シチュエーション
![]() 太田をぎゅっと抱きしめた日から一週間後。明日は休みというのに相変わらず、太田はびくびく生きている。 全ての期末考査の答案が戻り、ほかの生徒たちはホッとしているのに、太田ったら。 五教科の合計点がはじき出され、数字の自慢がこれから始まるのか。 教師がこんなこと言うのはどうかと思うが、非常にくっだらない。 わたしは、国語以外興味はないのだよ。 あの女子二人は今回満足の行く結果でなかったらしく、少々不満顔。 でも、それがあんたたちの結果なんだから、キチンと受け止めなさいよ。 キチンと太田のように点数を取っているヤツもいるから、わたしはそれで安心が出来るのだ。 そんな女子二人が、太田を囲んで騒いでいる。太田は赤く腫れた頬を手で押さえながら、しくしく泣いている。 「ねえ、これって…マジ?」 「やろうと思っても出来ないよね。普通」 「コイツ普通じゃないじゃん」 女子二人の手には、五教科の期末考査の答案全て。きっと太田のものだろう。 ああ、そこの女子二人。メンドクサイからこっちに来るな、来るなよ。 こっちに来るなって思っていると、やはりコイツらはやって来るのだ。尻尾を振りやがって。 「ねえ…。より子先生、太田ってば…」 「コイツ、すごいんだよ」 太田から強奪してきた答案を、見たくもないのにわたしにムリヤリ見せてくる。 まず、国語が98点。わたしが採点したので、間違えない。 数学・3点、社会・5点、理科・0点、英語・2点…。 なんと、太田は国語以外からっきしな結果だったのだ。 あははと笑う女子二人の声に、太田はきっと傷ついているんだろう。 必死に勉強して、誉められようと頑張った。でも、こんな結果。 結果は結果だけど、人から笑われるのはムカつく。オトナな太田はけっして波風を立てない。 いくら太田でも、こんな極端な点数を前回の中間考査では取ってはいない。 むしろ、平均的に残念な点数を取っていたのだ。しかし、今回はあまりにも極端すぎる。 もしかして、期末考査は国語しか勉強してこなかったのだろうか。そうしか考えられない。 この子は、わたしが死んでしまったらどうなるんだろう。 この日の放課後、太田に職員室で夏休みのプリントの作成を命じた。 何枚かあわせて、ホチキスでぱちんと止めるだけ。この間やっていたアレと同じ要領だ。 本当は太田一人でやらせたかったのだが、どこで話を聞いたのか委員長と飛鳥が付いてきた。 「わたしたちも手伝いますう!ねっ、飛鳥」 「太田くん、がんばろうね」 ウソだ。ホントは太田をいびりに来たんだろ。ウソツキの行動は分かりやすい。 女子二人が良い子ちゃんを演じれば、演じるほど胡散臭くなる。 これに気付かない太田も太田だ。教師のわたしが教えてあげたい、 『太田くん、言葉ってかわいい女の子なのよ。太田くんはまだわからないと思うけど かわいく愛敬を振りまくほど、ホントは…なめんなよって思っているの』って。 あーあ、外じゃツバメが低く飛んでいるよ。頑張って飛べ。 黙々と作業をしている三人。その脇でわたしはパソコンで書き物をする。 紙の音と、ホチキスの歯軋りと、キーボードのリズムだけが響く。 「あまり根詰めてると、効率が悪くなるよ」 「うん。より子先生、ありがとう」 「じゃあ、ちょっと飲み物でも買ってこよ。太田くん、行こっ」 三人は職員室から出て、休憩を取りに行った。太田も一緒だ。 一見仲良しこよしの三人だが、そのあどけなさが薄ら怖い。 またあの二人から苛められているんじゃなかろうか。わたしは、太田のおかあさんかよ。 ちょっと心配になったわたしは、様子を見に行こうと立ち上がった瞬間、太田だけが職員室に戻ってきた。 「あっ、太田くん!」 と、わたしが手を振ろうとした瞬間、隣の机の上の花瓶がころりと転んだ。 花瓶は中に湛えた水をぶちまけ、太田たちが作っていたプリントを溺れさせる。 「ご、ごめんなさい!!」 「先生!」 慌てて花瓶を戻し、ハンカチであたりを拭こうとすると、太田がわたしの元にやってきた。 「先生はあっちに行って!」 「え…?」 「早く!!」 このときの太田の目は、いつか見たオオカミの目であった 訳も分からず、太田の言うとおりに花瓶から離れると同時に、職員室に女子二人が缶コーヒーを持って帰ってきた。 女子二人は、びしょ濡れになったプリントと、その前に立ち尽くす太田を目にする。 「あのさ…コレ、何?」 「……ぼく」 「ぼく?太田がやったの?」 太田はこくりとうなずく。 委員長は口をつぐむ。 飛鳥は腕を組みながら、太田に詰め寄る。 「……ふざけんなよ」 太田の思惑ではわたしは、何も言わない方がいいんだろうか。 「より子先生、太田のバカが…」 「委員長、太田なんかもういいよ。ほっといて早く帰ろうよ。ね、より子先生、約束のクレープ食べに行こっ!」 ―――わたしは旅人。何となく、ふらふらと当てもなく道を歩く。 旅人はオオカミが嫌い。若いオオカミは付いてこなくてもいいのに旅人に付きまとい、 わたしの旅を不安な旅にしてしまう。蒼い目が旅人を見つめている。 おまけにその後から二頭の山猫が、にゃあと猫なで声でわたしに付きまとう。 その山猫は、危険だぞ。見た目は愛嬌があるが、けっして仲間でも何でもないぞ。 山猫はわたしの肝を狙っている。血の滴るわたしの大事な肝を食べようとしているぞ。 平穏な旅に邪魔な獣たちは、みんな射ころしてしまえ。 「より子先生がやるわけないじゃん」 「ぼくがやりましたっ!」 ―――旅の途中、怪我を負い身動きできなくなった旅人を、小さなオオカミは優しく慰める。 「ぼくが、ぜったい守ってやる」 わたしを狙う残忍な山猫たちに、旅人と孤独なオオカミは囲まれた。 逃げ場をなくしたわたしには、一匹のオオカミ。しかし口を開けると、牙がない。 弱いオオカミはヤツらの牙に斃れる。 ヤツらは、オオカミの血に満足したのか闇に消えた。 「ぼくが悪いんです」 「太田くん…、ほら、ハンカチ…」 「先生…」 ―――オオカミの血は暖かかった。お願いだから、もう流さないでおくれ。 わたしは、二頭の山猫をころしたい。冷たい血を流して斃れろ。 …ふっ、わたし何考えてるんだろう。 「女子はもう遅いからお帰りなさい。後はわたしと太田くんで後片付けするから」 「えー。クレープ!」 「もう、時間も遅いよ。女の子たちは、早く帰らないと…」 「はぁーい。わっかりましたあ」 「委員長、帰ろっ。太田のバーカ」 ヤツらには、オオカミの寂しさはけっして分からないんだろうな。逆にバーカと返したい。 今の空は、オオカミに包まれているように鈍い色をしている。 わたしが作業を終えた太田を家に帰した後、鉛色の空からぽつぽつと雨が降り出した。 ツバメのせいだ。ツバメが頑張って高く飛ばないからそうなるのだ。 わたしの文句をツバメが聞いたら『理不尽なこった!』と怒るかな。それはそれで面白い。 駆け足だった雨足は、どんどん速くなりとうとうアスリート並になった。 あーあ、折角帰ろうと思ったのに、これじゃこの間新調した、 今着ているボヘミアンルックのワンピースが台無しだ。 わたしが新しい服を買うと、いつも雨だ。これは、わたしに服を買うなと神様が言っているのか。 そんなバカな。神様のクセに生意気だぞ。 わたしがそんなバカな事を考えていても、一向に雨は止まない。 あんまり降り続けているので、雨雲がランナーズハイになっているのだろう。 小さなビニール傘を差して、こつこつと家路を急ぐ。小さな体でわたしを雨から守るビニール傘は、 まるで太田のようだ。いやっ、太田って…なんでわたし、太田のこと思い出しているんだろう。 あまりにもわたしが太田太田言うので、本物の太田が目の前に現れた。 この子は傘も差さず、新たな主を待つ潰れた店の軒先で体を震わせながら雨宿りをしていた。 「太田くん?濡れてるの?」 少年は何も言わない。兎に角、わたしの傘におはいんなさい。 心配だからじゃないぞ。これは、わたしの点数稼ぎ……だぞ。 太田もいい点取ったんだから、わたしにもいい点くれ。太田よ。 ここから近いので、太田をわたしのアパートに招きいれた。 もしかして、初めてわたしの部屋に男子が入ったのは、太田じゃないのか。 太田よ、胸を張っていいよ。しかし、ずぶ濡れの太田は背をちぢめ込ませるばかり。 シャワーに入れようとするが、太田本人が恥ずかしがっている。そんなに制服を脱ぐのが嫌か。 わたしは見ないから大丈夫。 「着替えは何とかするから。風邪がぶり返すでしょ?」 ひとまず太田を安心させて、風呂場に入れさせた。 でも、太田は運がいいなあ。飛鳥や委員長に見つかってみろ。 さらに水をかけてくるかもな、アイツら。子供じみた水鉄砲で太田を狙い撃ちだ。 そして『太田くん、ごめんね』って平気な顔して言うのだろう。わたしの妄想なのにムカつくのは何故だ。 洗濯機で太田の服を洗う間、代わりの服を探す。女物ばかりのタンスはわたしを悲しくさせる。 「先生、上がります」 小さな脱衣場から太田の声が聞こえる。すりガラス戸越しに太田の華奢な体が見える。 仕方ないので、高校時代の体操服を着せよう。普段はわたしが休みの日に着ている白いシャツと紺のジャージパンツ。 背中には大きく「三川」とゼッケンが。物持ちのいい母に感謝。 必死にすりガラスに隠れながら、太田は顔を覗かせる。 「ねえ、太田くん。コレしかないけど…いい?」 「なんでもいいです」 太田さえよければいいや。あっ…パンツ…。 「濡れてないから、いいです。そのまま同じの履きます」 少しぶかぶかな格好で、ほかほかした湯気と一緒に太田はわたしの体操着を着ている。 わたしと太田は背が違いすぎる。それだけ、太田はちいさい。 男の子にしてはちょっと長い髪を濡らし、小さな肩をさらにちぢ込ませて四畳半の部屋に戻ってきた。 その体操服はいつもわたしが着ているから、わたしの匂いがするのだぞ。 少年よ、お姉さんの匂いだぞ。 わたしは、フェイスタオルを渡しに太田に近づく。 くんくん。 風呂上りの男の子の香り。いつもの牛乳の香りとは違う。 でもどうして、太田なんか家に上げたんだろう。誰か教えて欲しい。 座って髪の毛を拭いている姿を見ていると、ちょっかいの一つも出したくなってきた。 委員長がやったらただの嫌味だが、お姉さんはちがうんだ。 かわいいかわいい、ってやっているんだぞ。 後ろから見た太田はホントに女の子。飛鳥よりよっぽど色気がある。 こんなところで飛鳥が負けるとはな。うなじが掻き揚げた髪でちらっとわたしの目に焼きつく。 無防備な太田の首筋につんと人差し指で突付く。せっけんの香りを振りまきながら 目を丸くしてわたしの方に振り向く。 「……」 「びっくりした?」 こくりとうなずく太田は、また小さくなる。 思わず舌なめずりをして、つまみ食いの一つでもしたくなるのは当然。 わたしはつばきを飲み込むと、後ろから太田の顔を覗き込んでみよう。 「…どうして、わたしの事…かばってくれるの?」 「先生は、友達じゃないから」 「…うん」 「友達は嫌いだ。友達は、ぼくを裏切るから」 わたしも、友達は嫌い。友達なんか、多いやつの負けだ。 太田くん。きみは、オオカミ。 けっしてヒトに飼いならされる事なく、自由に、そして孤独に生きるオオカミ。 ―――旅人とオオカミは、お互いにかばいあう。旅人は智恵を、オオカミは暖かさを。 ケモノとヒトなので友情なんか、育む事なんかできやしない。『友』だの『ダチ』だの、 陳腐な言葉では片付ける事を、わたしたちは否定する。山猫たちは薄っぺらい気持ちで 旅人に擦り寄ってくるが、今度やってきたら思いっきり蹴り飛ばしてやる。 わたしと太田は、友達なんかという言葉じゃ言い表す事はできない。ざまあみろ、委員長、飛鳥。 教室ではうそっぱちに塗り固められたわたし。 だけど、今は太田と二人っきり。ここでは、なにも怖がる事はない。 「太田くん。先生の言う事…よく聞くよね」 「…だって、ぼくの先生だから…」 「うん。いい子」 わたしは太田の頭を髪の毛と一緒に『がおー』と優しく噛む。 「ふふふ。くすぐったい…」 ヒトにはけっして見せない笑みを太田はわたしに見せた。 今までひねくれていた、わたしの薄汚れた鏡を粉々に砕く太田は、すごい。 ぜったい、しあわせにしてやる。 外は、雨。すぐに夜がやってくる。 太田が言うには、今日は父親だけが家にいると言う。最近、母親は仕事で戻れない日々。 一度家に連絡をするように太田に言ったが「父さんなんかに言ってもしょうがないよ」 と、つれない返事だけがわたしに返って来る。 詳しく聞くと、父親は太田には関心がないらしい。心配すらしてくれないとのこと。なんという親だ。 家に帰っても、飼い犬だけが友達なんて太田は惨め過ぎる。もっと捻くれていいぞ、太田。 「チコ、ごはん食べてるかな…」 「チコ?」 「うん。うちのイヌ」 少年は優しさをちらとわたしに見せる。 動物の好きな少年は、外の雨を見ていた。ずっと、ずっと…。 わたしだって、少年に優しさを見せてやるから。 「先生の言う事、しっかり聞いてくれる?」 「うん。先生は大好き」 「太田くん。君はもっと悪い子になりなさい」 「わるい…子」 「優しくて、悪い子になりなさい」 「うん」 白く純な生徒を導く教師なのに、どうしてわたしは黒いんだろう。 素直にわたしの話を聞き入る太田は、よく言えば素直、悪く言えばバカだ。 しかし、太田のバカはいじらしいとも言える。飛鳥と違って。 そんな真っ白な太田をわたしは、わたしのような真っ黒に染めたい。 わたしは自分の指を咥え、その唾だらけの指で、太田の頬からあごにかけてそっと滑らせる。 けっして太田は嫌がらない。わたしを信頼しているからか。 湯上りのせっけんの香り漂わせる少年に、わたしは唇を近づける。 当たり前だが、恥じらいながら少年は首をすくめさせ、目をつぶっている。君は怖いのか。 少年特有の甘い香りがわたしを包み込み、わたしの大人しかった子宮を狂わせる。 「…悪い子ね」 君はうなずく。そう、本当は悪い子。わたしと君は、悪い子同士。 体の底が熱くなり、くらくらする感じが…。 ぴちゃ…。初めて男の子との…キス。甘い。言葉が思い浮かばない…。 言の葉を扱う生業をしているのに、わたしったら。 ただ、君の唾で光っているわたしの小さな唇は、全てを分かっているはず。 覚えのある肌触りのシャツを着た君のおなかに、わたしは頬擦りをして君のガラスの理性を打ち壊す。 すーはーと深呼吸して、そのままジャージをゆっくりめくってあげようか。 そういえば君は、ウソが下手糞だったね。その証拠に君の若く疑う事を知らないオオカミが、 君の下着から、飛び出そうとしている。わたしの言う事を聞いてくれるように、口で教えよう。 「はぅうっ!!」 君の声は正直。わたしはヒトを愛する経験もなく、初めてヒトを愛することにしたのだから、正直な答えが嬉しい。 そして 白い正直者を玩ぶアイツらが許せない。アイツらが…。 オトナになりきれていない君のオオカミは、わたしの口で弄られて音を立てて涙を流す。 じゅるうぅ。ちゅっ。 とっくに雨音はわたしの耳に入ってこなくなり、淫らな音だけが届いている。 「せん…せい…。ぼく…ああん…」 黙ってくれないか。君はウソが下手なんだから。 初めて味わう果実。不思議な感覚だ。わたしの頭の動きにあわせて、君は少女のような声を出す。 「あん!ふぁああ!せ、せんせええ!!」 何かに耐える君の顔をわたしは上目遣いで覗き込むと、孤独なオオカミは子犬のような顔をしていた。 「せ、せんせ…い。やめて…」 「………」 あまりにもわたしが弄りすぎたので、わたしの口の中は君の白く粘つく蜜でいっぱい。 唇からぽたりとこぼれる蜜に、手のひらを濡らしているわたしを君は見ているのか。 軽蔑するもよし、ひれ伏すもよし。君の好きな人なんだからどうにでもするもよし。 ジャージをずり下され、乳飲み子のように無防備な姿をさらけだす君。 わたしの名前の入ったシャツだけに包まれた少年が目の前で横たわる。 そうだ。わたしは君に全てを知って欲しい。 「ほら、太田くん。次は君の番」 異国の雰囲気漂うボヘミアンルックのワンピース。ふわふわとわたしを包み込むこの衣をたくし上げ、 純白のわたしのショーツを君のものにしてあげよう。さあ、どうする。 君の知っての通り、わたしは国語の教師。君にいつも教えたはずだ。そして、君はいつも聞きに来てくれたはず。 答えは君次第。数学と違って、幾つもの答えがあってもいいのだよ、国語は。 「…どうするの…先生」 「……太田くんの…好きにして」 君はどうしていいのか分からない迷子のオオカミ。 まかりなりにもわたしは教師。生徒の問いに答えるしかない。 白いショーツをゆっくり見せ付けるように指で下ろす。 太田くん、これが君の大好きなより子先生なのだよ。きっと、委員長も飛鳥も知らないぞ。 君は恥ずかしそうに目を逸らせているけど、わたしが人間を好きになることなんぞ めったにないんだから。この誰も踏み入れた事のない、未知なる草原に来てごらん。 「さわっていいの?」 「さわってくれなきゃ、だめ」 わたしは君の白い手のひらを握り締め、ゆっくりと草原に差し出し人を知らぬ草花を撫でさせる。 「あん…」 君はオオカミだったっけ。そうだ、この誰も狩りをしたことのない、豊かな大地を走るがいい。 オオカミよ、思いっきり走れ。君の大好きなウサギもいるぞ。怖がる事はない、さあ。 「ああん!ぬ、濡れちゃう…」 「こ、こうですか」 「う、うん。太田くん…。舐めて…舐めていい…よ。っひ!」 オオカミよ、今一歩踏み出せないのか。ウサギは穴に逃げ込むぞ。 ウサギの穴から、ケノモの香りがするからね。君の舌で確かめろ。 ぴちゃ。ぴちゃ…。 「お、太田くぅうん!」 「は、はう!」 さあ、君の獲物はもうすぐだ。 太田はわたしのいやらしく濡れているウサギ穴の上にまたがっている。 ゆっくりと太田が腰を下ろすと、絡み合う液体のお陰かするりと太田のオオカミが穴に入ろうとしている。 「いたいっ!」 わたしの悲鳴に太田は驚き、泣きそうな顔をするがわたしは大丈夫。 でも、体がずきずきする…。悪い子になるための洗礼なのだろうか…。 「ああん!痛い!ひぃい!!いくっ、いっちゃう…」 言葉なんかもう要らない。太田の方も限界なのか、足が引きつっているようにも見える。 「せ、んせ…いい?」 「……」 「せんせの…中に…でちゃうよお…」 覚悟を決めたオオカミはウサギを追い詰める。さあ、後は一気に攻めるだけ。 「うぅう!」 「太田くぅん!!ああああん!」 ウサギをとらえ、ゆっくりとウサギ穴からオオカミが抜け出すと、 白いウサギの淫靡な羽毛がたらりと糸のように粘つきながら引いていた。ウサギの血も混じっている…。 君はオオカミ、獲物は美味しいか。 「ひっ、ひっ…痛いよお…」 痛さに耐えるわたしの姿は、太田にどう映っているだろう。 こぼれた白い物が、わたしの折角のワンピースを汚す。新しい物を買ったときは、いつもついてない。 太田もわたしも疲れ果て何時しか、雨音が再び耳に入るようになっていた。 もう、わたしは『みんなのお姉さん先生』なんかじゃない。 証拠はこの太田だ。一匹のオオカミを手懐けた一人の旅人は、心強い相棒を得たのだ。 もう、旅は怖くない。何でも来い、獅子でも虎でも…。 そうだ、山猫だ。調子に乗って旅人の旅路を荒らす、有頂天な山猫の血を見たい。 山猫を深く傷付けるには、オオカミを使うほかはないな。 だが、このオオカミは牙がない。たった2匹の山猫なんかでも、返り討ちにあってしまうほどだ。 だけども、旅人にすっかり懐いた義理深いこのオオカミは、旅人を救うかもしれない。 そうだね、太田。 「ねえ、太田くん」 「…はあ…」 疲れ果てた太田は力なく返事をする。 「飛鳥と委員長…どうよ?」 「…うん…」 沈黙が続いた。太田のことだ、頭の中で言いたいことがまとまらないのだろう。 いや、精一杯の気遣いをしているに違いない。太田くんよ、悪い子になりなさい。 「太田くん…わたしの力になってくれる?」 「…はい、先生…」 「いっしょに、山猫退治…する?」 わたしは、悪い先生。 わたしと太田が結ばれた日から数日後の放課後。 いつものように、委員長と飛鳥がわたしのそばにまとわり付く。 太田と誓ったように、この山猫たちの血を見なければ、わたしは夏を迎えられない。 あっけらかんとしているこの二人を見ていると、ますますわたしの計画が楽しみだ。 「より子先生は、夏はどうするんですか?」 「んー、こう見えても夏休みは忙しいんだよ。先生は」 「きゃはは!やっぱりデートとか?」 太田とデートも悪くない。しかし、夏を迎える前にわたしは忙しくなるのだよ。君たちのために…。 時計の針が夕刻を告げると、委員長は委員会に出席のために居残り、飛鳥は帰宅する。 面倒くさそうな顔をしながら、委員長は委員会のある教室へすたすた歩いていった。 「こんな委員会なんかサボって、美味しいもの食べたいよお」 周りに誰もいなくなったのを確かめると、わたしは自分の席で本を読んでいた太田を呼び出す。 手懐けられたオオカミはちょこちょことわたしの方へ駆けてくる。かわいいもんだ。 尻尾を振っているオオカミはらんらんとした目でわたしを見ていた。 「今日は、一緒にアレやるよ」 太田はこくりとうなずくだけ。だけど、太田にはしっかり伝わっているはず。 「がおー」 軽く太田を抱きしめて、髪の毛もろとも頭を甘噛みすると、少年はくすくす笑っていた。 程なく委員会はお開きとなった。今日もたいした議論もなく、平和な委員会だったらしい。 だらだらと各クラスの委員が出てくる中、我らが委員長はいちばん遅く教室から出てくる。 偶然を装い、わたしは委員長に接近。 「あっ、より子先生」 「お疲れー。ってホントは疲れてないかあ」 「ひどーい!罰として、わたしへ甘い物を提供することを要求しますよ」 いつもの通り、委員長はただでさえ取りすぎている甘味をわたしにねだってきた。 委員長よ、それが自分の事を苦しめるんだよと言いたいけど、言ってあげない。 「それじゃ…、帰りにクレープでも食べる?」 わたしは他の誰にも聞こえないように、委員長に耳打ちを。 単純な委員長はぱあぁっ!と明るくなり、まわりにカラフルな花が咲き乱れた。 「だって!この間、買い食いはダメってって言ってたじゃないすかあ。 こんな事をいわれたら、わたしはクレープ食べなきゃいけないじゃないですかあ!」 乗ってきた、乗ってきた。『クレープを奢れ』の合図をわたしは見逃すはずがない。 「クッレープ、クッレープおいっしいなあ…」 わたしに腕を絡みつかせる委員長は、まるで子供のよう。君は本当に中学生か。 「これは…飛鳥にはぜったい内緒ね」 「うふふふ。はーい」 「ぜったい内緒よ」 クレープとわたしを独り占めにしている優越感で、委員長の背中に羽根が生えてきた。 その羽根は本物の羽根か、それともイカロスの羽根か。委員長はまだそれを知らない。 委員長との帰り道、約束どおりクレープ屋に向かう。 店の周りは甘い香りと、子供のような女子高生に囲まれていた。カップルも見受けられるが、それもまた子供のよう。 「どれにしよっかなあ」 目をきらきらとさせている委員長は、メニューを見ながら楽しそうに迷っている。 無防備な委員長をわたしは優しく、そして冷徹に見ている。そんな中…。 「あっ、太田くん!」 わざとらしく、わたしは太田を発見する。同じく学校帰りの途中…という設定。 委員長はすこし不機嫌な顔になる。太田が来るんだもんな、この子にとっては無理がないか。 「太田くんも、クレープ食べる?」 「…う、うん」 「より子先生が少ないお給料で奢ってくれるんだから、もっと喜びなさいよね!太田」 太田を蔑む為に口にした委員長の言葉にわたし自身がイラッとするが、 そんなことはどうでもいい。太田もわたしと委員長の輪に加わった。 そして、みんなで楽しくクレープを食べました。 おしまい。 そんな訳ないだろ。話は明日へと続く。 翌日の朝早く、一人で職員室に来た委員長は、わたしにこっそり一枚のチラシを見せてくれた。 それは、とある鯛焼き屋の広告であった。 「ここの鯛焼き、すっごく美味しいんですう」 「へえ!いっぺん食べてみたいね」 わたしは新聞を取っていないので、この店のことは知らなかったが、委員長の腹の内は ただ『鯛焼きが食べたい』というものではなかった。 これからは、あくまでもわたしの憶測なんだが、きっと委員長はわたしに気に入られたいんだろう。 ただ人気者と言うだけでろくにクラスをまとめず、わたしと仲良しごっこをしている委員長。 おそらく、これからの進学の為にわたしに気に入って欲しいと思って、やたら近づいてくるんだな。 そして、わたしをご機嫌にして内申書を少しでもいい点にして欲しいという、 浅はかな考えがメガネの委員長を動かしているのに違いない。うん、間違えない。 思い出してみなさい。太田が花瓶をこぼして資料を台無しにした(実際はわたしなんだが)時の委員長。 ここぞとばかり太田に噛み付く飛鳥に対して、あんまり荒立てようとしなかったじゃないか。 いい子ちゃんをぶって、飛鳥をなだめる所なんぞ偽善の香りが甚だしい。 まるで小さい頃のわたしを見るようで、なんだか腹立たしくもあるのだ。 「今度、こっそり買って持ってきましょうか?より子先生のためだけに!」 「うん、楽しみにしてるね」 「うわーい、楽しみにしてくださいね!!」 委員長はまるで高校の頃のわたしのようで、見ていてどうも気に食わない。 同族嫌悪って言うやつか。 . ×××××××××××××××××××× わたしが中学3年の頃、友達は本当にいなかった。 いや、バカな話をしたり一緒に帰ったりする友達ぐらいはいたが、 どの子も薄っぺらい友情で繋がっている、知り合いの毛の生えたものであった。 「より子は国語の成績がいいなあ」 「べ、別に国語だけ頑張ったんじゃないから…!」 「より子の顔が赤くなったぁ!!」 自慢ではないが、中学時代の成績は押し並べていい方で、間近に控えた高校受験も全く不安なものではなかった。 教師や親からも期待をされた、まじめのまー子であったのだ。 そんなわたしは、他の友達がこれからいくつかの高校の入試に突入する中、いち早く私立の推薦入試に合格を決めた。 もちろん、教師、担任、友達は喜んだ。わたしも嬉しい。 これからのスクールライフに、美しい花を咲かせようとした時の事の話。 担任から呼び出されたわたしに、その花をむしりとられる様な事を言われる。 「三川さんは、はしゃがない方がいい」 「どうしてですか?折角合格したのに」 「まだ、受験を控えてる子もいっぱいるからね」 わたしの合格はわたしのものだ、他のヤツが気にする事はない。 と、思っていた当時のわたしはバカだった。 お手洗いの扉越しにわたしの噂を耳にする。 「より子は最近、冷たいなあ。アイツ、浮かれてるよね。ぜったい」 「先に合格したから、調子に乗ってウチらを見下してるんだよ」 友達だと思っていた子たちの声だった。どんなに長い呪いの呪文よりも、この言葉はわたしを深く傷つける。 彼女らがお手洗いから出てきて、わたしの姿を見にすると 「より子の行く高校、いいなあ。きれいなバルコニーがあるんだって?」 「わたしも、より子みたいに早く合格決めるんだ!」 と、手のひらをひっくり返すように、乾き切った尊敬の眼差しでわたしを見てくれる。 うそつけ。うそつきは嫌いだ。友達なんか、うそつきのかたまりだ。 この頃から人間がやけに嫌いになり、わざと友達(だったヤツら)から距離を置くようになる。 その結果、ただでさえ友達のいなかったわたしは、全く友達の影が見当たらなくなってしまった。 その反動か、高校に入ってから薄っぺらくてもいいので友達だけは欲しいと、 努めて明るく振舞う『みんなのより子』を演じてきた。 そして、わたしのほうがすっかり『うそつき』になってしまった…。 委員長とわたしの高校時代は、似すぎている…。 . ×××××××××××××××××××× そんな、わたしの話はさておき。 わたしはそのお礼代わりと言っちゃなんだが、委員長にリップを勧めてみた。 買っておいて封を開けないまま持っていた、瑞々しい柔らかなリップスティックを わたしのカバンの中から取り出し、委員長の小さなくちびるに塗ってあげた。 それほど派手でもなく、むしろむず痒い中学生たちにはお誂えのリップ。 お年頃の委員長には、ぴったりかもしれない。 どちらかと言うと地味なメガネっ娘で、そんなにおしゃれに気を使わない委員長は、 わたしからのプレゼントにまるで子供の様に喜んでいた。実際、子供なんだが。 「うわーい!より子先生、ありがとう!」 「委員長も大分、委員長っぽくなったよ」 「より子先生!ひどーい!それじゃわたしが『委員長』っぽくなかったじゃないですかあ」 「ウソウソ!!でも、随分大人っぽく見えるよ、コレだけで」 わたしがただで何かをしてあげると思ったら大間違い。 山猫は旅人からもらった一枚の肉にぱくつくが、その肉には小さな小さなとげが仕込んであるぞ。 今は気付かないかも知れないが、後になって痛い痛いって泣き叫んでも知ーらないっと。 委員長はカバンを揺らしながら、ぱたぱたと教室に向かった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |