人間、生きてりゃすわりの悪い相手と差し向かいで付き合う苦行なんぞ腐るほどある。ものを知らない幼少の時分が終わり、長くて短い学生時代が過ぎれば殊更、あるいはヒトの枠に入り込み続けるための日課にすらなるかもしれんってことは、俺も重々承知の果てだ。
それを踏まえれば、まあ、今の俺の仕舞も取り立ててひどいもんではない。 ……かもしれない。あー、地球の全歴史を相対にすりゃそうなんだろうが、同年代のやつらを対象にするとどうだかな。充実・非充実の不毛な定義は別として、俺は今十分に奇異な生活をしている自覚はある。
「不躾で恐縮ですが、今何か失礼なことを考えませんでしたか?」
「いや」
長考が見抜かれたが、俺は特に取り繕うていも見せず、問いかけてきた相手に短い相槌を返した。こんな単調子はここ数カ月も続いているものだから、相手も大して気を悪くした様子もない。
というか、俺がこの相手、こいつ、つまりはトイメンに座っているこの男だが、その機嫌をよろしくさん、なんてしてやる道理はまったく無い。その然るべき理由を述べる前に、まずは今の状況を説明したい。
俺は前述の男と二人、二人でだ、ハイソ私学でもない高校生が入るには若干財布に苦労をかける喫茶店で、平たく言えばその通り茶をシバいている。ただの友人関係ならアリだろうが、俺達はそうは言い難いというか、言いたくない。
さらにはこんな具合の会合が数カ月の間、場所を変えて転々と、できるだけ内密に、という名目で行われ続けている事実を付け加えるとどうだろう。いっぱしのゲイップルと言われても甘んじて受け入れるしかあるまい。 ……差別感情はできるだけフラットになるように努めてはいるが、多少生理的な部分と、多少自分の面目を保ちたいという部分は無くしようがないもので、申し訳ないが俺はそんなんじゃねえと言ってやる。
俺をこの男に会わせる原動力も、この男が俺に会いたがるそれも等しく、好意の対極から滾々と湧いて出る呪いのようなものなのだ。
この男は名を古泉一樹と言う。生まれは知らんが関西ではないのは確かで、去年の五月に西宮に越してきたらしい。越してきたといっても単身で、下宿をするわけでもなく一人住まいから高校に通っているらしい。この辺は掘り下げても気分のいい話題は出て来ないと踏んで、俺は精々ボンボンなんだろうとアタリをつけるに留めている。
そう考えるとそれに適った見目をしているというか、ガワは優男風味で目鼻立ちも整っている。佇むだけで思春期女子のちょっとした誘蛾灯にでもなりそうな風貌は、正直小憎たらしい。
……のだが、その辺の嫉みはこいつに対する印象としては微々たるもので、実のところ俺は大部分古泉一樹という男にヒいている。
そう、引いているという表現が適切だ。というのも無理からぬことで、その主因はこいつが俺に一方的にエンカウントしてきた初対面にある。
遡ること冬の時候まで、雪がちらつき始めた一二月も終わりの話だ。俺は珍しく長引いた風邪を引いちまい、ようやっと登校できた日は放課後早々、いまいち緩慢な体を労わるように、おごそかに下校するつもりだった。
しかし、そうして正門まで辿り着いた俺に、他校の制服を着た見知らぬ男が食ってかかってきたのだからたまらない。いや、物腰こそ一見柔和ではあったが、詰る気満々の鋭い目の奥が見えて、病み上がりも相まって俺も反射的にトサカにきたもんだ。肝心の話の内容は今思い返しても奇妙というか、アホらしいというか、一笑に付しちまえばどうでもいい内容だ。
俺も未だ把握しきれていない古泉の主張だが、とりあえず重要なのは、涼宮ハルヒという女を探している、ということらしかった。
らしい、と歯切れが悪くなってしまうのは、探していると言ってもその女が家出や蒸発をしたわけではない、と古泉が言うからだ。古泉いわく、どうにも存在が消えたとしか説明がつかないのだと。
そしてその涼宮が消えた日、正確には消える数時間前に、古泉が涼宮と連れだって歩いていると、突然俺――最低でも俺と全く同じ容姿の人間――が会いに来て一騒動あった、のだそうだ。勿論古泉が言うその日の俺にそんな記憶は無く、覚えているのはひたすら部屋で布団を被って交互に襲い来る熱気と寒気に耐えていたことだけだ。
というわけで俺は六割方、そんな女ははじめから存在していないと考える。頑なに俺に空想上の女の仔細を押しつけてくる理由は理解に苦しむが、この面構えで意外に恋愛に深いトラウマでもあるのかもしれない。
三割くらいは、こいつのお脳の中にだけはマジで存在している可能性もある。この場合は俺の手に負えなくなる危険があるので、しかる際には保護者か医療機関に連絡をつける覚悟をしておこう。
で、残り一割が、まあ、古泉の言葉を額面通り受け取った場合だ。 ……だが、実際俺を動かす理念になっているのはこの一割の部分ってんだから、皮肉なもんだ。まあ、熱に浮かされた俺が記憶の外で一切合切を首尾よくやってのけた、という仮定もできはするが、そこを思慮に入れてしまうと始末はどうあれ俺の病院行きは免れないので除外したい。あ、柵付きのな。
……話が逸れた。んで、結局手の込んだ創作話だと斬り捨てずに俺が古泉に付き合ってしまっている理由だが。
正直なところ俺にもよくわからん。たまにどうしようもなく悪食をしたくなる感覚に似ているといえば似ているが、自分でもわからんもんは仕方がないだろう。と開き直って、このようようおかしな男とは割り切って会うことにしている。
……総合して、俺が学生時分にしては悲しいほど暇であることを白状したに過ぎないのだが、あれだ、看過してくれ。
「何がです?」
おう、やべ。口に出てたか。
「別に」
「そうですか」
古泉は相変わらず俺の挙動に芯から意識を奪われることなどなく、汗をかいたアイスコーヒーのストローを弄んでいる。こんな空寒いやりとりしかできない俺達が友人と名乗っていいのなら、トモダチの枠組みも随分と緩くなったな、てなもんだ。
「涼宮さんもよく意識をどこか遠くへ飛ばしていましたから、慣れたものですよ」
この男が唐突に全ての事柄を涼宮ハルヒなる人物にこじつけて話題を切りだすのもよくあることで、俺も慣れた。
「緑も深まった頃は、この辺りを色々連れまわされましたね。もうすぐ一年になるのか」
俺が古泉に出会った頃と変わったことといえば、はじめはひたすらに涼宮ハルヒを探すのだと息巻いて俺の所在なぞどこ吹く風だったこの男が、少しずつ俺に涼宮ハルヒの人物像を漏らすようになってきたくらいだ。
が、それは俺への配慮に気を回す余裕が出てきたからではないだろうし、俺だって今更申し訳程度に心を使われても不快なだけだ。
「なあ、聞いてなかった気がするんだが、携番は知らないのか?」
だから、俺もこの男といるんだかいないんだか判然としない女との関係を問い質するのに頓着しない。
「……そういえばいつも向こうから、本当に突然かかってきましたね。本当に、色々な時間にですよ。僕に主導は無いんです」
微妙に答えになっていないが、交換したわけではなく着信履歴で知っているだけと正直に答えるのはこいつも気性に障るのだろうと納得した。
「当然試しましたが、使われていない番号でした。まあ、僕に知らせず変えただけならまだよかったのですが」
古泉が言い含んだのは、電話に留まらず涼宮ハルヒという人間のいた痕跡がまったく、それこそそんな女はこいつの妄想の産物に過ぎなかったかのように、何一つ残されていないという事実だ。
そいつ本人の情報はもとより、古泉がそいつの関係者だと言うやつらすら忽然と消えていたり、涼宮ハルヒなどという人間は知らないと言うばかりだった。日本の大まかな季節が一つ移り、また一つ移ろうとする程度に時間が過ぎてもそれは変わらず、イレギュラーが起きる気配は未だ無い。俺としてはこいつこそがイレギュラーで、起きっぱなしではあるが。
「そうか。……じゃ、今日も特に進展は無いな」
分かり切ったことを俺が総括してやるのは、そうしないとこいつはいつまでも漫然と感傷に浸り続けるフシがあるからだ。
「……そうですね。では今日はこの辺で。お疲れ様でした」
しかも日が経つごとにそれは顕著になっているようだ。心無い声で解散を告げる古泉を見やって、俺はぼんやりと思う。足取りこそしっかりとはしているが、目線は俺を見ているのかいないのか。
結局それから店を出て適当な場所で別れるまで、俺達が言葉を交わすことは無かった。
↑
→