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「敬愛なるベートーヴェン」

 今から2年ほど前、2007年正月の話。明日からはじまる労働の日々を前に、わたしは「よぉし、いっちょ映画でも見てやる気をもらうべ!」と映画館へいそいそと出かけた。
 しかし映画館へ着くと残念ながら満席。次週には上映が終わってしまうため、その日その時間が見られる最後のチャンスだったというのに。さめざめとしながら帰路についた。
 その見逃した映画がこの「敬愛なるベートーヴェン」である。風呂にも入らずケツを丸出しにしたりする、きちゃないオッチャンの前にかわいこちゃんが現われるという物語だ。
 見終わったはじめは、ベートーヴェンを写譜師のアンナが「癒す」話なのかと思っていた。しかし、時間をおいてよくよく考えてみるとそうじゃないんだよな。ベートーヴェンは難聴からくる指揮に対する不安をアンナに助けてもらったりするが、かれは最後まで孤独だ。
 おそらく最高の(唯一の、ではない。隣に住むおばあさんを見よ)理解者たりえたアンナを、ベートーヴェンは「大フーガ」の作曲と写譜によって解放しようとする。かれの芸術、音楽という名の神の言葉は素晴らしく、聞くものを感動させる。だがベートーヴェンと同じ側に立つことは常人には許されない。もしそうしていれば、アンナはカール同様潰れてしまっていたことだろう。だから「大フーガ」は未来の音楽へかけられた橋であり、その橋は解放されたアンナがわたっていくためのものなのだ。
 中盤の「第九」初演シーンはいかな音楽素人のわたしとて圧倒される素晴らしさ。家のしょぼいテレビなどではなく、劇場で観たかったと思うシーンだった。
 んが、一番印象に残ったのは字幕、というか翻訳が荒かったことと。かの有名ななっちほどではないが(笑)、テーマの繊細さについていけてなかった感が。もちろん、これは英語などさっぱりな人間が言うてることであるから無茶な注文であろう。

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