数年前にひとさまのサイトへ差し上げた小話です。先方はどうやら閉鎖されてしまったらしいこともあり、少々手を加えて掲載することにしました。
登場人物はオーフェン、コギー、サルア。
「まだ話は終わってないわ」
いつものごとく「プラン」についての会議を終え、会議室から出ようとしたオーフェンを呼び止める声があった。参加していたほかのメンバーはすでに退室し、残っているのはオーフェンともうひとりだけだ。
面倒くさそうに振り返れば、そこにいたのは妙に真面目くさった顔をしたコンスタンスである。それだけで、何の話か予想はついた。
「警備の話か?」
コンスタンスは無言のまま頷きもしない。性懲りもなく繰り返された話題特有の倦怠感を払うように、オーフェンの右手が軽く振られた。
「その話は、前も言ったろ。この時期、あっちにもわざわざ刺客を送ってくる余力はねえよ」
「って絶対言うと思ったから、これを用意したわ」
なにがそんなに誇らしいのか、足下に置いていた紙袋を高々と掲げる。入室したときから下げていたものだが、やりのこした業務に関係するものでも持ち歩いているのだろうと、オーフェンは気にも留めていなかった。
「そりゃ警備員を四六時中張りつける必要はないかもしれないけど。でも念の為に変装くらいはしたほうがいいと思うの。というわけで、はいこれ」
「いやちょっと待てっておい」
「なんで逃げるのよ。着なさいよ着なさいよ」
強引に事を進めないと逃げられるとでも思っているのか、コンスタンスは紙袋から取り出した白いパーカーを頭から被せようとしてくる。さすがに逃れようとして、軽く揉みあいになった。
「なぁ、ここに俺のファイル――」
重い扉が唐突に開き、サルアが顔をのぞかせた。室内の光景、いや惨状か。それを目にし、軽く顎を撫でる。
「……取り込み中だったか?」
オーフェンは無言で拳を振り上げた。
「ちょっとしたお茶目じゃねぇか」
なにも殴ることはないだろう、と肩をすくめる。
「ぬかせ」
空を切った拳をとりあえずおさめ、オーフェンは毒づいた。サルアといえば、置き忘れていたファイルを見つけたならさっさと戻ればいいものを、いまだに会議室に留まっている。
オーフェンとしてはとっとと出て行けと言いたいところだったが、椅子に腰かけさせられてコンスタンスが髪をといている状態では追い出すこともできない。
「やっぱり変装は必要よ。だってあなた仮にも指名手配されてるのよ?」
どさくさにまぎれて目論見どおりパーカーを着せることに成功したコンスタンスは、今度はヘアブラシを片手に演説を始めた。
「指名手配ってどういうことか知ってる? 派遣警察が威信にかけて草の根わけても――」
「二年経っても捕まえられないんだろ」
「オーフェン!」
「ま、おれも賛成するけどな。お前にゃ、こんなところで消えてもらっちゃ困るんだ」
サルアが口を挟んだ。台詞、顔つき、口調、それらすべて真面目なものだったが、面白がっている気配が紙一重のところで隠しきれていない。いや、むしろわざと滲ませているのだろう。
「やっぱり変装なんだからばれちゃ意味がないわよね。思いきったイメージチェンジが必要なのよ!」
「そうだそうだ、つまりは普段とまるっきり違えばいいってことだよな?」
いったい、なにを言わずもがなのことを言っているのだろうか。
「やっぱり黒の反対は白だと思うの」
「そうだそうだ、魔王の反対ってことはたとえば年相応の学生……浪人生とかどうだ?」
だから、なんでもかんでも逆にすればいいというわけでもないだろうに。
(しかし、いつの間に意気投合しやがったんだ、こいつら)
オーフェンは軽い頭痛をおぼえた。サルアはともかく、コンスタンスのほうは死の教師(つまり、殺し屋だ)という肩書きから遠巻きにしていたはずである。
関係を密にする必要のある間柄で、微妙な緊張が続くのは事業にも差し障りがある。だからそれが緩和されるのは望むところだ。ただし、自分をだしにされての話ならば断じて断る。
コンスタンスに髪の毛をいじくりまわされているので、こめかみを押さえたくともかなわない。やたら引っ張られているところをみると、伸びかかった髪を結わえようと苦心しているのか。
「仕上げはこれよ!」
最後に、コンスタンスは紙袋から眼鏡を取り出した。もはやここまできて抵抗するのも馬鹿らしくなっていたオーフェンは、うんざりしつつ眼鏡を受け取る。
「もしかして、わざわざ買ってきたのか。これ」
「ううん借りてきたの。勝手にだけど」
いまごろどこかに、非常に困っている人間が一名いるのだろう。コンスタンスが無断で借用できるのだから、身近な相手だと想像するのも容易だったが。オーフェンは少なからず同情の念を抱きながら眼鏡をかけた。
「で、どうなんだ?」
数秒後、室内を爆笑が支配した。
「くそっ」
吐き捨て、むしり取るように眼鏡を外す。
ほとんど投げ出されたそれを拾い上げる手があった。サルアは手の中で眼鏡をもてあそんでいる。憮然としているオーフェンへ意味ありげな視線をよこし、言ってきた。
「まあ拗ねるな拗ねるな。お前のためを思ってやったことなんだからよ」
どこがだ。
サルアの言葉に、ぶんぶんと首を縦に振るコンスタンスの顔からはまだ笑いの残滓が消えていない。
あとで飯でもおごらせよう。オーフェンは静かに決意する。遊びにつきあってやったんだ、向こう一週間ぶんの食事代は対価としてしかるべきだろう。
「しかしこれ、度が入ってるんだな」
――と、何の気なしといった風に、サルアがひょいと眼鏡をかけた。レンズによる視界の歪みにか、軽く顔をしかめる。
「……ええと」
「あー、いやまあ、なんだ。うん」
「おい待てなんだその反応は」
(コギーの旦那はきっと眼鏡)