シチュエーション
![]() 遠くから自動車の音が近づいてきて、意識が戻るにつれ、その自動車に自分が乗っていたことを思い出す。 いつ頃から寝ていたのだろうか。身体を伸ばすと背中が痛み、それなりのあいだ眠っていたことを物語るが、 車窓から覗く外の風景は少なくとも最後に意識があったときに見ていたものと殆ど変わっていない。 「起きたか」 隣で運転している父が尋ねた。 「どのくらい寝てた?」 「一時間かそこらだな」 最後に意識があったのが山道に入って三十分くらい走ったところだった気がする。 改めて窓の外の風景を見る。 コンクリートの壁の上は木が生い茂り、目を凝らせばタヌキか何かいても不思議ではないような、そんな風景だ。 「あとどのくらい」 「子供じゃないんだからそんなこと聞くなよ……まぁ、もう一時間ってとこじゃないか」 あからさまに嫌な顔をした自分がバックミラーに映る。 「せめて電車ならもうちょっと早く着けたんじゃないの」 「だから言っただろう。機材なんかも運ばなきゃいけないんだ。車じゃないといろいろ不便なんだよ」 同じことを出発前にも聞いたし、同じ答えもその時貰った。 飯島千夏はこういう単調な時間が嫌いだ。 せめてCDでも流しながら行くのならまだ耐えられるのだが、今はそれもない。 父曰く「音楽があると気が散って外の風景がよく見られない」のだそうだ。 単純にドライブしながら外の風景を眺めるのが好き、という類のものではない。 その土地の木々の生え方、田んぼや畑の位置などはアマチュア民俗学者である父にとっては非常に興味を惹かれるものであるらしいが、 千夏にとっては、そんなものどうでもいいの一言で済んでしまう。 このまま一時間文句を並べたい気持だったが、それをぐっと抑え込む。 そもそも、こうして助手席でシートベルトに四時間ばかり括りつけられているのは、他ならない自分自身の意思なのだ。 おじさんが久しぶりに父を訪ねたのは、千夏が中学に入ってから二度目の夏休みが始まろうとしていた頃だった。 彼は父の大学の同窓で、共に民俗学を学んでいたという。 現在でも交流は続いており、気さくで優しいうえに、家を訪ねてくる度におこずかいをくれたので 千夏はけっこう好きだった。 「千夏ちゃん、身長随分伸びたな。確か中学……」 「二年だよ」 座敷から聞こえてくる二人の会話に自分が出てきたので、千夏は何とはなしに聞き耳を立ててみる。 「中二ってことは十四か……」 「それがどうかしたのか」 「いや、大したことじゃないんだけどさ。最近ちょっと面白い話を聞いて」 そうして彼はあくまで人づてに聞いたことを前置きして、その「面白い話」を始めた。 「○○県に周りを山に囲まれた――って集落があるんだけどさ。その村では、毎年八月十日に その年十四になる女の子たちが村はずれの池で禊を行う風習があるらしいんだ。それも全裸で」 最後の言葉を聞いて千夏はドキリとし、一度は冷めかけた興味がより一層強くなる。 「全裸っていうと、襦袢も何もか」 「ああ、文字通りの素っ裸だ。それも池のそばで着物を脱ぐとかいう生半可なもんじゃない。 村の中の神社から池まで裸で走り抜けるらしいんだよ」 まさか。 千夏は思わず口に出す。 裸祭りなんて男が行うものだし、それを女の子が、しかも全裸だなんて。 父もにわかには信じられない話だったらしい。 「そんな風習が今時残っているとは思えないな。仮にあるとしても人づてに聞いた話なんだろう? どうせ尾ひれがついているのに決まっているのさ」 「俺も最初はそう思ったんだが、どうも本当らしいんだよ」 とある酒の席で友人の女性に面白半分でその話をしたことがあったそうだ。 もちろんこの時点の彼はその話を信じておらず、鼻で笑い飛ばしてもらうようなつもりだったのだが、 返ってきたのは意外な返事だった。 「その人はその集落の近くの出身でね。実際に見た事はないが、近くの村にそんな風習があるという話 を聞いたことがあるし、高校のクラスメイトに、その村の出身で禊をしたらしい友達がいたっていうんだよ」 「……本当なのか、それ」 「少なくとも嘘を言うような人じゃあない」 「そうか……で、行ってみることにしたのか?」 「いや、それがどうも行けそうにないんだよ、野暮用があってさ」 「そうか、そいつは残念だな」 「ああ。そこでお前に頼まれてほしいんだが……お前に取材を頼みたいんだよ」 「……俺に?」 父の驚きようが声から容易に想像できた。 「取材と言ったら大げさか。とりあえず集落の人から話を聞いて、 禊の風景を見てきてほしいんだよ。お前、十日の前後は仕事も休みだって前に言ってたよな」 「まぁ、確かにそうだけど」 「なぁ、頼むぜ。お前だって興味わくだろう」 その日、父は結論を出さずに、とりあえず考えておく、と言っておじさんと別れた。 自分の部屋に戻った千夏はベッドに寝転がりながら考えた。 もし、そんな風習があるならば。 自分と同じくらいの女の子が裸になるなんてことがあるならば。 「見てみたい……かも」 朝の六時に家を出発してから実に五時間近く。 見えるのは木ばかり。口には出さないが、なんでこんな所に来ちゃったかなー、などと今さら考えてみる。 実際、父から提案された母との旅行先を蹴って付いてきたのは自分なので、責任はすべて千夏にある。 それはお前の煩悩のせいだ、と頭のどこかが叫ぶが、他の部分がそんなことはないと反論する。 正直、未だにそんな風習があるという事は半信半疑だ。 誰にも言わなかったが、誰かに話してもまず信じないだろう。 この目で見て見たいというのは本心…… 「ね、お父さん」 「ん?」 「……その風習ってさ、女の子が……ハダカになるんだよね……」 「あぁ……そうらしいな」 さっきまでとは異なる沈黙。音楽はかかっていない。 車の音と蝉の鳴き声だけが二人のあいだを流れていく。 こうなることが分かっていても、聞かずにはいられなかった。 「なんで……ハダカになったりするの」 「普通は身を清めるためだったり、神様の前では不浄なものは身につけない、とかだけど」 「……ふーん……」 もっと言いたいことはあったのだが、それだけで十分過ぎた。 胸が高鳴り、もどかしいような気持になる。 少なくとも口にした台詞は大して過激でもない。 それなのにどうしてこうもドキドキしてしまうのか。 千夏も友人とエッチな話くらいしたことはあるので、 セックスのせの字で舞い上がったりはしないはずなのだが、その禊の話を聞くとどうしようもなく惹きつけられ、 切ないような気持ちになる。 結局それが理由だった。 自分と同じくらいの女の子が公の場で全裸になる。それだけで何とも言えない胸のうずきを感じる。 けれども、エッチなものが見たかった、というのとは何か違うような気もしていた。 じゃあなんなのかと聞かれても答えられないが、行くと決めた時から繰り返し考えていたのは 実際に参加する女の子たちのことだった。 (どんな気持ちなんだろう……恥ずかしくないのかな……? 外で……たくさんの人の前で……ブラもパンツも脱いだハダカ……スッポンポン……) 千夏は少女達の姿を想像する。 月明かりの下で何人もの人に囲まれた、生まれたままの姿の女の子たち。 千夏は服を着た人々に混じって彼女達を眺めている。 薄暗い中で、なぜか少女達のまわりだけがぼんやりと明るく、白い素肌を照らし出している。 彼女達の顔は靄がかかったようではっきりとしなかったが、その中で一人だけ、後ろ頭だが輪郭のはっきりした娘がいるのを見つけた。 どこかで見たような長い黒髪。 千夏は裸の少女達の中に入っていき、その娘へと近づいていく。 手を伸ばせば届く距離まで近づいた時、その娘は振り向いた。 千夏は息をのんだ。 羞恥に染まった真っ赤な顔。涙ぐんだ目。 それは他でもない、千夏自身。 その瞬間、突然身体が軽くなったような感覚に囚われる。 見下ろすと、千夏は何一つ身につけていなかった。 頭に浮かんだ考え無理矢理を打ち消す。 何を考えているんだ、私は。 自分が今どんな顔をしているのか分かるくらいに、顔が熱い。いや、身体全体が熱い。 これではまるで、さっき見たた自分のようではないか。 そんな状態を父に感ずかれるのだけは避けたかったが、幸運にも車はほどなく止まった。 「着いたぞ」 イメージそのままとまではいかないまでも、やはり思った通りの辺鄙な集落が広がっていた。 広がっていたという表現は相応しくない。その村はうっそうとした森に囲まれて、ひっそりと、あった。 「少し入ったところに宿があるはずだから、最初に荷物を降ろしちまおう」 父はそう言って集落の中へと車を進めた。 村に入ってすぐ砂利道から舗装されている道路へと移る。 どうやらこれが村内で唯一舗装されている道路らしく、これをたどっていけば村の中心に入っていけるようだった。 ところどころにこじんまりとした田んぼや畑を挟みながら家が並ぶ。 時折いかにもというような木造建築と出くわすこともあるが、大抵の家は昭和40年代頃の建築のようだった。 人気は殆どない。途中出会ったのは六十代くらいの男で、ランニングシャツに半ズボンといういでたちで 道路から離れた田んぼの中道を歩いているのを見かけたのみだった。 村に入ってものの五分ほどで、宿に着く。 「えー、ここ泊まるの」 「村の中にはここしか泊まれるところはないそうだ」 目の前にあるのは、他の住宅より少々老朽化したような二階建ての家だった。 パッと見、造りは普通の家なのだが、他よりもやや大きく、玄関脇に立てかけてある木製の看板には ペンキで「民宿」と書いてあった。無論、ピカピカのホテルに泊まれるなどと思っていたわけではないのだが、 それでももっとそれらしい「宿泊施設」があるものと考えていたのだが、甘かった。 駐車場に車を止めて扉を開くと、それまで車内で遮られていたものが一気に百合香にまとわりついてきた。 大音量の蝉の合唱に、むせ返るような青臭さ、それから熱気。 すぐにでも扉を閉めて車内に閉じこもってしまいたくなるのを抑えて、父と共に玄関の前に立った。 チャイムを鳴らすと、中から「ハーイ」という女性の声が聞こえて、まもなく戸が開いた。 家の外観的に、それこそ「田舎のおばあちゃん」とでも言うべき人が現れそうな雰囲気だったが、 顔を出したのは四十になるかというくらいの女性で、格好はTシャツとジーパンにエプロンを付けている。 「あっ、飯島さんですね」 こちらが何も言わないうちに女性がそう言う。余所者なのですぐにわかるのだろう。 「はい、しばらくお世話になります。こっちは娘です」 「お世話になります」 「ではお疲れでしょうし、お部屋へご案内しますね」 車から機材を運び出し、女将にくっついて部屋に向かう。 民宿というのがどういうものなのか話には聞いていたが、実際に入ってみると 本当に普通の住宅という感じだ。客室は奥にあるようだが、廊下を歩けば閉まった襖の中からテレビの音が聞こえ 誰かが話す声も普通に聞こえる。 「もうお客さんなんて随分久しぶりですよ。本当に時々泊まっていかれる方がいるのですけれどね」 時々いるだけで驚き、とは本音だが、それは口に出さないでおく。 実際ここに二人いる。 二階へ続く階段を横切ったところで宿泊用スペースになるようで、どこがとは言えないが なんとなく雰囲気が変わるのを感じた。 廊下を挟んで隣り合わせに二部屋で、左が父で右が千夏ということだった。 六畳の和室だったが、機材は全て父の部屋ということなので、室内にあるものと言えば 自分が持ってきたものを除けば、座布団、机、テレビ、クーラー、押し入れに布団といった感じだった。 腰を落ち着けると疲れが出たようで、畳に寝っ転がり伸びをする。 ふわっと畳の香りが舞い、多少汚れた天井が目に入ると自然と気分も落ち着く。 目を閉じて蝉の鳴き声に耳を澄ますとその中にいつのまにか風鈴の音が入っているのに気付く。 「なんかおばあちゃん家に来たみたい」 千夏の祖父母は父方、母方共に東京生まれなので特に田舎のようなものは持っていないのだが、 それでもどこかで見たような懐かしさがあった。そのまま目を閉じていると、いつのまにか千夏は 眠ってしまっていた。 目を覚まし、時計を見ると三時になっていた。 伸びをして上体を起こしたところで尿意に気付く。 部屋を出てトイレに行こうとするが、場所が分からない。 一応民家なのだからすぐわかる場所にあるとは思うのだが、同じ理由で勝手にあちこち入って迷惑をかけるような真似もしたくはない。 父が知っているかもと思ったが、何故だか部屋にいない。 仕方なく女将を呼んで教えてもらおうとする。 「すいませーん」 すると二階から、はーいと女性の声が答えた。 女性と言うには随分若いと思ったら、確かにその通りだった。 階段から下りてきたのはTシャツにホットパンツという格好の少女だった。 髪はだいぶ短くしてあり、日焼けした顔は自分と同じくらいの年齢を窺わせる。 「どうしました?」 「あの、お手洗いは……」 「あぁ、トイレはそこの突き当たりを左です」 やはりこの民宿の子なのだろう。ずいぶん手慣れた対応だった。 お礼を言ってトイレに入る(客間のすぐそばだった)。 そしてズボンをおろしたところで気がついた。 自分と同じくらいの女の子。 (もしかして、あの子が……ハダカになるの……?) 部屋へ戻って寝転がるが、先ほどとはうって変わって悶々としてしまう。 中学生の少女が公の場所で裸になるというのは言葉にしても信じがたいことだが、 こうして現実に相手を見てしまうと尚更信じ難くなる。 彼女が裸になって人前に出る姿を想像してみるが、どうにも上手くいかない。 もっとよく見ておくべきだったか。 そうして考え込んでいるうちに玄関が開く音がして、足音がこちらに向かったと思うと 父が顔を出した。 「どこいってたの」 「公民館。村長さん達に会ってきた」 裸参りを取材する許可を取ってきたのだという。 先に電話で話はついていたし、 この風習は非公開というわけではないのだが、内容が内容だけに あまり外部に大きく知られたくはないらしい。 村民から話を聞いたり、実際に裸参りを見るのは問題ないが、 写真やビデオカメラ、録音機材のようなものは禁止。 得た情報をテレビや週刊誌に投稿するのも止められたという。 「写真はともかく、もとからテレビなんかに教えるつもりはなかったけどな」 「ふーん」 そうして、父は裸参りの詳細な日程を話し出した。 行われるのは八月十日の深夜零時。 参加するのは十三〜十五歳の主に中学生の少女。 彼女達は前日の二十一時頃に神社の敷地内にある公民館に集まり、そこで軽い食事をし仮眠をとる。 その後、日付が変わる前に公民館内の風呂で入浴し、裸のまま外へ出る。 少女達は集落の外にある池まで走り、そこで禊をすませると、再び走って神社まで戻る。 そこで参拝を済ませると行事そのものは終了となり、再び風呂で身体を流す。 ようやくここで衣類を身につけ、その日は公民館内で就寝、ということだった。 行うこと自体は単純だが、その光景は何度想像してもドキドキする。 「……それって、村の人たちは、みんな見るの……」 「詳しくは分からんが、観客はけっこういるそうだ」 「お、女の子達は、何人くらい参加するの……」 「まちまちだけど、最低でも六人以上だそうだ。それ以下になると中止」 「参加できる歳の子が少ない年とか?」 「それもあるけど、参加したくない子が多い時も中止らしい」 「えっ」 思わず声に出した。 「女の子達……出る出ないって……自分で決めてるの……」 衝撃だった。 村の子は皆参加しなければいけない類だと思っていた。 みんな恥ずかしいのに無理矢理やらされているのだと思っていた。 (ウソでしょ……それって、自分から進んでハダカになってるってこと……) 六時頃に夕食が出た。民宿というと経営者家族と一緒に食べると言うような印象があったのだが、 そんなことはなく普通に部屋へ食事が運ばれてきた。旅館のように豪華な代物ではなったが、土地の産物 を活かしたのがわかる野菜の小鉢や、俗っぽいが美味しそうなエビや魚のフライが食欲をそそった。 ただ、小さな和室で一人料理をつついているのと妙な感じもした。 父と二人きりで食べると言うのがなんとなく気恥ずかしくて、一人で食べると言ってしまったのだが、 実際に一人になってみると寂しいとまでは言わないが、どこか味気ない気がした(料理は美味かったが)。 その後、風呂に入り部屋へ戻ると布団の用意がされていた。その時ちょうど雨が降ってきたのだが、 千夏は気にも留めずに布団に寝転びながらテレビを眺めていた。チャンネルをまわしてみたがだいぶ民放が少ないようで お気に入りのバラエティが見られず少々落胆した。何か面白いものはないかとNHKも含めてチャンネルを巡っていると、 不意に顔に水滴が落ちてきた。驚いて見上げると、天井がびっしょりと濡れており、今度は鼻先に雫が命中した。 「……雨漏り?」 女将は何度も頭を下げた。そこまで謝られると千夏も許す気になったが、今晩の寝室の問題だけは どうにもならないままだった。 「お父さんの部屋で寝るか?」 「それはイヤ」 「と言われてもなぁ……部屋は、二つだけなんですよね?」 「はい、大して人も来ない宿ですので……申し訳ございません」 困っている女将にむかってご主人が茶の間だったらテーブルをどかせばどうにかなるんじゃないのかと提案した。 そこで実際に茶の間を見て見たのだが、テーブルはそれなりに大き目でどかすのに骨が折れるうえ、室内も何かと物が多いので あまり寝るには適さない部屋だった。とはいえ、他に方法も無さそうなのでそうしてもらおうかと思った時のことだった。 「あの……私の部屋とか、どうです?もう一つ布団敷くくらいの広さはあるし……」 後ろのほうから、日中に聞いた声がした。 見ると、寝間着姿の娘が、少しおどおどとした様子で立っていた。 女将はハァと溜め息を吐くと、さっきまでとは違って方言丸出しで娘の提案を一蹴した。 「なぁに言ってんだべ。お客さんどこオメの部屋さなんかに寝がせるような失礼な真似できるわけねぇだろが」 「そりゃ、そうだけんど……」 「呆けたこと言ってねぇで、さっさと寝ちまえ」 そう言って主人も手で追い払う仕草をする。落胆と羞恥が入り混じった表情で彼女が階段へ足をかけた時、思わず千夏はそれを引き留めた。 「ま、待って……私、えっと、それでいいです」 提案者である娘も含めて、その場にいた全員が驚いた 「待ってください、お客さん。ウチの子の部屋なんか、お客さんを泊められるような立派なもんでもなんでも無いんです。 いくらなんでもそんなとこにお客さんを寝かせるわけには……」 「いえ、いいんです。お邪魔でなければ」 そう言って千夏が娘のほうを見ると、驚いた顔ではあったが、どことなく嬉しそうで、全然邪魔なんかじゃあないです と言った。次に父に向かって哀願すると、少々困ったような顔ではあったが、お前がそれでいいならと言ってなんとか了承してくれた。 そうなると女将夫婦としても認めないわけにはいかなくなり、しぶしぶご主人が二階に予備の布団を引っ張り上げ、 その後から千夏が自分の荷物を持って二階へと上がった。 部屋を片付けているのか、しばらく扉の前で待たされた後、ご主人が娘に向かってくれぐれも失礼の無いようにと言いつけるのが漏れて聞こえた。 これで宿代を工面する理由が二つになっちまったと付け足した後、ご主人は出てきた。 千夏に向かって最後にもう一度非礼を詫び、彼は下へと降りて行った。 それを見送った娘が千夏を部屋へと招く。 「どうぞ、ホントに汚い部屋ですけど」 「じゃあ、えっと……お邪魔します」 足を踏み入れた途端に友人の家に泊まりに来たような感覚を覚える。 それまで客間以外でも控えめだった生活臭が一気にあふれ出たような感じだった。 広さは六畳くらいだろうか。洋服箪笥や勉強机などが並び、隅の方で座っている、 抱きしめるにちょうどいいサイズのぬいぐるみのくまさんが特に目を惹く。 床にはピンクのカーペットが敷かれているようだったが、床の多くが布団で占められてしまっているので よくは見えなかった。 娘は自分の勉強机の椅子に座り、千夏は多少キョロキョロした後、自分の布団に腰を下ろした。 「自分で言うのもなんですけど、よくオッケーしましたね。ちょっとビックリ」 背もたれの肘を付き、回転式の椅子を足で方位磁針のように揺らしながら、娘が呟いた。 「あ、ん……なんていうか、誘ってもらえて嬉しかったし、こういうのもいいかなって」 嘘ばっかり。 変な愛想笑いが浮かびそうになる。 本音を言えば、あのまま茶の間に寝かせてもらった方が良かったと思っている。 こんな旅先で他人の寝室を一緒になどしたら疲れを取るどころではない。 けれど、彼女の申し出は千夏の好奇心を満たすには望ましい環境だった。 「ていうか、どうして部屋貸そうって思ったんですか?」 「それはほら、こんな村だから県外、ううん、――市(近隣の街)くらいからしか人が来ないし。 そしたら遠くから私と同じくらいの女の子が泊まりに来たからワクワクしちゃって。向こうの話とか聞きたかったんです」 「そうだったんですか」 「ホントは明日とか、これから時間があるときにと思ってたんですけど……すいません」 「いいっていいって。親父のいびき聞きながら寝るよりよっぽどマシだから」 「確かに。でも私もけっこういびきうるさいよ?」 「えー」 そう言って二人で笑う。 「アハハ……えーっと、お客さんは」 「千夏です。飯島千夏」 「ちなつ、さん。私は有希です。成沢有希」 「ゆきさん……中学生?」 「はい、中二です」 「えっ、じゃあ私とおんなじだ」 「あっそうなんだ。じゃあ敬語とかじゃなくても?」 「うん、全然オッケーだよ」 改めて彼女の顔を見る。 顔つきは年齢通りといった感じだが、日焼けと短髪が活発な印象にずいぶん貢献している。 (この子が、裸に……) 半袖の寝間着から覗く足と腕から、身体のラインを想像する。 運動部なのだろうか、細いがしっかりと肉が付いている。 バストがわかればイメージが一気に鮮明になるというのに、ちょうど背もたれに隠れて見えない。 「千夏、ちゃん――ちゃんで良いよね?――はどこから来たの?東京?」 「うん」 「じゃあ遠かったでしょココ」 「五時間くらい」 「うわーゴクロウサマ」 初対面なので抑え気味ではあったが、もともとおしゃべりな子なのか千夏が何も言わなくても 有希のほうから話題を振ってくる。気さくというか、馴れ馴れしいというか、そんな彼女を見ていると 鮮明になりかけたイメージが頭の中でどんどん遠ざかる。 人前で裸になるというシチュエーション自体が非常識なのだ。 実際に本人を目にしても、こうして地に足の着いた姿を見せられると、どうにも浮かんでこない。 そんな時に、突然、いや会話の流れからすれば必然的に、有希が尋ねた。 「それで千夏ちゃん、こっちには何しに来たの?」 「何って……その、ほら……」 ちょうど、眠っていたところを先生に当てられた生徒の状態とでもいうか、 見事なまでにうろたえてしまう。けれど、この場合は素直に謝るわけにはいかない。 「お父さん、民俗学者だから。いや、アマチュアなんだけど、その研究かなんかで。 それで、なんとなく面白そうだから、私も」 とりあえず学問の世界のことと言ってしまえば彼女もそれ以上は追及しないだろうと思っての言い逃れだった。 「『みんぞく』?どういうの、それ。大和民族とかゲルマン民族とか?」 「ああ、違う違う、そっちじゃなくて。ざっくり言うと……んー、人の暮らしぶりとか……あ、お祭りとか行事なんかは よく調べてるけど」 そこまで言って墓穴を掘ったことに気づく。 「お祭りや行事……?」 「だから、えっと」 なんとかして前言を無かったことにしたかったが、適当な理由が見つからない。 有希も、考える時間をくれたりはしなかった。 「もしかして、裸参り見に来たの?」 隠しておいたエロ本を母親に見つけられた少年というのはこんな気持ちだろうか。 否定したところで他に適当な理由があるはずもなく、千夏は顔を真っ赤にして頷いた。 一番望ましいのは、なんとなく父についてきたらそんな風習があった、と偶然を装うことだった。 そんなのは到底無理だろうから、いつかは自分から言い出すことになったろうとは思う。 しかし、もっと切り出し方というものがあったはずだ。 (まるで変態じゃない) 隠そうとしたせいでなおさら怪しい印象を与えた気がした。これなら最初から素直に言うのだったと後悔したが、後の祭りである。 恐る恐る有希の方を見て見ると、そうなんだ、と一言言ったのみで黙ってしまった。 ああ、軽蔑されたか。思わず保身の言葉が出る。 「その、女の子が、ハ、ハダカになるって聞いたから、本当にそんなことあるのかなって、思って……」 嘘はついていない。こんな言い方では逆効果な気もしたが、自分が下世話な好奇心の塊のように思われるのはどうしても耐えられなかった。 それに対して、さっきから複雑そうな表情をしていた有希が反応した。 「あぁ、確かにオイも他んドコの人だったら、信じらいねって思ったかも」 千夏も有希も互いに緊張していたことは確かだったが、地元の話題のせいなのか、有希は方言混じりで話し始めた。 「やっぱり、女ん子が裸になるのはここだけだよね」 「うん、他では聞いたことないけど」 「あ、でもそんな変態な村だとか思わねぇでな?普通は、その、普通なんだから」 「えっ、いやいやいや、そんなこと全然」 「そう?ならいいんだけど」 まだおずおずとした雰囲気は残っていたが、会話の流れは千夏にとって望ましい方向に向かっている。 (なら、もう聞いちゃってもいいのかな……?) 「それで、その……有希ちゃんは……参加するの?」 そう言われた有希の表情が一瞬乱れ、千夏から視線を逸らす。 「………う、うん……」 言ってすぐに、有希の顔がカアッと赤くなる。 千夏も顔が熱くなるのを感じた。ああ、やっぱりそうなんだ。 「確か中一から参加なんだよね……じゃあ、去年にもう……?」 「……うん」 視線を合わせないまま有希が頷く。それ以上何も言おうとはしない。 「普通なら」自分が人前で全裸になったことを赤の他人の前でに認めているのだから、そうなるのも無理はない。 だが、千夏はその反応に違和感を覚えた。少し考えて次の質問をする。 「えっと、今年は何人がやるの?」 「今年?」 そう言って有希は何人かの名前を挙げながら指を折っていく。 そのあいだに少し気持ちが落ち着いたようだった。 「えーっと、今年は確か六人」 「六人?それってギリギリなんじゃないっけ」 「よく知ってるのぉ。まぁんだんだけど」 「去年は何人だったの?」 「去年は、ちょっと多くて十人」 「十人ってことは中三の人が四人? 「いや、三年が一人で二年が三人」 「その二年生は、なんで今年は出ないの?」 「聞いたわけではねえけど、たぶん一回やって嫌になったんじゃねぇが」 「嫌だったらでなくていいの?怒られないの?」 「んー、その辺厳しい家もあるけど、たいていは別に何とも」 真顔でそう言う有希に対して、千夏の違和感は次第に大きくなり、それ以上のものへと変化していく。 「別に誰からも責められないんなら……出なくていいじゃん。有希ちゃんだって、本当はやりたくてやってるわけでもないんでしょ」 「いや、でも他のみんなのこともあるし、今年は抜けられないよ」 「むしろ中止になっちゃったほうがいいじゃない。そんな行事。ハダカになんなくて済むんだし、他の子もその方が喜ぶって」 「別に皆が皆嫌がってるわけでは――」 「じゃあ皆やりたがってるの?人前でハダカになりたがってるの?」 「そうではねぇけど」 「じゃあやんなくていいじゃん!やりたくないならやりたくないって言えばいいじゃん! そんなオカシイ風習無くしちゃえばいいじゃん!」 「やめて!」 千夏の声も次第に大きくなったが、それを上回る声で有希が遮った。 「悪くいわねぇでよ……オカシイだなんて……そんな風に言われたら、悲しいもん……」 本気で泣きそうな有希を前に、千夏も少し声を落としたが、それでも言いたいことは 止まらなかった。 「わかんないよ……なんでわざわざやらなくてもいいのにやろうとするの? 恥ずかしいの我慢してまでやるようなことなの?ハダカ見られたいの?……オカシイよ、それって」 自分と同じ歳の女の子が裸になると聞いて、しかもそれが任意で参加していると聞いて、どんな神経なんだろうと思った。 それは怖いもの見たさ的な興味でもあったが、同時に期待もしていた。こういう田舎にありそうなおおらかさで、 人前で脱ぐのも構わないという大胆さを見て見たい気持ちがあった。 ところが蓋を開けて見れば目の前の少女はその風習に出ることを恥ずかしがり、そのくせ、やりたくないと言う者が普通にいる にも関わらず自分はやるという。なんなんだ、それは。 雨の音が強まったように聞こえた。 「その、な」 しばらくの沈黙の後、有希が顔をあげ、口を開いた。 「裸参りは、もうウン百年も前からずっとこの村で行われてきてるから……オイも小さい頃から近所のお姉ちゃん達がやってるのを見てきたし、 自分の番が来て「やりたい」とまではいかねぐっても「やんなきゃな」って気持ちにはなるの。 やっぱりおかしいかもしんないけど、ここではそれが普通なんだよ」 「でも、恥ずかしいんでしょ……」 「ん……そりゃあ、オイだって男の人とかにスッポンポン見られるのはホント恥ずかしいよ。んだけんども、なんていうか 恥ずかしいけど、それが嫌ではないっていうか……」 確かに、裸参りについて話す有希の顔は、恥じらいはあっても嫌がるような表情は無かった。 「見られて……嫌じゃないの?」 「うん……え?あ、違う違う!別に人に見られて嬉しいとかそんなんじゃねぐって!」 腕をぶんぶん振り回して否定する有希に気押されて頷く千夏だが、やはり納得とまではいかない。 「まぁ、わかってとは言わないよ。でもね千夏ちゃん。私も、私の友達も、昔やった人たちも、みんな やんなきゃって思ってきたんだもの。それを横からナンダカンダって言われたくはないよ」 有希の声には決して怒ったような調子はなかった。けれど、そこにある明確な「意思」は千夏もはっきりと感じた。 決して納得がいったわけではないが、自感情にまかせて無理解のまま酷いことを言ってしまったと感じ、自分が情けなくなった。 「ゴメンなさい、有希ちゃん」 「いいよ、いいよ。気にしてないさげ」 有希はそう言って微笑んだが、千夏は落ち込んで黙ってしまう。 困った有希は少し考えてから、こう切り出した。 「千夏ちゃんはなんていうか、実際見てないから、こう、悪い方さ考えてしまってるんだよ。きっと」 千夏が怪訝な顔をすると、有希は「そうだ」と言って椅子からピョンと立ち上がった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |