要12歳、職業・女子高生
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シチュエーション


二学期が始まる9月初日。
校門から連なる石畳の道は、未だ真夏と遜色ない強い日差しに照らされ、道の両脇に立ち並ぶ銀杏並木も青々とした葉を茂らせている。
それでも、先月半ばまでのようなけだるい倦怠を感じないのは、まだ時間が早いせいか、あるいは密かに忍びよる秋の気配のおかげか。
校舎までの短い道程には、年若い少女達の笑いさざめく声と軽やかな靴音が満ち満ちていた。
ここは私立星河丘学園。昭和初期に設立された由緒正しい名門校である。そのモットーは、「自由・平等・公正」。
とは言っても、昨今のモンスターペアレントが喧しく囀りたがる悪平等や無秩序な放任の類いではなく、「自由とそれに伴う責任を知り、教育を始めとする機会の平等のもとに、公正に競争し切磋琢磨する」という誠に健全な方針を掲げている。
高等部は原則全寮制だが、ただし学園より徒歩10分圏内に住む者だけは入寮か自宅通学かを選べることになっている。ちなみに中等部は選択制だ。

「「「おはようございます、お姉様」」」
「おはようございます、皆さん」

そこここで交わされる挨拶はあくまで優雅で柔和に。
制服のリボンを乱さぬよう、スカートの裾は翻さぬよう、歩くのがこの学園の不文律。

「……てな感じの光景を想像してたんだけど、案外フツーだね」

朝8時過ぎに部屋を訪ねて来た奈津実と一緒に寮を出たミユキ(要)がそう囁くと、奈津実はケタケタと笑い出した。

「ミユキちゃん、「マリ見て」の見過ぎだよ〜。ふた昔前の少女マンガじゃないんだから。それにそもそもウチの学校は共学だし」
「そ、そう言えばそうだね」

とは言え、都内や近隣の人間にとっての「星河丘」のイメージは、やはり「名門校」であり、かつ優秀なお嬢様を輩出ているイメージが強い。
その証拠……と言うワケでもないのだが、共学化して以降の歴代生徒会役員の7割が女子生徒であり、生徒会長に至っては全員女性だ。クラブ活動などに関しても、個人戦はともかく団体戦では圧倒的に女子の方が成績がよい。
これでかつては男子校だったと言うのだから、何の冗談だと言いたくなる。男子生徒の質も決して悪いワケではないのだが、そり以上に女子のレベル高い、と言うべきだろう。
実際に現在進行形で「登校」しているミユキとしては、さほど堅苦しい雰囲気ではなかったコトに正直ホッとしているのだが。

「あれ、長谷部と……そっちは早川か?お前らが朝から一緒にいるなんて、どうした風の吹きまわしだ?」

背後から驚いたような声をかけられて、慌てて振り向くミユキと奈津実。
その瞬間、ミユキの目が僅かに大きく見開かれた。

「あ、富士見くん、はよ〜ん」

そこにいたのは、浅黒く陽焼けしたスポーツ刈りの少年。先方と奈津実の言葉づかいからして、どうやらクラスメイトか、あるいは少なくとも同級生の顔見知りらしい。

「お、おはよう、ふ、富士見…くん」

ちょっとつっかえながらも、ミユキも慌てて挨拶をした。

「オッス。にしても、長谷部はともかく、早川がこんな早くに登校してるのって珍しいな。それに何だか大人しいし……ひょっとして、長谷部、何か早川の
弱みでも握って脅してるんじゃないだろうな?」
「あ、ヒド〜い!ミユキちゃんとは夏休み中に仲良くなっただけだモン!」

心あたりがないでもないミユキは内心ギクリとするが、奈津実が意に介せず抗議してくれたおかげで、ボロは出さずに済んだ。

「ふーん……ま、何だかんだ言って、お前ら同じクラブだし、寮の部屋も隣り同士なんだろ?仲良きことは麗しきかな、か」

富士見少年の方も、本気で疑っていたワケではないのだろう。ニカッと笑うと「じゃ、おっさき〜」とひと声かけて早足で校舎に入って行った。

「えーと、奈津実さん?あの人は……」
「うん、クラスメイトの富士見輝くん。わたしや美幸ちゃんと席が近いし、ああいう性格だから、男子では割とよくしゃべる方かな」
「そう、なんだ……」

考え込むような表情になったミユキを見て、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべる奈津実。

「なになに?女子高生初日から、さっそくひと目惚れフラグ!?」
「そ、そんなんじゃないよ。あの人、私じゃなくて「僕」の──「浅倉要」の知り合いなんだ。て言っても、近所のお兄ちゃんで、小学生の時の集団登校とか生徒会で御世話になったってくらいの関係だけど」
「ふぇ〜、そりゃまたスゴい偶然だね。あ、だからこそ、運命的と言えるかも」
「奈津実さん、飛躍し過ぎだって。ただ、数年前とは言え、お兄さんとして見てた人と同じ教室で机を並べてクラスメイトとして過ごすとなると、フクザツな気分かも……」
「そっか。でも、さっきも気づいた気配はなかったし、平気じゃない?普通にしてれば大丈夫だよ、きっと」
「(その普通が難しいんだけど)う、うん、頑張る」
「あはは、ミユキちゃんは、真面目だなぁ。もっと力抜いた方がいいよ、ほら、リラックスリラックス!」
「ひゃんっ!そんなコト言いながら後ろから胸揉まないでよ〜!!」

キャイキャイとかしましくじゃれ合いながら玄関で上履きに履き替え、教室を目指すふたりの姿は、その片割れが本当は「小六の男の子」だとは思えぬほど、学園の風景に馴染ん見えたのだった。

奈津実と連れ立って1−Cの教室へと急ぐミユキ。左手首の内側の腕時計を見る限り、予鈴まではまだ多少時間があるが、初めての場所なのだから余裕を持って行動しておくにこしたことはない。
ちなみに、星河丘学園では、ケータイ自体の所持は認められているが、授業時間中は電源を切っておくことになっている。無論、授業中にコッソリいじっているのが教師にバレたら没収で、放課後お説教だ。
元々要自身まだケータイを持っておらず、美幸のケータイを預かっている状態の今もほとんど触っていないため、ミユキはその校則に特に不自由は感じなかった。

「到着ぅ〜。あ!ミユキちゃん……」

いつものように窓際の自分の席にカバンを置いた奈津実は、あることを教えようとミユキの方を振り向いたのだが……。

「ん?何、奈津実さん?」

いつも通り、ひとつ前の席にミユキが座ったのを見て、言いかけていた言葉を飲み込み、他愛もない雑談へと切り替える。

「あ、なんでもないよ。
(なんだ、美幸ちゃんの席、教えてあげようと思ったけど、本人から聞いてたのかな)
それよりさぁ……」

早川美幸の席は、教室の窓際の前から2番目。長谷部奈津実のひとつ前で、今朝がた出会った富士見輝の隣りだ。
教室に入ったミユキが迷うことなくその席についたため、てっきりあらかじめ知っていたものと奈津実は思い込んだのだが……実は決してそんなことはない。
誰に教えられたワケでもなく、ミユキとしては、無意識に「いつもの自分の席」として、そこに座っただけだった。
そのコトが何を意味するのか──賢明な読者の方々はおおよそ見当はつくだろうが、ここではあえて深く触れないこととする。

***

奈津実のフォローを受けつつ、何人かの(美幸の)クラスメイトと軽く朝の挨拶を交わした頃予鈴が鳴、教師が来てホームルームが始まった。
このあたりの感覚は、日本では小学校でも高校でも大差はない。強いて言うなら、要の担任が中年にさしかかった男性だったのに対して、美幸の担任がまだ二十代前半ばと思しき若い女性教諭だったことくらいか。
ベテランの学年主任で、「厳しい先生」として恐れられている小学校での担任に比べて、優しげな笑顔と気さくな口調で話す、こちらの美人先生の方がいいなぁ……というのが、ミユキの正直な感想だ。

「──注意点はこのくらいかしら。まだまだ暑いけど、今日から二学期が始まるんだし、皆さんも心機一転、頑張ってね!

それと、ホームルームが終わったら、始業式があるからすぐに大講堂に移動してください。
じゃあ、日下部さん、号令お願い」

「はいっ。起立……礼。着席!」

担任の姫川先生(あとで奈津実に聞いたところ、この学園の卒業生らしい)が出て行ったのとほぼ同時に、生徒達も立ち上がって大講堂への移動を開始する。無論、ミユキもその流れに身を任せた。

始業式にせよ卒業式にせよ、およそ学校行事に於いて「式」と名がつくものは、学生にとって退屈で苦痛なものと相場が決まっているが、この学園に関して言えばあまりあてはまらないようだ。
大講堂は、優秀な空調設備のおかげか、沈静成分のあるハーブの匂い付きの涼風で快適な室温が保たれているし、学園長の挨拶も要領良くまとめられ、2分足らずの短さで終わる。
学園長と交替に壇上に上がった高代という女生徒は、どうやら生徒会長らしいが、遠目にもわかる大人びた美貌と、知性的かつウィットに富んだその語り口は、その場にいた生徒の大半を引き付けるに足るものだった。
ミユキなどは「やっぱり高校の生徒会長さんともなると格が違うなぁ」とコッソリ関心しているが、これはこの星河丘学園だからこそで、他校ではこれほどの逸材はなかなか見られるものではない。
もっとも、逆に星河丘ではこのレベルの人材でなければ生徒会長は務まらない、とも言えるが。
ともあれ、学園祭や体育祭などに2学期の行事に関する連絡と諸注意が、高代会長の口から伝えられたのち、始業式はお開きとなった。

「このあとは教室に戻るんで…だ、よね?」

つい丁寧語を使いそうになるのを堪えて、ミユキは隣りの奈津実に小声で聞く。

「うん、原則的にはそうだけど、始業式と終業式の日の帰りのホームルームはないから、あとは好きにしていいんだよ〜。そーだ!ミユキちゃん、せっかくだから、学食のカフェテリアに行ってみよっか」

言葉としては質問だが、言うが早いが奈津実はミユキの手を引いて歩き始めている。
ある意味強引ともいえるが、彼女に悪気はなく、むしろ学園に不案内なミユキのことを気遣ってくれていることが分かるので、不愉快な気はしない。
要の身近にも耕平という同様に世話焼きな友人がいたので、ミユキは奈津実のことが決して嫌いではなかったが……。

(美幸お姉ちゃんは、たぶん鬱陶しがるだろうなぁ)

小学生とは言え12歳ともなれば、幼いころから姉同然に慕っている従姉の性質もおよそ理解できる。
「本物」の早川美幸は、格好よく言えばセンシティブなローンウルフ気質、ブッちゃけて言えば内向的で人づきあいの苦手な性格だった。おまけにインドア派でアニメとマンガ好きであることも、ミユキ──要はしっかり把握している。

(さすがに、ショタ趣味な腐女子で、最近コスプレにも手を出し始めたことにまでは気づいていないが……)

ミユキが苦笑気味にそんなコトを考えていると、すぐに食堂らしき場所に着いた。

「ここが星河丘(ウチ)の学食……の喫茶コーナー「ミルヒシュトラッセ」だよん」
「へぇ〜。学食って、なんか思ってたよりも立派なんですね」

少なくともインテリアなどの雰囲気は、下手なファミレスなぞよりは、ずっと品良くまとまっている。

「まぁ、ウチは私学だからね。公立だと、こんなに綺麗な所は珍しいと思うよ」

フンフンと奈津実の説明を聞きつつ、カウンターの上に記されたメニューに目を通していたミユキの目が「キラン!」と光る。

「あ、ここ、バナナシェーキが、あるんだ!わ、アイスココアとかイチゴオーレも!え、チョコレートパフェまで!?」

今まで、どちらかと言うと実年齢不相応に落ち着いたイメージだったミユキの浮かれぶりを、おもしろそうに見守る奈津実。

「おろ、ミユキちゃん、もしかして甘い物好き?」
「うんっ、大好き!……って、すいません、はしゃいじゃって」

ちょっと頬を赤らめる様子が可愛らしい。

「ううん、いいんじゃないかな。わたしだって好きだし」
「でも、もうじき中学生になる男が、そういうのって……」

どうやら友達か誰かに「カッコ悪い」とでも言われたのだろうか。

(背伸びしてコーヒーが飲みたいお年頃、ってヤツかなぁ)

奈津実は優しく微笑んだ。

「うーん、別にイイと思うよ。大人になっても甘党の男の人だっているし。
それに、ホラ、今はキミが「早川美幸」なんだし。女の子はいくつになっても甘い物が大好きなんだから」

それと、敬語は禁止ね……と小声で付け加えてウィンクする。

「!そっか……そうだよね。ボ…ワタシは女子高生なんだし、こういうモノを飲んだりしたって、全然ヘンじゃないよね!」

天啓を得たような顔つきで満面の笑みを浮かべ、さっそくカウンターへと突貫していくミユキを、奈津実は暖かく見守ったのだが……。

「さ、さすがに、バナナシェーキとイチゴオーレ飲みながらチョコパフェとショートケーキを一度に食べるのは、行き過ぎじゃないかなぁ」
「ふぇ?」

お約束のようにクリームを付けて顔を挙げたミユキを見つつ、冷や汗をひと筋垂らす奈津実。

「──ミユキちゃん、そんなに甘いものばっか食べると……太るよ?」

奈津実のそのひと言に、なぜかこの世の終わりのような衝撃を受けるミユキなのだった。


──ピピピピッ、ピピピ……カチッ!

9月2日の朝7時。
星河丘学園女子寮「桜丘寮」の一室で、軽快に鳴り始めた目覚まし時計は3秒後に、その部屋の主の手によってアラームを止められることとなった。

「んーーーもぅ、7時、なんだ……ほわぁ〜〜あ」

眠だげな声を漏らしつつ、ベッド中でモゾモゾと身じろぎする少女だったが、程なくパパッと掛け布団を跳ね上げて勢いよくベッドの上に半身を起こす。
この「少女」の名前は、今年、星河丘学園高等部に入学したばかりの一年生「早川美幸」……というのは仮初の姿で、じつはその従弟の小学生、浅倉要少年であることは、皆さんも既にご存じであろう。
とある旧家の家宝──「鳥魚相換図」の不思議な力によって、本人同士以外の他人の目には、
要は美幸に、美幸は要にしか、見えなくなっているのだ。
もっとも、ピンクのナイティ(無論、本物の美幸の持ち物だ)を着て、眠そうに目をこすっているミユキ(要)の姿は、線が細く未だ第二次性徴が訪れていないこともあいまって、ショートカットでボーイッシュな女の子にしか見えなかったが。
昨日の朝は、緊張していたことの反動かグッスリ寝こけてしまい、時間ギリギリになって隣室の奈津実に起こされたのだが、今朝は目ざましをかけた甲斐もあって、ちゃんといつもの時間に起きられたようだ。

「んしょっ、と」

眠気を払い飛ばすようにブンブンと頭を振ってから、ミユキはベッドからカーペットの上に降り立つ。

「ホントならジョギングとかしたいところだけど……」

少年サッカーFCに所属する要少年は毎朝2キロのジョギングをしているのだが、さすがに、ミユキとしてこの学校にいる以上、いきなりそれはマズいだろう。

「じゃあ、部屋の中でストレッチと柔軟でもやっておこうかな」

あまりドタバタするのも周囲に迷惑だろうし、用具もないのでそれくらいしかできなさそうだ。
サッカーに限らず、身体をスムーズに動かすためには、関節や筋肉の柔軟性は必須事項だ。
スポーツ少年のハシクレ(まぁ、今は「少女」にしか見えないワケだが)として、ミユキもそういった基礎的なトレーニングの重要性は、一応理解している。
だから、4年生の頃まで通っていた体操教室でコーチに教わったストレッチと柔軟運動を久々にやってみたのだが……2年間のブランクがあっても身体は覚えているようで、気持ちよく動くことができた。

──もっとも、もし他の人間が今のミユキの様子を見たら、「はしたない」と顔をしかめるか、あるいはスケベ心全開で邪な視線を向けたことだろう。
なにせ、今、ミユキが着ているのは、ダボッとしたロングTシャツのようなナイティ1枚(+ショーツ)なのだ。
やや幼い体つきとは言え16歳の少女(にしか見えない人物)が、屈伸程度ならともかく、時には大股開きで、床の上でアクロバティックな姿勢を次々披露しているのだ。当然、しばしばナイティがめくれ上がって、パンチラどころかパンモロと言って良い状態だった。
傍らに同世代の男の子がいたら、正直襲われても文句が言えないだろう。
無論、小学6年生の少年に、そういう「女の子としての恥じらい」を持てと言うのも無茶な話であろうが。

ひととおり身体を動かして満足したのか、ミユキは汗の滲んだナイティを脱ぎ棄てると、ユニットトイレに備え付けの簡易シャワーで軽く汗を流す。
「本物」の美幸なら、たぶん寝汗の類もあまり気にせず、平気でそのまま制服に着替えたろうから、このあたりは、きれい好きかつ風呂好きなミユキならではの行動だろう。
無論、脱いだナイティも、「本物」のように脱ぎ散らかしたりせず、ちゃんとランドリーボックスに入れてある。一昨日からの洗濯物とまとめて、夜にでも寮のランドリールームで洗うつもりだった。

「ふぅ。やっぱり、汗かいたときはシャワーだよね」

小ざっぱりした顔でシャワースペースから出て来るミユキ。なにげに女の子っぽく、胸元にタオルを巻いてたりするが、コレは早川家にいた間に母親(本来は伯母)から躾られたモノだ。
ミユキとしても、「女の人の湯上がりは、タオルを巻いて胸元からお尻まで隠す」というイメージがあったので、現状では素直に従っている。

「えーと、今日の下着は……コレでいっか」

ミユキは、タンスの引き出しから可愛らしくレースで縁取られたミントグリーンのショーツとブラジャーのセットを取り出して、ベッドの上に並べた。
胸元のタオルを外し、もう一度身体をよく拭いてから、まずはショーツに足を通す。
元々要はブリーフ派だったこともあり、女物のパンツを履いてもさして違和感はない。むしろ、薄くて頼りないが、柔らかいシルクの布地が素肌にピタリと貼りつく感触は、口には出さないものの密かに気に入っていたりする。
女性にはないはずの突起物については、奈津実の意見により、股の下に後ろ向きに寝かせて絆創膏テープで固定することで、外見的な不自然さをなくしてある。
第二次性徴前ということもあって決して大きいとは言えないミユキのナニも、さすがにそうやって押さえつけると多少は窮屈なのだが、昨日一日でだいぶ慣れた。

「それに、そうやっておけば、おトイレも座ってしかできないから、便座を上げっぱなしにして怪しまれることがないでしょ」

と言う奈津実の意見ももっともなので、ミユキとしても素直に従っていた。

股間を調整し、キチンとショーツを腰まで上げてから、今度はブラジャーに腕を通す。
実はミユキは、身体が柔らかいこともあって、一昨日奈津実に教わったような先に前でホックを留めるやり方をしなくても、最初から背中で留める事が楽々可能だったりする。
ただし、脇腹の肉をかき集めてカップに入れる点だけは踏襲している。ソレさえしておけば、まがりなりにもミユキの胸にも僅かに膨らみがあるように見えるのだ。

「お姉ちゃんは「貧乳はステータスだ!」とか言ってたけど、流石に限度があるよねぇ」

胸元を見下ろし、ブラジャーによる補整効果で、ごく僅かに「谷間らしきもの」が出来ているのを見ると、誇らしいような情けないような奇妙な感慨が脳裏に湧き上がって来たが、深く追求するのはコワいので、ミユキはそれ以上考えないことにした。

「それにしても、たった二日間で、すっかり慣れちゃったなぁ」

男物とは逆サイドに着いているブラウスのボタンを留めながら、ミユキは苦笑する。
まぁ、下着(ショーツ)自体は、早川家にいた一週間のウチに既に馴染んでいたし、ブラジャーも想像していたほど窮屈な代物ではなかったのは幸いだった。
もっとも、胸の大きな女性にとっては逆に、ブラとは「窮屈だがないと困る」モノらしいと、奈津実から聞かされた。幸か不幸か奈津実も平均よりは小さめなので、人づての伝聞らしいが。
スカートの股下がスースーする感覚には、さすがにまだ慣れないが、夏の暑気が多分に残っている気候のおかげか、むしろズボンより涼しくて快適な感じがする。

(でも、冬場はこの短さだとさすがに寒そうだなぁ)

制服のスカートのジッパーを上げながら、ハイソックスとスカートの間で完全に露出している膝小僧を見て、ミユキは呑気にそんなコトを考えていた。
星河丘の女子制服は、数タイプ用意されたモノから生徒自身が自由に選んで組み合わせるようになっており、そのコト自体、学園の人気につながっている。
早川美幸が選んだのは、一番スタンダードなブレザータイプのようだ。もっとも、まだ夏服の期間なのでブレザー自体は着ず、半袖の白ブラウスと臙脂色のタータンチェックのプリーツスカート&薄手のサマーベストという組み合わせだが。

──コン、コン

「おっはよーー!ミユキちゃ〜ん、起きてますかぁ?」

ノックの音とともに、奈津実の声が聞こえてくる。

「おはよう、奈津実さん。今着替えてるところ……あ、鍵開いてるから入ってもらえる?」
「いいよ〜、それじゃあ失礼しまぁす!」

部屋に入って来た奈津実に、ミユキは恥ずかしそうにリボンタイを渡す。

「その、まだタイが巧く結べなくって……」
「あらら……まぁ、慣れてない人には難しいか。今日はやってあげるけど、ミユキちゃんも、ちゃんと覚えてね」

と、ドレッサーに向かい、後ろから抱きかかえるられるように腕をまわして、リボンタイを結んでもらうミユキ。

普通こんな風に年上の女性と接近・接触したら、純情少年の要なら真っ赤になって照れるトコロだが、この二日間で多少は免疫ができたのか、とくに慌てることもなく、鏡の中の奈津実の指の動きを真剣に注目してる。

「はい、こんな感じかな。わかった?」
「う、うん、多分……」

そう答えつつ、あとでコッソリ練習しようと考えている、真面目なミユキ。
そのまま鏡に向かい、ブラシを通して髪型を整えてから、ミユキは奈津実と共に1階の食堂へと向かった。

「おはようございます、長谷部さん、早川さん」
「あ、ムッちゃん、はよ〜ん」
「おはよう……えっと、西脇さん」

ふたりに挨拶してきた娘はクラスメイトのひとりだった。ミユキは多少つっかえながらも、かろうじて名前を思い出し、挨拶を返す。
そのまま流れで、一緒にテーブルに座って朝食を摂る。
あまり時間に余裕がない朝でも、他愛のない雑談を交わしながら食べてるあたり、いかにも女子寮と言うイメージ通りだ。
多少はココの雰囲気に慣れてきたのか、ミユキも時々口を挟む程度は出来るようになっていた。

……と言うか、それくらいできないと、女子の会話ではかえって浮いてしまうのだ。幼いながらも聡明なミユキは、そういう空気を読める子だった。
本物の美幸にとっては、そういう普通のガールズトークは「ウザい」だけかもしれないが、「女子高生初心者」なミユキにとっては、色々興味深い話も聞けることだし。

「それにしても……早川さん、夏前とはちょっと雰囲気が変わりましたね。前より明るくなりました」
「!」

だからだろうか。西脇睦美がそんなコトを言って来たのは。

「にはは、ムッちゃん、夏は女を変える魔性の季節なのだよん」

一瞬言葉に詰まったミユキを、奈津実が巧みにフォローしてくれる。

「おや、その割には長谷部さんには何ら変化が見られないようですが……」
「にゃにぃ!西脇くん、この5ミリ成長したバストと、小麦色に焼けた肌を見たまえ」
「でもウエストは1センチ、体重は3キロ程増えたんじゃないですか?」
「あぅち!どーしてそのコトを!?」

ふたりがコントモドキを繰り広げるあいだにミユキは考えまとめ、思い切って言葉を紡ぐ。

「うん……確かに、ちょっと変わったかもね。西脇さん、こんなボ…私はヘンかな?」

奈津実とのじゃれ合いを中断して、睦美は僅かに真剣な表情になったものの、すぐにニッコリ微笑んだ。

「──いいえ、むしろ好ましいコトだと思いますわ。
それと、以前にも言ったような気しますけど、わたくしのことは、よかったら苗字ではなく名前で呼んでくださいな」
「うん、よろしくね、睦美さん。じゃあ、私のこともミユキでいいよ」

気がついたら、ミユキは自然にそんな風に返していた。

こうして、「早川ミユキ」に、この学園に来てふたりめの友達が出来たのだった。

奈津実や新しく友人になった睦美とともに朝食を食べ終えたミユキは、食事後、ふたりと雑談を交わしながら寮の洗面スペースに同行した。
男なら食後にそのままカバン持って登校するのが普通だろうが、女の子の場合はそうもいかない。
ふたりの友人の見よう見真似で、ミユキも身だしなみを整える──と言っても、軽く口をすすいで制服のポケットから取り出した薄い色のリップを引き、髪が跳ねていないか確認するくらいのものだが。
幸いにして、本物の美幸と大差ないショートカットのミユキは、髪に手間をかける労力を大幅に節約できるのがありがたかった。
2、3度身体を左右に捻って、特におかしいところがないコトを確認してから、自室に戻る。
学生寮は学園のすぐそばにあるとは言え、それでも5分くらいはかかるから、すでにあまり時間的余裕はない。昨日のうちに用意しておいた学生カバンを手に、ミユキは足早に部屋を出た。

「お、来たね、みゆみゆ。じゃ、ちょっと急ごうか。ムッちゃんも一緒に行くって、玄関で待ってるはずだから」
「そうで…そうだね。睦美さんを待たせちゃ悪いし」

「廊下を走るな」という寮則に違反しない程度に、ふたりは足を速める。

そんな朝の慌ただしさに紛れて、ミユキも、事情を知っているはずの奈津実も、些細な違和感を見過ごしてしまったのだ。
どうしてミユキのポケットにリップが入っていたのか──いや、仮に入れたのは本物の美幸だとしても、どうしてそのコトをミユキが当り前のように知っていたのか。
さらに言うなら、「彼女」が何の違和感もなく平然とソレを使い、唇を彩ったことも奇妙と言えば奇妙なコトだ。
純情少年な要なら、たとえ従姉とは言え女の人と間接キスするというコトに動揺しないはずがないし、それがなくとも今まで一度もリップクリームなんて塗ったことがないはずなのだから。
本人が知らない間に微細な部分で「浸食」は始まっているのだが、未だソレに気づく者はいなかった。

「……で、「初めての高校生活」の感想は?」

昼休みになって、学食の購買でサンドイッチとジュースを買い、ふたり中庭のベンチに腰かけて食べながら、奈津実が小声でミユキに聞いてきた。

「どうって言われても……よくわかんないからノートとるだけで精いっぱいだよ」

眉をハの字にして、困ったように言うミユキの答えに、「それもそうか」と頷きかけて、奈津実はあるコトを思い出す。

「ところで、浅倉要くんは学校の勉強は得意なほうなのかにゃ?」
「うーーーん、そんなに悪くはないけど……でも、クラスで一番とかそういうレベルじゃないよ?あくまで、「平均よりは上」って程度かな」
「それにしては、数学の時間、先生に当てられても、普通に答えてたじゃん。しかも正解だし」
「うん、算数は得意なんだ。もう止めちゃったけど、去年まで公●式に通ってたから」

「Kまでいったよ〜」と本人はのんきなコトを言っているが、実はK教材の内容はほぼ中学3年クラスである。●文式では珍しくないとは言え、ちょっとした秀才レベルだ。

「国語は?小学生には結構難しい漢字もあるんじゃない?」
「え、そうかなぁ。新聞にないような難しい字とかは出てこなかったと思うけど」

両親の薫陶の賜物か、この子は12歳にしてふだんから新聞を読んでいるらしい。実家にいた頃はテレビ欄と三面記事くらいしか目を通さなかった奈津実としては、耳が痛い話だ。

「うわ〜、ミユキちゃんに勉強教えてあげようかと思ったけど、必要なかったかな」
「ううん、そんなコトないよ。国語とかさ…数学はともかく、全然習ってない事柄はサッパリだし」

確かに、理科や社会などの暗記系科目は絶対的に知識量が足りていないだろう。

「よし、それじゃあ、一番問題ありそうな英語から、おねーさんが教えて進ぜよう!」
「Thank you Miss. But,Please Please teach gently.

(ありがとうございます。でも、お手柔らかにお願いしますね)」

いくらかたどたどしいものの、十分に英語とわかる言葉がミユキの口から発せられる。

「……もしかして、それも公●式?」
「うん。簡単な日常会話くらいだけど」
「何、このチート小学生、こわい」

ひょっとして、全教科赤点スレスレの本物の美幸より、いい点取れるんじゃないか……と、心配するのが馬鹿らしくなってきた奈津実だった。

昼休みが終わり、午後一の5時間目の授業は体育だった。
もちろんミユキも、体操着を持って奈津実や睦美と一緒に女子更衣室に移動する。

(キタっ!男の娘潜入モノのお約束と言えば、「女子更衣室」!!コレでモジモジと恥じらうミユキちゃんが見れるはず!)

と、密かにワクテカしていた奈津実の妄想は、睦美や周囲の女の子たちと気軽に会話しながら着替えるミユキの姿にアッサリ打ち砕かれた。

「あれ、どうかした、奈津実さん?」

更衣室の隅で、orzな姿勢で打ちひしがれる奈津実を見つけて声をかけるミユキ。

「み、ミユキちゃん、平気、なの?」
「??何が?」
「なにって、女子のき……」

「着替え」と言いかけて、奈津実も自分の愚かさに気づく。
昨日そして一昨日とミユキは自分と一緒に女子寮のお風呂に入っているのだ。無論、たった二日程度では完全に慣れたとは言えないが、それでも女の子の裸に過剰に反応するようなコトはなくなっている。
そんな状態のミユキが、いまさら「下着姿になる程度の着替え」でオタオタするワケがないではないか。

「(そりゃそうだにゃ〜)う、ううん、何でもないよん」

こっそりミユキのウブな反応を期待していた奈津実としては残念だが、本人のコトを考えれば不審を抱かれてバレる懸念材料が減ったのだから、喜ばしいコトだろう。

「???ヘンな奈津実さん……」

狐につままれたような顔で首を傾げながら、ミユキはタイをほどいてブラウスを脱ぎ、袖口と襟もとにエンジ色の縁取りが入った半袖の体操服をかぶる。
周囲を見て学習したのか、スカートのまま紺色のブルマに足を通し、腰まで引き上げてから、スカートを脱ぐ。
「もしかしたらブルマ姿に恥ずかしがるかも」というアテが外れた奈津実だが、これはミユキ──要が小六だからこそ、平然としているのも無理はないのだ。
今のご時世、高校は元よりほとんどの小中学校から女子の体操着としてのブルマは消滅しており、この学園で採用されているコト自体、冗談みたいな話だ。
そのため、ミユキにとってはソレは単に「初めて見る体操着」に過ぎず、また幼い純朴さから「ブルマ」という代物に世の男性が抱く欲望の類いも理解していない。
形状だけ見れば夏にプールで履く水泳パンツ(ビキニ型)と大差なく、むしろ覆う面積は広いとさえ言えるのだ。
加えて、普段から半ズボンを愛用しており、「生足、とくに太腿を見せるコト」に女の子のような羞恥心がないのだから、恥じらうほうが、むしろおかしいだろう。

微妙に期待が外された気分になりつつも、面倒見のいい奈津実は、ミユキのフォローをするべく、柔軟体操の相方を買って出たのだが、そこでもミユキの身体の柔らかさに驚かされることとなった。

「うわっ、座位前屈であっさり爪先を両手でガッチリ握りしめてる!?」
「2年前まで、体操教室に通ってたからね」

苦もなく相撲で言う股割りの姿勢で両脚を広げつつ、身体をペタンと地面に寝かせてみせるミユキ。

「すごーーーい!」

男子より身体の柔らかい女子でも、コレが出来る者はそう多くないだろう。

「エヘヘ、こういうコトもできるよ?」

感心されて嬉しかったのか、調子に乗ったミユキはさらに色々やって見せる。
弓なりに身体を後方に逸らし、両手をついてブリッジの姿勢になったのち、シュタッと後方に半回転して立ち上がるミユキを見て、奈津実は本来は本物の美幸に頼むつもりだった、ある懸案事項についての解決方法を思いついた。
柔軟後はバレーボールの試合となったのだが、そこでもミユキはしなやかに身体を動かして、本来3歳も年上の少女達相手に獅子奮迅の活躍を見せる。

「体力面でも問題なさそうだし……イケる!」
「長谷部さん、なんだか悪そうな顔してますわよ?」

傍らでちょっと引いてる睦美に注意されるまで、奈津実の顔からニヤニヤ笑いが消えることはなかった。

そして放課後。
寮に帰る前に、今日は地元の商店街にでも立ち寄ってみようか……と考えていたミユキを、奈津実が呼びとめた。

「ダメだよ、ミユキちゃん、今日は部活のある日だって」

はて、本人からは、何かクラブ活動をしているとは聞かされていなかったのだが……。そもそも、あのモノグサな人が真面目に部活に励んでいるとは考えにくいし。

「一応、この学校は全員部活参加が決まりになってるからね。ま、確かにサボリの常習犯ではあったけどサ」

幽霊部員というヤツだろうか。

「うん。でも、どうせだからミユキちゃんも、この学校にいる間だけでも参加してみようよ」

そう言えば、奈津実さんも同じ部活なんだっけ……と、昨日、富士見くんからチラッと聞いた話を思い出す。
あまりも「本来の美幸」と違うコトをするのは問題あるかもしれないが、正直に言えばミユキとしても高校のクラブというものに興味津津だった。
「同じ部活の奈津実に強引に誘われ、渋々参加する」という体裁をとれば、周囲の人間も不審に思わないだろう。
ちょっと心を躍らせながら、奈津実の案内でふたりが所属する部活の部室に足を踏み入れたミユキだったが……。
てっきり漫研や電脳部といった文化系、それもエンタメ系のクラブだとばかり思っていたのだが、奈津実がミユキを引っ張って来られた部室は、沢山のロッカーが並ぶ、いかにも体育会系の場所だった。

「ちょっと意外かも」
「にゃはは、確かに美幸ちゃんのイメージとは、ちょっと方向性違うかもね。あ、そこの右端が美幸ちゃんのロッカーだよ。中に入ってる練習着に着替えてね」
「うん、わかった」

気楽に返事をして「1年/早川」と書かれたロッカーを開けたミユキだったが、中のハンガーにかけられていたモノを手にして硬直する。
ソレは、薄いピンク色をした長袖のボディスーツ──いわゆるレオタードと呼ばれる代物だったからだ。
そう、奈津実や美幸の部活とは、新体操部だったのである。

「コレ……着ないといけないんだよね?」

白に近い桃色の布地で作られたソレは、女性用水着とよく似た形をしていたが、水着との最大の違いは袖があり、肩から腕にかけても包み込む形状になっているコトだろうか。
かつて体操教室に通っていたミユキは、ソレが一般に「レオタード」と呼ばれる衣裳(コスチューム)であることは知っていた。
化繊素材でできたその手触りは滑らかで伸縮性も高く、着心地自体は良さそうだし、実際体格自体が「本物」とほぼ同等なミユキにも苦も無く着ることは可能だろう。
とは言え、体操着のブルマの時とは違い、ソレがどういう局面で使用されるかよく知っているだけに、ミユキとしても少なからず抵抗感があった。

「──もしかしてココって、体操部なのかな?」
「ブブーッ、惜しいけどハズレ〜。ウチはね、「新体操部」だよん」

ミユキが思わず口にした疑問にも、奈津実が律儀に答えてくれる。

「えっと……新体操って、リボン回したり、棍棒投げたりするアレ?」

あまり詳しくはないものの、一応の知識はあったらしい。むしろ小六の男子としては博識と言ってよいだろう。

「うん、そんな感じだね。旧来の体操競技と比べると、「女の子のお遊戯」って馬鹿にする人もいるけど、実態は結構ハードで難しいスポーツなんだよ」
「へぇ〜」

そう聞かされて、実はソレに近い偏見を抱いていたミユキの認識も改まり、少し興味が湧いてきた。

「練習は火曜と木曜の放課後で、土曜の午前中は自由参加。まぁ、本物のみゆみゆは、入部してから4、5回しか練習に来てくれなかったけど」

5月に入部したとしても5、6、7の3ヵ月弱でソレはヒドい!と憤慨するミユキ。健全スポーツ少年だけに、サボりとかは許せないタチなのだ。

「ん〜、本当にそう思う?」

ゆるゆるで能天気な奈津実にしては珍しく、目が「キラン!」と鋭い輝きを発している。

「じつは、新体操部ってウチの学園にしてはあまり強くないし、人数も少ないんだよね〜。二学期の半ば3年生も引退しちゃうし、そしたら部員もみゆみゆ込みで5人しかいなくなっちゃうし」

この学園で「部活」として正式に認められるのは5人が最小人数らしい。

「幸いこの学園には9月の半ばに体育系クラブの「成果発表会」ってのがあるんだ。ほら、文化祭って基本的に文化系クラブの校内発表の場でしょう?
それに対して、体育会系の部にそういう場がないのは不公平だってコトで、一昨年から新設されたらしいの」
「え、でも、運動会……体育祭は?」
「アレって、基本的に陸上競技でしょ?そりゃあ普段からスポーツして鍛えている方が有利ではあるけど、陸上部以外は普段の活動とはかけ離れているしねぇ」

なるほど確かに、とミユキも頷いた。

「えっと……何の話してたんだっけ?」
「9月中旬に「成果発表会」があるって……」
「あ!そうそう。でね、その場にはもちろんウチの部も出場して、集団模範演技を見せることになってるんだけど……」

チラッとわざとらしく横目でコッチを見てくる奈津実の視線で、ミユキもおおよその事情を理解できた。

「もしかして、ソレにボ…ワタシも出ろってこと?」
「だいせいか〜い!」

ドンドンパフパフ〜と自らの口で擬音を入れて囃したてたのち、一転、奈津実は真剣な目つきになる。

「さっきも言った通り、ウチは人数的に結構ギリギリなんだよね。だから、できたら運動神経良さそうなミユキちゃんには、ぜひ手伝ってほしいの」

仮初の立場的にはともかく、実際には年上の(しかも色々世話になっている)お姉さんに、すがるような目で頼まれては、「男のコ」としてミユキも断りづらい。

「──まぁ、いっか。考えようによっては、ボクがこの学園で過ごした記念にもなるだろうし」

それに、新体操ってのにもちょっと興味があるし……という部分は、口に出さないミユキ。

「!わ〜い、ありがとー!みゆみゆ大好き〜」

嬉しそうに背後からじゃれついてくる奈津実の様子に苦笑しながら、一応釘はさしておく。

「でも、いくら体操経験があって身体が柔らかいからって、それだけで何とかなるものなの?」
「あー、うん、それはもちろんいろいろ練習してもらわないといけないかな。
発表会まであと2週間くらいだから多少スパルタ気味になると思うけど……ミユキちゃんなら、大丈夫だよね?コンジョーありそうだし」
「う、うん、任せて!」

サッカー歴わずか1年半足らずで少年サッカークラブのレギュラーを射止めた実績は伊達じゃない。
無論、要のサッカーセンスや基礎運動能力が高かったのは確かだが、それ以上に、コーチが教えようすることを素直に学びとる勘の良さと、進んで反復練習する根気があればこそ、だ。

「うんうん、頼もしいなぁ……ってコトで、みゆっち、早速ソレに着替えてねン♪」
「はうぅぅッ、やっぱり!?」

手にしたピンク色のレオタードを、恥ずかしそうな目で見つめるミユキなのだった。

レオタード用の下着として渡されたインナーショーツは、シンプルな白のコットン製ショーツだが、若干ハイレグ気味なのが、ちょっと気恥しい。
幸いと言うべきか、オトコノコの部分は股間に絆創膏で固定してあるため、インナーショーツを履いてもモッコリしているようには見えないが、それでも格段に窮屈な感触は否めない。
サポートブラと呼ばれる、これまた専用のブラジャー(もっともソレで支えるべき乳房は皆無なのだが)を着けたうえで、ミユキは急いでレオタードに脚を通した。
両の素足の上をナイロン素材のソレが滑っていく感触は、妙にこそばゆく、同時に心地よい。さらに下腹部を布地が覆うと、余計にその感覚は強まる。
努めてその快感に意識を向けないようにしながら、ミユキはピンク色の布を腹部から胸部にかけて引き上げ、身体をくねらせるようにして腕部にも片方ずつ袖を通す。
腕や胴に寄っている皺をのばし、ピッチリと身体にフィットさせて……完成だ。

「どう……かなぁ?」

背後を振り向くと、ひと足さきにオレンジ色のレオタードに着替えていた奈津実が、イイ笑顔で「GJ!」と親指をサムズアップして見せる。

「ぱーへくとよ、ミユキちゃん!むしろ本物以上に似合ってるかも!」

確かに、ややボーイッシュな少女(にしか見えない少年)が、僅かに頬を染めて恥じらいながら、右腕を(あたかも胸元を隠すような姿勢で)前に回して、伸ばした左腕をつかみ、内股になってモジモジしているのだ。
まさに「愛らしい」と評するべき、その姿には、男女問わず「グッ」とクることは間違いないだろう。

「お、おだてないでよ〜。で、コレからどうすればいいの?」

より一層顔を赤らめつつ、褒められて満更でもなさそうに見えるのは、気のせいだろうか。

「とりあえず、体育館での基礎練からだけど……あ、ちょっと待って」

部室を出ようとしたミユキを呼びとめると、奈津実はミユキの前髪をかき上げ、「パチン!」と何かを、「彼女」の髪に留める。

「え?コレって……」
「うん、安物だけど髪留め。運動するときに前髪が邪魔にならないようにね。それに……ホラ!」

奈津実はミユキの両肩に手を置くと、部室の奥の鏡の前に連れて行く。

「この方が可愛いじゃない?」

高さ150センチ足らずの姿見に映るのは──微かに頬を赤らめ、驚いたように自らの姿を見つめる、レオタード姿の可憐な女の子にほかならなかった。
スラリと華奢な体躯は女性的な円みには乏しいが、逆に未成熟な少女特有の稚い魅力を醸し出している。
あどけない顔つきながら、花飾りのついた銀色の髪留めで額を出した髪型と、身体の線がくっきりと浮き出る衣裳が、鏡に映る人物が、幼いながらもレッキとした女の子であることを証明している。

(なにコレ……可愛い…けど……コレって……ボク…ワタシ、だよね?)

驚愕。憧憬。戸惑。羞恥……そして歓喜。
ミユキの頭の中で、様々な感情がグルグルと渦を巻いている。

「ん〜?どうしたの、みゆみゆ?もしかして、自分のあまりの可愛らしさに見とれててた?」

ボンヤリしているミユキを不審に思ったのか、奈津実が声をかけてくれたので、幸いにしてミユキはその思考のループ状態から抜け出すことができた。

「な、なんでもない。何でもないよ!!」

(もしかして、あの絵の効力って……)

一瞬だけ脳裏に浮かんだ疑念を打ち消すようにミユキは、大声で答えた。
極力鏡を見ないようにしながら、自分の身体をペタペタ触ってみる。12歳の少年にしては多少華奢だが、間違いなく自分の身体であることを確認して、ため息をつくミユキ。
その嘆息には、大半を占める「安堵」に混じり、ごく微量ながら「落胆」の色が混じっていたのだが、ミユキ自身は気付かなかった。

「???ま、いっか。じゃあ、そろそろ行こ。こっちだよん」

奈津実に先導されてミユキは、今日の5時間目の授業でもお世話になった旧講堂へと足を踏み入れた。

「みんな〜、ろうほー!今日からミユキちゃんも練習に復帰してくれるよん!!」

奈津実の元気な声に続いて、先に来ていた数名の新体操部員に向かって、ミユキは勇気を出してペコリとお辞儀をした。

「い、今更ですけど、よろしくお願いします」

それだけで、他の部員達に驚く気配がなんとなく伝わってきて、本物の美幸はどれだけ傍若無人だったんだろうと、内心苦笑するミユキ。
それでも、部員達は温かくミユキの「復帰」を受け入れてくれたのだった。

──キーン、コーン、カーン、コーン

「お、じゃあ、今日の授業はココまで。来週は小テストするから、予習はちゃんとしておくようにな」

6時限目の担当だった数学の日下部教諭が出て行くとともに、クラスの生徒たちもいっせいに放課後モードに突入する。
板書をノートに無事に写し終えたミユキも、カバンに教科書類をしまい始めた。
実は本物の美幸は教科書類の大半を学校の机に置きっぱなしにしていたのだが、真面目なミユキは授業を少しでも理解できるよう、きちんと毎日持ち帰って予復習している。宿題は言わずもがな。
その甲斐あってか、最近は授業の内容もおおよそはわかるようになってきた。この調子だと、本物が4歳年下の偽物(?)に学力面で追い越される日も遠くないかもしれない。

「美幸さん、奈津実さん、今日はお二方の部活がない日ですよね。一緒にザ・キャロまで行ってみませかんか?」

鞄を持った睦美がふたりを、放課後の寄り道(と言うには遠回りだが)に誘ってくる。

「あ〜、いいねぇ。そろそろアソコの特選白玉パフェが恋しかったし。みゆみゆは?」

一も二もなく賛成する奈津実の言葉にミユキも頷く。

「うん、ワタシも新作のシナモンアップルクレープが食べたいかな。あ、そのあとで本屋さんに寄ってもいい?」
「ええ、もちろん。わたくしも、ちょうど買いたい雑誌がありますので……」

友達ふたりとワイワイしゃべりながら、教室をあとにしつつ、ふとミユキの心の中に奇妙な感慨が浮かぶ。
自分は、あくまで従姉の代役(?)として一時的にココにいるだけなのだ。さらに言えば、この学校に通うようになって、まだ10日程しか経っていない。

──それなのに、どうしてこんなにココにいるコトが自然で心地よいのだろう。
まるで、ずっと以前からココにいたような……あるいは、このまま「早川美幸」として過ごすコトが、ごく当たり前のように感じられる。
いや、もしかして自分は、そうあるコトを……。

「どしたの、みゆっち?さっきから何か難しい顔しちゃって。もしかしてお小遣いがピンチ?」
「何でしたら、お金お貸ししましょうか?」
「へ?」

どうやら、いつの間にかファミレス、ザ・キャロッツに到着していたらしい。

「な、なんでもないよ。ちょっと考え事してただけ」

慌ててそう言いつくろうと、ふたりともそれ以上は追及してこなかった。

「ふーん……ま、いっか。あ、わたしはさっき言った通り、特選白玉パフェのドリンクセットね」
「わたくしは、このスイートポテトパイのセットにします。美幸さんは?」
「えーっと……新作のシナモンアップルクレープも美味しそうだけど、こっちのメープルマロンワッフルにも惹かれるなぁ。うーん、うーん……」

しばし悩んだ挙句、睦美の「それじゃあ、ワッフルは皆で三等分してみませんか?」という助け舟に飛び付くミユキ。

「おいし〜!はぁ、しゃーわせ……」

満面の笑みをたたえてクレープを口にするミユキを、奈津実は呆れ顔で、睦美はニコニコ笑顔で見守っている。

「ほんっと、みゆみゆは甘い物に目がないね」
「フフッ、いいじゃないですか。あんな幸せそうな顔されたら、見ているこちらまで楽しくなってきますわ」

その場を目にした者は、誰も「ありきたりな女子高生3人組の放課後風景」だと信じて疑わない……いや、気にもとめないだろう。
実際は、3人のうちひとりは実は男子小学生だったりするワケだが、仮に「鳥魚相換図」の力が発動していなかったとしても、バレることはなかったに違いない。それくらい、ミユキは女子高生としての暮らしに、ごく自然に溶け込んでいた。

「それで、どうなのですか、今度の「成果発表会」は?」

自身は茶道部であり、成果発表会とは直接関係しない睦美が、新体操部のふたりに尋ねる。

「うーん……個人個人の演技については、なんとか形になってきた感じかにゃ〜」

パフェのアイスをちょびっとずつ舐めつつ、奈津実がそんな風に答えるのを聞いて、ミユキも昨日の練習のことを思い返してみた。
クラブにもよるが、新体操部は成果発表会には1、2年生だけが出るのが慣習だ。よって団体演技の規定である5人を満たすためには、ド素人なミユキも出場せざるを得ないのだ。
とは言え、いくら「この」ミユキの運動神経やスポーツセンスがいいからと言っても、やはり2週間程度の付け焼刃では限界がある。
そこで、3年の先輩とも相談した結果、ミユキはリボンの扱いのみ専念して覚え、かつ基礎を覚えた段階で発表会に向けた演技だけを繰り返し練習することになった。
ミユキとしては、どうせなら色々なじみがあるボールを使いたかったのだが、中学からの経験者である奈津実いわく、手具の中でもボールの扱いは比較的難度が高いらしい。
その点、リボンは動きが派手で目立つし、身体的柔軟性の高いミユキが様々な姿勢で振り回せば見た目も栄えるとのこと。
その忠告に従い、ミユキは3年の先輩からリボンの使い方の手ほどきを受けることとなった。
当初はその先輩──元副部長の御門綺羅も、「本物」の美幸の無愛想なイメージがあったのか、あまり気乗りしない様子であった。
しかし、ミユキが非常に素直で礼儀正しく、かつスポンジが水を吸うように言われた事を貪欲に習得していくにつれて、評価を一変させ、今では「明日の新体操部を背負って立つ逸材」とまで絶賛するようになった。
最近では、大学の推薦入学が決まったのをいいことに、部活の指導に入り浸り、「私の知るすべてをたたき込んであげます!」と息まいているほどだ。
ミユキとしては、そこまで過大評価してもらうのは面映ゆい面もあったが、それ以上に誇らしい気分で一杯だった。

実のところ、浅倉要少年のサッカー選手としての才能や適正は、せいぜい中の上といった程度だった。
元来の運動能力が高く小器用なので、GKを除くどんなポジションもソツなくこなせるが、同時にそのポジションのトップクラスの人間には概して競り負ける。
故に、クラブでもレギュラーでありベンチ入りはしているものの、スタメンではない。誰かが疲れたり不調で精彩を欠いたら、すぐさま代打的に投入し、その穴を埋める。試合では、そういう使われ方をしていたのだ。
その事に彼が引けめやコンプレックスのようなモノを感じなかった、と言えば嘘になるだろう。彼はお人好しではあったが馬鹿ではない。むしろ、歳の割には人一倍聡い子だ。
しかし、だからこそ、サッカーに心の底からはのめり込めなかったし、逆にそのコトを自覚してもいたので、親友の有沢耕平のように全身全霊で練習に打ち込む「サッカー馬鹿」には敵わないとあきらめていた部分でもあった。
誰かの代役ではなく、自分が自分として必要とされる舞台(ばしょ)に立ちたい。
それは、12歳の少年が抱く想いとしてはいささか早熟で、ややもすれば悲しい想いであったが、皮肉なことに、この学園に「早川美幸」として通うことで彼──いや「彼女」はその願いを叶える機会に恵まれたのだ。

(成果発表会は17日の金曜日──その晩には、ボクはこの学園を出て、「自宅」に戻らないといけないんだよね……)

つまり、発表会はミユキにとってまさに最初で最後の晴れ舞台、というワケだ。
正直に言えば、未練はある。
仲良くなった奈津実や睦美、あるいはクラスメイトやクラブの仲間達との別れは辛いし、自分でもだいぶ「星河丘学園の女生徒」としての暮らしに馴染んでいるという自覚もある。
とは言え、ココは本来自分がいるべ場所ではない。ハプニングからとは言え、従姉から一時的に「借りている」だけなのだ。

(だいじょうぶ。元の暮らしに戻るだけなんだから。きっとうまくいくよ)

ミユキは懸命に自分にそう言い聞かせていた。

(それに……耕平たちのことも気になるし)

「親友」であるはずの少年やその他の友人の状況が気がかりなのも確かだ。
自分は来て早々に美幸の友人の奈津実に正体を見破られてしまったが、もしかしたらアチラも同様の事が起こっていたりするのではないだろうか?
もしそうなら、耕平はどんな風に思っているのだろう?

──もっとも、現実には他の友人はもとより、耕平や要の両親ですらソコにいるのが偽者の「カナメ」だなんて、まったく疑う気配すらなかったのだが。
後日そのことを知ったミユキは少なからず衝撃を受けるのだが、この時点ではそんなコトを夢にも思っていなかった。

ところが。
学園側下したとある決定が、ミユキ、そしてカナメの「予定」を狂わせていくコトになるのだった。

「え?どういうコトなんですか、御門センパイ!?」
「ですから、成果発表会は19日に延期されると決まったそうですわ」

いつも観ているロボットアニメの再放送が終わったものの、何となくそのままリビングに居座って、テレビのチャンネルをポチポチ変えていたカナメに、台所で夕飯の用意をしていた母親が声をかけた。

「かなめー、お風呂沸いてるから、ご飯の前に入っちゃいなさい」
「はーい」

さして観たい番組もなかったので、素直にカナメはそう返事して、浴室に向かった。
脱衣場で何の気負いもなくパパッとTシャツと半ズボン、そしてブリーフを脱ぎ捨てると、そのまま風呂場の扉を開けて中に入るカナメ。
かかり湯もそこそこに、ザブンと浴槽に飛び込む。

「はぁ〜、極楽ごくらく」

小学生にしてき妙にジジむさい言葉を漏らしつつ、お湯につかったまま、ふと自分の、二の腕、脚、あるいは腹部を見つめる。

「うーん、ちょっとは筋肉ついてきたかな?」

その言葉通り、怠惰な生活をしていた以前とは異なり、連日のサッカークラブの練習によって各部の筋肉が引き締まり、またうっすらとではあるが、剥き出しの手足の肌も日焼けしてきたようだ。
そのことを誇らしく思いつつ、「男の子らしく」パパッと身体や髪を洗うと、カナメは10分ほどでアッサリ風呂から出た。

「あがったよー」
「もう、いいの?今日はお父さんまだだから、ゆっくりしててもよかったのに……」

要の風呂好きを知る母は驚いているが、「だって、まだ暑いし」と言うと納得したようだ。
先日の日曜日に床屋で切ったばかりの髪をゴシゴシとバスタオルで拭きながら、「やっぱり髪の毛が短いと楽だなぁ」と考えるカナメ。
元は、ミユキと同様に襟を覆うくらいのショートに近いセミロングだったのだが、思い切ってベリーショート……と言うかスポーツ刈りにしてみて、正解だったようだ。

「要、電話よー」

夕飯前なので牛乳は我慢して冷たい麦茶でも……と、冷蔵庫を漁るカナメを、いつの間にか席を外していた母がリビングの方から呼んでいる。

「んー、誰?」
「早川さんトコの美幸ちゃん。アンタ、向こうに何か忘れ物したんですって?」

はて、何の用だろう……と思いつつ、カナメは母から受話器を受け取った。

「もしもし、カナメです。どしたの、ミユキ姉ちゃん?」

何の躊躇いもなく、その自称と呼びかけを使用したことに、「彼」は気づいているだろうか?

『───えっと、ミユキです。今週末の土曜日のことでちょっとお願いがあって……』

ほんの少し間があったものの、電話の向こうからは聞き覚えのある「従姉の少女」の声が聞こえてくる。

(えーと、土曜日って……あっ!)

ようやく、カナメ──美幸は、自分たちふたりが互いの立場を入れ替えているという事象に思い至る。逆に言うと、それまでは完全に失念していたのだ。

(そうだったそうだった。17日に「オジさん家」に行って元に戻るって約束したんだっけ)

心の中でも、本来の自宅をまるでよその家のように表現する美幸──いや、カナメ。
まぁ、それも致し方ないだろう。美幸は元々自分の家の風潮があまり好きではなく、だからこそワザワザ全寮制の高校に入学したくらいなのだから。
逆に、気さくで放任主義な傾向の強いこの浅倉家の雰囲気は、「彼」の気性と非常にマッチしており、わずか2週間あまりですっかり「浅倉要」としての暮らしに馴染みきっていた。

(そうか。もう、戻んないといけないんだ……)

そう自覚した時に、カナメの心に一番に湧き上がったのは「イヤだ、戻りたくない」という強い拒否感だった。

──親友の耕平やクラブの仲間と、もっと一緒にサッカーの練習がしたい!
──悪友の島村譲たちと、スケベな本を見たり、エロ話をしてみたい!
──仲の良いクラスメイト達と別れて、ろくに友達もいない学園なんかに帰りたくない!
──「女の子だから、ちゃんとしなさい」なんてうるさいことを言われず、好き勝手なことができるこの家で、のびのび男の子ライフを満喫していたい!

言葉にすれば、そんなトコロだろうか。
とは言え、それが自分勝手なワガママだと自覚できる程度にはカナメも理性的ではあったし、内心はどうあれ、そのワガママを我慢する程度の分別はあった。

「……うん。で、土曜の夕方から、オジさん家に遊びに行けばいいんだっけ?」

渋々言葉を絞り出したカナメに対して、しかし電話の向こうのミユキは意外な提案をしてきたのだ。

『それがね……事情があって、その日は帰れそうにないの』
「へ?」

ミユキいわく、新体操部の成果発表会が19日の日曜になったため、どんなに頑張っても、ミユキが「自宅」に戻れるのは日曜の夜になるらしい。

『でも、「浅倉要」も、日曜の夜には家に戻る予定だったでしょ?』

確かにその通りだ。そして、例の絵図は、おそらく5、6時間程度は一緒に眠らないと効果が発動しないはずだ。

「じゃ、じゃあ……」
『うん。すごく申し訳ないんだけど、元に戻るのを少しだけ延長しちゃってもいい?』

カナメに異論があろうはずもない。

「もちろん!」
『それじゃあ、その次の連休は……えっと、体育の日の10月11日、かな』
「あ、でも、星河丘学園って、確かその前後に学園祭と体育祭があると思うけど?」
『……ホントだ。8、9、10日が、まさに学園祭みたい』
「そんな時に抜けるのは、クラスの人にとって迷惑だろうね」

「シメた!」と小躍りしたいのを堪えて、カナメが冷静に指摘した。

『うん、確かにそうだね。でも、その次となると……11月に連休はないし』

困っているミユキに対して、カナメはアッサリ提案する。

「いっそのこと、年末までこのままでいいんじゃない?どうせ正月には、毎年ソッチに家族でお邪魔してるワケだし」

カナメの指摘は正しいが、それは「浅倉家」の側に立つ者の発言だと気づいているのだろうか?

『う、うん。カナメ、くんがそれでいいならいいけど……大丈夫なの?』
「あ〜、オレの方はバッチリ。全然ノープロブレムだよ。むしろミユキ姉ちゃんは?」

遠慮がちにミユキから投げられた質問に、カナメは笑ってそう聞き返す。

『えっと……ワタシも、たぶん大丈夫、だと思う』

そんなワケで、今年いっぱいこのままでいられる事が決定したカナメは、その日の夕飯の席で両親に「何かイイことあったの?」と聞かれる程、終始上機嫌なままだった。

***

──プツン!

ケータイを切ったミユキは、そのまま自室のベッドの上にコテンと倒れ込んだ。

「はぁ〜」
「おりょりょ。で、結局どうなったの、みゆみゆ?」

ベッドの逆の端に座って、マンガを読んでいた奈津実が尋ねる。

「うん、大丈夫。しばらく──年末までは、このままでいこうってコトになったから」
「へぇ〜。そりゃまた、いきなり思いきったね。ま、わたしとしては、コッチのみゆっちの方が好きだから、大歓迎だよん」

ニャハハと笑いつつ、背後からベタベタと抱きついてくる奈津実に、「ハイハイ」と苦笑を返すミユキ。この程度のスキンシップには、もうすっかり慣れっこだった。
実際、ミユキ自身も、入れ替わりの継続が決まったことを、内心喜んではいたのだ。
率直に言えば、できるだけこの女子高生ライフをもう少し続けたいとも感じていたのだから、カナメの提案はまさに「渡りに船」ではあったが、ソレを正直に口に出すのは、さすがに気恥ずかしい。
ともあれ、コレで発表会に向けての懸念がひとつ減ったことは事実だった。

***

そして迎えた9月19日の日曜日。
奇しくも、この日はカナメ達の少年サッカークラブの練習試合の日でもあった。

「相手はこの近隣の強豪チームだが、お前達だって決して負けちゃいない。いつも通り、フィールドの上で思いっきり「遊んで」来い!」
「「「「はいっ!!」」」」

監督の飛ばす檄に少年達は元気のよい声で答える。

「あー、ちょっと浅倉、ちょっと待て」
「?はい、何スか?」
「キーパーの熊谷が当分ケガで欠席するから、キーパー経験者の八木をソッチに入れる。お前にはセンターバックに入ってもらうが……いけるな?」
「!当然っス!」

アクシデントがらみとは言え、念願のスタメン入りを果たしたことで、カナメのテンションはいやがおうにも高まった。

「──今日はミユキ姉ちゃんも発表会か。頑張ってるかな……」

一瞬だけ遠い空に想いを馳せたカナメだが、主審の笛の音とともに、すぐにプレイに集中するのだった。

***

大講堂の高い天井から投げかけられ照明の光が浩々とミユキ達5人を照らしている。
成果発表会の当日、ついに新体操部の番が回ってきたのだ。
4人の少女たちが講堂の中央に設けれた舞台の四方の隅に散り、5人目の少女が中央に立つ。それは、5人の団体演技をより綺麗に派手に見せるために考えられた配置だったが、問題は中央にリボンを手に待機しているのが、ほかならぬミユキ自身ということだった。

(はうぅ〜、なんで、こんな一番目立つ場所に……)

新体操経験の浅いミユキだからこそ、アラが目立ちやすい長距離の移動を減らし、少しでも演技の穴を減らすため、中央に置く──その理屈は頭で理解できても、羞恥心は別問題だ。

(それに……いつもより衣裳も派手だし……)

そう、「彼女」が今日着ているのは普段着ている練習用のピンクのものではなく、本番向け5人お揃いの真紅のレオタードだった。
首元にチョーカーのようにリボンが巻き付き、そこから伸びた2本の細い紐が交差しつつ鎖骨のやや上くらいの位置でレオタードの布地に繋がり支えている。そのぶん、背面は大きく開いており、背中の半ばくらいまで露出していた。
また、下半身はパニエを思わせるレースの襞が三段スカート状にヒラヒラと腰を取り巻いている。もっとも、本物のスカートと違って短く、さらに透けているためレオタードの下腹部はほとんど丸見えだ。
動きやすく、同時に見られることを十二分に考慮した、まさに晴れ舞台のための衣裳だった。
しかし、そんな愛らしくも女性的なコスチュームを着ていることに対する羞恥心も、今のミユキはほとんど感じていない。慣れもあるが、それ以上に本番を目前にした緊張が、それ以外の事を考える余裕を「彼女」から奪っているのだ。
すがるような想いで、右端の隅にいる親友の奈津実に目を向けると、予想していたのかわずかに微笑みつつ軽く頷いてくれる。

(だ〜いじょぶだよ、みゆみゆ。アレだけ練習したんだから、きっと上手くいくって!)

視線を交わしただけで奈津実がそう言ってるような気がして、ミユキは少しだけ呼吸が楽になった。

「早川ぁ〜!長谷部ぇ〜!がんばれーー!!」

客席の方からは、クラスメイトの少年・富士見の応援が聞こえてきた。おそらく午前中にグラウンドで行われた野球部のエキシビジョンに応援に行ったことへの感謝のつもりかもしれない。少し恥ずかしいが、彼の声もまたミユキの緊張をほぐしてくれた。

(うん、イケる!)

ミユキの瞳に気合いが籠るのとほぼ同時に、音楽がスタートした。
ファンタジックなイメージの曲を背景に、4隅の少女達がゆっくりと動き始める。

(まだよ、まだ……)

ただし、ミユキのスタートはほんの少し後だ。頃合いを見計らい、膝立ちの姿勢から立ち上がり、バレエで言うファーストポジションに近い姿勢へとゆっくり身を起していく。
ツッと一瞬途絶えた曲が、一転、激しく情熱的なメロディへと変わった瞬間。それまでのスローさが嘘のように激しく5人の少女達が動き始めた。

奈津実が、ふたつのクラブを上手に振りかざしながら、舞台を軽やかに舞う。
同じく一年の渚が体操からの転向組だ。その小柄な身体と対照的に大きなフープを、手中でダイナミックに回転させている。
二年の草壁先輩は、手品同好会にも掛け持ちで所属している事もあってか、ロープの扱いが非常に巧みで、こんがらないのか不思議なくらい複雑な動きを動きを見せて、人目を引く。
一方、今年のミス星河丘候補に挙げられる久能先輩は、派手な美貌とダイナマイトバディだけでなく、新体操の技量もピカイチであり、ボールをあたかも身体の一部であるかのように、優雅に、自由自在に操っていた。

ミユキもまた奮闘していた。
どんなに言い訳しても、ミユキの新体操歴がひと月にも満たない付け焼刃なのは事実。
それでも、生まれ持った運動神経の良さと身体の柔軟性に裏打ちされた新体操のセンスを、熱心な先輩の指導のもとに積み重ねた練習で開花させ、見事なステップを踏む。

(体が軽い……こんな楽しい気持ちで動けるなんて……)

舞台度胸があると言うべきか、ミユキは先ほどまでの緊張が嘘のように、初めての「観客の前での演技」を楽しんですらいた。
くるくると螺旋の如くリボンを回しながら、床を踏み切って宙に舞ったかと思うと、音もなく着地し、素早くリボンを宙に放り投げる。
リボンが落ちて来るまでの間に床の上で軽やかに三回転して、小ジャンプとともにピンと身体を伸ばしつつ、リボンを受けとめ、すかさずリボンを波打たせる。
個々の演技の技巧難度自体はさして高くないのだが、それをキチンと小指の先まで注意を払い、丁寧に演技する様は、見る者に感心と安心感をもたらした。
同時にミユキはそれまでの練習時にはなかった仲間との「一体感」を感じていた。

(なぜだろう……みんなの動きが手に取るようにわかる)

5人の仲間が、それぞれの演技を続けながら、同時にそれは互いの動きを際立たせるための助けにもなっている。

──ひとりはみんなのために、そしてみんなはひとりのために。

そんなある意味使い古されたとも言えるチームワークの基本を表す言葉。
同じくチームワークが必要とされるはずのサッカークラブで、誰かの「代役」を務めている時には、一度も感じられなかったその感覚を、今ミユキは言葉ではなく心で、あるいは体で理解していた。

(アハ……きもちいー!)

そのせいか、抑制の効いた「彼女」にしては珍しくハイになっているようだが、それでも演技に乱れは見られない。

ズドン!という爆音とともに曲が終りを告げ、それと同時に5人の少女達が舞台の中央に集まり、並んで決めポーズをとる。
少女達の放つ「輝き」に、その瞬間だけさらに照明の光が増したように感じられた。

一瞬の沈黙──そして直後に観客席から湧き上がる拍手と歓声。
どうやら、新体操部の発表は大成功に終わったようだ。

「やったね、みゆっち!」
「うんっ、奈津実!」

舞台を降りて、部室に戻るや否や、ハイタッチを交わすミユキと奈津実。無論、他の3人とも、口々に喜びを分かちあっている。

「お疲れ様、みんなとてもよかったわよ」

すでに引退した3年の元・部長と副部長が下級生たちをねぎらってくれた。

「どう、早川さん。新体操って、素敵でしょう?」
「はいっ、サイコーです!」

興奮と歓喜で頬を薔薇色に染めたミユキの言葉に、「彼女」に特訓してくれていた元副部長の御門は得たりと頷く。

「じゃあ、これからもキチンと練習に出てくれるかしら?」
「ええ、喜んで!!」

この時から、ミユキが本当の意味で新体操選手としての第一歩を踏み出したのだ。
そしてそれは同時に、「彼女」が今の立場を完全に受け入れ、その存在が「早川美幸の代役を努める少年・浅倉要」から「かつて浅倉要であった少女・早川ミユキ」へと変化したことも意味していた。






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