由梨と上原先生
-6-
シチュエーション


ダッダッダ!

階段を下りるとそこでは、同じく地獄絵図が繰り広げられていた。

「テメェぶっ殺すぞ!!」
「何で邪魔すんの?ねえ何で藤本圭君と糞女がココに居るの?」

藤本が腕から血を流しながら、中島歩美の腕を掴んで背中に乗り上げていた。
二人は、窓を破って侵入して来たのだ。
襟沢は恐怖で涙をこぼしながらも、暴れる歩美先生の足を押さえていた。

「先生!」

振り絞るような弱々しい声で、襟沢が呼び掛けた。

「どうしたの!?何があったの!」
「二人ともそのまま押さえとけ!」

藤本と目が合う。
殺気立った目で藤本は、端的に問う。

「…青柳か?」
「居ない。桜井先生の死体があった」

ヒッ、と襟沢が息を飲む。
鼻がやられて匂いが分からないが、扉を盛大に開けて出て来た事で
腐臭が階下にも広がっているようだった。

「青柳は何処なんだ?オイ!!」

ガンッ!

最後の罵声と共に、藤本は思い切り歩美先生の頭をフローリングに打ち付ける。

「はぐぅっ!」

奇声を上げ、歩美先生は体を仰け反らせるが、気を失った様子は無い。

「やめろ藤原!そんな事をしても歩美先生は話さない」
「隆さん…」

僕の声に反応して、ズルリと歩美先生の頭が起き上がる。
歩美先生は鼻血を垂れ流し、やはり幸せそうに微笑んでいた。

「歩美先生、青柳先生は何処ですか?」

僕は怒りを殺し、必要な言葉だけを歩美先生の前に並べた。

「話の…続きでしたね」

それに対し、歩美先生はよくわからない返答をする。

「話?」
「ほら、秋桜の話ですよ…」
「話を逸らさないで下さい!」
「さっきも『ちゃんと話してる』って言ったじゃないですか」

歩美先生は、やはり真顔で僕に訴えた。

「あ」
「え?」

出し抜けに発した間抜けな声に、藤本達が不審げにこちらを見やる。
不意に僕の中で、彼女の言葉と言葉が繋がった。

青柳と秋桜は関係が
秋桜が綺麗だと彼女は

「秋桜、よく育ってましたね」

歩美先生は歌うように、うっとりと呟く。

「きっと栄養が良いからですよ」

僕は、握り締めていたネームプレートを取り落とした。

歓喜に満ちた中島歩美の嬌声が、階下に響き渡った。

中島歩美を手持ちのロープで縛り上げると、僕は一目散に玄関へ駆け出した。

「高坂、とにかく警察に通報しろ!」
「あ、はい!」
「藤本は歩美先生を見張っとけ!」
「おい何処に行くんだよ!」

藤本の問い掛けに、僕は簡潔に叫び返す。

「確かめにいく!」「私も!」

思いもよらない所で襟沢が立ち上がった。

「襟沢、君は」
「お願い先生!」

襟沢は混乱し、恐怖しながらも真摯な瞳を僕に向けていた。
一瞬の逡巡の後、僕は無言で家を飛び出し、その後を襟沢が追った。

ゴッ!!
ザアアアアッ

闇天の下、土砂降りの豪雨が僕を襲う。
風に叩き付けられよろめく、が、それでも僕は走り続ける。

「っ!」

後ろから手が伸びてくる。

「せんっ…せい!」

それは白い白い、襟沢の手だった。
打ち付ける雨の中、苦しそうな襟沢の手を取り、僕らはまた走り出した。
一つの目的地に向かって。



見上げた時、それはまるで巨大な墓石のように思えた。
雨に晒され、闇が落ちる。

「学校…」

呟く襟沢の手を引き、僕は裏門に回った。
打ち付ける雨は激しさを増し、痛みさえ伴う。
濡れそぼった髪をかきあげ、僕は鉄柵を握り締め、勢いを付けて門を乗り越えた。

「ほら」

僕は内側から手を伸ばし、襟沢に足を乗せて踏み台にするよう指示する。

「うんっ」

襟沢は小さな足を乗せ、飛び上がった。

「先生、どこに行くの!」

襟沢の問い掛けに答えず、僕は一直線に用具倉庫へ向かう。

ガラガラ…ッ

偶然開いていた倉庫の中を、携帯のバックライトを頼りに物色する。

「あった」

僕は土がこびり付いたシャベルを2本、取り出した。


ザクッ、ザクッ、ザクッ…、ザクッ、ジャリッ

規則正しいようで不規則な、土を掘り返す音。
それに合わせ、荒い息遣いが耳に纏わりつく。
咲いた秋桜はとうに、掘り返した土の下に埋まっている。

「……っ」
「…」

お互いに、何も喋らなかった。
僕と襟沢は、秋桜の花壇を掘り返していた。

こうなって来ると、むしろこの豪雨は好都合だった。

水を含んだ土は、いとも容易く襟沢の細腕に攫われていく。
確信があった。
所詮女の手で掘れる深さだ。
見つかる。

まるで狂ったように僕は墓を暴いていく。
掘るんだ、今は掘ることだけを考えろ
全部後から考えればいい
僕は何よりも見たい
追い求めてきたものを、目に入れたいんだ

ザクッ!

「―ッ」

僕は、青柳の死体が見たい。

ゴツ、とシャベルに鈍い手応えが伝わった。

あった?

「…!…!!」

一瞬にして頭に血が上り、興奮状態に陥った僕は、
何度も何度も何度も何度もその場にシャベルを打ち付けた。

ガン!
ここだ。
ガン!
ここだ!
ガン!
ここだ!!

「先生!先生!下ろして!止めて!!」
「襟沢ここだ!ここなんだよ!」
「もう見えてる!!」
「え?」

僕は、漸く手を止め、まじまじと土塊を見つめた。
そこには、青柳先生と見られる死体が掘り起こされていた。
僕は頸部にシャベルの先を叩き付けていたようで、
青柳先生の首はパックリと切り取られてしまっていた。

およそ3ヶ月。

土中に埋められた青柳洋介の死体。
一部は白骨化していたものの、桜井先生と比べればまだ、肉付きは良い方だった。

「ウッ」

襟沢が口を押さえて、その場にうずくまる。

「吐け、吐いたら楽になる」

僕はぼんやりと屍を見つめながら、呟いた。
背後で嗚咽と、ビシャリビシャリと何かが飛び散る水濁音が聞こえてきた。

終わったのか?

僕は呆然と、自問していた。
青柳洋介の遺体が出た。
犯人は間違い無く中島歩美だ。
まるで揺るぎのない真実に、実感がわかない。
いや、実感なんて後回しでいい。
今は襟沢を支えてやらねば。
そして警察に通報して……


「おや、どうなさったんですか?」


その声は、これだけの土砂降りにも関わらず、やけにハッキリと聞こえてきた。

「―――」

振り返ると。
5m程先に、青いレインコートを来た平塚先生が立っていた。


青いレインコートは暗闇の中浮き上がり、奇妙な存在感を示していた。
何故かシャベルを手にした平塚先生は、不思議そうに僕らを眺めている。

僕は慌てて平塚先生に駆け寄った。

「平塚先生!何故こんな時間に!」
「いややはり花壇が気になりましてね。学校中の植物に防護ネットを張っていたんですよ」

それで用具倉庫が開いていたのか。

「先生こそどうしたんですか、こんな夜更けに。それに…」

平塚先生は僕の背後の花壇に目を移し、悲しそうに目を細めた。

「その花壇の有様はどういう事です?」
「あっ平塚先生これは…。聞いて下さい実はっ」
「上原先生ッ!!!」

僕が喋り出す瞬間、悲鳴の様な襟沢の絶叫が言葉を掻き消した。

「そいつは駄目!」

襟沢は。
青柳洋介の死体を見た時よりも、青ざめた顔を晒していた。


「…襟沢?」
「わたし、分かった…」

白い白い、能面の様な面で、襟沢は囁く。
胃液を口の端に垂らしながら、必死で言葉を紡ごうとする。

「そいつなの。先生ッ!そいつなの!」
「何の話だ?襟沢何を」
「ごめんなさい先生!嘘吐いてごめんなさい!」
「嘘?」
「先生にずっと学校に居て欲しかったの!」

襟沢は泣いていた。
この豪雨の中、涙が判別出来る程に顔を歪め、泣いていた。

襟沢は叫ぶ。
この雨に、風に、嵐に負けないくらいの大声で、襟沢は叫んだ。

「コイツが犯人なんだ!!」
「何を」

「私をレイプしたのは平塚なの!!」

「その花は、折角良い場所に生えていたのに」

平塚雅夫は。
相変わらず、柔和な微笑みを浮かべていた。



平塚先生が襟沢を犯した?

「何だって…?」

俄には信じがたい襟沢の主張に、僕は平塚先生の顔を見やる。
どういう事だ。
平塚先生は一度だって、僕達に、青柳洋介に、中島歩美に関わる事は無かった筈だ。
何処でどう関わる事が出来ると言うのだ。

「襟沢…それは確かなのか?」
「襟沢さん、君は何か勘違いしているんじゃないのかい?レイプなんてそんな恐ろしい…」

平塚先生は、本心から困惑した様子で襟沢と僕を交互に見やる。

「本当だよ!コイツにヤられたの!」

襟沢は必死に僕に訴える。

「コイツの花壇に青柳が埋まっているなんておかしいよ!
平塚が青柳を埋めたんだ!平塚が青柳を殺したんだ!平塚が!」

襟沢は完全にパニックを起こし、平塚!平塚!と絶叫している。

「上原先生…襟沢さんは大丈夫なんでしょうか?」

一方平塚先生は、オロオロと状況に戸惑いつつも、教師として襟沢を心から案じている。

「襟沢……」

この期に及んで、僕は選択を迫られていた。

「……僕は」

そして僕は、いつか藤本に言った言葉を思い出していた。

『襟沢以外に大切なものなどない』

襟沢が笑いさえすれば、それ以外に大切な事など存在しないのだと。
それはそれで、そのままの事だ。
真実で、真理だ。
平塚先生の言葉は理屈が通っていて、冷静で、非の打ち所がない。
しかしそれでは、襟沢由梨が笑ってくれない。
そう。
僕もいつの間にか、狂ってしまっていたのだ。

「平塚先生…お話を聞かせていただけますか?」

僕はシャベルの切っ先を平塚先生に突き付けた。

「上原先生、君…」

平塚先生は驚いた様な顔で僕を見つめ

ゴリッ

「何をやってるんだね」

僕の左膝を思い切りシャベルで殴りつけた。

「ッア」

頭が一瞬にして真っ白になる。
次いで激痛が足から頭へ駆け巡り、口から得体の知れない言葉が飛び出す。

「う、あアアあああああアあぁあっ!!!」
「先生!?」

足を押さえ、僕はその場に崩れ落ちた。

襟沢が顔を引きつらせ、僕に駆け寄る。

「先生大丈夫!?先生!!」
「襟沢近寄るな!」
「上原先生も厄介事に巻き込まれてしまいましたねぇー…」

騒然とする現場に反し、平塚雅夫は至って呑気に呟く。

「平塚先生!何故こんな…」
「そうですね」

青いレインフードの影で、平塚先生の目がキョロリと蠢く。

「確かに青柳先生を殺したのも埋めたのも私です」

平塚先生は、いとも簡単に僕らの前で自供した。

「何故…貴方は何の関係も無い筈だ」

僕の問い掛けに、平塚先生はいつもの優しい微笑みを浮かべ。

「上原先生、私はね。ここの生徒を何人も強姦してるんですよ」

僕の頭を思い切り蹴り飛ばした。

「グッ」
「先生!」
「趣味でねぇ、もう止められないんですよ」

左足は、完全に折れているようだった。
殴られた衝撃で意識が混濁する。
強姦、襟沢、生徒……。

「あ…」

視界が歪む。

「だから僕も、叩けば埃が出る身なんですよね。

あの現場を見た時は、本当びっくりしましたよ」
じり、と平塚先生が僕達に歩み寄ると、襟沢が吠える。

「先生に触るな!」

襟沢は倒れている僕を庇いながら、平塚をキッと睨み付ける。
何とか逃げ切れないか、裏をかけないか、襟沢は考えてる。
しかしその手は震え、膝がカクカクと笑っていた。

「バカ襟沢…」
「……」

逃げろと呻いても、襟沢は意固地に僕から離れようとしない。

「もう言い訳出来ない位の瀕死状態でね。
何とか外に出すのを引き留めて、とりあえず首を絞めて殺して」

平塚先生は襟沢の罵声を意にも介さず、無頓着に話を続ける。
今にも意識を失いそうだというのに、
耳だけが食い入るように平塚雅夫の話を聞き入っている。
そうだ藤本が出て行った後、歩美先生が来た後、
平塚先生が来たのだ。

「私も警察は勘弁でねぇ。聞けば襟沢さん絡みだっていうじゃないですか」

芋づる式に私まで挙げられたら大変でしょ?
だから正門を閉めてから、二人で青柳先生を埋めに行ったんです。

「……」

つまり。
結局全ての事柄は、襟沢を中心に繋がっていたのだ。

襟沢に対する、平塚雅夫の欲望が、青柳洋介の思惑が、
藤本の忠誠が、中島歩美の嫉妬が、お互いの運命を交差させる事となった。
襟沢は自覚無く人を結び付け、罪の上に罪を重ねさせた。

襟沢由梨のその美しさは、人を狂わせる。

「中島先生も嬉しそうでね。『これでずっと洋介さんと一緒に居られる』って。
なのに上原先生が来た途端乗り換えるなんて、とんだ売女ですよねぇ」

執拗に花壇の手入れに腐心していた平塚雅夫。
謎は全て解けた。

「ところで、どうして私が親切に全て話してあげたか分かりますか?」

しかし。

「死ぬ前に心残りがあると、申し訳ないでしょう?」
「――」

そして僕達は、驚く程簡単に命を奪われようとしていた。


「襟沢!」
「……」

僕は力を振り絞って襟沢の名を叫んだ。
しかし襟沢は逃げようとしない。

「襟沢さんも腰が抜けてるみたいで、楽で良かった」

平塚先生は、まるでいつもの調子で呟きながら近付いてくる。

「うーん…二人いっぺんには流石に隠蔽出来ないですし、『痴情のもつれ』とかで良いですか?」

状況は最悪だ。
僕は動く事が出来ない。助からない。
襟沢は逃げられるのに、僕を庇って動こうとしない。

「逃げろよ襟沢!何で逃げないんだよ!」

半ば逆ギレのように叫んだ僕に対して、初めて襟沢は言葉を返した。

「上原先生」

「私ね、平塚に犯される前からずっと、幸せなんかじゃなかったんだ」

襟沢の言葉は、この状況において異様な程静かだった。

「襟沢…?」
「でも先生に会って、ちょっとだけ幸せになれた。だからもう、いい」

襟沢はキッパリとした口調で、一縷の望みを絶った。

「先生を見捨てて逃げる位なら、もういいよ」

「先生と一緒に殺されるなら、それでいいや」

「じゃあまずは元気な方から」

平塚雅夫がシャベルを振り上げる。
綺麗な綺麗な襟沢由梨の顔に向かって。
ゴン、と鈍い打撲音が聞こえた。

そして。

「え?」

襟沢が思わず言葉を漏らした。
僕も驚き、目を見張る。

「……ッ」

倒れたのは、平塚雅夫の方だった。
崩れ落ちる体の背後から、見覚えのある顔が現れる。

「私の隆さんに何するんですか♪」

頭からダクダクと出血した中島歩美が、
金属バッドを構えて立っていた。



死んだか気絶したか知らないが、
僕達を殺そうとしていた平塚雅夫が意識を失った。
が、僕達は全く助かってなどいなかった。

「♪」

第二の脅威は楽しそうに、バットをブンブンと振り回している。

「皆歩美に全然気が付かないんだもん!本当びっくりしちゃった☆」
「歩美先生…何で」

何で中島歩美がここに?
藤本はどうなってるんだ?

「あ、歩美先生どうやって此処に」
「たーかしさんっ♪」

ドッ!

歩美先生は金属バットを地に打ち付け、僕の顔を覗き込んだ。

「可哀相に…襟沢のせいで怪我しちゃったんですね」
「襟沢のせいじゃありません!」

マズい。矛先が襟沢に行っている。
襟沢は息を殺して様子を伺っている。

「生徒だからって庇う事ないんですよ、隆さん」
「違いますよ!本当に」
「……」

今度ばかりは襟沢も、ジリ、ジリと僕達から距離を置き始めていた。
今度のターゲットに、僕は含まれない。

「ふふ、妬けちゃうなぁ」

歩美先生の顔は、もう笑ってなどいなかった。

「歩美がちゃんとぶっ殺してあげますからね」
「ッ!」

悲鳴が上がった。

「襟沢さん♪」
「ヒッ!?」

カラン!

中島歩美は金属バットを投げ捨て、一直線に素手で襟沢につかみかかった。

不意を突かれた襟沢は、なすすべも無く地面に叩き付けられる。

「逃げんなよ♪」
「やっ!離れ…ッ」

バシャン!

歩美先生と襟沢は、もつれ合って泥水の中に倒れ込んだ。

「早く死んでね、襟沢さんは生きてるだけで隆さんに迷惑なんだから☆」

襟沢は手足をばたつかせて必死の抵抗を試みるが、
歩美先生の体はびくともしない。

「クソッ!」

ジャリ、ジャリ

僕は自由の利かない体を腕の力だけで動かし、
痛みに耐えながら二人の背後に近づいていく。

近くに金属バットがある。あれで殴れば殺せる!
最早害虫か何かのような気持ちで、中島歩美に向かっていく。

「アッ!グ」

襟沢が首を掴まれた。
首を絞められている。

「死ぬ?死ぬ?やっと死ぬ?」

中島歩美は嬉しそうにブツブツと語り掛ける。
襟沢は苦しそうに喘ぐ。
このままだと襟沢が死ぬ。

「」

襟沢が、死ぬ?

頭が真っ白になる。

ジャリ!ジャリ!

僕の歩みは余りにも遅い。
間に合わない。

「グ…」

微かに襟沢の呻き声が聞こえる。
遠い。余りにも遠い。
襟沢が、襟沢が。

その時、僕の目の前に影が指した。

「お…」

いつの間に追い付いたのか。
怪我は大丈夫なのか。
聞くべき質問は言葉にならずに。

「お前……」

僕は目の前のソレを、呆然と見つめる。

彼が手に持つ凶器を見つめる。

「おい、お前は駄目だ」

何故か僕は、彼を止めた。

「駄目だ」

止めても意味がないと分かっていた筈なのに。


ザクリ

「ヒグッ」

肺が裏返ったような、奇妙な声が漏れた。
藤本圭はナイフで、中島歩美の背中を突き刺していた。


ザアアアアアッ…

雨粒の中に、鮮血が混じる。
赤は土に混じり、黒く濁った。

「ア」

中島歩美の動きがピタリと止まる。

「今が人生捨てる時だろ…」

藤本が声を震わせて呟いた。

「……」

饒舌な中島歩美が、ものも言わずにその場に崩れ落ちた。

「先生!!」

中島歩美の体を押しのけ、喉を押さえながら一目散に襟沢が僕に駆け寄る。
良かった、目立った怪我はないようだ。

「ハハ…」

一方の僕は情けない事に、足を折られ、
頭からは血がトクトクと流れ続けるような満身創痍だった。

「先生死なないで!」

襟沢が僕の頭の傷にハンカチを押さえつける。
バカだな、それ位で血が止まるわけがない。
バカだな、これ位で死ぬ訳もないだろう?
そう言ってやりたかったが、雨に長時間晒され疲弊した体
からは、何の言葉も発する事が出来なかった。

「先生、先生、私だけこんな所に置いてかないで!」

襟沢は涙に濡れた声で僕に呼び掛ける。

「先生が私を連れて行ってよ…私を…!」

遠くから、救急車の音が聞こえてきた。
雨粒に混じって、温かな水滴が頬を滑った。


うん、襟沢。

君が望むなら、何処にでも連れて行くよ。
ああそうだ、襟沢は東京に行きたいんだった。

東京じゃなくたっていい、二人でこんな街から出て行くんだ。
そんで東京に着いたら、君が行きたいって行っていた109に行こう。
僕は服の事は分からないけれど、近くに行きつけの美味い店があるんだ。
君さえ良ければ、そこで昼飯をご馳走するよ。
君と一緒なら、デザートにも挑戦出来るかもしれない。

考えれば何もかも、手に届く事ばかりだ。
なのに何故君も僕も、動こうとしなかったのだろう。

まだ間に合うだろうか。
願えば届くのだろうか。
ならば僕は

「」

そして僕は目を覚ました。


桜には早いが、梅が綻び始めていた。

年に一度の式に、校内は盛り上がりを見せている。
別れを惜しむ先生や生徒達を振り払い、
目的の場所に着いた僕は、教室に彼女が来るのを待っていた。
暫くすると扉が開き、目当ての人物が顔を出す。
僕は彼女に声を掛けた。

「卒業おめでとう」

「…はい?」

教室に入るなり掛けられた言葉に、
高坂みるりは可愛らしく首を傾げた。



ひとしきり困惑の素振りを見せた後、
高坂は恐る恐ると言った感で僕に問いかけた。

「な…何でみるりにそんな言葉を」
「高坂にだけじゃないだろ。皆に言ってるよ」
「いやいや上原先生!卒業!教室!呼び出し!教師&生徒!
どう考えても『卒業→みるりにプロポーズ』プラグだよ!」
「ハハハ違う違う」
「ていうか先生、由梨ちゃんというものが
ありながらみるりに手を出そうなんて…!」

相変わらず絶好調なテンパり具合に、思わず苦笑してしまう。

「うん、まあ話というかさ。確認というか」

僕は高坂みるりの瞳を見つめ、切り出した。

「去年のあの事件について、聞きたい事があるんだ」


「去年の…」

事件という言葉に、さっと高坂の顔が強張る。

「そ。幾つか高坂に聞きたい事があるんだよ」

「何で今更…折角みるり、やっと忘れられそうになってたのに」

高坂は既に涙目になりながら、唇を尖らせている。

「ごめんな、ちょっと聞いてくれてるだけでいいんだ」

自己満足みたいなものだから、と僕は優しく言い添える。

「う…うにゃああ…」

高坂はオドオドと怯える様子を見せるも

「……」

元来のお人好し気質が勝ってしまったようで、不承不承コクリと首を縦に振った。

「ありがとう」

僕はそんな様子に目を細めながら、話を始めた。

最初に「あれ?」と思ったのはさ、最後の最後だったんだ。
その時点でも、相当事態は訳の分からない状態に陥っていた。

何故中島歩美に逃げられたのか。
何故『警察』が来なかったのか。
何故あのタイミングで彼らが現れたのか。

あの嵐の日だけでも、これだけの疑問がある。

「それは確かにみるりのせいだよ…」

高坂は眉尻を下げて、床を見やる。

「みるりパニクって騒いで電話どころじゃなくて…
圭君に宥めてもらってる隙に、歩美ちゃん先生がロープを解いてて」
「そうだな、その話は藤本とも一致している」
「歩美ちゃん先生と圭君が、何分も揉み合って殴り合って…みるり怖かった」
「そうか」

でも高坂、結局お前ちゃんと通報出来たよな。

「え?」
「最後だよ、学校にパトカーと救急車が来た時。あれはお前が呼んだろ」
「うん。圭君が『学校だ!』って言って追い掛けていったから…その時に学校に行くよう、連絡したの」
「110番と119番、どちらにも連絡したんだな」

高坂はコクリと頷く。

「よく判断出来たな。『救急車と警察どちらも必要だ』って」
「いや、あれは」
「あとで警察の人に聞いたよ。
『凄く冷静で、119番の後に110番もして、話もしっかりしていた』って」
「あ、うん」
「何で119番を先にしたんだ?」

高坂みるりの口元が、ピクリと引きつった。



高坂は当時を思い出すように、視線を空にやった。

「藤本君は殴られて怪我してて…それが目に焼き付いちゃって。
『死んだらどうしよう』と思って119番の方を押しちゃったの」
「確かに混乱してたんだから、仕方ないよな」

僕はあっさりと高坂の回答に同意し、話を続ける。

「高坂が救急車を呼んでくれたお陰で、僕は助かった」

僕、意外と危なかったらしいしね。

「加えて中島歩美も平塚雅夫も、重傷は負ったけど死にはしなかった」

二人とも殺人と死体遺棄、平塚雅夫の方は婦女暴行も加えて、
もう社会に出て来ることは無いだろう。

「歩美ちゃん先生は精神鑑定やってるって聞いたけど…」
「精神病院入り、なんて可能性も大だ」

つまり、この学校の、少なくとも襟沢の周りの膿は全て駆逐された訳だ。

「うん…色々傷は残ったけど、それは本当に由梨ちゃんの為に良かったと思う」
「ああ。僕達はもう1つの犯罪について一切触れなかったからな」
「もう一つ?」
「襟沢の、教師への脅迫。十分犯罪行為だ」
「!」

高坂の顔が、目に見えて曇る。

「だって…言える訳ないよ!」

そうだな。お前も藤本も僕も、襟沢が不利になる事を証言する筈がない。
平塚雅夫は脅迫の事までは知らなかったようだし。
中島歩美の証言は、もとより信用されていない。

平塚と中島が消えた。自身の犯罪も止められた。
つまり、襟沢はこの事件において唯一得をするようになっているんだ。


「なっ!」

高坂が語調を荒げ、僕に突っかかってくる。

「何その言い方!まるで由梨ちゃんが仕組んだみたいな…」
「ああ、気分を悪くしてしまってごめん。じゃあ話を変えよう」

僕は両手を上げて、高坂の気持ちの高ぶりを静める。

「君の話に戻ろうか」

窓から春風が吹き込み、赤い花弁が教室に舞い散る。

「襟沢に話を聞いたんだけど、僕が高坂に質問した時の事を襟沢に報告したんだってな」
「それが何か…」
「襟沢は報告を聞いて、『上原は私をまだ疑っていない』
と思って再び僕に接触したと言った」

「…?」

高坂みるりは全く話が読めないとばかりに、ハテナ?と首を傾げている。
僕は笑みを崩さずに続ける。

「それっておかしくないか。僕は『今まで居た教師』について聞いたんだぞ?」

襟沢のボイスレコーダーを持ち帰った翌週の、僕のその言動。

「事情を知っている人間からすれば、僕の態度からして
明らかに感付かれた事が分かる質問だ」
「だって先生、歩美ちゃんに反応してたじゃん!てっきり私」
「だとしても。襟沢の話を聞く限り、君の話しぶりや断定は変に不用意だ」
「……」

意図の分からない追求に高坂は表情を強ばらせ、僕を睨み付ける。

「…なんなの?先生、みるりを何かの犯人にでもしたい訳?」

僕はその問いにも、穏やかに答える。

「いや、君は何の犯人でもないと思うよ」

まして犯罪なんて、犯してもいない。

「だったら!」

ただ僕は思ってるんだよ。

「高坂。もしかして君が、この結末に仕向けたんじゃないのか?」
「…え」



「何それ…」

困惑しきりといった様子で高坂は呟く。

「みるりの勘違いの発言だけで、そこまで話がブッ飛んでるの…?」
「ああ、君が平塚雅夫と中島歩美を陥れたと思ってる」
「そんな」

僕の身も蓋もない言葉に、弾かれたように高坂が反論を始める。

「上原先生、頭おかしいんじゃない!?」

だってみるりが嘘発言をして、先生と由梨ちゃんを近付ける事に成功したとしても
それから青柳のルートにどうやって乗せる気だった訳?

それに中島歩美の家に行くなんて展開、完全に偶然以外の何者でもない。
ましてやそこで死体を見つけて、花壇の前で平塚に対峙するなんて。

「有り得ない。人の手を離れてるよ」
「確かに僕からも、そう見えるよ」

「ほら!」
「ああ、結局僕には情報が少なすぎる。どれが作為的で、どれが偶然かなんて断定は出来ない」
「見なさいよ!どの口が推測と妄想だけでほざいて」
「僕が確信しているのは大きく三つ。
一つ、君の言葉は襟沢と僕を近付けた。
二つ、君は怪我人が出る事を知っていた。
三つ、君が通報した時刻が余りにも遅いことだ」
「…!」

「藤本に聞いたよ」

藤本は言った。
逃げた中島が部屋で暴れまくって揉み合いになって、
頭をぶつけて気絶した所を逃げられた。
起きるとみるりが『外に出て行った』と言うから、追い掛けていった。

「……」

中島歩美が暴れても、藤本が気絶しても。

「君はただ、見ていただけなんだ」

暗がりの中、罵声と血だまりの中、高坂みるりの瞳が右往左往する。
惨劇に瞳は輝き、体は動きを停止した。


僕と襟沢が中島歩美の家を出たのは9時前。
最終的に学校に救急車と警察が来たのは、10時15分頃。
という事は、君が通報したのは、豪雨で車が遅れたのを考慮しても10時過ぎの事だ。

僕達が出て行っても、藤本が意識を失っても、
家に誰も居なくなっても、君は何一つ動かなかった。


「救急車も警察も、遅過ぎた。既に全員が満身創痍の状態だったんだ」

藤本が体中に傷を負い、僕は足と頭をやられ、
平塚雅夫はバットで殴られ、中島歩美が背中を刺された後、漸く救急車が来た。

「だが逆に言えば、全員が揃っていた。そして尚且つ、襟沢由梨のみが無事な状態だった」

高坂、君は歩美先生の家を出て、学校の近くに居たそうだね。

「もしかして僕らの様子を見ていたんじゃないのか?」

僕達が殺し合って、いがみ合う様を君はつぶさに眺めて、
しかるべき時に、通報をした。

「僕に分かるのはこれだけだ、少なくとも君があの状況を作り上げたと考えている」

高坂、そういやさっき君『藤本が家を出てから通報した』って言ったよな。
学校に直接行くように連絡したなら、9時台に車は到着していた筈だ。


「嘘を吐いたね」
「――」


「これが僕が、君達の卒業まで考えて辿り着いた答えだ」








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