シチュエーション
三人娘が来てから早くも半年ほどが経った。 いや、本当に早く感じられたのか、ちょっと俺にはわからない。 長く生きすぎていると時間感覚がボケてくるらしく、 時間の進み方が早く感じられるのか、遅く感じられるのか、わからなくなってくるのだ。 まあとにかく、俺の主観的な時間のことは置いといて、客観的な時間は確かに半年くらい経ったのである。 「ししょー!ししょーってば!起きてくださいよ!」 心地よい惰眠に身をゆだねていた俺を揺さぶり起こすヤツがいた。 ケイトだ。 ケイトは女性であるにもかかわらず、過去に剣術道場に通っていたことがあったらしい。 それなりに筋も良く、剣だけでなく槍の扱いも出来たので、この俺が直々に鍛えることにしたのだ。 鍛えることに意味はない。 ただの暇つぶしだ。 「素振りは終わりましたっ!約束通り、今日は私の相手をしてください!」 半年前は長かった金髪は、今ではばっさり切っている。 エレノアやキャロルとは違ってとてもアクティビティーな彼女にはよく似合う髪型だ。 「ああ、はいはい、わかったよ」 欠伸をするついでに背筋をのばし、流れた涙と涎を手の甲で拭く。 今日は、ケイトに組み手をしてやる約束をせがまれて、ついつい了承してしまった日だ。 適当にストレッチとアップ運動、 そして素振りをやらせている最中、日差しが気持ちよかったため、ついうとうとと。 「もう、いくら私が相手だからってそんなに気を抜かないでください」 いや、それにしても今日はいい陽気だな。 びっくりするほど昼寝日和だ。 適当に相手した後、昼寝することにしよう。 「はいはい」 木剣を片手に持ち、軽く二度振ってみる。 ケイトも自分の木剣を持ち、俺の正面に立って油断無く構える。 ケイトは彼女の年齢で、更に女性というハンデもありながら、中々堂に入った構え方をしていた。 最近平和ボケしている俺ですら指先がチリチリとする。 裂帛の気合が籠もっている。 なるほど、かなり本気でもって俺とやろうとしているらしい。 少し構えを直して、ケイトと見合う。 しばらくの間見合っていた俺とケイト。 先に動いたのはケイトだった。 俺相手には下手な小細工は通じないと考えたようで、まっすぐ突っ込んでくる。 それがベストな考えだ。 まあ、ベストを尽くしたところで、勝てるかどうかはまた別なんだが。 「ぃやああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」 ケイトの全力の一撃が振り下ろされる。 もし一般人がこれを食らったら、いかな木剣といえ、下手したら死ぬほどの一撃だ。 俺は右手に持った木剣で、その一撃を受け止める。 バヂィ、という木と木がぶつかり合って通常出さないような音を出し、弾けた。 ケイトの木剣は受け流されて、俺の頭ではなく、何もないところに滑り落ちる。 「ま、まだまだぁッ!」 俺は自分の木剣をケイトの脇に差し込んだ。 そのままくるっと力を込めれば……。 「へ、あっ、きゃっ!」 バランスを崩したケイトは、その場で転ぶ。 仰向けに倒れたケイトの首元に、軽く木剣を向けてやって、終わりだ。 「これで満足したか?」 「うっ……うう……や、やっぱりししょーはバケモンだぁっ!」 「バケモンって、人聞きの悪い」 「で、でもでも、あんなことやれるなんて人じゃないですよ。 私の全力の一撃を片手で受け流して、人の脇に木剣差し入れて転倒させるなんて、 常人の筋力と反射神経じゃありません」 「要するに慣れの問題さ。 まっすぐ突っ込んでくるのがわかれば、筋力と反射神経はそれほど必要じゃない。 行動を予測して、通常の反応より早く動けば割と簡単にこれくらいできる」 「それでもやっぱり常人のすることじゃありませんよ!」 普通の人間で俺の今言った境地に立ったヤツは何人か知っている。 ただ俺もそうかというと違う。 全て筋力と反射神経で出来てしまうからだ。 出来るんだから、相手の動きを予測なんてする必要もなく、必要がないから鍛えなかった。 鍛えない上に、筋力と反射神経以外の、もう一つの能力を使えば対人戦では無敵になれてしまう。 そもそも頭をかち割られようと、胴体ぶった切られようと、俺はどうせ死なないんだけどな。 手に持っていた木剣を地面に落とし、俺はさっきまで寄りかかっていた木に向かって歩いていった。 「じゃあ、後は適当にいつも通りのことをやっててくれな」 「師匠は何するんですか?」 「今日はちょっと昼寝を楽しむことにする」 「いいんですか?剣術の修行は一日怠けると取り戻すのに時間がかかりますよ」 「かわいい弟子が俺に追いつけるように怠けてやるんだよ」 さあ昼寝昼寝。 今日は何十年に一日もない昼寝日和の日だ。 いつもは律儀に生きている俺も、今日ばっかりは昼寝することに決めた。 近くでケイトが剣術の訓練をしている音を聞きながら、俺は木に寄りかかって眼をつぶった。 木漏れ日が実に暖かい。 優しい風が俺の頬を撫で、髪を揺らしている。 うん……実にいい……。 俺が眠りに落ちるのに、一分とかからなかった。 夢を見た。 懐かしい夢だった。 辺りは暗闇、空には月が。 「……勇者様」 白いドレスを着た女性がいた。 腰まで伸びた美しい金髪が、夜風に吹かれてほんの少し揺れる。 俺は腰に剣をつり下げたまま、暗闇と戯れる彼女を眺めていた。 彼女の声を、俺の耳が欲していた。 ああ、懐かしいな。 何年前のことだろうか。 「姫……」 話自体は陳腐だったものの、俺は彼女のことが本気で好きだった。 長く生きてきて、色んな女性を愛してきたけれど、彼女は一番最初に本気で愛したヒトだった。 そして一番最初に救えなかった女性だ。 彼女とともに王城のテラスで見た星空は、今でもはっきり覚えている。 「父は……父はきっと私たちのことをわかってくれます」 彼女が俺に寄りかかってきたときの心地よさも、体温も、涙の色も鮮明に覚えている。 俺がまだ勇者になったばかりで、まだ多くの人間性を持っていたときの話だ。 魔王を倒し、魔族を屠り、人間を救った……一番調子に乗っていたときでもある。 当時の俺は何でも出来ると思っていたし、いつかは必ずハッピーエンドを迎えられると思っていた。 恋に酔っていたことも、失敗したことの一つの要因だったのかもしれない。 「そうですね、きっと俺たちは……」 バカみたいな笑みを作って、空を見る俺。 俺以外に頼れる人がいないヒトの体温を感じつつ、俺は彼女以外のことを考えていた。 愚か過ぎるといえばそうなんだが、これを愚かとだけ言って斬り捨てるのは、人間性の否定に他ならない。 当時の俺に、もうちょっと上手く立ち回ることができたら、現状も少しは変わっていただろう。 最低でも彼女を連れて逃げる甲斐性があれば、彼女をあんな目に合わせることはなかったろうに。 「勇者様……」 「姫……」 世界を救った勇者と、救われた国の姫、か。 初心だった頃の俺が交わした、唇が触れるだけのキス。 今でもあれ以外で、あれほど濃密に他者と心を交わしたキスはない。 「師匠、終わりましたー」 ケイトの声がした。 途端に眠りが醒め、今まで見ていた夢はうたかたに消える。 「師匠、師匠ってば」 起きるのは面倒で、体を揺さぶられるがままにして、狸寝入りをする。 こう心地よい眠りを味わったら、目を開くことさえ酷く億劫になる。 「もう、ししょーっ!」 起きない俺に痺れを切らせて、ケイトはやけになって力一杯揺さぶってきた。 ケイトが俺に近づいたせいで、汗の臭いが鼻腔一杯に広がる。 これが男だったら、何すんじゃボケェッと飛び起きてぶん殴るところだが、 別に女、それも見た目のいいものだから特に気にならない。 「……起きない……全っ然、起きない……流石師匠、っていうべきか。 動かざること山の如しだわ」 ようやく諦めてくれたのか、ケイトは俺を揺さぶることをやめてくれた。 ただ、俺を放っといてはくれないらしく、その場で座り込んだ。 「んー……確かに今日はぽかぽか暖かくて、眠くなりそうな陽気よねえ」 今更気付くだなんて、ケイトもまだまだだな。 百年くらい生きてみれば、今日の昼寝の適温っぷりはわかる。 えーと……ああ、そういえば人間の寿命って百年もないか、じゃあ俺の境地まで立てないわな。 「でもあれほど揺さぶっても起きないなんて異常よね。 師匠、強いし、若いし、なんか悟っちゃってる目してるし、最初から異常といえば異常なんだけど」 ほっとけ。 「本当は起きてるんじゃないかしら?……寝たふりしてる?」 再びケイトは俺の顔に近づいてきた。 寝息やら何やらを感じ取って、眠っているかどうかを確かめているらしい。 ふっ、無駄な事よ。 狸寝入りは勇者の必須スキル。 熟練レベルに達している俺に、ケイトが気付くはずもない。 「寝てるわね……本当、ぐっすりと」 ふん、その通りだ。 俺は寝ているんだ、だから早くあっちいけ。 今こうしている間にも、絶好の昼寝タイムは刻一刻と減りつつあるんだ。 一秒がダイヤモンド一粒に匹敵する黄金の時間を無駄にしたくはない。 「……起きないわね」 そうだよ、起きないよ、だからあっち行け。 俺のあっち行けという心の奥底からの念は、ケイトには通じなかった。 不出来な弟子を持って俺は不幸だ。 ケイトはあっち行くどころか、顔をますます俺に近づけてきた。 このままじゃ、顔が触れるぞ。 目を開いてないからよくわからんが、気配が顔の前に来てる……。 「……」 「……」 「……」 「……」 ……。 「起きない、わよね……」 あれれ? ケイトって俺にそーゆー感情を抱いていたのか。 普通の師弟関係だと思ってたんだけどな。 やっぱり俺の感性が鈍っているせいか、見抜けなかったようだ。 「やっぱり起きない……」 ケイトの声は心なしか残念がっているようだった。 いや、俺の気のせいかもしれんが。 「……私も昼寝しよう。師匠、膝を借りますよ」 ふうむ、流石に、もう、起きた方がいいかな? ケイトの気配がもそもそと、横になって俺のフトモモに頭を乗せようとした直前に足を動かした。 ケイトの後頭部は空を切り、地面の木の根にぶつかる。 「あ、いたたたた……」 直後、目を開いた俺と、目が合った。 地面に転がっているケイトを、木に寄りかかっている俺が見下ろしているような格好になる。 ケイトはきっかり五秒ほど、硬直していた。 「し、しししししし、ししょーっ!お、おおおおっ、おきてらしたんでしたきゃかかかか」 「言葉になってないぞ」 「い、いひゅ、いひゃから、いつからおきてらっしゃりんらから」 いつから起きてらっしゃったんですか、か。 あまりに慌てすぎて、呂律が回ってない上に舌を噛みまくってるせいで言語が崩壊をきたしている。 「いつからだと思う?」 「いつ、いつ?え、っと、わ、わかりません……」 「最初からだ」 「最初、最初……え、えっ、ええええええええええええッ!じゃ、じゃあッ!」 「いやあ、ケイトは変わった性癖を持っているようだな」 「や、やあああああああッ!」 ケイトは顔を真っ赤に染めてうずくまった。 両腕で顔を隠して、なにやらよくわからない言語をうめいている。 精神的七転八倒状態とでも言うのだろうか。 「まあまあ、ケイト、落ち着け。顔を上げろ」 うずくまっていたケイトの肩に手を当て、優しい声を掛ける。 ケイトは肉団子みたいに丸まった状態から、ちらと顔を出し、すぐまた隠す。 そしてその後、うあーんと声を上げて余計に体を動かし始めた。 「十秒だけお前に猶予をやろう。その間に走って逃げるんだ」 わかったか、と言うとケイトは少し顔を出してこちらを見た。 俺がこんなことを言い出した意図がわからないようだった。 まあ、通常のやり方じゃないというのは俺だってわかっている。 「ほら、うずくまってないで早く逃げる準備をしないか。十、九、八、七……」 「わっ、わわわッ!」 ケイトはただ焦って言われるがままに立ち上がり、俺に背中を向けて、全速力で走り出した。 両手で顔を隠しつつ、そのせいで時々転びそうになりながらも一目散に逃げていく。 ふむ、きっとケイトは混乱していると思って、俺の都合のいいことを滅茶苦茶言ってみただけなんだが、 なんだか予想以上に上手くいったようだ。 「も、もうお嫁に行けないーッ!」 ケイトは大声で喚きながら、森の中に突っ込んでいき、すぐに見えなくなった。 ここの生活に慣れてきたことだし、我を忘れているというものの危ないところまでは行かないだろう。 やれやれ……最後まで騒がしいヤツだったが、これでようやく落ち着いた。 「……また変なことに巻き込まれないようにしないとな」 木の下という、目立つ場所で昼寝をしていたからいけなかったんだ。 要は見つからないところで昼寝をすれば邪魔も入らない。 ふむ……木の上、ってのもいいな。 ちょうど俺が背にしていた木は大きさといい、高さといい文句なしの逸材だった。 この木に登って眠ることにしよう。 「とうっ!」 地面を軽く蹴ると、数メートルの距離を飛び上がる。 すかさず手を伸ばして木の枝を掴み、そのまま反動を付けてよじ登る。 出来るだけ太い枝に跨り、幹に体重を掛ける。 俺の体重に負けて折れたりはしないみたいだし、余程強い風でなければ揺れることもないようだ。 あとはロープがあれば、俺の体を縛って、寝ている最中に落ちないようにすれば万事OKだが、 残念ながらそこまで用意していなかった。 まあ、落ちたところで多少痛いだけだから大丈夫だろう。 うん、より近くに感じられる木漏れ日と、頬を撫でる風が実にいい感じだ。 このまま、昼寝を楽しむことにしよう。 今度は陰気な夢なんて見なけりゃいいな。 ゆるゆると、睡眠という俺には生きるために必要不可欠でなくなった生理状態に陥ろうと目を閉じた。 いくらでも寝ていなくてもいい体になったとはいえ、眠ると頭がすっきりするし、ストレスも落ちる。 一日中起きていてもやることはないし、どちらかといえば寝ることは好きだ。 しかし、一度起きてしまったため、いくら陽気がよくてももう一度寝付くことが中々できない。 ううむ……ケイトめ……余計なことをしてくれたッ! ケイトを恨んでもしょうがないので、目を閉じ、風が俺の頬を撫で、木の葉を揺らす音に集中してみることにした。 すぐさま寝ることが出来る、というわけではないが、これはこれでいいかもしれない。 しばらくゆるゆると心地よい状態に身を任せ、時間の感覚が次第に無くなっていく。 ……。 「どうしたの、ケイト姉さん?」 「あ、いや、さっき師匠がこの木のところで寝ていてな……ひょっとしたら近くにいるのかな、って思って」 また邪魔が入ったッ! はっきりとした意識が蘇ると、木の下に三つの気配があることに気が付いた。 あの三人娘が、集まって、なにやらこそこそ話している。 「そういえば、さっきのケイトの叫び声が聞こえたけどどうしたの?」 「エレノア姉さん……い、いや、別に何でもなかったよ……」 「ケイト姉さんは『お嫁に行けない〜』って言ってたから、想像に難くないけど」 「きゃ、キャロルッ!だ、黙れよ!」 思ったより騒がしい。特にケイトが。 ようやく気分が良くなってきたというのに、またダメになってしまった。 「で、何でまた今日は呼び出したんだ?キャロル」 ……ケイト、こいつ俺のいないところだとちょっと言葉遣いが荒いな。 まあ、どうでもいいけど。 「いえ、ちょっと……先生達のことでね」 キャロルの言う先生とはあいつのことだ。 あいつを魔法の先生として師事しているからな。 ケイトが俺のことを師匠と呼ぶのと同じ理由だ。 ……何故かキャロルは俺のことを『お兄様』などと呼ぶんだが……。 エレノアとケイトはあいつのことを『お姉様』と呼んでいるので同じノリなんだろうが、 『お兄様』って俺の柄じゃないし、呼ばれるたびにどことなく面はゆい。 前にそれとなく、お兄様って呼ぶのやめろ、って言ってみたが、ニッコリ笑ってスルーしやがったからな。 あんまり深く突っ込むと、今度はあいつが俺のことをお兄様と呼び始めるような予感がするので、やめておいた。 ……ううっ、想像しただけで寒気がする。 「ケイト姉さんは先生達のこと、どう思う?」 ……あれまあ、なんというか出ることが出来なくなるようなお話をするみたいで。 気付かれないようにこの場から立ち去ることも出来るっちゃ出来るが……うーん、聞いていこうかな。 あんまり趣味のよくはないが、俺だってやっぱり他人からどう思われているのか気になる。 「どう、って言われてもな」 ケイトはうーんと唸って腕を組んだ。 「師匠は強い」 強い、って言われても俺としてはあんまり嬉しくない。 もちろん自分で鍛えたのもあるが、ほとんどが神の力によるパワーだからな。 強さが生きることも、最近は滅多にないしな。 「強さの底すら見えないほど強い。 今日も手合わせしてもらったけど、見合った瞬間絶対に負ける、ということがわかるほどだった。 しかも、それでいて師匠自体は全然本気を出していないというか……。 師匠がその気になったら、私なんて三秒と経たずに殺されちゃうんじゃないか、ってそんな風に思えてくる」 俺がその気になったら、残念だけど三秒も経たずに殺せちゃうんだけどな。 まあ、ここまで見抜けていただけでもケイトもいい目をしていると言える。 「あとちょっとジジ臭い感じもするかな」 ……今度、起きあがれなくなるくらい相手してやろうかな、ケイトには。 「若いくせに達観しすぎているっていうか。万事に冷めているような感じがする。 はっきり言って、情熱が足りない。かといってクールっていうわけじゃなくて……ジジ臭い」 ケイトの言うことも一理あり、俺自身万事に冷めていることをわかっている。 だって、大抵のことはやりつくしちゃっていて、どれもこれも新鮮さを感じられないんだもの。 無駄に熱くなって疲れるより、適当にやって休んでいた方が楽なんだもん。 実際、年齢はジジ臭いってレベルじゃないしな。 「……なるほど、ケイト姉さんは精神的おじさん趣味だったわけ」 「な、なッ!何を言うんだキャロルッ!」 「ちょっ、ね、姉さん、ちょ、チョークとかやめてよ!締まってる、締まってる!」 その場でキャロルを締め上げ始めたケイトを、エレノアがたしなめる。 キャロルはここに来た日から、ケイトやエレノアなんかより精神的にタフだったが、 あいつの影響からか、性格がちょっとずつこう、ちょっと、なんか嫌な感じになってきてしまってる。 「こほん、それで、ケイト姉さんは先生のことはどう思う?」 「先生?ああ、お姉さまのことか……正直なことを言うとちょっと怖い人、かな」 それには全面的に同意できる。 ただあんまり迂闊なこと言い過ぎると、消されちまうぞ、ケイト。 「むーっ、それはケイト姉さんの脳みそが筋肉で出来てるからじゃないの?」 「な、なんだとっ!」 「いつも黒い服着てるし、部屋の趣味も悪いし、足音立てずに歩いてるけど……。 でも、先生だってちゃんと優しいところもあるのよ」 「そうなのか?あの人、無口だからあんまり話したことないしなー」 「無口、っていうのは偏見よ。 確かに私にも必要以上のことはあんまり話してくれないけど、お兄様とはよく一緒に話しているもの」 「……ふーん、そうなのか」 ケイトの声のトーンが一段下がった。 キャロルはそれを察したのか、ささっと話題を転換すべくエレノアに話しかけた。 「エレノア姉様は、先生達のことはどう思う?」 「うーん……私は強いとか頭がいいとかあなたたちよりわからないけど、とにかくご主人様もお姉様も恩人ね。 本来奴隷として扱われるはずの私たちにとてもよくしてもらっているもの」 「そうね、先生達の対応があまりにも普通過ぎるから忘れかけてたけど、 私たちはお兄様にも先生にも一生かかっても返せきれないくらいの恩があるのよね」 俺としては別に気にしてないけどな。 食い扶持が三人増えたところで、どうってことはない。 剣術を稽古してやってるのも、俺の暇つぶしだし、 あいつが魔法の勉強をつけてやってるのも、自分の研究を手伝わせるためだからだ。 それに、色々と事情もあるしな。 「でね、ケイト姉さんにエレノア姉様。お兄様や先生の名前って、知ってる?」 「いや、師匠は私がいくら聞いても名前を教えてくれない。 あれほど腕の立つ人なんだから、それなりに有名な人だと思うんだけど……。 お姉さまの方は、尋ねたこともないな。エレノア姉さんは?」 「私も……ご主人様に聞いても、その度に笑って誤魔化されてるわ」 ……んー。 こんなことを言い出すなんて、キャロルのやつはもうわかったのかな? ま、いずれバレることだしな。 「私も先生やお兄様に名前をいくら聞いても教えてもらえなかったわ」 俺の名前を教えて欲しい、と一番しつこかったのはキャロルだ。 エレノアは俺に遠慮しているのか、一度教えなかったら二度と聞いてこなかった。 ケイトは俺をさぞ高名な剣士だと思って聞いてきたが、しばらくすると忘れてしまった。 キャロルは俺に遠慮もしないし、忘れもせずに何度もしつこく聞いてきた。 あんまりにもしつこいから、一時期顔を合わせるたびに俺の方が走って逃げ出さなきゃならなかったほどだ。 「弟子入りして、こっそり先生が書いた論文なんかを読んでみたけど、 現在の魔法技術の数百年先に行ったものを平然として使っているの。 中には魔法関連の業界が、一晩にしてひっくり返るといっても過言じゃないようなものも、 先生の部屋には無造作に積まれてるの」 ふーん、そうなのか。 いいよなあ、あいつは。 空よりも広く海よりも深い学問を、飽きることなく探究できて。 剣術なんていくら鍛えても確実な限界がくるし、 そもそも鍛えたところで張り合える相手が魔王とその部下一くらいしかいない上、 魔王は数十年に一度しか戦えず、部下一の方とはもう本気で戦えない。 その点魔法の研究ってのは、役に立ったりするから楽しいんだろうなあ。 俺も魔法は使えるけど、理論があーだこーだとかいちいち考えずに、感覚だけで使ってるからな。 使える魔法も、ほとんど攻撃魔法だけだし。 いまさらあいつに頭下げて教えてくださいってお願いするっていうのもイヤだから、 趣味として料理に逃げたわけだが。 「ただの天才、ということすら出来ないレベルなのよ。 先生の外見年齢から言って、赤ん坊の頃から研究をしていたとしても、 あそこまでの境地に立てるわけがないわ」 その場でキャロルはなにやら専門用語を交えながら、捲し立て上げた。 実現不可能とされていた魔力永久機関の創造やら風邪、水虫、癌の特効魔法薬なんかの発明品とか、 そういったことを熱く語り始めた。 それにケイトは興味なさげに欠伸をし、エレノアはいまいちわかっていないのか、首をかしげている。 魔法の学問ってのは高度なので、一般人にとっての反応はこんなもんだろう。 「で、要するに何なんだ?師匠とお姉さまの話してたんだろ?」 「っと、そうだったわね。先生はただ天才というだけでは説明できないモノがあるのよ」 「はいはい、お姉さまがすごいってことはよくわかったよ。毎晩のように聞かされてるから」 「先生が書いた本やら論文を計算してみると、何十年不眠不休で書いたところで絶対追いつけないくらい量があるの。 だから、先生もお兄様も私たちとはあまり年齢が違わないように見えてるけど、 本当はもっとお年を召しているんじゃないかなあ、と思ったのよ」 「はあ?」 「どういうことかしら?」 「先生とお兄様が私の予想通りの人物だとしたら……四百年以上生きている人なのよ」 おおっ、まさに的中だ。 「……キャロル、師匠達をネタに使って私たちをからかおうとしているんだったら許さないぞ」 「そんなことするわけないじゃない!ある程度、裏付けるようなことを調べて言っているんだから!」 「でも四百年以上生きていられる人なんて……」 「今の魔法技術であれば、百五十年ほどまで生きられる延命魔法があるわ。 それとは別に、『奇跡の人』スタマール氏は、延命魔法無しで三百年生きた普通の人間よ。 もっとも行方不明になっただけだから、今も生きている可能性もあるのよ」 おっ、スタマールか。 これはお馴染みだ。 俺が勇者になって、魔王を討伐する間に知り合ったヤツだ。 ただの人間のくせにやたら長生きしている謎なヤツだった。 俺らと違って緩やかだが年をとって、最後に会ったときは爺さんだった。 爺さんっていっても元気溌剌で、米二俵担いで平然とフルマラソンできるスーパー老人だったがな。 どこにいても必ず俺たちの居場所を察知してきて連絡をよこしてくれたり、 永世勇者補佐のあいつですらもスタマールの情報源やら長命の理由を理解できなかったり、 不思議を通り越して気持ち悪いヤツだったけど、嫌な伝説が残っている俺達の数少ない理解者だった。 最近、遊びに来ないと思ってたけど、行方不明になってたのか。 ……ひょっとしたら逝ったのかもな。 死に際を人に見せるようなタイプじゃなかったからな。 ま、スタマールに関しては死んだと思っても忘れたころにひょっこり顔を出すヤツだったから、 生きている可能性も十分あるがな。 「でも、四百年以上ってのは、ありえないだろ。 私も『奇跡の人』の話は聞いたことあるけど、あの人、ちゃんと年を取っていたじゃん」 「もし実在したならば、たった二人だけ年を取らない人がいるのよ」 「それは……誰?キャロルちゃん」 「『名無し』よ」 流石はキャロル。 とりあえずそれなりに幸せで頓着していないエレノアと、剣術ばっかに打ち込んでいたケイトとは違うな。 憶測で物を言うタイプじゃないから、いくらか手がかりも掴んでいるんだろう。 「『名無し』……『名無しの二人』『ノー・ネーム』様々な言われ方があるけど、『名無し』が一般的ね。 『名無しの勇者伝説』に出てくる神に任命された若い男の勇者と、若い女の補佐。 四百五十年ほど前に現れ、魔王を打ち倒し、勝利をもたらされたとされている存在よ。 彼らは神から不滅の肉体を得て、その代償として、名前を失った……。 何年経とうが年を取らず、死ぬこともない存在。 ……先生とお兄様が名前を名乗らないのではなく、そもそも名前がないのならば説明がつくわ」 「ば、バッカバカしい。名無しの勇者伝説みたいな御伽噺が本当だと思っているのか?」 「歴史家の中では名無しの勇者伝説は実際に起こった出来事だと認める人もいるわ。 中央図書館で起こった火災のため、当時の資料はほとんど残っていないけど、 各地に断片的に、名無しの勇者伝説が実際に起こったことを裏付ける文献がいくらか見つかってるわ。 第一、ケイト姉さんだって名無しの勇者伝説は本当のことだと信じていた人だったじゃない。 第百十二回武闘大会での優勝賞品が名無しの勇者が使っていたとされる『名の無いの剣』だった、って」 「あれが本物の『名の無い剣』だった証拠はないだろ! 私たちが生まれるずっと前の武闘大会だったし、 優勝者がそのまま姿を消して、結局本物かどうかわからなずじまいだったそうだし」 「私がそれをケイト姉さんにいって、絶対本物だ!と言い張ったのはケイト姉さんなんだけどね。 それに、その大会だけ群を抜いてハイレベルな選手が参加してたのに、優勝者は当日参加者の無名の剣士。 東洋の武器『ジュッテ』なるものを使って、全試合相手選手の武器破壊をして勝ち抜き、 尚かつ、当時武闘大会の公営ギャンブルで悪行を働いていた地下組織を準優勝の女剣士とたった二人で壊滅に持ち込み、 副賞の賞金を惜しげもなくばらまいた上、決勝戦で人間離れした勝負を見せた女剣士と翌日結婚宣言をし、 庶民の人気が最高潮に達していたのに、更にその翌日に逃げた人だったんだけどね。 もちろん、本物の名無しの勇者が自分の剣を取り戻すために大会に参加したっていう話は今でも聞くし、 その人は『名前を覚えさせられない呪い』という、本当にそんな呪いがあるのか疑わしい呪いにかかってたらしいわ。 お金に執着していないってところが、私たち奴隷三人を買って、特に何もさせない誰かさんに似てない? その上、私、『名の無い剣』にすごく似ている剣をこの家の空き部屋の中で見たことあるんだけど」 もちろん、その大会優勝者は俺だ。 いやー、自分の剣なのに数百年放りっぱなしにしちゃってて、 たまたま王都に行ったときに優勝賞品にされてたのを見てびっくりして参加したんだよね。 その際なんかもう色々と大変な目にあったんだけど、それはまた今度の話にしておこう。 「じゃあ、なんなんだよ!師匠があの『三つ首の悪魔』だと言うのか、お前ッ!」 「そうじゃないわ、姉さん」 「うるさいッ!」 「きゃっ」 ケイトがキャロルを突き飛ばした。 キャロルは木に当たり、微かに振動がここまで伝わってくる。 「もう二度とそんなこと言うなよ、キャロル!」 ケイトはそう言い捨てたあと、その場から走って行ってしまった。 戻る |