1*10前提劇場版U後捏造です。


【I.C.U.】の文字が光るドアを開けると、薄緑色の貫頭衣セットが手渡される。
担当の看護師とは既に顔馴染みだ。
ふっくらとした笑顔の妙齢の女性は、「マメだねぇ」などと笑う。
なんと答えて良いか解らず、滝沢は苦笑を返して手早く消毒を済ます。
頭から服をすっぽりと被り、マスクをして帽子を被る。
この着替えも最早慣れた物だ。
何しろ夏のあの日から、週に一度は通っているのだから。
ゆっくりと奥に進むと、消毒液と薬品の混ざった独特の臭いが鼻を突く。
白い手すり付きのベッドの上、沢山のチューブとコードに繋がれた男がゆっくりと目を開ける。
起き上がることの出来ない体で、包帯に遮られない左目だけで。
男はこちらを見遣った。
「一週間ぶり、物部さん」
明るい声で手を上げる。
マスクのお陰で上手く出せない声を器用に拾って、彼は小さく微笑んだ。
 
『西側の楽園 U』
 
色とりどりの紅葉が、秋の風に舞う晩秋。
ようやく全身を覆っていたギブスが取れ、埋め込まれたプレートやら縫い痕やらが治り。
少しづつだがリハビリも始めていた。
元々体が柔らかかったからだろうか、思ったよりリハビリも順調に進んで。
普通ならそろそろ退院の話が出る頃だろう。
そう結城は思っていた。
ところが、担当の看護師も医者も、たまに様子を見に来ては満足そうに去っていく元院長も。
誰も退院の話をしようとはしなかった。
そもそもこの部屋の入院費は、一体誰が払っているのか。
名門と名高い病院で、しかも個室に入っている事が、どれほど高額な事か。
解らない程結城は無知ではない。
集中治療室から出られないもう一人とは違い、結城はそこまで重症ではない。
確かに軽症というレベルは超えていたが、個室で厳重介護を受けるほどではなかった。
にもかかわらず、贅沢にも警備員つきの個室が用意されていたのは、滝沢の配慮だ。
発砲事件が表沙汰にならなかったとはいえ、一応は犯人である自分を世間の目から隠すため。
そして、半年に渡る不遇の環境に、心身ともに疲弊しきった自分を守るため。
彼は意識も無いままの自分の為にと、個室を手配してくれたのだ。
たった数ヶ月の"業者"と呼ばれた生活で、元々苦手だった人付き合いは更に苦手になった。
浮かぶのはいつも卑屈な笑み。
かつての自分がどんな風に笑顔を作っていたかなんて、忘れてしまった。
そんな自分が大部屋で、別の入院患者たちと一緒にいるなんて、きっと耐えられないだろう。
作り方も解らぬ笑顔を必死に浮かべて、着いて行くだけでもやっとの会話を交わして。
きっと自分は今より磨り減ってしまっていただろう。
でもそんな事は、彼には関係の無い事だ。彼の与り知らない事だ。
だから、そんな事情なんて何も知らない彼が、こんな気遣いをしてくれている事が不思議で。
逆にそれでこそ滝沢朗という人間なのだと、なんだか納得してしまった。
それでもこの行き過ぎる程の気遣いをありがたく思いながらも、矢張り料金の事は無視出来ない。
結城の歩んできた人生は、そういう事を無視出来る様な物ではなかったのだ。
まさか料金の事を、看護師や医師に聞くわけにも行かない。
金の持ち合わせがないと自白しているようなものだからだ。
かといって、あっさりと貸すといいそうな元院長にも言い出せない。
他に話す相手と言えば、ロビーで見かける清掃員の老人くらいのものだが、勿論彼にも話すようなことじゃない。
部屋の代金をこっそり調べようにも、やっと自分で松葉杖を使えるようになったばかりの結城に、調べる術は無い。
散々悩んだ末、最終的に結城が選んだのは滝沢だった。
 
 
「僕、そろそろ退院しようと思うんだけど…」
唐突にそう言われて、思わず「え?」と聞き返す。
確かに傷はだいぶ治ってきてはいる。
ギブスも取れたし抜糸も殆ど済んでいるし、埋め込んだ金属片も取れる分は取ったと聞いた。
だが、リハビリを始めたばかりだという彼から、まさか退院の話が出るとは思わなかったのだ。
「退院は流石にまだじゃない?…どうしていきなり?」
眉根をやや寄せて尋ねると、躊躇いがちな声が返る。
「あ、のさ…ここの支払いって…いくらくらい、なの?」
ベッドの上に起き上がって、真っ直ぐな目で結城が言った。
真剣に問いかけられて、思わず言葉を失った滝沢は、あー…と低い声で唸る。
「とりあえず、まだ体力だって戻ってないんだしさ、もう少し入院してたほうがいいよ」
まだこんな細いし?
言いながら肩に手を置いて、予想以上の細さにびくりと滝沢の体は震える。
元々かなり細くなっていたのは、幾度と無く抱き上げて車椅子に運んだ時に気付いていた。
だが、今の彼はそれ以上の細さで、とてもまともに自力で生活出来るとは思えない状態だった。
そういえば、最近入院食に殆ど手を着けないと、仲良くなった看護師に聞いている。
未だに集中治療室の前を通れない彼である。
加えて入院費やら退院後の事やらで悩んでいるなら、それも仕方ない事だろう。
せめて後者の悩みだけでも取り除いてやらなければ。
前者の悩みをどうにか出来るのは、結城自身だけなのだから。
「でも…ちゃんと聞いておかないと…僕お金も保険もないし…」
君以外に聞けないし…。
不安と自嘲の入り混じった声が余計に悲壮感を誘い、滝沢は思わず首を振る。
「そーいう話はまた今度!な?」
そういうと、努めて笑顔を保ったままで、いぶかしむ結城をベッドに寝かした。
背中にそっと手を回して、ゆっくりと横たえてやったその体は、ゴツゴツと骨が浮いている。
こけた頬を撫でようとした手を引っ込めて、滝沢は所在なさげに視線を窓に飛ばして。
落葉の散る風景を切り取った硝子に映る結城のやつれた顔を見て。
滝沢は改めて、丁寧に布団を掛けなおした。
なるべく体力を使わせないように。今出来る事はそれだけだ。
「兎に角今は、無理にでもご飯食べる事!お金の事は、まぁそれからでもいいじゃん」
な!?と明るく笑ってやると、小さく頷いた。
「そう、だね…君がそういうなら…」
珍しく素直にそう答えて、やがて目を伏せて。
規則的な寝息を立て始めた様子にひっそりと安堵して、滝沢はそっとその場を離れた。
 
 
「参ったな〜、そういやそういう事気にする奴だった…」
起さないようにゆっくりと扉を閉めて、廊下を歩きながら先ほどまでのやり取りを反芻する。
良く考えれば誰でも気にするに決まっている。
だが、集中治療室の患者の方は平然そのものだったから、すっかりその事を失念していた。
物部と引き合わせるタイミングの事ばかり考えていた滝沢だが、それ以前の問題だと気付いた。
兎にも角にもまずは体力を戻さなければ。
そしてなるべくなら、『かつての仲間との再会』以外の悩みを取り除いてやらなければ。
ひねくれてはいるが根は素直な結城の事だ、ああいっておけば本当に無理にでも食べるだろう。
それは確かに良い傾向なのだが、さりとて無理をさせすぎても逆効果である。
念の為馴染みの看護師の女性に「消化の良いモノ少しづつにしてあげてね?」と言っておく。
すると彼女はきょとんとしてそれから。
少しばかり不本意だと云う様な顔で「当然でしょ!」と言うので、もう一度安堵して。
滝沢はなすべき事の為に群馬を後にした。
なるべく早く見付かれば良い…、なんて悠長な事は言っていられない。
早急に事を成さないと、色々とやばい。
ガリガリのボロボロで、それでも入院費の心配をする結城の顔と。
ようやく意識を取り戻したばかりの物部の姿が目に浮かぶ。
かつて六本木のホテルで傷付いた心の女性に約束した事。
皆を救う。その思いは今も変わっていない。
そして勿論、かつて自分を敵と呼んだあの二人の事だって、一度だって救いたくないなんて思った事は無かった。
自分に救うなんて事が出来るのかは解らないが、出来るならそうしたい。
親切な通りすがりの青年から譲り受けたスクーターにまたがって、メットの紐を締めながら。
滝沢は改めて覚悟を決めた。
 

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劇場版U後捏造第二弾でした。
滝沢くんとの確執は第一弾の方で少しマシになった訳ですが。
結城君は結城君で中々変わらないよねっていう。
ドラマCDやら小説やらで読む限り、かなり精神的にズタボロっぽいので…。
これはもうたっくんだけじゃ元気になれないんじゃないかなと。

これから少しづつですが、彼が元気になっていく過程を書ければなぁ…とか!