シチュエーション
![]() 「副会長、平気なんですか!?」 「うーん、まあ、こういう体験は正直な話、慣れているから。 ほらほら、みんなも帰って。心配してくれてありがとね」 「慣れているって……初耳ですよ?」 「病弱少女って、なんか陰りがあって良いわね。……冗談よ、冗談。そんなに睨まないで」 うっそりと起き上がりながら、棗はうわばきを履き、保健室をあとにした。 体はふらつくが、さして重要視するべき要素でもない。自宅に帰るまでは、いくばくかの余裕がある。 「副会長、鈍感。それに、人に頼らないから……。もっと、わがまま言って良いと思う」 保健室を出る際に、ささやくようにして放たれた書記の声。 それは棗の耳に届いていたが、意味を完全に理解することはなかった。 欠陥品を修理するよりかは、新品を買った方が安く済む時代である。 修理する場合は、そのものによほどの愛着がある場合だ。 自分は愛されていると思う棗であるが、修理されるまでの愛着を受けているとは思っていない。 勉強が出来る、運動が出来る、容姿が優れている、性格が良い。 そういった要素が、仮に、棗に備わっていたとしても。 「うーん……また、薬……。周期が短くなってないかしら? 本当にこのポンコツボディは……駄目ね」 こんな体ではどうしようもあるまい。 洗面所で薬と水ををがぼがぼと飲みながら、棗は医者に言われていたことを思い返し、盛大な溜息をひとつついた。 『この発作は体に大きな負担をかけます。十年後か明後日かどうか分かりませんが、命に関わるようなそれが来るかも……』 真実なのだろう。 医者は、人を救うためにあるのではないと棗は思う。 出来る限りの生きながらえる期間を想定し、患者に伝え、生そのものを充実させる。 それでも、充実させるために放たれた言が、劣等感という名の檻に鉄鎖をかけてしまう場合とてある。 「いつぶっ倒れるかも分からない……、こんなガラクタ女の慕情を伝えたとしても」 どうせ、彼は迷惑としか思わないだろう。棗はそう思った。 結局、何がきっかけだったのか。結局、何が糸口だったのか。 考えても考えても、有真はそれがつかめなかった。 「やっぱり、鈍感だったのかな」 自宅でひとり溜息をつきながら、有真はベッドに横たわる。いつも見慣れた自室の風景が、幾何学模様の集合体にしか見えない。 網膜に映る図を、理解して脳味噌に入れてしまおうという気持ちがないのだ。 何故ならば、先程から脳味噌の中をひとつの考えが駆けめぐり、その他もろもろ一切の思惑が全て芥と化しているからである。 食べ物をいくら口に入れても味がよく分からない。考えごとばかりで、何もかもが薄っぺらな紙一枚の出来事。 言うまでもなく、彼の頭の中を占めているのは、あの暴走ばかりする、生徒会副会長のことだ。 恋慕、なのだと思う。人が人を想う感情というのはあまり理解出来ないし、実態もつかめないものではある。 しかし、色々と論理的に考えても詮無いことなのかもしれない。恋慕とはもともと感情ばかりで構成されているのだから。 ぶっちゃけた話にしてしまうと、有真は棗に惚れている、ただそれだけの事実。 「でも、殴っちゃったな」 しかし、だからこそ今日に犯した失態は、酷いものだった。 それこそ、羞恥のあまり、頭かかえて部屋を転がり本棚に後頭部をぶつけて悶絶してしまうほどに。 棗は病弱であり、決して体が強いわけではない。 いつも暴走するあの姿は、精一杯の虚勢なのである。 しかし、毎日暴走する姿を見せられてしまっては、有真ですらも彼女の身体状況を誤認してしまうのは無理からぬ話。 だからこそ、悔しいのかもしれない。 日常に映る彼女の姿ばかりを見て、その内なるものに気付けなかった、愚鈍者の自分に。 とにかく、謝るしかないだろう。頭を下げて、誠意を見せるしかないだろう。 考えてばかりいても、棗が有真を許してくれる確証などは得られない。 有真は、色々と頭の中がごちゃごちゃになる感覚に辟易しながら、乱暴にベッドのシーツをいじったのち、寝た。 明日、ちゃんと棗に謝ろう、そう思って意識を手放した有真ではあるが。 夢の中で棗がうろうろさまよってばかりで気になったのは別の話だ。 思わず放心してしまうくらいに、日常はあっけないものだったのかもしれない。 だが、ひとつの違和感を胸に秘めただけで、こんなにも世界は灰色になる。 そのようなことを有真は想定していなかったし、想定出来もしなかった。 棗に謝る、という思いを抱えた有真は、学校に行って授業を受けても集中出来ない。気が付けば、棗の姿を目で追っている。 彼女は、顔を少しばかり青白くしていたが、特に有真にとがめるような目は向けなかった。 ただ、授業ごとに毎回便所へとおもむくので、意を決して話しかけようとしてもするりと奥へ行ってしまう。 ぐだぐだな時間。有真の空虚な思いを通り過ぎていくのは、教師の声と周囲の喧騒。 内心で頭を抱えながら時を過ごしていれば、いつの間にやら昼休みとなってしまった。 今度こそ、と意を決する有真ではあったが、棗の姿はその時どこにもなかった。 保健室へと行ってみても、彼女の姿は見つからず。あの中庭へ行っても見つからず。 砂漠にひとり残されたような気分で、有真は棗の姿を探し続けた。 「……ぁ」 昼休みも終わりになるであろう、そんな時刻。 息が上がってきた有真が耳に入れたのは、かすれるような涙声。 それは、普通に歩いていれば気付かなかった類のものかもしれないが。 その声を過去に聞いたことがある有真は、過敏に反応した。 「……ぃ、たいっ……!ぁあ、ぅぅあああ……!」 廊下を駆けてたどり着いた場所は、誰もが見ることのないような狭い狭い空間だった。 屋外へと通じる、避難用に設けられた階段。大がかりなつくりであるせいか、その近くには、小さなスペースがあった。 見る者に狭苦しい雰囲気を伝えないためであろうが。 果たして。剣崎 棗はそこにいた。 少女は、脂汗を流し、のどをかきむしり、苦しんでいた。 のたうち回りこそしていないが、制服はしわだらけ、髪も乱れ、そのひとふさは汗まみれの頬にぺとりと貼りついている状態。 薬の入ったビンを手に持ち、棗は、這っていた。 芋虫のように、ほふく全身で、ゆっくりと。彼女の向かう先は、備え付けの流し台。 「み、ず……!」 その一声を聞いた有真は、すぐさま棗の体を抱きかかえ、流し台まで運ぶ。 棗の体は、煙のような軽さだった。 流し台につかみかかるようにして、棗は眼前にあった蛇口をひねり。 ビンの中の錠剤を取り出し、水と一緒にごぶごぶと飲み始めた。 彼女の全身は震え、唇は青紫色、目はどこかうつろで、そのさまはさながら幽鬼のよう。 水と錠剤を飲んだ彼女は、時折、嘔吐した。 胃の中にあるであろう錠剤は、流し台の上へと。 粘性の高いクリーム色の液体が垂れ流しになるが、それでも彼女は水と錠剤を飲む。 吐いて、飲む。その工程にもならぬ工程を幾度となくくり返して。 どうにか、棗の体は小康状態へと戻った。 「あ……りがとう。もう、大丈夫よ」 流し台にまき散らされた液体の中には、赤いものも混じっている。 吐瀉物特有の臭いはほとんどなく、処理は簡素なもので充分だったが、それが棗の命の薄さを物語っているようでもあった。 流し台を綺麗にしたのちに、有真は棗のひたいを指でさす。 「いつも余裕をもっておけ、と言ってるのに、なんでこんな失敗をするかな」 「……考えごとをしていたの」 からかい混じりに放たれた有真の言葉だが、棗の反応は予想外に神妙なものだった。 「考えごと?」 「うん……。そうしたら、なんかどうでも良くなっちゃって。気付いたら、倒れていた。 いやー、倒れるまで考えるなんて、私も歳かしら」 「いやいや、それは笑い事じゃないから」 「うん、本当にそうね……。本当に……本当に、馬鹿だなあ、私」 弱々しい笑みを見せて、棗は流し台を背に、くずおれる。同時、昼休み終了のチャイムが鳴った。 「保健室、行く?」 「いい、そんな気分じゃないから。それよりも、これ」 そう言って彼女が取り出したのは、流し台からあまり離れていない場所にある、大教室の鍵だった。 全身桃色のマスコットキャラクターにつながれた鍵は、蛍光灯の光を反射して、きらきらと輝いていた。 「廊下で寝ていたら、誰か気付くかもしれないから……。先生とかだと、事情説明も面倒。 丁度、そこが空いているし。だからそこでさぼるわ」 「はあ、さいですか。それでは」 頭に手を当てて溜息を吐き、有真は棗の小さな体を抱きかかえた。 どこぞの絵本にでもありそうな、王子が姫を抱っこするかのような行為である。 「ちょ、な、何を……!」 「いや、ひとりだと大変そうかな、と思って」 「んぎゃー!お姫様だっこなんて人生で一回あるかどうかなのにー!嬉しいわ!最高よ!やっほー!」 「本当、棗って情緒不安定だよね……」 「姫抱っこは子供の頃からの夢だったわ。私は、それに見合うよう、お姫様らしい容姿になりたかった……。だから髪を伸ばしたのよ」 「それだけの理由で!?」 「それだけとか言わないでよ、結構真剣だったんだから。ほらほら、早く行かないと先生が来ちゃうわよ?」 「ああ、急に元気になりやがって!」 漫才のようなやりとりをしながら、ふたりは空き教室へと身をすべらせた。 棗の顔はリンゴもかくやといわんばかりに真っ赤だったが、有真の方もそうである。 もしもこの場に第三者がいたのならば、そろって同じ所感を抱くであろう。 『はいはいごちそうさま』と。 人のいない大教室の中は、ほこりの匂いが充満していた。 もう何ヶ月も使っていないせいだろう。机と椅子はきちんと整えられているが、ほこりをかぶってはいる。 蛍光灯ひとつついていないその室内は、真昼であるのにもかかわらず暗い。 厚手のカーテンがかけられているせいであろう。 普通の教室の丁度二倍近い大きさをほこるそこは、大量の補習組をいっせいにぶち込むために作られたものだ。 しかし、あまり使われていないのが現実。かくも無残なことである。 教室に入り、手近な場所にあった椅子に棗を下ろせば、彼女はすぐさまぴょこんと立ち上がって鍵をかけた。 ついでに、近くにあった椅子も机も利用して、扉の付近にバリケードをもはる始末。 「体力、回復したの?」 「八割方。……それと、姫だっこは鼻血が出るほどに恥ずかしいという事実を認識したから」 私のはじめてを奪いやがって、と一言付け加えて、棗はバリケードを作り続ける。 彼女のそんな行為に訝りながら、有真も手伝った。 「休んでいる瞬間を邪魔されると殺意が湧くでしょう? だからの予防策よ」 「いや、でもこれはさすがにやりすぎでは?」 「いいのいいの。たてつけが悪くなったと言って逃げちゃえば平気」 ずいぶんとアグレッシブなことで、と有真は思いつつも、自分の置かれている状況に気付く。 棗は授業をさぼると言っていたが、今、彼女に同行している自分もさぼるかたちとなる。 だが、有真は、それを嫌とは微塵も思っていないし、思えないのだ。 やっぱりそういうことなのだろうかね、と胸中でひとりごちて、有真は棗の姿を見やる。 いつの間にやら彼女は、やや窓側にある机のひとつに座り、足をぷらぷらと動かしていた。誰がどう見ても、暇そうである。 話を切り出すのならば今しかなかろうと思い、有真は覚悟をきめた。 「昨日のことなんだけれどさ」 「……?ああ、保健室まで運んでくれてありがとう、感謝するわ」 「いやいや、そうじゃなくて!原因は俺が突っ込みで殴っちゃったからでしょうが!」 「?なんでそれで、謝罪うんぬんなの?」 「いや、だから、殴って気絶させちゃったから……」 「いいじゃない、別に。もとはと言えば、私が変なこと言ったのが悪いのだし。 ……それとも、何?やっぱり私が、持病もちだから?」 的を射た発言に、有真の体はかたまった。 同時に、棗の表情は一気に色を失い、氷のごときものとなる。 「……そう。まあ、そうよね。ポンコツボディの人間をしばき倒したら、罪悪の念は常人を倒すよりもはるかに重い。 別に、それが悪いと言っているんじゃないの。人間として至極当然の反応よ」 「俺は」 「悪くないわ。悪いのは私ひとりだもの。 こんな駄目な体になって、あなたの前に出たのが悪いのよ。ごめんなさいね、いつも迷惑かけて」 自虐的な発言をするたびに、棗の表情は暗さを増していく。先程まで赤みがかかっていた頬は、今や青白い。 「迷惑とは思っていないけど」 「利点は?私といることで生ずる利益はいかばかり?私なんて、チビでブスで凶暴でしとやかさの欠片もない女よ? しかも、この発言を出すかたわらで、あなたがそれを否定してくれることを望んでいる汚物よ? 打算的まみれの、生き物よ?」 「……人間は、そういう点があって当たり前なんだよ。なんら恥じることはないと俺は思う」 「それでも、いい気はしないでしょう。こんな常時バタンキュー女なんて、面倒で、近くにいるのすら嫌になるでしょう?」 「……もしかして、遠回しに俺に『これ以上私に近寄るなうせろ馬鹿』って言ってる?」 自虐的発言は、相手に嫌気というものを湧き立たせ、嫌悪感を染み込ませるものである。 しかし、逆をとってみれば、嫌な自分を主張して人を寄り付かせぬようにする手法とも取れる。 基本的に人のことを気づかう棗ならば、間違いなくそうするであろうやり口だ。 直接的に相手に「近寄るな」と言えないから。 自身をおとしめることで相手に失望感を抱かせ、遠ざかってもらう。 馬鹿みたいな方法ではあるのかもしれない。 だが、数ヶ月ほど前に「私ならこうするかも」と言っていたのを、有真は思い返していた。 直接的に相手へと悪口を言うのを、棗は嫌ったから。 人の尊厳をおとしめるならば、まず自分の、というのが彼女の基本的思考だったから。 しかし、有真の予測したそれは的外れであったようだ。 彼の発言を聞いた棗は、目の色を変えると同時、有真に詰め寄ってその襟首を持ち上げる。 みしり、ときしむのは、有真の制服が上げた悲鳴か、それとも棗の胸中に眠る心か。 「そんなこと、言ってないじゃない……!逆よ!」 有真の襟首をつかんだままに、棗は体当たりするように彼の体を壁に押し付ける。 「近寄ってほしいに決まっているじゃない!また、昼食を一緒にしたいに決まっているじゃない! でも、あなたは迷惑しているかもしれない!『病弱』の女の面倒を見るのが、嫌になっているのかもしれない! こんなガラクタ女の面倒を見るの、あなただって大変でしょう!? 辟易しているんでしょう!?」 棗は――少女は、弱かった。 体が弱いのではない。病という名の鉄鎖が、劣等感という名の檻を強固なものにしているのだ。 こんな、いつも倒れそうな自分は、なんと駄目な人間なのだろうと。 さして取り立てる長所もないのに、短所ばかりが浮き彫りになる自分は駄目だと。 『病』があるからこそ、少女は『弱』かった。 彼女は『病弱』だった。 こうやって人を責めるようにして、本音を吐露するのは、自身の弱い心にこれ以上向き合っていたくないからだ。 だから八つ当たりのように言葉を発する。 激情に乗せていれば、余計な痛みを負わずに済むだろうから。 棗の心はこの時、わけの分からない昂揚感に包まれていたのかもしれない。 頬は紅潮し、饒舌になり、感情を爆発させて本音を吐露する。 しかしそれは、自身の心にも反動が来る諸刃の一撃だ。 「分かっているわよ! こんなチビでブスで性格も悪いヒステリー女につきまとわれる苦痛くらい! 同情で付き合ってくれていることくらい! でも、でも……、あなたと一緒に食事をするあの時間が好きだった! くだらないことを話して、こちらの体を気づかってくれるあなたが好きだった! 薬が必要になるといつも察してくれるあなたが好きだった! 同情でこんな駄目女と付き合ってくれるあなたが好きだった! たった一年一緒だっただけなのに、それなのに、悪いと知っても、好きに、なっちゃったの、よお……!」 だからこそ、心からの言葉が出てしまう。 余計なコンプレックスは残存しているものの、むき出しの心は言葉となりて、すらりと外に出てしまう。 しまった、と思った時にはすでに遅い。放たれた言葉は、盆にかえらぬ覆水だ。 「あ、ぅあああああ……。私、わたし、その、ごめんなさい」 理性が戻れば、自分の放った言葉の重要性が理解出来る、出来てしまう。 その際に受ける衝撃は、言わずもがな。 当惑、困惑、罪悪感、羞恥心、自身への憤怒。 その全てがひとつとなり、彼女の心のみならず全身をも縛り付ける。 「棗」 「ごめんなさい、ごめんなさい、こんなこと言ってごめんなさい! 迷惑でごめんなさい……!私みたいな人がこんなこと言ってごめんなさい!」 「棗ッ!」 かつてない迫力をもつ有真の叫びに、棗の体は過剰反応する。 びくり、と電気を流されたように体を震わせ、それからおずおずと有真の方を見た。 彼の目は、鋭く尖っていた。 いつも温厚な表情を見せる彼は、今、猛禽類のごとき迫力のおもてを全面に出し、棗を見据えていた。 本気で怒ったことは、ほとんどなかった。 保母にも、教師にも、叔父にも、叔母にも、両親にさえも、「あなたは本当に温和だね」と言われた。 しかし、その実は温和なのではない。ただ怒る必要がなかっただけだ。 悪口を言われても、殴られても、屈辱感はほとんど湧いてこなかった。 むしろ、ちょっかいを出してくる相手を無様だとすら思った。 喧嘩をしても争っても、何かが生まれるわけではない。 少なくとも、佐藤 有真にとってはそうだった。 平和主義を貫くのは、波風を立てたくはないからだ。 憎悪の渦に巻き込まれるのが嫌だったから、という理由もある。 人が人を憎む際、有真はなんとなしに嫌悪感を覚えてしまう。 どす黒いオーラのようなものが、感じられるからだ。 争うのならば、勝手に当人同士でやっていれば良い。 いつまでも泥臭く這いずり、無様にべちゃべちゃと殴り合っていれば良い。 そんな思いを抱えているから、有真は『温和』でいられた。 優しいから温和なのではない。 他者を傷付けるような人間を軽蔑しているからこそ、毎日微笑を浮かべて過ごすことが出来る。 人は、優しいままでいることなど出来ない。 打算や軽侮の念、それら汚いものが混じって、個人を構成する。 だが。 「ごめんなさい、ごめんなさい、こんなこと言ってごめんなさい! 迷惑でごめんなさい……!私みたいな人がこんなこと言ってごめんなさい!」 傷が付いた。 有真の眼前にたたずむ少女は、自虐に身を染め、怯え、涙を流し、体を震わせている。 人を傷付ける人間は嫌いだったが、自分を傷付ける人間は知らなかった。 いたとしても、親近感を持つことはないであろう。 だが、有真の眼前にいる少女は、自虐という名の水に浸かり、うわごとのように言葉を紡いでいる。 ちくり、と心がきしんだ。自分の身でもないのに、彼女が自虐の言を吐くだけで――吐き気と怒りが収まらなかった。 「棗ッ!」 気付けば。 有真は声を上げていた。 「迷惑じゃないから」 「え?」 有真の口は勝手に動き出す。本人の意思も関係なく。 「迷惑じゃないから、その、自分を責める発言は……やめてほしい」 「だって、本当のことだから……。私はチビで」 「個人的主張ではあるが、小さいと可愛らしい」 「私はブスで」 「いや、それはさすがにねぇだろ。鏡をいっぺん見てくれ。はっきり言ってすっげぇ美人だ」 「ヒステリーもちで」 「論理ばかりで構成されたロボット人間は嫌いだ。多少暴走する方が良い」 「か、体が……弱くて」 「気にする人はするが、俺は全く気にならない」 ぎしり、と音を立てて、有真の心は痛んだ。 彼女が自虐的な発言をひとつするたびに、心が刺されたような思いがする。 ひとつひとつの発言が槍となって、有真の心に穴を空ける。 あるいは、理性という名の防波堤であったのかもしれない。 言葉による刺突は、いつしか彼の胸中の奥にあるものを、穿った。 その結果、爆発。 「ああ、もう!さっきからウダウダウダウダと!いい加減にしてくれ!」 両手を天に上げて、獣の咆哮のように叫び、有真は棗を睨みつける。 一度切れてしまえば止まらない。堪忍袋の尾が強靭な人間は、切れた際、比例するかのように反動が強力になる。 平たく言ってしまえば、普段は怒らない人が怒るとそれは大変、ということだ。 「結局、棗はどうしたい!?はい、劣等感はそこに置いて!次に『私なんか発言』をしたら殴る!」 「え、あの、その……」 「どうしたいのか言ってみろ!余計な思惑、気づかい、うわべ、全部とっぱらって言ってみろ!というより言え!」 一気呵成、疾風怒濤。まさにたたみかけるように放たれた有真の言に、棗はしばし戸惑い、おろおろと迷う、迷う、迷う。 一度、棗はちらりと出入り口の方へ視線を向けるが、悲しいかなそこは自分でバリケードを作ったがゆえに、容易に通ることかなわぬ姿。 しばしおたおたと慌てふためいていた棗であったが、身じろぎもせずに見つめる有真の視線に気付いてか、やけになったように叫びだす。 「ああ、もう、そうだよ!好きだよ!私は有真が好きだよ!悪いかコンチクショォォォォッ!」 諸手を天に向けて叫び出す彼女の姿は、世辞にも淑女らしいとは言えなかったけれども。 むき出しの心で放たれたその言葉は、有真の心にしっかりと届いた。 「恋愛とかよく分からないけれど、一緒にいたいの!というより、一緒に昼飯を食べろ! 好きだからだよ!分かるか!?分かるよね!分かるわよね!?どうなんだどうなんだどうなんだッ!」 どうなんだ、と自分の発言に自分で混乱しながらも、棗は有真に詰め寄ってくる。 正直な話、答えはとうに出ていた。 恋愛と友愛の差異はよく分からないけれども、有真は、棗と一緒にいるあの時間は、嫌いではなく、好きだったから。 そう、好きだったから。 「うん、分かった。これからも、お昼、一緒するよ」 満面の笑みで、棗の気持ちに答えることにした。 ……と、ここで〆られれば良かったのかもしれないが。 果たして、運命の神とは皮肉なものであり、問屋はいつも本人が望む時に限っておろしてはくれない。 「……お昼だけじゃ、やだ」 棗が、有真を押し倒した。 大事なシーンを決めた、という余韻に浸っていた有真は、もちろんのこと棗の体当たりを避けられるはずもない。 結果として、ばたりと音を立ててふたりは教室の床に倒れこむかたちとなる。 しまった、と思った瞬間にはもう遅い。 棗の体は有真の上におおいかぶさるかたちとなり、つまりはマウントポジションキープ。 有真、絶体絶命。 「忘れていた! お前さんの……棗の、あなどってはいけない積極性をッ!」 「劣等感を捨て去れ、といった有真だけれど。……私、あとひとつ言いそびれていたの」 「そ、それは何でしょうか?」 わけの分からない圧迫感に、思わず敬語になってしまう有真。 そんな彼を嘲弄するかのように、棗はゆっくりと言葉を紡いだ。 ![]() ![]() ![]() ![]() |