口元のリップを塗り直し、私は通学鞄を手に玄関へと向かう。 「あ、かすみん、おっはよー」 「おはよ、エリ。時間はまだ大丈夫?」 「うーーん、今8時7分だから、何とか歩いても余裕っしょ」 「わかったわ。じゃあ、ママ、パパ、行ってきまーす」 エリと一緒に家を出る。 昨日のテレビのドラマや来月出るアイドルの新譜、今日発売予定の少女漫画誌……などなど、他愛もないことについておしゃべりしながら、学校へと向かう。 それを、ごく当たり前の事と受け止めて今の日常に満足している自分と、どこか落ち着かない居心地の悪さを感じている自分が、心の中にいることがわかる。 もっとも、一年前に比べると、前者と後者の比率が完全に逆転しており、自分の立場に違和感を感じることはめったになくなってはいたのだが……。 今の私の名前は渡良瀬かすみ──だが、ほんの1年数ヵ月前までは、僕は渡良瀬和己(かずみ)として新米とは言えごく普通の会社に勤めていた、れっきとしたサラリーマンだったのだ。 大学時代のサークルに顔を出したことがキッカケで、知り合った年上の女性──天野橙子さんとの結婚も決まっており、ささやかながら幸せを満喫していたのだ。 橙子さんは、高校進学を控えた娘さん(亡夫の忘れ形見らしい)がいるとは思えないほど、若々しく美人な女性で、しかも有名月刊誌での連載を複数持つ人気マンガ家「あまのとーこ」でもあった。 彼女は性格も優しく家庭的で、そんな素晴らしい女性がなぜ、自分のようなうだつの上がらない三流サラリーマンを伴侶に選んでくれたのか、正直理解不能だった。 難しい年頃のはずの娘のかすみちゃんも、出会って間もなく僕に懐いてくれた。おそらく僕と天野さん母娘は「波長があった」のだろう。 とは言え、僕とかすみちゃんの年齢差は8歳しかなく、「父と娘」と言うよりむしろ「兄と妹」に近い関係だったが、兄弟のいない僕にはそれもまた新鮮な感覚だった。 ところが。 結婚直前の3月頭に、不況のあおりをくらって勤めて1年足らずの会社が倒産してしまったのだ! 僕としては、正直婚約破棄されることも覚悟していたが、橙子さんは、そんな僕を優しく慰め、「再就職先は、じっくり決めればいい」と言って、そのまま籍を入れてくれた(式は、橙子さんの仕事が落ち着く6月に挙げることになっている)。 実際、20代はじめのころからいっぱしの漫画家としてヒット作をいくつも生み出している橙子さんは、かなりの資産家だ。何せ、僕と結婚するにあたって横須賀市内に一戸建ての新居を買っちゃうくらいなのだから。 なんだかヒモか若いツバメっぽくてアレだが、背に腹は代えられない。僕は妻となった橙子さんの言葉に甘えて、彼女のマンション(新居は、現在最後の内装中)に同居し、なけなしのコネやハローワークを頼りに再就職先を探し始めた。 娘のかすみちゃんも、当初は僕の不運に同情してくれているようだったのだが……。 実は彼女も春からの進学を前にひとつの問題を抱えていたのだ。 何度も言った通り、橙子さんは売れっ子漫画家だ。定期連載を持っているような漫画家は、普通アシスタントを抱えて、背景、ベタ塗り、モブ描きなど自らの仕事の補佐をさせている。 当然、橙子さんもベテランのアシスタントをふたり雇っていたのだが、3月いっぱいで、ひとりは結婚して北海道に行くことに、もうひとりはめでたくひとり立ちすることになり、ちょっとしたピンチに陥っていたのだ。 ただ、橙子さんの場合、どうにも手が回らないほど忙しい時には娘のかすみちゃんが臨時で手伝ってくれていたので、まだ救いはあった。 しかし、さすがに高校生ともなると時間的余裕が厳しくなるうえ、主戦力のアシふたりが抜けるとなると、絶望的な修羅場となるのが目に見えていた。 現在無職の僕が手伝えれば……とも思うのだが、生憎絵心が皆無で手先が不器用な僕には、消しゴムかけとせいぜいベタ塗りくらいしか出来そうにない。 対して、小学生のころから橙子さんの手伝いをしていたかすみちゃんは、もはやプロデビューしてもおかしくない画力・技術力を持っている。現に、橙子さんも、ストーリー展開やキャラ作りについてかすみちゃんと時々相談してたりするらしい。 そんな人手不足に悩む「あまのとーこ」の仕事場の状況を打開するべく、かすみちゃんが奇想天外な奇策を僕らに提案した。 ──もう、おわかりだろう。 そう、僕が娘の「渡良瀬かすみ」として高校に通い、かすみちゃんは対外的には橙子さんの年下の夫の「渡良瀬和己」として家で妻の仕事を手伝う……という形になってしまったのだ!! 橙子さんいわく、母親としては娘にせめて高校くらいは出てほしいし、できれば一時休学とかもしてほしくない。しかしプロの漫画家としては有能で気心の知れたフルタイムのアシスタントは喉から手が出るほど欲しい……というコトでの苦渋の選択だったらしい。 無論、僕としてはまったくもって気が進まない。ただ、「絶対嫌だ」と主張するには、この家における僕の立場は脆弱すぎた。 「大丈夫、パパならきっとうまく女子高生やれるって!制服も似合いそうだし」 と、脳天気にポンポンと僕の肩をたたくかすみちゃん。 ……あまり認めたくないのだが、僕は小柄でかなりの童顔だ。 身長は162センチのかすみちゃんとあまり変わらないし、ラフな私服で夜の街を歩いていると高校生に見られて補導されかけることはしょっちゅうだ。女の子と間違われて電車で痴漢に遭ったことさえある。 だからこそ、「女の子のフリ」をする、それも数ヵ月から下手したら丸1年間続けるなんて心底嫌だったが、残念ながら有効な代案を考えることもできなかった。 「何ヵ月も僕が「かすみちゃん」として通った学校に、どうやって復帰するつもりだい?」 と苦し紛れの抵抗も、 「そんなの転校すればいいよ」 と一蹴されてしまった。 結局僕は首を縦に振り、4月までの1週間、かすみちゃんから促成女の子講座を受けるしかなかったのだ。 3月31日の深夜。 見慣れない部屋のベッドで布団に入りながら、僕はこっそり、深いため息をこぼしていた。 3時間程前に人目をはばかるようにして、コッソリ橙子さんの運転するライトバンでこの新居に引っ越して来た僕らは、各自の部屋の片付けを終えて、明日からに備えて今日はもう寝ることにしたのだ。 今日までの一週間、僕は「渡良瀬かすみ」として暮らすための様々な面に関する「教育」を受けさせられていた。 1日目、まずはかすみちゃんのお古を着せられた。と言っても、レモンイエローのトレーナーと黒のスパッツという、あまり性差を感じさせない格好だったのは幸いかも。 でも、下着については、とりあえず白のショーツとキャミソールをつけるように言われた。恥ずかしくって躊躇っていたら、橙子さんたちにふたりがかりで脱がされちゃった。 仕方なく女物(というか、コレ、かすみちゃんのだよね?新品じゃないみたいだし……)の下着を着けて、なるべく自分の姿を意識しないようにしてトレーナーをかぶり、スパッツを履く。 そのあと、リビングで橙子さんが髪を整えてくれた。 ここのところしばらく床屋に行ってなかったせいで、わりと伸び放題だった僕の髪は、器用な橙子さんのハサミさばきで、みるみるうちに女の子っぽいセミロングの、かすみちゃんとソックリな髪型に揃えられてしまった。 反対に、かすみちゃん本人は美容室に行ってベリーショートにしたみたい。よく見れば、この髪型って、僕が初めてかすみちゃんと会った頃のモノに似ているような……。 しかも、僕がこのマンションに持って来た僕の服──洗いざらしのダンガリーのシャツとジーパンを、さほど違和感なく着こなしている。「もしかして、下着も!?」とは、さすがに怖くて聞けなかった。 とりあえず、その格好のままで、かすみちゃんから、橙子さんの描いたマンガ全巻読破するように言われた。 「だって、「かすみ」はママの娘なのに、自分の母親の作品について知らないのはヘンでしょう?」 一応、僕だって恋人の仕事には少なからず興味はあったし、多少は目を通したこともあったんだけど……。ただ、橙子さんの連載って、圧倒的に少女マンガ誌が多いんだよね。7割がたが少女マンガで2割がレディコミ、残る1割程度が少年誌。 成人男性としては、さすがに少女マンガを書店で買うのは躊躇っていたんだけど、橙子さんの「娘」として振る舞う以上、確かに「ママのお仕事」を知らないのはヘンだ。そもそも、橙子さんさんの作品は、中学生から高校生くらいの女の子がメインターゲットなんだし。 僕は、橙子さんのマンションの一室にこもって、壁の本棚に揃えてある橙子さんの著作をひたすら読み続けた。アニメ化されてる作品も何作かあるけど、そちらはDVDを流しっぱなしにして、時々目を向けるだけに留めた。 最初は多少抵抗があった少女マンガも、いざその物語に入り込んでみると、意外なほど面白くて、僕は夢中になって読み続けていた。 身内の贔屓目を抜きにしても、橙子さんが人気作家だってことが十分納得できる。むしろ、これまでたまに読んでた少年誌や青年誌のマンガより、僕の性に合っているかもしれない。 そうやって根をつめたおかげか、日付が変わる頃には連載中のものも含めて、全巻読破することができた。もっとも、その日の夢の中には、読んだマンガのキャラたちがゴッチャになって登場してカオスなストーリーを展開してくれたけど。 2日目の朝起きると、枕元にはシンプルな白のブラウスと、モスグリーンのキュロットが置いてあった。下着も昨日より少しだけフェミニンなデザインになっている。 たぶん、僕の感情を考慮して、少しずつ違和感の少ないものから着せて馴らしていこうという魂胆なんだろう。 確かに、ブラウスはボタンのつき方さえ除けば男女いずれが着てもおかしくないデザインだし、キュロットも股が割れている分、ショーツパンツだと思えば比較的抵抗感はない。 ──トントン! 僕が起きて着替えた頃をみはからったかのように、部屋に橙子さんが入って来た。 「カズくん、ブラッシングとお肌の手入れの仕方を教えてあげるわね」 そう言って僕を鏡台の前に座らせた橙子さんは、懇切丁寧に髪の梳き方と整え方、化粧水やファンデーション、洗顔フォームなどの使い方を教えてくれた。 これまで、化粧はもちろん髪の毛さえ気を使わず、せいぜいデート時に安物の整髪料をつけて適当にクシを入れるだけだった僕にとっては、すべては未知の領域の話題だった。最初は色々失敗もしたけど、何度か繰り返すうちに、橙子さんから一応の合格をもらった。 「あとは慣れと、自分なりのアレンジかしら」 うぅ……精進します。 で、ご飯を食べたあとは、今度はかすみちゃんから教科書一式を渡された。 「とりあえず、中学3年生の学習範囲は飲み込んでないと……大丈夫だよね?」 「もちろん!」……と言いたいけど、実は数学とか英語は結構危ういかも。英語は大学の2回生以来ほとんど目にしてないし、私大文系だったから数学なんてほとんど忘れてそうだ。 結局、その日はかすみちゃんの部屋にカンヅメになって勉強机に向かい、教科書と参考書のページをめくることで、ほぼ一日が費やされた。 「で、どうなの、学習成果のほどは?」 夕飯時に橙子さんに聞かれたけど、脳みそパンク状態の僕はほとんど上の空。代わって、時々様子を見に来てくれていたかすみちゃんが答える。 「うーーん、国語と歴史、地理は問題ないけど、理科と英語はギリギリ、数学は今後に期待、ってトコロかな」 かすみちゃんが通う予定だった高校は、進学校ではないものの市内でもそれなりのレベルなので、新学期からは気合い入れて勉強しないと、このままだとついていけなくなりそう、とのこと。 (ちなみに、かすみちゃん本人は、すでに大検に合格できるくらいの学力があるらしい。天は二物も三物も与える人には与えまくるんだなぁ) 「そうそう、パパ、ご飯のあとは実力テストするから」 か、勘弁してよーー! その日の夜は、案の定、「授業中に先生に当てられたけど、わからなくてそのまま立たされる」なんて、イヤな夢を見てしまった。 おかげで、3日目の寝ざめはあまり気分がよろしくない。ただ、その夢の中で、僕が女子の格好をしてたのは……。 「これのせい、だろうなぁ」 壁には、この春から「渡良瀬かすみ」が通う予定の高校の女子制服がかけられていた。 「これを着て通う自分の姿をイメージするように!」 とは言われてたけど、まさか夢に見るとは思わなかった。 ちなみに、今日の下着は、薄いミントグリーンのブラとショーツ……って、ブラジャぁ!? 「あらあら、でも、そろそろ慣れておかないと……ね?」 うぅ……それはわかりますけど、橙子さぁん。 「大丈夫、着け方はわたしが教えてあげます」 と言うわけで、「正しいブラの着け方」なる緊急講座を受けさせられた。ふむふむ、先にホックを前でとめてから回転させて肩ひもつける、と。で、前かがみになって脇腹の余った肉をカップに寄せ入れる……って、ちょっとだけど膨らみができてるぅ〜! 「うふふ、カズくんも女の子のヒミツ、少しだけ理解しちゃいましたね」 こ、これはかるちゃーしょっくかも。 で、その上に着るのは……え、セーラー服!? 「うん、「渡良瀬かすみ」がこの間まで通ってた中学の制服だよ。今日はそれを着て女の子の格好に慣れてもらうから」 いきなりハードルが高すぎると思ったものの、かすみちゃんは許してはくれず、橙子さんがおもしろがっていることもあって、僕は黒地に白いラインの入ったセーラー服とヒダスカートを無理矢理着せられてしまった。 ──着るのは無理矢理だけど、サイズ自体はほぼピッタリなのがちょっとショック。 で、その女子中学生の格好で、今日指導されるのは……えっと、ティーンズ向け週刊誌? 「そ。バックナンバーもとってあるから、これを読んで、ひととおり女の子の会話についていけるようにならないと」 それはいいけど……なんか、かすみちゃん、女の子指導って言うわりに本ばかり読まされてる気が。 「う……し、仕方ないでしょ!アタシだってあんまり女の子らしいタイプじゃないんだし」 自分で言う通り、かすみちゃんはどちらかと言うと元気でボーイッシュな子だ。顔立ちも十分整ってはいるんだけど、童顔で若々しい橙子さんとは逆に、大人っぽくて凛々しいタイプだし(亡くなったお父さん似らしい)。 ん?だったら、僕もそういう路線で行けば……。 「あらぁ、それはダメよ、カズくん。かすみ元々女の子だから、多少ボーイッシュに振る舞ってもキチンと「女の子」に見えるけど、カズくんの場合は元が男の子でしょ」 いえ、橙子さん、さすがに二十代半ばの男性つかまえて「男の子」って表現はどうかてと思いますよ。 でも、言われてみれば、その通りだ。むしろ僕の場合、多少女の子らしさを強調するくらいがちょうどいいのかもしれない。 「そーゆーこと。じゃ、「15歳の女の子の常識」の自習、よろしく〜」 ヒラヒラーっと手を振ったかすみちゃんは、ちゃっかり僕の会社員時代の背広を着こんで、これから出かける様子。「外で男らしさの実地訓練」らしいけど……大丈夫かなぁ。まぁ、確かに、その格好だと一見したところ20歳前後の若い男性に見えなくもないけど。 「そうそう、雑誌読むのに飽きたら、こっちの本見て練習してみたら?」 と、渡された本の題名は「女声トレーニングキミも女子の声になれる!」……って、ちょ、こんな本が出てるの?てか、なんでこんな本持ってるの!? 「HAHAHA!もちろん、可愛い「娘」のために買って来ておいたのサ!備えあれ憂いなしってね」 アメリカナイズされたイイ笑顔でサムズアップすると、かすみちゃんは外へと出かけて行った。 で、その後、10冊ほどバックナンバーがあるとは言っても、雑誌くらいはすぐに読み終えてしまうワケで……。 昼前にして暇をもてあました僕は、橙子さんのお手伝いをしてお昼ご飯を作る。売れっ子マンガ家さんだと、こういう雑事専門のアシスタントを雇ってる人もそうだけど、橙子さんは違うみたい。 「うふふ、あの子はあまり家事の手伝いはしてくれなかったけど、新しい「かすみ」ちゃんは頼りになりそうで、ママ嬉しいわ♪」 セーラー服の上からピンクのフリフリのエプロンを着せられた僕を見て、嬉しそうに笑う橙子さん。そりゃ、これでもつい先月まではひとり暮らししてましたからね。簡単なおさんどんや掃除洗濯くらいは出来ますよ。 あ!でも、そうか。マンガ自体の手助けは出来なくても、こういう家事の面でのフォローは僕にも出来るのかも。 そして昼から本格的に暇ができた僕は、結局、かすみちゃんからもらった本を読んで、いろいろ試してみた。自分では、それなりに女らしい声が出るようになったと思うんだけど……。 「バッチリ!そのままアタシの友達とカラオケ行っても違和感ないよ!!」 わぁッ、かすみちゃん、いつの間に帰って来たの!? ともあれ、僕の練習の成果は橙子さんにもお墨付きをもらい、ひとまず成功した……のかなぁ。 それにしても、その夜見た「オーデションを受けてアイドルデビュー」って夢はあんまりだと思う。 いい加減、この「立場入れ替え予習」に慣れたと思っていた僕も、4日目の朝に枕元に置かれていた代物を見た時は、思わず「無理むり、ぜーーーったいムリ!」と叫んでしまった。 丸首部分と袖の部分が赤く縁取られた白無地の半袖シャツ、いわゆる体操服については問題ない。 でも、そこに一緒に置いてあるストレッチ素材のエンジ色の女性用体操着──ブルマーを僕が履くことは、視覚的に無理があると思う! 「うーーん、いくらカズくんのが小振りとは言え、やっぱりこういうピッタリしたものを履くと多少は目立っちゃうでしょうね」 ……何か、夫として絶対妻に言われたくない単語が混じってたような気がするけど、動転していた僕は、「うんうん」と首を大きく振って橙子さんの言葉に同意した。 「だーーいじょーぶ!こんなコトもあうかと、インターネットで秘密兵器を手に入れておいたから!!」 なぜか紺色の作務衣を着てねじり鉢巻きをしたかすみちゃんが、妙なハイテンションで部屋に入って来た。 「まずは、これを読んでみて」 えーと、「接着剤による股間整形」……って、何、これ? 要するに、皮膚用の接着剤を使って、男性の股間を女性みたいに見せかける方法、らしい。 PCからプリントアウトしたらしいその紙には具体的な方法も詳しく載ってたけど、こんな複雑なことひとりじゃ出来ないよ。 「じゃあ、手伝ってあげますね♪」 そう言ってジリジリとにじり寄ってくる橙子さん。な、なんでそんなに嬉しそうなんですか!? 「ウフフフ……」 ──アッーー! ……結局、裸にされて浴室まで連れて行かれた僕のアソコは、まるで子供みたいにツルツルになるまで剃られて、そのあと、紙に書かれた方法どおり、橙子さんは僕のアソコを接着剤で女の子そっくりな形にしてしまった。 おかげで、女物のショーツを履いても、これまでと違って全然膨らみが見当たらない。なんだかスゴく恥ずかしくて、自然と内股になってモジモジしてしまう。 「それにしても、パパ、成人男性のクセにスネ毛もほとんどないなんて……」 言わないでよ!髭もほとんどないし、気にしてるんだから。 「一応、脱毛クリーム塗っておきましたけど、必要なかったかもしれませんね」 橙子さんの言う通り、僕の脚はそれまで以上に完全に無毛のツルツルな状態になってしまった。 「これで、ブルマーでもOKですね♪」 エエ、ソウデスネ、ハイ。 で、その女子体操着姿で何をさせられるかと言えば……女性用マナー講座のDVD観賞? 「身ごなしとか、しっかり覚えるように。あとで実演してもらうから」 それはいいけど……僕がブルマー姿になった意味ってあったの? ……てな感じで、それからの3日間も、効果があるんだかないんだかわからない色々な「女の子教育」をされて、ようやく今日の昼になって解放されたのだ。 その一方で、かすみちゃんは橙子さんのアシスタントをする傍ら、頻繁に僕の服を着て外へ出かけ、日焼けサロンで肌を褐色に焼いてきたり、パチンコでボロ勝ちしてホクホク顔で帰ってきたりと、成人男性ライフをフリーダムに楽しんでるみたいで、なんかフクザツ。 そりゃ、かすみちゃんは4月からも原則的にはウチにいて、橙子さんやせいぜい編集の人達(すでに事情は説明済み)くらいとしか顔合わさないもんね。失業中の僕の──渡良瀬和己の行動を無理にトレースする必要はないし。 近所付き合いにしたって、引っ越してから新たな「渡良瀬家の夫」としての顔をご近所に認めさせれば、それで済む。 それに対して、僕は「渡良瀬家のひとり娘の女子高生」として学校に通う関係上、どうしても社会的な立場や常識に従わざるを得ない。だから、僕の方が覚えることが多いのも仕方ないんだろうけど……。う〜、なんか理不尽だよぅ。 それに……夜が明けて目が覚めたら、その瞬間から僕は、この家の中でも「娘のかすみ」として扱われるんだ。 これまでは練習期間ってことで、橙子さんも僕を「カズくん」と呼んでくれてたんだけど、新居に引っ越した以上、心機一転、家族だけの時も新しい立場で振る舞うって、みんなで相談して決めてあった。 だから、今僕が寝ている部屋も、年頃の女の子らしい薄いピンクの花柄の壁紙で飾られているのだ。 室内には、白いタンスやチェストボックスのほかに、かすみちゃんが小学6年のころから愛用している勉強机と、中学入学時に買ったと言うドレッサーも置かれている。 そもそも今の僕自身は、明るいオレンジ色の可愛らしいデザインの女性用パジャマを着ているし、その下に着けてるのだって……。 あ〜、もう考えるのヤメヤメ。寝よッ! ──こうして僕は、「僕」としての最後の夜、布団に潜ってギュッと自分の身体を抱きしめるような体勢で無理矢理眠りに就いたのだった。 前の晩の寝付きが遅かったせいか、その日の朝の僕の目覚めは少々遅かったようだ。 「……み!かすみ!そろそろ起きなさい!!」 夢うつつの中、耳元で橙子さんの声がする。誰かを呼んでいるような……。 あ!僕を──「かすみ」を呼んでるのか。 目を開けた僕は、ガバッと布団の上に半身を起こした。もちろん、ベッドのそばには朝から優しい笑顔を浮かべた橙子さんが立っていた。 「お、おはよう、と…「ママ」」 「橙子さん」と言いかけて慌てて言い直す。 実は、昨日の夜、橙子さんの提案で、今日から僕とかすみちゃんが言葉づかいや呼び方を間違えた場合、1回につき100円の罰金を居間の貯金箱に入れることを、約束させられたのだ。 「かすみ」の1ヶ月のお小遣いは昼食代も含めて15000円。高校1年生の女の子として見た時、この金額が大きいのか小さいのかよくわからないけど、仮に10回呼び間違えただけで1000円取られることになるのは痛い。 まぁ、それくらい注意しないと、この入れ替わり劇を完遂できないってことなんだろうけど。 「はい、おはよう。そろそろ8時よ。いくら春休みだからって、あんまり寝坊しちゃダメよ」 ニコニコと微笑んだまま、橙子さんは人差指で僕の鼻先をチョンとつつく。どうやら、さっき言い間違えかけたことは不問にしてくれるらしい。 「ごめんなさい、「ママ」」 ここは、しおらしく謝っておこう。 満足げに頷きながら、橙子さんは「かすみ」の部屋を出て行った。 その姿が見えなくなったのを確認してから、僕はガックリと肩を落とす。 (うぅ……緊張した) 初日の朝からこれでは先が思いやられる。 いや、ここは何とか無事にやり過ごしたことを「幸先がいい」と喜ぶべきか。 くだらないことを考えながら、ベッドから降りてカーペットの上に立つ。 「あ、そう言えば着替え、用意しておくのを忘れてた」 もしかしたら、無意識に「現実」から目をそむけていたのかもしれないけど。 いずれにしても、今日と言う日が来てしまった以上、覚悟を決めるしかない。 僕は、寝間着姿のまま白いタンスの前に立った。 かすみちゃんの部屋のタンスは、高さ1.8メートル、幅が1.5メートルほどで、上半分が両観音開きで下半分が4段の引き出しになっている。勉強机やドレッサーに比べて新しいのは、つい半年ほど前に買ってもらったばかりだからだとか。 その一番下の段の引き出しを、誰も見ていないのに何となくキョロキョロと辺りを見回してから、ゆっくりと開ける。 そこには、白や水色、ピンクといった薄くて明るい色彩を主体とした女物の衣類──誤魔化しても仕方ないな。女性用の下着類がキチンとたたんでしまってあった。 しかも、僕が使うにあたって新品を買い揃えたとかいうワケでは決してなく、正真正銘つい先日……というか下手したら昨日まで、かすみちゃん本人が着てた代物だ。 その、いわば「お古」(と言っても、それほど着古したものはないようだけど)を、今日から僕が身に着けないといけないのだ。 正直、「それでいいの?」と本人に以前、聞いてみたのだが……。 「うーん、別にそんなに気にしてないけど?それを言うなら、パパの……おっと、「元パパの」かな?ともかく「渡良瀬和己」の服を、アタシが下着も含めて全部もらっちゃうワケだし。あおいこだよ」 いや、どう考えても、23歳の成人男子(おっさん)と15歳のうら若い女子高生(おとめ)の服で、等価交換って成り立たないでしょ!しかも、僕の服の方が圧倒的に少ないし。 「そう?パパの持ってる服って結構アタシの好みだよ。それに、アタシの服だって、実際はタンスに入ってるのの半分くらいしか袖通してないし……」 ??それってどういう……。 「──かすみィ〜、お風呂空いたわよー?」 「あ、はーーい、今行くぅ!」 詳しい説明を聞く前に、かすみちゃんはそのままお風呂に行っちゃったんで、結局うやむやになったんだけど……。 うぅ、いくら本人の了解は得たとは言え、やっぱり恥ずかしいなぁ。 下着も、昨日までは夜のうちに橙子さんやかすみちゃんが出しておいてくれたんだけど、今日からは自分でキチンと選んで身に着けないといけないし。 でも、幼稚園児や小学生じゃあるまいし、「15歳の女の子」なら、それが当たり前だということは、僕にだって理解できる。 覚悟を決めて、僕は引き出しから、白一色でほんの少しだけレース飾りのついたお揃いのブラとショーツを選び出し、パジャマを脱いでそれに着替えた。 上は……この水色のブラウスでいいかな。ボトムは、本当はジーパンかせめてサブリナパンツとかがいいんだけど、「女の子になれるまでズボン禁止ね!」と橙子さんに厳命されてる。仕方ないから、長めの丈のソフトデニムの巻きスカートを選んだ。 これだけだと、まだちょっと肌寒いかもしれないから、何か羽織るものは……あ、このフリンジのついたベストいいなぁ。これを着て首元に赤いスカーフを巻くと……ちょっと、ウェスタン風でカッコいいかも。 髪の毛にブラシを入れるのも、ようやく慣れてきたところ。でも、まだ完全にうまくセットできないから……そうだ!このカチューシャで押さえれば、それなりにキチンとして見えるよね。 一通り服装を整え、拙いながらも髪と肌の手入れをしてから、僕は1階のダイニングへと降りて行った。 テーブルの上には綺麗に焼けたベーコンエッグとレタス主体のサラダ、そしてキツネ色のトーストが置いてあった。僕以外のふたりはすでに席についてるみたい。 「やぁ。おはよう、「かすみちゃん」」 何気なく声をかけられた方を見て、僕は思わず「アッ!」と叫びそうになった。 そこには、見慣れたグレーのスウェットに身を包んだ、見慣れぬ若い男性が座っていたからだ。一瞬「誰!?」と思ったものの、次の瞬間それがかすみちゃんの男装であることに思い至り、なんとか平静を取り戻す。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |