「うーん……」
「雷蔵じゃあるまいし、そんなところをうろついててもしょうがないだろう」
「三郎」
部屋の前でどうしたものかとうなり声を上げていると、背後から呆れた表情の三郎が歩いてきた。そんなこと言われたって心配なものは心配なのだ。
「そうは言うがな、今お前が行っても傷口に塩を塗り込むようなものだと思うぞ」
「そういうものなの?」
「そういうものなの!」
三郎はそう断言すると、俺の両肩をつかんで方向転換させてぐいぐい押していく。場所を変えろということらしい。押されるがままに足を運んでいく。
「大体な、そういうことは決着をつけてから考えるものだろう」
「そりゃあそうなんだけどさ」
「いいから早く帰れよ。ご両親に事情説明しなきゃいけないんだろう」
私服に着替え帰り支度も終えている俺の姿を一瞥して、三郎は正門を目で差す。そこには出門表を持って帰途に着く生徒たちを送り出す小松田さんと、そこから少し離れた場所で慣れない自分の姿に落ち着かない様子を見せている八左ヱ門がいた。
「ほかの奴らにナンパされても知らんぞ」
「変な冗談言うなよ」そうは言ってみたものの、そう言われるとなんだか不安になってくる。結局俺は三郎にしばしの別れを告げると荷物を持って正門に急いだ。奴の顔がしてやったりといった顔だったのは言うまでもない。
「全く、とっとと片を付けてくれなきゃいつもどおりの私たちに戻れないじゃないか」
ため息混じりに呟いた三郎の言葉は、八左ヱ門と合流してしどろもどろになっていた俺には聞こえなかった。
相方の呼び声が聞こえた三郎は、自分も帰宅の準備をするために自室に向かって歩いて行った。
急いで走り寄ると、所在なさげに視線をさまよわせていた八左ヱ門が表情を明るくして手を振った。
「お待たせ」
「何やってたんだよ」
「いや、ちょっと……」
適当に言葉を濁して八左ヱ門の姿をしげしげと眺めると、居心地悪そうに視線を逸らされた。
幼いころから女らしい服装を嫌っていた八左ヱ門の女装姿――と言っていいのかは微妙だが――を見たのは随分と久しぶりだ。どこか新鮮ささえ感じられる。薄化粧を施されてより女性らしい顔になっている。
八左ヱ門が正門前でこのような姿を衆目にさらしているのは、先ほどまでくのたまの集団があれやこれやと面白半分に彼女の世話を焼いていたからだ。
「とにかく早く行こう。これ以上こんな格好でここにいるのは落ち着かないし」
できればもう少し眺めていたかったのだが、それは歩きながらでもいいか。そう考えた俺は「そうだな」と言葉を返して出門表にサインするために並んでいる列の最後尾に向かって歩き出した。
片瀬紗耶香のもくろみが暴かれたあの日、俺を庇って衣服を破られたことが原因で八左ヱ門の性別も明らかになった。
八左ヱ門の処遇をどうするかということで意見は真っ二つに分かれたらしいが、学園長の口ぞえもあって今のままで全員納得してくれたらしい。ただし「両親に事情を話して了解を得るように」という条件を付け加えた上で。
生徒を害しようとした片瀬紗耶香のほうはその場で捕縛、尋問されたようだがわけの分からないことばかりを言っていたらしい。結局その後どうなったのかは分からないが、適当な城に渡そうがどっちみち争いの種になることは間違いない。おそらくは処分されたのだろう。
その証拠に、俺が目を覚ましたときにはすでに片瀬紗耶香が来る前の学園に戻っていた。彼女のモテ方は不自然極まりなかったが、本人が死んだことであのとき言っていた『補正』とやらが切れたのだろう。
『補正』が効いている間に恋人と別れてしまった生徒たちのいくらかはよりを戻し、その残りは愛想を尽かされて肩を落としていた。
俺が気になっているのは、兵助がその後者のほうに分類されていることだ。八左ヱ門の様子を見ると兵助を嫌いになったとか愛想を尽かしたというのとは違う気がするのだが、とにかくだいぶ時が過ぎて秋休みに入った今でも2人は別れたままだった。
それらのやり取りのすべてが終わった後に、俺は目を覚ました。伊作先輩いわく生死の境をさまよっていたらしい。
結局、今でも横で歩いている八左ヱ門に聞きたいことも聞けないままだ。今までこんなことはなかったのに。
――どうして兵助とよりを戻さないの?
そう聞けたらどれだけ楽か。だが本人の気持ちを考えると聞けるはずもない。知らずため息をついてしまう。
「……やっぱり、変か?」
それを誤解してか、八左ヱ門が小さな声でそう呟いた。「え?」何のことかと面食らっていると、八左ヱ門はさらに言い募る。
「いや、いいんだ。本当のことだし。
『女の子なんだからおしゃれくらいしなきゃ駄目よ!』なんて言われてこんな格好させられたけど、やっぱり今さら付け焼刃でこんな格好しても似合わないよな。正直言って」「いや似合ってるよ! すげーかわいいよ!?」
苦笑混じりにそんなことを言う八左ヱ門にいてもたってもいられなくなって、思ったよりもずっと大きな声で叫んでしまった。道が分かれてまばらになった生徒たちや道行く人々が面食らった顔でこちらを見つめる。
一瞬の後、あちこちからからかうような声が飛んできて、驚きのあまりぽかんと口を開けていた八左ヱ門の顔がみるみるうちに真っ赤になっていく。
「ご、ごめん……」
「いや……」
思わず謝ってしまったが、気まずい沈黙が流れたまま無言で足を進める。
沈黙を破る言葉を見つけられないまま、故郷の家々が遠くに見え始めるころには陽が傾き始めていた。
「……あのさ」
村の入り口に差しかかったところで不意に八左ヱ門が足を止める。どうしたのかと顔を上げると、夕陽に照らされた頬が赤く染まって見えた。
「どうした?」
「うん……」
ずっと聞きたかったことがある。八左ヱ門にそう告げられた俺は戸惑った。
「はおれが悩んでいるときも落ち込んでいるときも、ずっとそばにいて励ましてくれたよな……」
「それは、当たり前だろ?」
言葉がつっかえないようにするのに苦労しながら、なんとか出した言葉に八左ヱ門はふるふるとかぶりを振る。「当たり前なんかじゃない。いつだっては誰よりも早くおれに気付いてくれた。親身になってくれた。それが当たり前であるはずがないんだ」
真剣な目で問う八左ヱ門に、答えようとしていた「だって幼馴染だから」という言葉はかき消された。代わりに浮かんだのは、ここで想いを告げてしまえという誘惑。
けれど言ってしまえば今までの関係は崩れてしまうだろう。そこまでして言っていいものかと考える一方で、このまま告白もしないで再び兵助と結ばれるようなことになればきっと後悔するという確信があった。
だったら、言ってしまったほうがいいのではないか。
決断を迫られた緊張に、ごくりと喉が鳴った。
「なあ、どうしてなんだ?」
八左ヱ門の表情もどこか緊張を帯びていて、2人の間に張り詰めた空気が流れる。ぐっと拳を握り締めた。
「それは……」
その先の言葉を聞いた八左ヱ門は大いにうろたえていたが、数日の後に聞かされた返事は俺が勇気を出したかいがあったと思えるものだった。