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業務上の過失

 四月一日、すなわち嘘同盟員の日であるのでアップする。以下、サルアとメッチェンの話。続き

 サルア・ソリュードがどういう男かというと、おおむねいつもへらへらしている。そうでなければ、だらだらしている。
――と、いまさら言うまでもないことを彼女、メッチェン・アミックは再確認していた。
 だが、まがりなりにも開拓団の指導者という立場についたからには、そうとばかりも言っていられない。たとえ表面上のものにせよ、新大陸の開拓という大事業を任せられるに相応しい振る舞いが求められる。対外的にもそうだし、言わば身内のキムラック教徒に対してもだ。難民を率いて騎士軍や武装盗賊と切り結んでいたときとはわけが違う。もちろん、死の教師として任務をこなしていたころとも。
 よってアーバンラマに来てからこのかた、サルアは真面目な顔つきを作り、スーツに身を包んで資本家たちの間を泳ぎまわっている。それでも、ここが戦場であることに変わりはない。違いといえば、鎧や剣を携えずしてという、ただそれだけだ。
 メッチェンのほうはというと、警備隊を編成する準備に追われていた。今も書類の山と首っ引きだ。人員と装備を整えるのも一苦労なのに、それらはアーバンラマの都市法に抵触しない範囲で、などとややこしい条件まで附されている。
 サルアが外側を、メッチェンが内側を。ちょうど、崩壊したキムラックへ戻ったときの役割分担をそのまま引き継いだ形になる。彼女は難民たちの訓練を担当し、サルアは彼らとともに剣を揮っていた。
(どちらにせよ、いつも戦争と、その準備をしてるってことよね。わたしたちは)
 開拓とはよくいったもの、渡航後に第一陣との衝突が必ず起こるという前提で計画を進めている。「身内」と戦うなどとは、よく考えなくても頭の痛い話だ。それでも、生き延びるためにはやらなければならない。行き詰った中での破れかぶれの暴発などではない、未来を見定めて戦うことこそが生きる手段ならば。
 そして戦いの片棒を担ぐこの男、サルアは開け放してある詰め所のドアをノックしたまま、入ろうともせずそこにもたれかかっている。本人曰く「ガラでもない」からか、それとも仕立てられて間もないせいでなのか、まだまだスーツに「着られている」印象が強い。
「用があったんでしょ。なに?」
 こちらから水を向けてやって、ようやくサルアはだらだらとした調子で歩み寄ってきた。行儀悪くネクタイをゆるめているのを目に止め、メッチェンは呆れをおぼえた。
「これを渡しに来たんだけどよ」
 言って、サルアは手にしていた茶封筒をひらひらさせた。そんなことのためにわざわざ来るほどの用向きだろうかといぶかしむ。互いに目が回るほどの忙しさの中、直接顔を合わせるのは私室に戻ったときくらいだ。――いや、あのいまいましい「プラン」についての会議もか。胸中で付け足す。
「そ。メッセンジャーでもよこせばいいのに。じゃ、そこへ置いといて」
「いや……、忙しいとこ悪いんだが、すぐ確認が必要な書類でね」
 どこか歯切れの悪い口調に眉を寄せる。メッチェンは封筒を受け取って中身を取り出し、そしてたった今しかめたばかりの眉を解いた。中に入っていたのは、封筒の薄っぺらさから予想できた通り書類一枚きりである。
 『婚姻届』――そう印字されていた。
「さすがに人任せにはできねえだろ、これは」
「……確かにね」
 サルアがぼやくように言うのを、力なく肯定する。彼女の声音を耳にすれば、いっそ投げやりだと受け取ってしまうほどに。だが率直に言って、メッチェンはなかなかに驚いていたのだ。
「でも、この前提出しなかった? ちゃんと配偶者、って書いたはずだけど」
「俺もそう思ったんだが、あれはあくまで『開拓団の名簿』を作るための書類で、正式な――まあ、つまり婚姻届じゃなかったんだとさ。そう言われた」
「ふうん」
 すこし息をつくと、メッチェンは机上に乱雑に重ねたファイルをどかしはじめた。書き入れるべき欄は多くはないが、それでもサインをするならきちんと記入したいではないか。
 スペースを確保し、あらためて書面をつくづくと眺めやる。人生を左右する、とまではいかなくてもそれなりに重大な類のことを扱うはずだが、いたってシンプルなものだ。当人同士の名前、住所、証人。どの欄にもまだ何も書き込まれていない。空白の未来、とひとりごち、メッチェンはペンを取った。
「この住所ってホテルのルームナンバーでもいいのかしら」
「ああ。アパートだろうがホテルだろうが、区切った部屋があるといやあ、大差ないだろ。ま、後で俺が書いとく」
「ちょっとどころじゃなく差があると思うけど。あなたってときどきズレてるわよね。で、証人は誰がするわけ?」
「安心してくれ、とはとても言えねえが、あの総監督だとよ」
「……まあサインする人間全員が賞金首、っていうよりはいいんじゃない」
 いよいよという段になってふと微苦笑が漏れる。
「それにしても、まさかわたしが結婚できるなんてねー」
 思えば、医者と父親に告げられたときは、まだその言葉が意味するところすら、本当にはわかっていなかった。法律で結婚できなかった人間が、法律のもと籍を入れる。そんな状況を滑稽にすら感じる。
 このとき、もしメッチェンが顔を上げていたら、完全に表情の選択をしそこねたサルアを目にしていただろう。だが、左手で字を書くことに集中していた彼女は知るよしもない。
「はい、できたわ。じゃ、あとよろしく――」
「俺で本当にいいのかよ」
 気軽な調子で手渡そうとしたメッチェンは、軽く目をしばたたかせた。彼女特有の、寝ぼけているような目が初めてサルアの面持ちをとらえる。どうやら自分で自分の台詞に驚いたらしい。
「それって普通、わたしの台詞じゃない?」
 一瞬か、それとももうわずかの間を置いてか。こぼれ出たのは結局はそんな言葉である。
 ほかにどのような言いかたがあるものか。手にした書面にそっと視線を落とす。サルアはまだサインをしていない書面に。彼が、この状況に納得しきっていないことは察していた。なぜなら、メッチェン自身もそうであるからだ。
 ふたりだけではない。開拓団にも似たような考えの持ち主は大勢いる。帰るべき家を失ったこと、自分たちを捨てた教主を追いかけなければならないこと、そしてなにより、キエサルヒマを去らなければならないこと。新天地への熱意と反比例するように、やりきれなさもまた大きい。ふたつの感情は同根だ。
 わたしが嫌? そんな、自らを卑下するようなことは思いもしなかったが。
「やっぱり、やめておこうか」
 身の内に抱えるやりきれなさがそう口にさせたのかもしれない。と、メッチェンの手が薄っぺらい紙切れを滑り落とした。
「……そういうことじゃなくてだな」
 サルアは拗ねた口調で言い、身をかがめた。こぼれたものは拾わなければならないのだ。自分の手では拾えなかったとしても、他の誰から拾ってくれる。それは感謝すべきことなのだろう。
「こんな紙切れ一枚の話でも軽く扱えるようなもんじゃねえし、そもそも体裁がどうとかわけのわからん理由でっていうのはおかしいだろ」
 すでに充分すぎるほどゆるんだネクタイの結び目に指を入れ、そんなことを言う。メッチェンはまた微苦笑した。
 剣を鞘におさめるよりはぎこちない手つきで婚姻届を封筒に戻しかけ、サルアは机に置かれたままのペンを取った。お世辞にも、きれいとはいえない筆跡でサインする。
「ねえ、サルア」
 メッチェンはサルアに手を差し出した。右手を。
「これからもよろしく」
 成し遂げるために協力し合う。少なくとも、この仕事にはそれだけの価値はあるのだから。



(一見ドライながらも「結婚」の文字に面映いものを感じるメッチェンと、ひたすらまごついてるサルアと、そんなサルアに大事にされたり、大事にしたりする道もいいかもなあとちょっと思うメッチェンと、そのほかいろいろ盛りすぎたっ…!)
(しかしまさか、私がまた話を書けるとは思わなんだ)