女子高生・渡良瀬和己
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シチュエーション


「お、おはようございます、「パパ」」

声が多少震えたのも、僕も無事に「ひとり娘のかすみ」としての挨拶を返すことができた。

「んふふ〜、どうやら「かすみ」もビックリしたみたいね。新しい「カズくん」ってば、すっかり役柄に馴染んじゃったみたいよ」

ニコニコしながら、橙子さんがミルクティーを入れてくれた。朝はコーヒーが飲みたい気もするけど……でも、やっぱり女子高生なら紅茶の方が自然なのかな。別に紅茶が嫌いというわけでもないので、有り難く戴いた。うーん、美味しい!

かすみちゃんは、あえて「朝食時の若い男」を意識しているのか、だらしなく椅子に腰かけたまま、朝刊の新聞を見ている。そのままトーストをかじろうとして、さすがに橙子さんに怒られていた。
逆に僕は、せっかく着替えた服を汚さないよう細心の注意を払って食べてたので、家族の中で一番遅くなってしまったけど、ふたりとも特に気にしてないみたい。
食後の食器洗い(僕も手伝った)が済んで一段落したところで、橙子さんがパンパンと両手を叩く。

「それじゃあ、そろそろ9時だし、みんなでご近所に挨拶に行きましょうか」
「……!」

ついにその時がやって来てしまった。
先週中も男装のまま外でブラブラしてたかすみちゃんと違って、僕はまだ今の格好で外出したことはない。
この家に来る途中クルマに乗ってるときには、片づけ作業も考慮して、女物のトレーナーとタイトジーンズという格好だったけど、あれは「女装」と言えるかは微妙だし。

でも、ここまで来たら覚悟を決めるしかないだろう。
念のため、橙子さん──「ママ」と「パパ」に再度全身をチェックしてもらい、「全然おかしくない。むしろ可愛い」というあまり嬉しくないお墨付きをもらってから、僕はふたりのあとに隠れるようにして外に出た。

春先の朝の空気は気持ちいいし、近くに見える川の堤防には桜の木がそろそろ5分咲きになってて綺麗だったけど、そんな素敵な環境にいることも、あまり僕の慰めにはならなかった。
まずは右隣りの樋口家から。幸いそこに住んでいたのは70歳くらいの老夫婦で、まだボケてはいないようだけど、目や耳があまりよくなさそうだったので、バレる心配は低そうだ。おかげで、僕もそれほど緊張することなく、無難に挨拶することができた。
一方、左隣りの家、仲村からは、パッと見は橙子さんと同年代の主婦と小学生の男の子が出てきた。気さくな橙子さんが奥さんと会話して、旦那さんは出張中だと聞きだす。こちらの奥さんも、度のキツそうな眼鏡をかけていたので、少あまり目はよくなさそうだ。
男の子も悪戯小僧というよりは人見知りするタイプのようで、チラッと僕が視線を向けただけで、顔を真っ赤にして母親の背後に隠れてしまった。

「あらあら、ボクくん、綺麗なお姉さんに見られて恥ずかしいのかな?」

隣の奥さんがからかうと、ますます顔を赤くしてる。ちょっと可愛いかも。
お向かいの日高さん家には、30歳くらいの独身女性が住んでいて、僕ら──というか、「ママ」と「パパ」の仲良し夫婦を羨ましそうに見ているのが印象的だった。

(多分、「この女(ひと)、こんな若いダンナつかまえちゃって……いいなぁ」という気分だったのだろう)

おかげで、「娘」である僕はあまり注目されずに済んだ。
また、その右隣の鈴木さんは30代半ばくらいのタクシー運転手で、昼間はいないコトが多いと教えてもらった。
そして、最後に訪れた岬家が一番の難関だった。

「どうも、はじめまして。この度、斜め向かいに越して来ました渡良瀬と申します。何かとお世話になるかと思いますが、家族ともどもよろしくお願い致します」

「パパ」──かすみちゃんが、堂々とした態度で、玄関に出てきた岬さん夫妻に挨拶している。
ふたりは、通常は一家の大黒柱たる夫が若い(どう見ても20歳かせいぜい20代前半くらいにしか見えない)ことに、ちょっと驚いていたけれど、そのあと世間慣れした橙子さんが巧みなフォローを入れたことで納得してくれたようだ。

「まぁまぁ、こちらこそ、よろしくお願いしますね。ところで、そちらは、旦那さんの妹さんですか?」

チラと岬さんの奥さんに視線を向けられて、硬直しそうになるのを懸命にこらえて会釈をする。

「いえいえ、わたしの娘です」

澄ました顔で橙子さんがそう告げると、目をパチクリさせる岬さん夫妻。

「そ、そうなんですか……」

気持ちはわかる。だって橙子さんはどう見たって30歳を超えてるようには見えないのだ。普通なら、どう考えても中高生の娘がいる年代ではない。
「パパ」にツンツンと肘でつつかれ、僕も言うべきセリフを考える。

「あの……渡良瀬、かすみと言います。よろしくお願いします!」

手を腰の前で重ね、精一杯女の子っぽく見えるよう注意しつつ、お辞儀する。

「まぁ、礼儀正しいのね。かすみちゃんは、おいくつなのかしら?」
「15……もうすぐ16歳になるんだったか?」

「パパ」の言葉に相槌をうつ。

「う、うん。えっと、この春から、星河丘学園に通うことになってます」
「ほぅ!じゃあ、ウチの絵梨と一緒だな。おーい、絵梨、降りて来なさい」

──えぇ〜、なーにぃ?

やや遠く(たぶん2階)から返事が聞こえたかと思うと、岬家の玄関から、かすみちゃんと(つまり今の僕と)同年代くらいの女の子が顔を見せた。
軽くパーマをかけたライトブラウンの髪とアーモンド型の目が印象的な、活発でちょっと気の強そうな子。
それが、僕の──「渡良瀬かすみ」の高校生活を通じての親友となる岬絵梨の第一印象だった。

エリ――絵梨ちゃんの最初の印象は、「軽そうな娘?」だった。もちろん、あとになってソレは間違いだったとわかるんだけど。
ちなみにエリの方も、僕のことを「うわ、内気で臆病そうなコだぁ」と思ってたらしいから、おあいこと言えばおあいこだろう。
岬家に招き入れられ、居間でお茶を御馳走になる僕達。「親同士」が世間話している横で、自然と僕はエリ(この時は、まだ「絵梨ちゃん」って呼んでたけど)と話をすることになった。
何を話したらいいのか困ったけど、幸い絵梨ちゃんは少女マンガ好きみたいで、「ママ」の──「あまのとーこ」の作品について水を向けたら、すぐに食いついてくれた。
僕も、橙子さんの作品が載ってる「羽とゆみ」とか「少女メイト」とかの雑誌は、先週の暇な時間に目を通してたので、ある程度話を合わせることができた。
それなりにおしゃべりを楽しんだあと、大人組の会話も一段落したみたいなので、僕らは岬さん家をおいとまして我が家に帰った。

(──ふぅ。大丈夫かなぁ。とくに怪しまれてない、よね?)

自室のベッドにバタンと仰向けになりながら、さっきの絵梨ちゃんとの会話について思い返す。たぶん、ヘンなトコロはなかった……と思う。
あれから、「ママ」はマンガのお仕事、「パパ」はそのお手伝いをしているはず。
そろそろお昼だし……何か作ってあげようかな。
ピカピカのシステムキッチンは、まだ細々したものが整理整頓されてなかったけど、それも平行して進めながら、僕は冷蔵庫や乾物の入った戸棚の中味を確認する。

「うーーん、ちょっと時期外れだけど、にゅうめんにしようかな。去年のお中元の素麺が残ってるみたいだし」

いちばん大きな鍋いっぱいにお湯を入れて、残っていた素麺を全部茹でる。それと並行して、具材に花麩やとろろ昆布、ワカメやかしわ、わけぎなどを用意する。
ダシは……今日は、インスタントでいいか。あ、香りつけに鰹節を最後にかけよーっと。
台所の壁掛け時計が12時半を指し示すころ、にゅうめんは無事完成。

「お昼ですよーー!」

橙子さんの仕事部屋のドアをノックすると「ふわ〜い」という気の抜けたような返事が返ってきた。

「えっと、お昼作ったから、よかったら台所に食べに来て」

小さめにドアを開けてそう告げると、机の上でぐったりしていた橙子さんの瞳が「キュピーーン!」と光る。

「ふ…フフフ……愛しいマイ・ドーターの手料理を食べ逃す親がいるでしょうか、いや、いまい!(反語)」

あれほど脱力してたのが嘘みたいに生気を取り戻した橙子さんが、瞬時にドアから飛び出してくる。

「今日のお昼は、なっ・にっ・かっ・なっ・!?」

スキップせんばかりの上機嫌で台所に向かう橙子さんを、僕とかすみちゃん──「パパ」は苦笑して見送るしかなかった。

「はぁ……おなかいっぱい。しゃーわせぇ」

ダシの最後の一滴まで飲み干したあと、ドンブリを置きながら橙子さんが満足げに言う。

「ごちそーさま、ありがとね、かすみ」
「う、ウン、お粗末さま……」

原稿執筆中は幾分子供っぽくなるって知ってたけど、まさかこれ程とは……と、僕は目を丸くしながら、橙子さんの顔を眺める。
それを見て何を思ったのか、「あぁっ、こんな風におさんどんが上手な娘がいてくれて、ママ、幸せだわ!」と、いきなり僕の頭を撫で撫でする橙子さん、いや「ママ」。
どうやら本気で、徹頭徹尾僕のことを「娘」として扱うつもりらしい。

「そ、そんな大げさだよー。にゅうめんなんて茹でるだけだし」
「いやいや、そんなことないさ。それに色々具を用意したり細かい気配りができてる。「かすみちゃん」は、いいお嫁さんになるかもね」

微笑いながら、「パパ」もそんな風に褒めてくれる。まぁ、悪い気はしない、かな?
ともかく、「ママ」や「パパ」のためにできることが、やっぱりボクにもあったみたいだ。これからは、できるだけ家の中のコト、するようにしないと。

その日は「ママ」たちの仕事の邪魔をしないように家の中の細々したものを片付けることで一日が終わった。
晩御飯も作ろうかと思ったんだけど、冷蔵庫にロクな材料が入ってなかったから、仕方なく店屋物の出前を取る。
それにしても……橙子さんのチャーシューメンはともかく、かすみちゃんのラーメンライス(餃子付き)って、どうなの。運動もしてないのに太るよ?

「ハッハッハッ、頭脳労働でもお腹は減るんだよ。それに当分ダイエットとか気にしなくていいし。それより、「かすみちゃん」こそ、チャンポン麺(小)だけで足りるの?」
「う……わ、ワタシは小食だからいいの!」

まぁ、この小食のせいで背が伸びなかったってのはわかってるんだけど、今更変えようもない。
で、ご飯を食べたら、ボク、「ママ」、「パパ」の順番にお風呂に入ることに。
とりあえず、パジャマと替えの下着を用意してからお風呂場へ向かう。
脱衣所で、ベストを脱いでブラウスのボタンに手をかけたところで、ふと鏡を見る。
そこには、(それが自分だということを考えなければ)どこからどう見ても「年若い少女」にしか見えない人物が恥ずかしげに鏡を見返していた。

「!」

なんとなく悪いことをしているような妙な気分になったボクは、慌てて目を逸らし、手早く残りの衣服も脱いで風呂場へと入った。

もっとも、風呂場も一面が鏡張りになっているんだけど……。ただ、服を着ている時と違って裸を見れば、ボクが本当は男だと分かるから平気だと思ったんだ。けれど……。

「──うわぁ」

無駄毛のない生っ白い肌といい、接着剤で貼りあわされパッと見女性のアソコにしか見えない股間といい、なんだか想像以上にボクの裸身は中性的に見えた。ここのところ女物のスカートで腰の高い部分を締め付けているせいか、心なしかウェストもくびれているように見えるし。
さすがに胸は全然ないけど、その点さえ除けばプールの授業とかも上手く切り抜けられるかもしれない。

「いや、「かもしれない」じゃなくて、切り抜けないといけないんだけど」

それにしても、そのハードルが幾分下がったことは喜ぶべきなのだろうけど……ひとりの成人男子としては、いささか複雑な気分だった。

「まぁ……今更、だよね」

この馬鹿げた事態を受け入れた時に、それは覚悟していたはず。
ボクは風呂から上がると、コーラルピンクの下着と白の七分丈のパジャマを着る。
このパジャマ、オーガンジーの半ば透けるような素材でできてるうえ、フリルとレースがふんだんに使用されている。新品同然だったところから見て、たぶん殆ど袖を通してなかったんじゃないかなぁ。

今日タンスの中を自分で整理してて気づいたんだけど、「渡良瀬かすみ」のワードローブって、ボーイッシュないしマニッシュな活動的なものと、ヒラヒラ&フリフリの多いフェミニンなものに二分されるみたいなんだ。
で、着古しているのは圧倒的に前者。つまり、後者は橙子さんが半ばシュミで買って来て娘に与えたものなんだろう。けど、かすみちゃん本人は、あまりそういうのが好きではないから、滅多に着ない、と。
それならボクも……と思うんだけど、橙子さんからダメ出しされてるしなぁ。「少しでも女の子らしく見えるように、そういう可愛らしい服装しなさい」って。
ま、新品っぽい服の方が、借り着してる罪悪感が幾分少ない、ってのはあるけどね。

「とりあえず、「渡良瀬かすみ」ライフの一日目は無事終了、るかなぁ」

そう呟きながら、ボクはベッドに入って程なく眠りに落ちたのだった。

昨日は早めに寝たせいか、翌朝はひとりでいつもと同じく7時過ぎに目を覚ますことができた。
下着は……風呂から上がって替えたばっかりだから、このままでいいか。あ、でもお揃いのブラはしておかないとね。
とくに意識するでもなくそんな風に考えて、タンスを開けている自分に気づいて、ちょっと苦笑する。

(まだ、こんな風に女の子の格好するようになって1週間しか経ってないのに……)

でも、逆に言えば、1週間も前からこの入れ替わりは念入りに準備されてたとも言える。そればかりか、わざわざ「女の子講座」なるものも受けされられたのだ。
昔、階段を転がり落ちた男女の心が入れ替わる──という映画があったけど、アレに比べたら、ボクとかすみちゃんの方が、事前の心構えができたぶん(そして元に戻る予定が立ってるぶん)多少はマシなのかもしれない。
て言うか、かすみちゃん──「パパ」の方は、現在の立場になんらストレスや戸惑いを抱いてないように見えるのが、ちょっとズルいと思う。ボクの方はハラハラしっぱなしなのに……。
まぁ、愚痴ってても仕方ない。昨晩「ママ」たちは仕事で遅かったせいか、まだ起きてないみたいだし、朝食の用意くらいはしておこう。って言っても、食材の関係でトーストとトマトとチーズを切るくらいしか出来ないけど。
それでも、コーヒーを淹れ終わるころには、匂いを嗅ぎつけてきたのか、ゾンビの1歩手前みたいな顔色をした橙子さん──「ママ」と、冬眠明けのクマみたいな風情の「パパ」がダイニングにやって来た。どうやら明け方近くまで仕事してたみたいだ。

「あ…ありがとー、かすみちゃん……くぁ〜、起きぬけのコーヒーは効くわぁ」

こんな手抜きな朝食なのに「ママ」は感激してるし、「パパ」もウンウン頷きながら、夢中になってトーストをほおばっている。
この様子からして、どうも「あまのとーこ」の仕事要員は、忙しくなるとまず食事で手を抜くタイプらしい。どうやら、ボクがこの家の雑用を引き受けるという線がいよいよ現実的になってきたみたいだ。まぁ、家事は別に嫌いじゃないけど。

朝食のあとに食器洗いをしていると、玄関のチャイムが鳴った。

「はーい!どなたですか?」
「あたしあたし」

インターフォン越しに聞き覚えがあるような無いような声が聞こえてくる。

「?オレオレ詐欺?」
「違うって!向いの岬、岬絵梨だよッ!」
「ああ!なんだ絵梨ちゃんかぁ。今開けます」

いや確かに昨日、「良かったら遊びに来てね」とは言った記憶はあるけど、まさかすぐ翌日に来るとは思わなかった。
ボクはパタパタとスリッパを鳴らしつつ玄関へと向かいかけて、ちょっと気になって廊下にかけられた鏡で服装をチェック。大丈夫、おかしくない、よね?
だぼっとしたオリーブグリーンの長袖カットソーとウールのロングスカートは、貧弱なボクの体型を上手くカバーしてくれている……と思いたい。メイクってほど大層なものじゃないけど、肌の手入れも……うん、問題なし。
ドアを開けるまで多少手間取ったにも関わらず、絵梨ちゃんは嫌な顔ひとつせずに「や!」と明るい笑顔を見せてくれた。

「ねぇ、かすみっちは今暇かな?」

い、いきなりあだ名呼びですか。どうやら、絵梨ちゃんはかなり人懐っこい子みたい。

「う、うん。洗い物が少しだけ残ってるけど、それを片付けたら、たぶん」
「じゃあさ、良かったら一緒に商店街の方に行かない?お店とかも色々案内してあげられると思うし」

!それはまさに渡りに船だ。食料品や雑貨の買い物は現在の渡良瀬家の急務だったし。

「行く行く!ちょっと待ってね、すぐ終わらせちゃうから。あ、よかったら上がってて」
「ホイホーイ、おっじゃましまーーす!」

靴を脱いでついて来た絵梨ちゃんはそのままリビングに通し、冷たい麦茶を出す。

「散らかっててゴメンね。テレビでも見ててよ」

ボクは洗い物をキッカリ3分で終わらせてから、自分の部屋にとって返して、外出用の服に着替える。
ミニスカートはやめといた方がいいいかな。まだ裾さばきとかがちょっと不安だし。じゃあ、こっちの水色のサージのジャンパースカートでいいか。これに丸襟の白いブラウスを合わせて……なんだか制服っぽい気もするけど、「かすみ」の年齢的にはアリなはずだよね。
あ、そうだ。一応、橙子さんには断っておいた方がいいだろう。
一応気を使ってトントンと弱めにノックしたんだけど、幸いまだテンパってなかったらしく、仕事場のドアを開けて「ママ」が顔を出した。

「お仕事中に、ゴメンね。これから、お向かいの絵梨ちゃんと商店街に行くんだけど……食料品以外で必要なモノある?」
「ん〜、ガルガリくんのコーラ味」
「スターボックスのアイスキャラメルココア」
「だから食べ物以外でだって!」

そう反論しつつ、メモしちゃう自分のこまめさがニクい。

「あ、そうそう、かすみ、ちょっとコッチ来なさい」

?なんだろ。

「胸元に赤いリボンタイを締めて……髪型も内巻きシャギー風に整えて、っと」
「おおっ!色味以外、そっくり!橙子さん、グッジョブ!!」

???だから何なの?

「あー、わからないならそれでいーの。大丈夫、ちょっと可愛くしただけだから」
「よくわかんないけど……行ってきます」
「「いってらっさーい♪」」

満面の笑みをたたえた「ママ」&「パパ」の声に見送られて、ボクはリビングに戻る。

「お待たせ、それじゃあ行こっか」
「あ、早かったね……って、アンタ!?」

ボクの服装を見た絵梨ちゃんの顔つきが珍妙に変化する。

「?何かヘン?」
「い、いや……似合っていると言うか、ごく自然に着こなしてるけどさぁ。もしかして天然?」
「??何のコト?」
「やっぱり。ちなみに、もしかしてそのコーディネート、とーこ先生の見立て?」

絵梨ちゃんには、うちの「ママ」がマンガ家の「あまのとーこ」であることは、昨日のうちに教えてある。

「んー、ブラウスとスカートは自分で選んだけど、胸のリボンタイと髪型は「ママ」、かな」
「なるほどね。ま、似合ってるからいいんじゃない?」(ヘンな意味で注目されるかもだけど)

終始微妙な表情のままの絵梨ちゃんに首を傾げながら、ボクは彼女と一緒に家を出た。

「ここがカカロットタワー。2階にこの辺りで一番大きなCD&DVD屋と本屋が入ってるわ。あと、地下の食堂街は値段の割に味はそこそこ。他は……輸入物の食料品店とかタバコ屋だから、あたし達にはあんまり関係ないかな」

む、でもその輸入食料品にはちょっと興味あるかも。

「で、アッチに見えるのが、西優ストア。スーパー以上デパート未満の簡易百貨店ね。いちいち商店街での買い物が面倒くさかったら、アソコなら大体何でも揃うと思うわ。
もっとも、洋服に関しては安いぶんデザインはイマイチなんだけど……」

と言葉を切った絵梨ちゃんはジロジロと「ワタシ」の格好を見まわす。

「ま、アンタなら案外好みの品が見つかるかもね。センスが微妙に古そうだし」
「うわっ、ちょっと気にしてるのに、ヒドいよ、絵梨ちゃん!」

元20代半ばの成人男子としては、これでも結構ガンバって可愛く見える服装をしてるつもりなのですよ?

「あー怒らない怒らない。別にいいんじゃない、ある意味個性的で。確かにちょいレトロっぼいけど、アンタに似合ってるのは確かなんだし」

……なんか誤魔化されたような気がする。

「商店街のアッチの方にもブティックとかはあるけど……正直、高いかダサいかの二択だから、気合い入れてお洒落するつもりなら、横須賀駅前か思い切って横浜まで出たほうがいいわね」

それは予算その他と応相談かなぁ。

「あの交差点にあるビルがビックリエコー。チェーン店のカラオケ屋だから、会員になっとくと色々便利だよ。会員なら案外安いしね」

ふぅん。あんましカラオケとか(会社の打ち上げ以外で)行ったことないけど、やっぱり女子高生としてはそのあたりも必須技能なのかなぁ。

「そだね。流行りの曲をいくつか歌えるに越したことはないし、あとそれ以外の持ち歌が何曲かあると盛り上がるかな。ん?もしかして、かすみん、音痴?」

「そ、そこまでヒドくはないと思うけど……」

とは言え、自慢できるレベルではないのも確かだ。まして、今は女声を出さないといけないんだし。

「あ、それなら会員登録も兼ねて、1時間ほどふたりで歌っていこーよ!」

……と、強引に絵梨ちゃんに引っ張って来られたんだけど、参ったなぁ。最近のヒット曲を覚えるとこまでは手が回ってないんだけど。
仕方ないから、少し古めの(ボクが学生時代とかによく聞いた)名曲を「ママが仕事中によくかけてる」という名目で歌ってみる。
「へぇ、なんだ。わりかし上手いじゃん」

と歌唱評価自体は悪くなかった(自分でも高音部がよく伸びてたと思う)けど、

「でもガッコの友達と行くなら、最近の曲も覚えときなよ?」

と釘を刺された。

うぅ……精進しマス。

その後は、アクセサリー店やコスメショップ(どちらも入るの生まれて初めてだよ!)を何軒か冷やかしてたら、そろそろ11時半過ぎてたので、ちょっと早いけどお昼を食べられそうな店に案内してもらう。

──いや、そのつもりだったんだけど。

「ああ、ここ、ここ!この三葉堂ってお店のワッフルがかなりイケてるから」
「はぁ……確かに美味しそうな匂いだね」
「むぅ〜ココも駄目か。かすみん、意外と舌肥えてるねー」

いや、そんな呆れたような感心したような声出されても。
ボクとしてはごく普通の軽食を食べたいと思ってたんだけど、連れてかれる先がことごとくケーキとか洋菓子とか甘いモノのお店ってのはどうかと思う。
だいたい、「甘いものは別腹」でしょ。先にサンドイッチとかパスタとか普通のお昼ご飯食べようよ〜。

「ほほぅ、それはダイエット中のあたしに対する挑戦かな?」

手をワキワキさせながら迫ってくる絵梨ちゃん。ちょっぴりこわひ。

「ち、違うって!そもそもダイエット中の人があんなカロリーの高そうなもの食べちゃダメでしょ!」
「チッチッチッ、お昼御飯で補給すべきカロリーをスイーツ分に回して差し引きゼロにしようという、この切ない乙女心をわかって欲しいなぁ」

うぅ〜そこまで甘味に拘るとは。乙女の意地、恐るべし!
そう言えば、大学時代の友人(♂)が、朝昼抜きで彼女のケーキバイキングに付き合わされて地獄を見たって話を聞いた記憶も……。
僕はそれほどお酒は飲まない(飲めない)し、甘いものもわりと好きな方ではあるけど、でもケーキがご飯代わりってのは、ちょっとなぁ。

「じゃ、じゃあさ、このヘンに和菓子屋さんとか甘味処とかってないかな?」
「ん?えーと、確かあっちの方に……」

と絵梨ちゃんに案内されて来たのは商店街の西の外れ近くの、三笠庵という甘味屋さん。
時代劇に出てくる「峠の茶店」を模したような作りで、店の表に3人掛けの和式ベンチ2脚と、店内に二人掛けの机が3つあるだけの小さなお店。

「あ、いいなぁ、ここ……」

店の構えはちょっと古いけど、決して汚くはなく、むしろいかにも「らしい」雰囲気を醸し出している。

「そういえば、あたしも店に入るのは初めてかも。母さんがココのわらび餅が好きでたまに買ってくるんだけど」

おお、わらび餅かぁ。

「冬場の鯛焼きなんかも、結構美味しかったかな」

ほほぅ、鯛焼き!

「部活の先輩が、クリームあんみつが絶品とか言ってた気も……」

あんみつ!!

「──かすみん、よだれ、よだれ……」

ハッ!

我に返ったボクは、慌ててポーチからハンカチを出して口元を拭う……って、何もついてない!?

「アハハハ!いやぁ、でもマジでよだれ垂れそうなウットリした顔してたよ?」

うぅ……不覚だ。

「もしかして、かすみんって洋菓子より和菓子が好きな人?」
「……うん、じつはそうだったり」

なにせ、橙子さんと出会うまでは休日毎に行動範囲内の和菓子屋チェックしてたくらいだからなぁ。

「なーんだ、かすみんもあたしのコト言えないじゃん」
「で、でもね、クリームとか動物性脂肪を多用する洋菓子より、ほとんど植物性素材の和菓子の方が、全般的にカロリーは低いし、健康にもいいんだよ?」

と、一応抗議はしてみたものの、絵梨ちゃんの生温い目線がイタい。
ともあれ、絵梨ちゃんの部活の先輩オススメのクリームあんみつとお茶のセットを頼み、ふたりで分けるつもりでわらび餅を追加注文する。

──いやはや確かに絶品でした。
それほど和菓子に興味のなかった絵梨ちゃんでさえ、「たまにここに寄るのもいいかもね」とご満悦。いわんや、ボクに至っては今後ここを贔屓にすることを堅く心に誓ったくらい。
嗚呼、でも結局甘いモノだけでお腹を膨らせちゃったよ〜。女の子ってこういうのが普通なのかなぁ。

今日のお出かけの締めは食料品の買い出し。さっき見た西優へと寄る。

「にしても、花の女子高生(新)が、春休みの昼間っからスーパーの食料品売り場で買い物とはねぇ」
「ゴメンね、絵梨ちゃん、こんなトコまでつきあってもらって」
「いや、それはいいけど……もしかして、あの家の家事ってアンタがやってるの?」
「う、うん、全部じゃないけど……ホラ、うちの家って特殊なお仕事だし」

こう言っておけば、多少付き合いが悪くても誤魔化せるかな。実際、積極的に家のこと手伝うつもりでいるしね。

「あ〜確かに。マンガ家とかって、家事無能力者ってイメージあるよね」

でも、橙子さん……もとい「ママ」は家事自体は上手いんだよね。修羅場ってくると、やってる暇がないだけで。

「それにしても、かすみんって、やっぱりちょっと変わってるよね。微妙な服のセンスと言い、和菓子好きといい、その歳でアッサリ家事(しゅふ)できちゃったり」

ギックーーン!や、やっぱり10年近いジェネレーションギャップは隠せないのかな?

「……そんなにヘンかなぁ。ワタシ、昔から「ママ」のお手伝いしててあんまり友達と遊ぶ機会がなかったし、その分大人の人と接する機会は多かったから、そっちに影響受けちゃってるかも、って自覚はあるんだけど」

……ってコトにしておこう。

「あ!いやいや、そんなに気にしなくってもいいって。確かに普通とか平均的とは言えないかもだけど、あたしは嫌いじゃないよ?それに、あたしたちが行く星河丘って学校自体も、ちょっと普通の校風とは違うらしいしね」

へ?それは初耳なんですけど。

「あ、もしかして、かすみんも、家からの距離と偏差値だけで志望校決めたな?」

「も」ってことは、もしかして絵梨ちゃんも?

「でへへ〜」

いや、そんな不●家のペコちゃんみたいな顔(ののワ)でスッとぼけられても。

「あ〜、あのね、星河丘学園って名門だけど、元は……っていうか、つい2年前までは男子校だったってのは知ってた?」
「そうなの?じゃあ、もしかして凄く女子の数が少ないとか」

だったら、むしろ好都合かも……。

「ううん、男女比率はほぼ1:1みたい。ただ……」
「あ、男子校の頃の気風が残ってて、乱暴だとか?」
「むしろ逆。と言うか、「男性は紳士(ジェントルマン)、女性は淑女(レディ)たれ!」って言うのが校風らしいわよ」
「??意味がよくわからないけど……要はお坊ちゃんお嬢様の学校ってこと?」
「ある意味ね。基本的には全寮制なんだけど、あたし達みたく歩いて10分内に通える人は自宅通学が認められてるみたい。ホラ、わかるでしょ。お嬢様学校で全寮制と来たら……」

ああ……なんとなく絵梨ちゃんの言いたいことが想像できた。
「ごきげんよう」とか「お姉様ぁ」とか「よろしくってよ」とか、そういう非現実的な言葉遣いが飛び交う空間なのかもしれない。
逆に男子の方は、昔の少女マンガみたくキザでカッコつけな性格なのだろうか?
……って、ボク、そんな学校にこれから通うの!?

「む、無理無理!ワタシ、転校するぅ〜!」
「ヘッヘッヘッ、逃がさないよ〜、死なば諸共だぁ!」

しばらくキャアキャア言ってたボクらは、周囲のオバさんたちの冷たい視線に気づいてふざけるのを止めた。
うぅ〜、恥ずかしいなぁ。

「クスクス……おもしろい娘達ね」

うわっ、あんな綺麗な人にまで笑われてるし。

「ああ、ゴメンなさい。悪気はなかったの。ね、貴女達、星河丘の新入生?」

そう言って声をかけてきたのは、流れる黒髪と涼しげな目が印象的な、いかにも大和撫子って感じの20歳前の若い女性。

「「は、ハイ」」
「そう……あたしもね、あの学園をこの春卒業したばかりなの。ふたりには先輩ってことになるのかな」

へ〜、思わぬ縁にちょっとビックリ。

「確かに外からいろいろ言われることが多いけど、中に入れば結構いいところよ。だから、そんなに身構えずに学園生活を楽しんでほしいな」

あ、すっごく優しい目でお姉さんはボクらのことを見てる。
こういう人の言葉だと、無条件に信用したくなるなぁ。

「──こんな所にいましたの、若菜。あら、そちらは?」

と、そこへ現れたのは、色鮮やかな栗毛をポニーテールにした上品そうな女性。

「今年から星校に入る後輩らしいわ」
「まぁ、そうでしたか。初めまして。わたくしの名前は白鳥理緒。そちらの姫川若菜と同じく、昨年まで星河丘学園で通っていましたの」

姫川さんと白鳥さんは用事があったらしく、その場ですぐに別れたんだけど、「何か学園で困ったことがあったら、生徒副会長の羽衣さんか、校医の双葉先生を頼ってみなさい」と言う有難いアドバイスをもらってしまった。

「うわぁ、モノホンの「お嬢様」って感じの人達だったねー」

ああいう人間ばかりが揃ってるとしたら、何か、ボクら場違いそう……。

「ぎゃ、逆に考えるのよ、かすみん。そういう環境で3年間揉まれれば、あたし達も「おぜうさま」な猫のひとつやふたつ、かぶれるようになるって!」

励ましになってない励ましをヤケクソ気味に言う絵梨ちゃん。
──まぁ、入学した直後、この時の懸念は無用のものだと判明するんだけどね。







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