めいこと高坂(非エロ)
-2-
シチュエーション


ガチャリ。

やっと施錠が解かれる。

「あっ!アイアイ!何してたんだよ!」
「密室に二人…危険な香りなのですね」
「よ、良かった…!」

高坂のどこにも、外傷も縛られた跡も拷問に遭った様子もない。
私が恐れていた事態には発展しなかったようだ…。

「南さん、何でこんな所に?」

高坂は本当に不思議そうな顔をして尋ねてくる。
こんな所も何もお前を心配してやってたんだよ脳みそあんのかお前。

「いや、急に香織に連れていかれたからびっくりしちゃってっっ」

とは言わない私は、やっぱり天使の様に優しいだろ常識的に考えて。

「?大丈夫だよ。あ、そうだ。あのさ、授業終わったらちょっと付き合ってくれないか?緑会の事で」
「え?わ、分かった」

高坂は言いたい事だけ言って、教室へ戻って行ってしまった。

その後香織は、当然奈々子達によって尋問に掛けられたが、結局口を割らず、うやむやに事態は収束した。
すごすご席に戻っていく二人の後ろ姿を眺めながら、香織に問いかける。

「香織…アンタ何言ったの」
「めーちゃんが心配するような事は言ってない…大丈夫」
「信用出来ない。いいよ、直接本人に聞くから」
「…久しぶりにめーちゃんだ」

今になって気付いた。
香織の機嫌がいい。
無言で睨み付けるが堪えた様子もなく、香織はすました顔で授業の支度を始めている。
ムカつくが、まぁいい。どうせもうすぐ分かるんだから。

「…ったく」

いい加減準備を始める為に、シャーペンを手に取る。
不必要に可愛らしいキャラクタがぶら下がった、不便なシャーペン。
その陽気に笑う姿が自分みたいで、酷くいびつに見えた。

本当に何言ったんだあのアマ。

「…え、高坂君?も、もう一回言ってくれないかなぁっ?☆」
「河の清掃活動をしてるグループの代表の人から俺に連絡が来たから、今週の日曜日…」
「その後その後っ♪」
「…の前日の土曜日に、話し合いついでに一緒にテスト勉強しないか?」

俺の家で。

「はあ?」
「いや、都合が悪いなら構わないけど」

「………」

…あ〜〜ダメだ高坂がいつもの無表情だから何考えて言ってんのか分からん!!
何?!何言ってんの?!
家?何を言い出してんだコイツ?
ううううああああああああ

(この間2秒)


「あああうう!」
「へ?」
「いやいや今のはちょっとバグが出ただけだから気にしないでねっ☆」
「あ、ああ」
「家っ家よねっわかた!行くよ!」
「本当に大丈夫か?何か大丈夫じゃなさそうだけど…」
「全然平気だよ!!」
「じゃあ土曜12時に正門前で…」
「うんっわかりましたっ!ではでは〜っ☆」


はい嘘です。
よく考えなくても、OKする事なんて無かった。断れば良かったのに。
いつもなら「この愚民身分違いにも何を言い出してるんださてどう料理してやろう」ってなもんなのに。
アイツがいきなり言い出したもんだから混乱して、正常な判断が…。
だから…。

……。

いや、違う。
薄々感じていた自らの意識に、否が応でも向き合わされたのを感じる。
苦々しい気持ちが湧き上がってくる。

いつの間にか私にとって高坂は、それがどんな存在であれ。
他とは違う、特別な存在になっていた。

「…はぁー」

顔がどんどん熱くなっていくのを感じる。多分真っ赤になってるだろう。
とんでもない誘いをしてしまった…。
何であんな事を言ってしまったんだろう。
あの時の…相田さんとの会話を思い出す。


『高坂君はめーちゃんを、「傷付けても」一緒に居たい?』
『いや。俺はもう彼女に嫌われてるから…』
『居たいならめーちゃんを誘ってみて』
『俺は』

『誘いなさい』
『……何にだよ』

『家に誘ってみて』
『家?!そんなの』
『誘って』

めーちゃんは絶対に、OKする。

確信を持って、相田さんはそう言った。

正直、迫力に押されて鵜呑みにする形になったのは間違いない。
大体相田さんは何なんだ?…牽制してるのか協力しようとしてるのか、訳が分からない。
実際OKされても実感がわかないし、本当に迷惑でなかったか不安で仕方ない。
というか…親が居るにしろ、男女が一つの部屋で…

……。
………。

ダメだ、そんなの良くない。

耐えきれなくなった俺は、即座にその場を後にした。


「あんた、高坂に何言ったの」
「内緒…」

「何でさっき高坂が凄い勢いで来て、『相田さんも良かったら一緒に勉強しよう』って言って帰っていったの」
「知らない…行くけど…」

「あーこのクソ女…もう何でもいいわ…とりあえずありがと」

香織は、私と高坂の先日からの気まずさだけは払拭してくれていた。
クソ女は珍しくニコリと、悪魔みたいに微笑んだ。

土曜日までの私の、輝かしいまでの愛らしさは略すとして。

「汚いけど良かったら」
「「「はーい」」」

いや、はーいじゃねーだろお前ら。

何というか、予定通りというか、滞りなく、事態は香織のいいようになっていた。
ほら見ろ小市民代表みたいな顔した高坂の母親が、女4人も連れて来るもんだから滅茶苦茶びびってんじゃねーか。
仕方ないから挨拶位してやろう。

「高坂君のお母様、今日はお招きいただいてありがとうございますっ///騒がしくするかとは思いますがご容赦くださいっ」(ペコッ)

可愛く頭を下げ菓子折りの一つでも渡せばちょろいもんだ。

「まぁまぁ!ありがとうねー」

案の定母親は、私が持ってきたどら焼きの箱詰めを見て、口を綻ばした。
まあそんな哀れな人間にも情けを掛けてやるのが、私の素晴らしい所だな。

「南さんも良かったら入って」
「あ、はいっ」

高坂に促され、私達は高坂の部屋に初めて足を踏み入れた。

部屋はイメージ通りシンプル、簡素、そんな言葉が似合いそうな整頓具合だった。

「何かエロ本なさそうな部屋だね」
「奈々子!!」
「去年の成績表見つけましたわ〜」
「マユ!!」

どうしようもなくアホな子供を持った親の気持ちが今分かる……。

「高坂君ごめんねっその、二人には悪気はなくて…その、ちょっと馬鹿なだけなのっ!」
「いやいいよ。別に見られて困るものもないし」
「…めーちゃんキャラ補正」

香織につつかれハッと口を押さえる。
しまった…奈々子を呼び捨てにしたり馬鹿とか口走ってしまった…。
青ざめる私を気にした様子もなく、4人はさっさと各々の座布団を敷いて勉強道具を持ち出す。
ていうか…このメンツで勉強が成立するんだろうか。

「これー…答え3だよね」
「また間違ってますよ〜奈々子さん」
「それは先に代入してから解かないと」
「…頭悪い」
「はっ!?アイアイ今何を」
「ねえねえ」

高坂は何というか、下手に素直なだけに押され弱い所があるようだ。
今回だって、1人追加で誘った筈が、うやむやに女4人も家に呼ぶハメになってるし。

とろとろと意味もなく1時間位経って一段落ついた頃、私は「高坂君、そろそろ緑会の方の話し合いしよう」と言い出した。
奈々子が「あらっじゃあ私達ここに居るから別室でどうぞどうぞ!!」と自分の家でもない癖に壮絶な気を利かせた時も、あいつはあえて何も言わなかった。

正直、私の腹は最初から決まっていた。
香織のフォローと高坂の優しさで、私の失態をなあなあに見逃してもらうつもりはない。
自分の事は自分の力で収拾する。付き合いの長い香織も、それは分かってるだろう。
大体、私は謝ってもいないんだ。

「半分物置みたいな部屋だけど、ここで良かったら」
「ていうか、話し合いする私達が追い出されるってかなりおかしいね…」
「まあ、同じ部屋で違う事喋ってたら相田さん達の邪魔になるしな」

いや、お前家主だろ。どこまで人が良いんだ…。
高坂の母親が運んできた私のどら焼きをパクつきながら、さっきより一回り小さな机に地図と数枚の資料を乗せる。

「連絡取れた後に、活動概要の書いたファイルをメールで送ってくれて、あとHPも教えてもらったんだけど」
「あ、HP見た見たっ。何か凄いよね、お花見とか」

HPにはゴミ拾いだけでなく、周辺に植わってる桜が満開になる時期には屋台を出して地域振興を図ったり、植林活動をしたりと、とにかく幅広く活動内容が報告されていた。

「それで明日のインタビューの質問なんだけど…」
「ああ、言われた通りいくつか考えてきた」
「見せて〜。…あ、やっぱり何個か被ってる(笑)」
「これとこれは押さえた方が…」

なんて。

余裕ぶって話してる訳だけど、実際は心臓のバクバクが止まらない。
頭に血がじりじりと昇って目が眩むのを感じる。
何でこんなにこの部屋狭いの?
50センチもない距離で頭をつき合わせて同じ空間に居るなんて、緊張して目が回ってくる。
何がこんな部屋のスペースを取ってんだと高坂の背後を見やったら、大量の布団が丸めて寄せられていた。

…ますます目眩がする。

「南さん?」
「あ、ごめんっ。うんそれでいいと思うよ」

慌てて高坂の呼びかけに我に返る。

…駄目だ。

最近の私は自分のペースを狂わせ過ぎてる。
今までの私ならこんな事、一度だって無かった。
皆の前で良い顔して、香織の前でたまに毒づいてれば、それでバランスは保たれていた筈なのに。
全部、こいつ。高坂が現れたせいだ。

「じゃあそろそろ向こうに戻ろうか」
「あ、ちょっと待って!」

立ち上がりかけた高坂の服の裾を思わず掴む。
視線がぶつかった。

最初に目を逸らしたのは高坂だった。

「えっと…」
「あっ…の」

言え、言うんだ私。

「「この前はごめん!」」

言った瞬間、とてつもない脱力感と共に違和感が襲う。

…あれ?声がだぶった?

「…高坂、くん?」

高坂は膝をついて、深々と頭を下げていた。

さてコイツは、今度は何の勘違いをしてるんだ?

「この前は本当に…デリカシーない事言って本当にごめん」
「いや、あの、え?」
「南さんの事知ったような口きいて、ずけずけ人の心に入って行くなんて…人間として最低だ」
「高坂クン?」

どうもおかしい。本来謝るのは私の筈なのに、どうして高坂が平謝りしてるんだ?
いまや彼の中で、高坂誠一という男は今世紀至上最悪の男となっていた。

「こんな事で許して貰えるとは思ってないけど、」
「ちょっと待ってよ高坂君!高坂君は全然悪くないよ!」

きょとんとまばたきをして、高坂は私を見上げた。
私は言い含める様に、ゆっくり、きっちり、目を見ながら話す。

「高坂君は悪くない。私が勝手にキレて、高坂君に迷惑を掛けただけ」
「でも、俺が余計な事を言ったのは確かだ…」
「じゃあおあいこでいいじゃない。どっちも悪かったんだよ」

どう考えても私の方に非はあるが、こうでも言わなきゃ高坂は延々自分を責め続けるだろう。
気を張っていた自分が馬鹿みたいで、体の力が抜けるのが分かる。

やっとこれで一段落…。

「待って。そういえば高坂君、屋上で香織に何言われたの」

途端に、高坂の表情が今まで見たことのないモノに豹変した。

「…高坂君?(笑)」
「……」

一段落はまだ、つかないようだ…。

「相田さんには、その、怒られたよ…」
「香織が何高坂君に怒る事あんのよ」
「そりゃ南さんに酷い事言ったから…傷付けるなら関わるなって釘刺されたよ」
「あいつ…」

あの馬鹿女…ホントに余計な事ばっかり言いやがって。
私の思いとは裏腹に、高坂は何やら感心したようだ。

「相田さん…本当に南さんの事が大切なんだな」
「そうかな」
「あんなに自分の事を想ってくれてる友達が居るって、なんかいいと思うよ」
「香織は…私に借りがあると思ってるから」
「え?」

つい口を滑らせてしまったが時既に遅く、高坂はすっかり続きを聞く体勢だ。

「えっと」

耳に入れたくない話だが、仕方無く口を開く。
出来るだけ浅く小さく手短に。

「香織は小学校からの付き合いで、中学も一緒に上がったんだけど…1年の頃に少しイジめられてたの」
「あの相田さんが?」

今でこそ図太く強かになった香織だが、当時は純粋無垢な弱い子だった。

「それで私があの子の手助けをして、すぐにいじめは収まったの」

たったそれだけなのに、香織はまだ私に恩義を感じてるみたいで。と軽く笑って続けたが、事実はそうじゃない。
あれは地獄だった。
香織はいつ殺されてもおかしくなかった。
庇った私は更に無限地獄に陥って、親の都合で転校になるまで、その連鎖を完全に断ち切る事は出来なかった。
まあ香織はそんな私に引っ付いて来た訳だけど。

「何にせよ、相田さんみたいな友達が居るって良いことだと思うよ」
「いやー高坂君にノシ付けてあげちゃうよ」

恐らく香織にボロカス言われた筈なのだが、高坂の中で奴は素晴らしい人間になってるようだった。
ふと気付くと、高坂はまた私を見つめていた。

「…南さん」
「っ」

変に真剣な眼差しを受けて、急にまた心臓がバクバクし始める。
う、うう、静まれ心臓!大丈夫、あれだけ謝られたんだから、もうヤツは変な事言い出さない筈!

…よし、返事だ!

「何かなっ?」
「南さんは、そういう風にしてるのが1番かわいいと思う」

まごうことなくクリティカルヒット。

「………」
「今みたいに元気に喋ってる方が俺は凄く楽しい」
「…」
「あれ、南さん?」
「……」

天然だ…。
あれだけ謝っておいてこの発言…。
この男は…天然だ…。

ハッと今更ながらに高坂は慌て出した。

「どうしたの南さん、顔が赤くなってるけど部屋暑い?」

部、屋、じゃ、ねーーよっ!!

「だっ大丈夫大丈夫大丈夫!」

かっ顔!顔近いから!
一刻も早くこの部屋から出ないと…!

ヅル。

「あ」

重ねて不運な事に。
焦り過ぎて立ち上がった弾みに、どら焼きの包み紙に足を滑らせて…。

「わっ!」
「ぎゃっ」

前のめりに倒れるが高坂に支えられ、何とか姿勢を保つ。
保てたが…。

「……」
「…き」

高坂は私の胸を思いっきり掴んでいた。
硬直する高坂。
一瞬の空白、そして。

「きやああああああああああ!!!!!」

悲鳴と同時にスパーーン!と襖が開き、香織が突如現れる。
香織は様子を見るなり私の手を掴み、ずるりと高坂から引き剥がした。

「では私達はこれで」

『殺』…そんな漢字が浮き上がってきそうな表情を高坂に向けつつ、香織は私の手を引き帰り支度を始める。
私は全く、とにかく、それどころでなくて。
胸だの香織だのの前に、自分の事でいっぱいいっぱいだった。
心臓が、痛い。

どうしよう。
私、高坂の事好きだ。

「香織、本当は怒ってないでしょ」
「めーちゃん、高坂君の事好きでしょ…」
「それを気付かせる為に家に呼ばせたわね…」
「知らない…」

観念する事にした。
本当言うと、顔だってカッコいいかもって、ちょっと思ってた。
私と違って純粋で馬鹿みたいに素直で、私の事も受け入れてくれた。
あいつと居ると馬鹿女の自分と、最低女の自分との境目がなくなって、只の私として向き合えていた気がしてたんだ。

「ねーめいこ、いつまでアイアイにおんぶして貰ってんの」

菜々子の突っ込みに、はたと自分の立場に気が付く。
そうだった。
度重なるショックでマトモに反応しない私に業を煮やした香織は、なんと私をおぶってまでして高坂家を後にしたのだ。
香織の身長は165センチ、私は154センチ…極端な体格差が成せる技だった。

「めいこー、好きな人に胸揉まれた位いいじゃんよー」
「本望じゃないですかぁ〜。逆に襲っちゃえば良かったんですよ☆」
「マユ自重…」
「ううう〜っ」

三人に言われたい放題でも、今はもう返す言葉さえ見つからない。
また頭がぐらぐら沸騰し出す。

「…めーちゃんまた顔赤いよ」
「あっ涙目!また泣いてる!」
「菜々子さん、いじめっ子じゃないんですから落ち着きましょうねー」

顔を香織の肩に押し付けて必死で隠す。

「……恥ずかしいよー…」
「めーちゃんふぁいと…」

もう私はボロボロで、毎回完敗なのに、それなのに。
…それなのに、明日も高坂に会うんだ。

「おはよう高坂君!」
「お、おは…」
「昨日は急に帰っちゃってごめんね!あっ胸の事なら気にしてないから大丈夫!」
「南さん?」
「なにかなっ?」
「何でお面被ってんの?」

諸事情で。

「それ…屋台の500円位する高いやつだよな」
「香織に貰ったから大丈夫!香織滅茶苦茶お金持ちだから!」

…何て通じる訳がないか。
観念してセーラー○ーンのお面を取る。
恥ずかしくて顔を合わせられないと言ったら香織がくれたお面だったが…。
やっぱり冗談だったんだろうか。ていうか冗談すら判別出来ない今の私って何なんだろう…。
いや!でも!一番言いたかった事はとりあえず言えたぞ!

インタビューの待ち合わせ場所に指定している河川敷の方に歩き出しながら、高坂はやっぱり申し訳なさそうな顔で切り出した。

「いやでも南さん…昨日はマジでごめ」
「はいっ『ごめん』は今日はナシだよ」
「え?」
「私達、よく考えたらいっつもどっちもどっちみたいな事してると思わない?」
「そ、そうかな」
「だから私達の間で『ゴメン』って言う時は、二人共謝る事にしよ」

納得してないような高坂の様子だが、何も言わないよりはマシだろう。
必死で平静を保ちながら、やっと河川敷に辿り着く。
代表者の方は既に到着していた。

妹尾純。
…という名前だったからてっきりおじさんを想像していたのだが。

「ここ!デジカメで取って!ほら!」
「はいっ!」

新米カメラマンのようにコキ使われる高坂を後目に、私はせっせとゴミ拾いに勤しんでいた。
高坂はゴミが捨てられている様子や、煙草の吸い殻などをかつてない真剣さで激写している。

妹尾純は女で、しかも若くて、しかも結構美人だった。
開口一番彼女はこう言った。

「カメラ持ってる方は記録係、残りはゴミ拾え」

………あのアマ殺す殺す殺す殺す殺す殺す絶対殺す。
ぶちっとうっかり雑草ごと引き抜く所を見られ、「何してんだそこ!」と怒鳴られる。

「はぁいっごめんなさぁいっ!」

何で待ち合わせ時間が朝8時からだったのか…今更ながらに理解した。

「この河は…昔から馴染みのある、大好きな場所の一つだったんだ」

写真を撮って、ゴミを拾い、生え過ぎた草を刈り、ゴミ収集所までそれら全てを運び終えてから、やっとインタビューが始まった。
時刻は12時を過ぎようとしていた…。
ジュルジュルと飲み尽くしたオレンジジュースの底をストローで吸う。
その横でメモを取る高坂だが、度重なる酷使で握力に限界が来て、ミミズみたいな字になっている。

「最初は私の恋人と二人で始めたんだがもう奴は今は…」
「え…まさかお亡くなりに」
「活動メンバーの中の可愛い女とデキて以来、二人共目にする事はなくなった」
「そうですか…」

人格はともかく、妹尾純の志は尊敬に値するものがあった。
実際に活動実績を上げているというのが凄い。
会社勤めをする傍ら、こういった活動に精力的参加出来るというのは、情熱が無ければ出来ない事だ。
私にこんな打ち込める事なんてあっただろうか。

「まあ…最近は仕事との折り合いが難しくなってきて、代表を違う人間に譲ろうと思ってるんだけどな」

困った様な笑い顔で、妹尾さんは最後にそう付け加えた。

インタビューを終え、私達は歩き慣れた道を帰っていた。

「…ちょっと寂しいね」
「若い人はやっぱり集まらないそうだしね。うちの高校も漠然とやらせるんじゃなく、ああいう活動に実際取り組むべきだよな」

教科書的お手本発言をする私達だが。
実際私達自身が経験しなければ、どれだけの事を考えられたというのだろう。
私なんて、基本的に慈善活動なんてやってられるかってなもんだ。
だけど、高坂は違う。きっと最初から真剣に取り組んでいたんだろう。

…そういう所が私は全然だめだ。
顔とか態度で私は高坂の事を見下していたけれど、本当に見下されるべきなのは私だったんだ。
それが今更になって理解出来る。

「南さんどうしたの?」
「何もないよ、大丈夫」
「南さん」

不意に高坂の声のトーンが変わった。

「はい?」
「南さんは俺に『ごめん』って言うなって言ったけど、じゃあ南さんは『大丈夫』って言っちゃだめだ」
「高坂君?」
「南さんは優しいから平気なふりしてたりするけど、そんなの体に良くない。大丈夫じゃない時は大丈夫じゃないって言わなきゃダメだよ」

高坂の目はいつも通り純真で、真摯だった。
また何をバカな事を言い出してるんだ。
私が大丈夫って言う時は、大抵何かを誤魔化す時か、関わってくんなっていうのを遠回しに伝えてるだけなんだ。
だからお前のそんな言葉は完全に間の抜けたバカ丸出しのアドバイスなんだよ。
だから私はそんな事、今まで一度だって言われた事が無い。

「わっ!南さん?また俺何か悪い事」
「…目にゴミが入ったの」
「ゴミ?!大変だ、あの喫茶店でトイレ貸して貰おう!」

こすっちゃダメだ、菌が入るから!とか大真面目に言ってる高坂はやっはりバカだ。
ぽつりと落ちた涙は、すぐアスファルトに吸い込まれていった。

本当にトイレで目を洗う羽目になるとは思わなかった。

某チェーンの喫茶店の女子トイレでパシャパシャと軽く目をすすぐと、化粧のすっかり取れた顔が現れた。
カッコ悪い。けど仕方ない。
目の赤みが引いているのを確認して、出口のノブを回す。
途端に喧騒がボリュームを上げて耳に飛び込んでくる。
高坂はどこだとキョロキョロと見回すが、見当たらなかった。

「外かな」

そして出口へ歩き出そうとした時、それは聞こえてきた。

「あの子が良くしてもらってるみたいで」
「今年で高二になりますね」

あ。

一言その声を聴いただけで、その断片がめまぐるしくフラッシュバックする。

甘いキャラメルみたいな声。ふわふわの巻き毛にクスクス笑いが絡み付く。

『ママはめいこちゃんが要らないの』

凄く綺麗で可愛かった。

『かわいくないから要らないの』

「あら、もしかしてあの子」

私を指したその指は、ベビーピンクのマニキュアが塗られていた。

「めいこ…」

母親は私を見て、驚いたように眉をしかめた。

「ほら、やっぱりめいこちゃん」

元母親は、私を見てニッコリ微笑んだ。
私にそっくりな顔をしたそいつは、残酷な程愛らしい。

「南さん?」
「めいこお友達?」

外で待っていたらしい高坂が様子見に戻って来てしまった。
変な誤解を与える前にすかさず付け加える。

「緑会委員で一緒に活動してるの。今日インタビューしに行くって言ってたでしょ」

ああ、と母親が納得している横で、そいつはまたニッコリと微笑んでいた。
そしてさも当然かのように、それを提案した。

「じゃあよろしければ、貴方達もこちらに座られません?」「いや俺は」
「一緒にお話しましょうよ」

久しぶりにお話したいわ。と山下結衣子は囁くように言った。


南さんがいつまで経っても出て来ず、心配になって来てみれば…何だかマズいシーンに出くわしてしまったようだった。
なかば強制的に促され、状況把握出来ないままイスに腰を下ろす。
座っていた二人の内一人は、南さんにそっくりだった。
南さんを大人にしたら、きっとこうなるんだろう。

「…」
「ふふ」
「………」

「えっと」

いつまで経っても始まる様子の無い会話に恐れをなし、恐る恐る声を掛けてみた。

「南さんのお母さんですか?」
「いいえ、こっちの方がめいこちゃんのお母さんよ」

途端に南さんの気配が変わるのが分かった。

「親離婚してるから。他人」

そしてブツ切れの言葉だけが返ってきた。

……いつになく南さんの様子が怖過ぎる。
という事は、俺の向かいに居る女の人が、今の南さんのお母さんなのだろうか。
今のお母さん?と思われる人は俺と同じく、何とも形容しがたい、複雑な表情で苦笑いをしていた。

「山下さん、この子はいつぶりでしたっけ。大分経つんじゃないですか」
「最後に見たのは中3位じゃないかしら、母の葬儀の時だから…」
「お母さん、何で山下さんとこんな所で喋ってるの」

主婦らしいたわいない会話は、南さんの低い声に両断され、『山下さん』という人は南さんみたいにニッコリと微笑み。

「これ返して貰ったの」

フライパンを取り出した。

「…は?」
「この前すっごく久しぶりにホットケーキ作ろうとしたらうまくいかなくって」

昔のフライパンならうまくいったのにーっ!て思ってたらねぇ、めいこちゃんのパパの家に置きっ放しにして来たの思い出したのよ。

「連絡を受けて押入探したら、まだ家にあったの。だからお返ししてたのよ」

…俺は所詮外野だから何も言えないけど。
そういう事って普通するんだろうか。
何年も前に別れた相手の家に電話して、忘れ物を持って来させて平然としてるのは…ちょっとおかしいんじゃないだろうか。

「そう」

南さんは無表情だった。

よく聞くと、山下さんの発言は妙に違和感のあるものばかりだった。

「ふふ、それにしてもめいこちゃんも大きくなったわね。彼氏は居ないの?」

実の母親だというのに、語り口もどこかおかしい。
まるで親戚か近所の人かといった様な…形容しがたい『軽さ』をその振る舞いに感じる。
何が違和感なんだろう。この人の何が足りないんだろう。

「居ないです」
「皐月さん、めいこちゃんも言ってる間にすぐ出来るわよ」
「まだまだ早い気もしますけれどね。そういえば山下さんお時間は大丈夫ですか?」

そして南さんの母親は、明らかに引き際を探していた。

「まだ大丈夫よ。ねえめいこちゃん」

それを知ってか知らずか軽く質問をかわし、尚も南さんに尋ねる。

「何ですか」
「折角だからお小遣いあげようか」

ピシリ、と南さんの表情が凍った。
ああ。

「山下さんそんな申し訳ない」
「5000円位でいいかな?…あら万札しかないわ、ふふ、ラッキーねぇ〜」

美味しいものでも食べてね、と一万円がぺらりと南さんの前に置かれた。
南さんは微動だにしない。

「…」

不意に。
分かった気がする。
この人には責任が無いんだ。
自分の子供だなんて、思ってないんだ。

「もう結構です」


私じゃない。
そう認識するのに数秒かかった。
立ち上がっていたのは高坂だった。

「もう結構ですから」

高坂はもう一度繰り返し、私を見た。

「南さん行こう」
「へ?あっ…」

何が何だか分からないまま手を取られ、ぐいぐいと引っ張られていく。
慌てて母親に目をやるが、驚きの余りか追おうとはしてこなかった。
そしてあの女は、やはり笑っていた。

「高坂、君っ?」
「…」
「あの、大分歩いてない?ていうかペース早…っ」
「…」
「あの私、鞄置いて来ちゃ」

ピタリ。

店を出て以降、延々歩き続けていた高坂は、突然立ち止まった。

「高さ」「あああ〜……」

奇声を上げ突如その場に座り込み…。

「俺は何て失礼な事を…!」

そして、明らかに手遅れな反省をし出した。


「高坂君、何であんな事したの?」

訊かずには居られなかった。
何であの温厚で冷静なこいつが、あんな風に怒って、荷物を持つ暇さえ与えずに私を連れ出してしまったのか。

「…失礼な人だと思ったんだ」

暫くしてぽつりと、高坂は呟いた。

「あの人は、南さんに対して凄く失礼だった」

それに我慢出来なかったと、高坂は俯きながら呟いた。
失礼ならお前も十分やっちゃった感あるよなと胸中で突っ込んでみるが、反面嬉しさがじわじわと沸き上がってきた。

「いいんだよ」

高坂は顔を起こし、私を見つめた。

「あの人は別にいいの、そういう人だから」

高坂と私は、近場の公園のベンチで並んで腰を下ろしていた。
高坂になら少し話してみよう。そう思えたからだ。
今までそんな風に思えた人間は居なかったし、作ろうともしなかった。
高坂だから初めて考えられた事だった。
踏み込まれる事への恐れを感じながらも、私は一言切り出した。

「私は今の母親が本当の母親だと思う」

嫌いなモノは食べさせられるししょっちゅう怒られるし、真以子は五月蝿いけど。

「私に関わってくれてると思うから」
「…山下さんは昔からああいう風だったの」
「あの人は昔から自分にしか興味ないから。今思えば顔がそっくりだったっていうのも嫌だったんだろうな」

高坂は『理解出来ない』というような顔で眉をしかめた。
コイツには絶対理解出来ないんだろうな。
それが普通で、きっとあの女と私はもう異常なんだ。

少し話しているうちに、ふとあの言葉が頭をよぎった。









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