巨大な天秤7
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シチュエーション


その森は、静寂に包まれていた。全ての生き物が、全ての自然が、音をなくしている。
中心よりやや外れた地にて、その戦場の爪跡はあった。木々がへし折れ、焼け焦げ、大地はえぐれている。その
中でたたずむは、白銀の髪の悪魔と、金色の髪の悪魔。

腹を白木の杭に貫かれた悪魔は、うつろな表情で、勝者を見やる。


「あなたも、あく、ま……?」
「はい、実は私も悪魔でした。自己紹介の際に言うべきだったんでしょうが。ついつい、忘れちゃいました」

白々しくそう言ってのけるリザの瞳は、軽い口調に反して剣呑な光を宿している。
最初から全ての情報を提示するなど、間抜けのやることである。戦闘において恐ろしいものは、不意打ちと慢心。
少なくともリザはそう思っていた。だからこそ、相手が油断していればやたらと楽になるだろうな、と踏み、事実
その通りになった。
最初から、自分も悪魔だ、と宣言していれば、恐らく相手は多少警戒したであろう。リザのこの勝利は、相手の
慢心を肥大化させたからこそのもの。その恩恵として、リザは無傷で立っている。

リザは、目と鼻の先で、杭に貫かれている悪魔をねめつける。金色の髪を流し、豊かな乳房に細い腰、ところど
ころが破れた黒いドレス姿の美女。だが、その本性は、愚にもつかぬ驕慢ばかりを肥大化させ、リザのような三流
の悪魔にも完敗する、七流の悪魔。
こんな馬鹿にイリスは殺されたんだろうな、と人間臭い思いをリザが抱えたその瞬間。彼女は、『うっかりと』
白木の杭をつかんで、上下にぐりぐりと動かしていた。


「いだい、痛い痛いいだい゛いだいぃぃぃっ!?ごれなに゛いぃぃぃぃっ!?」


悪魔の、フィロの反応は劇的だった。先まで見せていた、やたら淑女めいた姿は今や微塵もなく。涙もよだれも
鼻水も垂れ流し、口から血液を飛び散らせ、絶叫する。
そんな彼女の姿を白眼視しつつ、リザは杭をいじる手をやめ、溜息ひとつ、口を開く。


「いっつ、ぷらぐまてぃーっく、ばんかー。遠き地で、霊樹と呼ばれる神聖な巨木がありまして。その一部を削り
取り、薬草と聖水に浸したのち、教会のような神聖な場所の周辺にある土に埋めて、ちょっとしたまじないをほど
こし、九つの夜を越せば出来上がりです。
言うなれば、対悪魔用、拘束武装です。勿論、やり方をちょっと違う風にすれば、充分に殺すことも可能です。
対象の力を著しく奪うと同時、気つけの作用をも果たします。再生能力も封印可能。教会の過激派連中が、喉から
手を出して欲しがるほどの逸品。
……これに貫かれている限り、あなたは魔法も使えず、再生能力も使えず、容易に気絶することすら出来ません」


律儀に説明をして、ほぅ、と息をつくリザ。対して、フィロは、その顔面を蒼白にしてぶるぶると震えていた。

対悪魔用の武器は、作成も困難であるが、その効果も劇的である。現に、フィロの腹部の肉は戻らない。だが、
悪魔の生命力だけはどうやっても抑えようがない。腹部を貫かれた程度では死なない。
つまり、今、リザはやりたい放題できるということだ。それが何を意味するかは、フィロでなくとも分かるだろ
う。


「やだ……いやぁ……。お願い、助けて……」


涙をぽろぽろとこぼし、必死に懇願するフィロのその姿は、男性ならば大いに嗜虐芯をそそられることだろう。
汗と血で濡れた頬は、えもいわれぬ艶めかしさを演出しており、垂涎必至の艶姿、と称しても、何ら差し支えない
ほどだ。
しかし、そんな姿を見ても、リザは全く表情を変えない。むしろ、瞳の奥にある炎を、さらに大きく燃やす結果
となっている。

「自分の嫌がることを人にしちゃいけない、と先生に教わらなかったんですか?いまさら言うことじゃないです
よね、その科白。まあ、こんなことして、私が言える義理でもありませんけど」

吐き捨てるように言い、つかつかとフィロのそばまで歩んだリザは、いきなり平手打ちをかます。一度、二度、
三度。コンパクトにまとめられたそれは、リザの見た目に反して威力は強大である。みるみるうちにフィロの白い
頬は真っ赤になり、痛々しい輝きを見せる。
子供をしかるように頬をはたかれ、フィロは幼子のように、ぽろぽろと涙をこぼす。保護欲をわき立たせるであ
ろうその姿を見ても、リザは何の感慨も湧かず、無機物のように揺らがず、言葉を紡ぐ。

「ここで、どこぞの物語ならば、あなたを逃がして、強くなったあなたに私がやられるのでしょうが」

それは、もはや作業だった。リザの言動も、行動も、全て作業的であった。何の熱も入っていない、石ころじみ
た姿のリザ。それこそが、フィロの恐怖を最も刺激する要因だった。

「現実は、そうはいきません。実戦で負けるのは、死と同義ですから」
「やだぁぁ!死にたくない!お願い、やめてぇっ!」
「いや、私、初志貫徹という言葉が大好きでして」
「あの子のことは謝るからあぁっ!……あなたが、あの子の友達なのは分かったから。お願い、やめてぇ!」

すんすんと鼻をすするフィロの言動は、勝手も勝手だが、情が深い者ならばころりと許すのかもしれない。もし
も、寛大な心を持つ者だったら、説教のひとつやふたつで済ませるかもしれない。

だが、リザは悪魔である。それも、初志貫徹という言葉が大好きな。極端な話で言えば、リザは死刑推奨派であ
る。懲役なんぞ考えない。囚人が更生する可能性を、はなからゼロと決め付けている。それは、正義の味方や勇者
や英雄にあるまじき考えなのかもしれないが。


「正義を語る気はありません。理由づけをする気もありません。私は、あなたをただひたすらに蹂躙する。それだ
けが目的です。どんなに精神的な理由や要素があろうとも、物的事象には影響しません。私は初志を貫き通す。た
だそれだけです」



ことここに至り、ようやくフィロの方も事情を察することが出来た。よもや、よもやよもや、リザが悪魔とは思
いもよらなかったのである。何故ならば、悪魔らしい、びりびりと肌を刺すような殺意と敵意、敵愾心や暴力性、
それらが全く感じられなかったからだ。

しかし、彼女は思い違いをしていた。リザは、今まで『人間らしくふるまっていた』だけだったのである。その
暴力性を、闘争心を、攻撃性を、理性か何らかの精神的な防壁によって、抑えこんでいただけの話だったのだ。つ
まり、フィロは、竜の巣穴に手を突っ込んでしまったのである。愚行、まさしくそれは愚行であった。
しかし時は戻らない。ようやく、フィロは、自分と同族の――それも自分よりはるかに強い――存在の逆鱗を、
いじり引っかき唾吐いた、ということを悟った。


「さあ、悪魔のおあそびに付き合ってもらいますよ、悪魔様?」


皮肉たっぷりにそう言ったリザは、つかつかと歩んで、フィロから距離を取り、右手を広げて集中し出した。
同時、その小さな五指の付け根から、どどめ色の霧が発生する。

フィロの顔は凍った。見覚えのあるその霧は、冥界の生物を召喚する際に発生するそれだからだ。ただ、規模が
フィロとは全く違う。段違い、いや、格違いである。濃霧のような規模のそれは、またたく間に、リザを、フィロ
を、木々を、森を覆っていくのだから。
このような規模の霧を発生させることが出来る悪魔など、フィロは知らない。だからこそ震えが止まらない。目
の前にたたずむリザが、その無機質な姿が、この上なく恐ろしいと彼女は感じていた。


「なんで……なんでこんなに!?なんでこんなことが出来るのに、人間と……!」

何故、人間風情と友人なのだ、という言葉を飲み込むフィロ。だが、それはリザの瞳に察知された。それに怒る
でもなくあきれるでもなく、ただ静かにリザは、霧を生み出し続けながら言う。

「私、長いものには巻かれるんですよ。だって、私は絶対、人間には勝てませんもの。だから人間に溶け込み、人
間をまねして生活していましたが……、まあ、情が移ったんでしょうね」

情、というものを語る瞬間だけ、リザは少しだけ目を細め、石ころの雰囲気を霧散させた。が、それも一瞬のこ
と。すぐに、氷のような鉄のような空気を発生させる。

「そりゃあ、悪魔の力を使えば目立つでしょう。力を誇示することが可能でしょう。だから嫌なんですよ」

溜息、ひとつ。

「目立つのは嫌です。力を誇示するのも。思うがままに暴威を振るい、暴力を振るい、つかの間の充足感を得たと
しても、いつか自分より強い者に殺されることでしょうから。私なんぞを片手であしらえる輩なんて、それこそ、
ごまんといるでしょう。私のようなザコは、小さな町で昼寝しているのが似合いなんです」

では、その、雑魚たる彼女に負けた自分はどうなのだ、とフィロは思った。

完敗、という言葉すら生ぬるいほどの敗北。こちらが放った雷はひとつとして通らず、対して、リザの放った蛇
腹の拳打はこちらの五臓六腑を痛めつけ、骨肉に悲鳴を上げさせ。どう、と自分が地に倒れ伏した瞬間に見えた、
リザの神々しくすらある可憐な姿を、フィロは生涯忘れることはないであろう。
憎悪を覚えるほどに美しく。怨恨を覚えるほどに凄艶で。殺意を覚えるほどに可憐な。その、リザの姿を。傷ひ
とつすらない、絶世の美貌を。


「私はただ、のんびりと生活したいだけなんですよ。おしゃべりと惰眠が恋人ですから」


そう言って、リザは――笑った。


その笑顔は、まるでひとつの絵画のように、美しく、凄艶で、同時にまがまがしくもあった。内なる黒い炎を、
笑顔という名の牢獄で閉じ込めているかのよう。にじみ出る悪意と憎悪と怨恨の色彩は、まさしく皆、同じような
所感を抱くことだろう。


恐ろしいほどに綺麗な笑みだ、と。

「ぅあ……ぁあ……」

崩れ去る。がらがらと。フィロの矜持が、瓦解する。
彼女が今まで生きてきた全てが。彼女が形づくってきた、己だけのルールが。

「自分なんて、この世界の中で生きる、無能なひとりに過ぎません。誰かに料理を作ってもらって、誰かの作った
家に住んで、誰かがデザインした時計を使って。太陽と月の恩恵を受け、朝と晩を確認し、生活サイクルを形成す
る。間接的に、私たちは様々な人たちの、自然たちの、様々な恩恵を受けて生きているんです。
……なんですか?もしかして、自分ひとりで何もかも、なんでも出来ると思っていたんですか?私が言う権
利はありませんが。……ずいぶんと盲目的ですね、それ」

リザは、瞳に浮かばせた光を色濃くし、残る左手で器用にふところからぬいぐるみを取り出し、装着する。その
不細工なワニのぬいぐるみの姿さえも、今のフィロには、矜持をへし折るための刀剣類にしか見えない。何故なら、
そのぬいぐるみは、リザの絶対優位性を物語る、明確な証だからだ。

「私は弱いんですよ。ヘボで、駄目女で、身勝手で、どうしようもないほどに価値の薄い存在です」

自嘲の言葉ではあったが、確認の言葉でもあった。リザは、自分に言い聞かせるように、言った。


「そんな私が出来ることなんて、少しだけ。薬を売ること、腹話術をすること。……暴力を、振るうこと。それく
らいしかないんです。それくらいしか、出来ないんです。幼子を庇護できるわけでもなく、誰かの望みをかなえら
れるわけでもなく。悪魔は、所詮、悪魔なんです」


歌うように、なめらかに語るリザを見て、フィロはぶるぶると震える。それは、単純な恐怖ではない。
彼女を彼女たらしめていた、悪魔の力。それを真っ向から否定され、自意識そのものが揺らいでいるのだ。物理
的にも、精神的にも、追い詰められ、いつの間にやらフィロは足すらも震わせていた。




やめろ。それ以上言うな。それ以上言ったら。

世界が。私の世界が。私の矜持が、アイデンティティが、すべてが。




そう考えつつも、リザに痛めつけられた彼女の心と体は、動いてくれない。
フィロの身は動いてくれない。指一本すら、微動だにしない。


そんなフィロを嘲弄するかのように、リザの左手に装着されたワニのぬいぐるみが動く。がぽがぽ、と癇に障る
音を立てて、アゴを動かす。その一連の動作すら、今のフィロの心のひびを広げるには充分過ぎた。

「リザっちだって、色々な人間に助けられて、どーにかヒィヒィやってんのさっ!感謝こそすれど、蔑むいわれ
なんて、寸毫微塵たりともねーよなァ!人間様のおかげで、なんとか助かってんだぜぇ!?」

そのぬいぐるみを追うようにして、リザは、わざとらしく盛大な溜息をつく。

「まあ、料理の才能が壊滅的にないですからね、私。おお情けない情けない」

ざん、と音を立てて、リザがフィロに一歩近付く。右手からどどめ色の霧を出したまま、左手にぬいぐるみをは
めたまま。そのちぐはぐな、滑稽ですらある姿さえ、フィロにとっては心に絶望しかもたらさない。まさしくそれ
は悪魔。そう、悪魔の姿だった。

「いや、やめて、やめて……」

また一歩、近付く。リザとフィロの距離が、縮まる。

「暴力は暴力で、というのが自然界の基本ですけれど。社会という共同体を形成した人間たちは、同族殺しを禁忌
とし、様々な糸を形成しました。絆、信頼。それはとても細くもろく、愚かしさのみで形づくられたものでしょう
けれども……私たち悪魔は、そんな愚かしい糸に、負けたんですよ」

また一歩。さらに一歩。

「皆が皆、綺麗な人間じゃありません。腐った残飯のような人間だっています。人は裏切る生物です。信頼をゴミ
のように捨て、自分だけが甘い汁をすすり、それによって恨みを買った人間に殺されても、理解すら出来ない人間
なんて、ごまんといます。それでも、ね……、私みたいな駄目女を、慕ってくれる人間もいるんです」

詰める。歩いて距離を詰める。

「私は、負けてしまいました。人間たちに、負けてしまいました。社会面で、生活面で、精神面で、色々な面で助
けてくれる友人たちの『親切心』に負けてしまいました。でも……、とてもとても、清々しかった。人間に負けて、
とてもとても、嬉しかった。そんな経験は初めてで……それでいて、最高の気分でした」

斟酌の間に縮まる。

「人だけではありません。悪魔だって、ひとりでは、生きていけないんです。月並な言葉ですけど」

リザは、そっと左手のぬいぐるみをフィロの眼前へと伸ばす。ぱこぱこ、と音と立ててアゴが動く。
次いで、ひと呼吸おいて、決定的な言葉を、

「そんなことすらも気付けねェから、テメェは、リザっちみたいなザコより」

ぬいぐるみと一緒に、

「弱いんですよ」

言った。




――フィロの世界は、崩れた。



「う……」

金髪の悪魔は、うつむく。それと同時、リザが彼女から距離を取る。何か、爆発するだろうと踏んでだ。

「うるさい!うるさいっ!うるさぁぁぁぁい!黙れぇぇっ!!」

案の定、と言うべきか。砕け散った矜持を認めたくないため、八つ当たり気味に絶叫するのは、リザの想定の範
囲内である。フィロのもつ、驕慢をへし折り、その傷口を蹂躙することを目的としていたが、この様子ではそれも
無理なのかもしれない。叫ばれ続けて終わりであろうから。
目的は、半分達成といったところか。そう思いながら、リザは、次の目的を頭の中に浮かばせる。その準備は、
ほとんど終了している。

「嫌です。どうせ黙るのは、あなたの方でしょうし。私、別にあなたに意見を同じくさせたいわけじゃないので」
「何を……?」

フィロの質問には答えず、リザは右手に力を込めて、五指をぶるぶると震わせる。

「冥界生物召喚術の際に発生する霧は、実のところ、認識疎外の能力があるんですよ。勿論、人間が頑張れば、す
ぐさま壊されますが。……ご先祖様は、この秘奥を、他の種族に見つかることを恐れたんでしょうね。なんだかん
だ格好つけたこと言ってたくせに、内心ではビビっていたんですよ。おお情けない情けない」

リザがそう言うかたわらで、フィロは悔しさのあまり歯を食いしばり、ぎりぎりと音を鳴らしていた。
ふざけたその口調とは裏腹に、リザの右手からほとばしる紫の濃霧は、恐ろしいほどの集中力で練られたそれで
ある。フィロの召喚術が、子供だましとしか思えぬほどに濃厚な霧。それが、両者の力量差を如実に物語っている
ようでもあった。
だからフィロは歯噛みする。白木の杭に腹部を貫かれ、その能力をほとんど封印されても、なお。それはリザへ
の抵抗の心があらわになったものであろう。

だが。悪魔は、傷口を踏みつけ、えぐり、蹂躙することに迷いはない。

「……お願いします。とあぁーっ」

気の抜けるかけ声と同時、リザは、その右手を地面に叩きつける。ばしん、と豪快な音が鳴ると同時に、リザの
手を中心に、旋風が渦巻き、周囲の木々をざわめかせる。霧はなおのこと濃くなるも、周囲の景色は揺らがず。吹
き荒れる風と、吹き荒れる濃霧。
ほどなくして、風は止む。霧は濃さを取り戻す。


「力を貸してください。報酬は払います」


フィロが瞠目するかたわらで、リザは背後を振り返りながらそう言った。

そこにいるのは、黒い体躯の男たち。身長は、リザと比べれば子供と大人ほどの差があり、身を包む筋肉も厚い。
腕は太く、足も太く、股間の生殖器も勃起すらしていないのに、かなりの大きさである。しかも、男たちの背には
皆、一対の翼が生えており、顔立ちも皆違う。口からはちらりと牙が見え、さながらそれは、絵本で描かれている
『悪魔』そのもの、といったいでたち。
数にして七。屈強な男たちのその姿は、妙な威圧感すらある。リザの小さな姿が、これ以上ないほど脆弱に見え
てしまうほどに。

だが、男たちはリザの姿を見るなり、そろってひざまずく。まるで王に忠誠を誓う騎士のごとく。そんな光景を
見て、フィロは顔をしかめた。
悪魔だけが使えるこの召喚術は、術者の力量によって、現れる生き物が違う。姿やかたちは同じでも、理性があ
るのとないのとは別物のように。リザのそれとフィロのそれとは、天と地の違いほどあった。それがフィロのへし
折れた矜持を、さらにさらに踏みにじる。

「報酬とは?」
「仕事と兼用です。私の後ろに、力を封じられた悪魔がいます。彼女を犯してください」
「……いいな、それは。簡単で、実にいい」
「引き受けてくれますか?」
「ああ」

事務的に言葉を交わすは、リザと、ひざまずいた男たちのうちのひとり。黒い体躯をうごめかせ、子供にしか見
えぬ容姿のリザと、真っ向から対峙する。
そうして、数秒。男たちがいっせいに立ち上がり、リザの横を抜けていった。

「ああ、あと。彼女、処女なので、なるべく乱暴にヒーメンをブチ破ってください。私は木の陰からのぞいていま
すね。臆病者ゆえ、他者をいきなり信用するとか無理なんで。あと、条件を言い忘れました」

七人全員がリザの横を通り過ぎた際、振り向きもせずに彼女は言う。感情ひとつ入れず、あくまで事務的に。そ
の言葉を受けて、男たちのうちのひとりがリザの背を見、にやりと笑った。

「おお、怖ぇ怖ぇ。さすが悪魔様だぜ。で、条件って何だ?」

軽い口調。そこに敬いの気持ちは微塵もない。だが、それでもリザは全く態度を変えず、

「殺してはいけません。わめいてうるさいようだったら、歯をへし折るなり、腕をねじり切ってそこに焼き串をぶ
ち込むなり、まぶたやラビアを鉋でこそげ落とすなり、どうぞご自由に」

場を凍りつかせる言葉を放った。権利など知ったことか、と言わんばかりに、さも当然のごとく。事務的である
その口調は、しかし、冥界の生物である男たちの肌を粟立たせるには充分に過ぎた。彼我の実力差と脅威を見極め
きれないフィロとは違い、男たちはすぐにリザのありようを悟ってしまったのである。
この女、やると決めたらとことんまでやる悪魔だ、と。

「……あ、ああ。分かったぜ、ご主人サマ」

あまりの言葉に震えるフィロを尻目に、どもりながら男が言えば、リザは髪を指先でくるくるともてあそぶ。

「いいですよ、無理して敬うふりしなくても。精神、壊れかけたら言ってください。気つけ薬と回復手段はこちら
で用意してあります。なるべく、廃人になる前にやめておいてください。治療、結構大変なんで。やばい状態にな
らなければ、いくらでもやっていいですよ。どうぞ精液まみれにしてやってください」

こともなげに放たれた言葉に、今度こそ、この場におけるリザ以外の者が皆絶句する。だが、リザはやはり動じ
ることはない。皆が引け腰になっている事実も気にせず、ぱちり、と指を鳴らして紫の霧をまたも出す。
瞬間、大地から伸びたどどめ色の触手が、木にはりつけとなっていたフィロの四肢へとからみつき、おまけとば
かりに伸びた最後の一本が、フィロの口腔へと飛び込んだ。

「ん゛むぅぅぅっ!?」

イリスの意趣返しじみたその行為に、フィロはもがくも、力を封じられた状態では、触手ひとつ振りほどくこと
すら出来はしない。かつて自分が使役した僕に、抵抗する余地すら奪われる。それはいかばかりの屈辱であろうか。

「すみません、最後にひとつ。杭が抜ける心配はしなくていいですよ。それは、一応、魔法の杭ですので。悪魔が
抜くことは出来ないんです。その触手……ああ、あなたたちはフラクスと呼んでいましたね。それ、一応餞別です。
媚薬効果が浸透した頃合いを見計らって、抜いてやってください」

実は、白木の杭は悪魔を一時的に拘束することしか出来ない。リザぐらいの悪魔ならば、時間さえかければ、そ
の効果をくつがえして、自分で血反吐を飛ばしながら、引っこ抜くことが可能である。ゆえに、あくまで白木の杭
は、心臓を抜いて脳を焼くという作業を確実化させるための道具でしかない。
とはいえど、フィロのような悪魔が引っこ抜けるほどに、聖なる杭は弱くない。抜こうとすれば、全身が痺れ、
指一本動かすことすらままならなくなる。


最後の餞別を終えたリザは、唖然とする男たちを尻目に、ぴょこぴょこと歩き出し、フィロからかなり離れた場
所にある木の後ろへと隠れた。そこから顔を半分、手を半分のぞかせるようにして、フィロの姿を見つめる。悪魔
のえげつなさの本領発揮である。

一方、フィロの方は、もう何も考えられなかった。絶望に次ぐ絶望。それをこれから味わうのである。口に入れ
られた触手から漏れ出る粘液は、すでにフィロの全身に回り、媚薬の効果を十二分に発揮していた。おまけに、白
木の杭だけでも拘束は充分であるのに、四肢をも拘束するそのえげつなさ。
股間がうるみ始め、背は震える。だのに自慰すらすることも出来ず、そんな彼女の眼前に、屈強な体躯の男たち。

「ぃ、ゃあ……」

弱々しく声を出す。大声を上げないのは、先程のリザの残虐発言が原因である。あの悪魔ならば、口にしたこと
を容易に実行するであろう。それも、表情ひとつすら変えずに。
フィロのみならず、男たちもそれを分かっている。だから男たちは、満身創痍のフィロを見て、にやにやと下卑
た笑みを浮かべてばかりいる。所詮、悪魔に召喚される者だ。嗜虐心のひとつやふたつ見せたところで、なんら違
和感はなかろう。

「悪いな、お姉ちゃん」
「仕事は完遂しなくちゃいけないんだ」
「そうしないと、そこのご主人にどやされそうだからな」

好き勝手なことを言う男たちを見て、フィロは、現実逃避を始めつつあった。








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