オーフェンが「ありがとう」と言ったことに若干の衝撃を受けつつ素描的なものを。
メッチェンが休憩兼、遅い昼食をとるために足早に進んでいると、オフィス――掘っ立て小屋にはふさわしくない呼称だ――の前に、珍しい顔がふたりいた。男と女がひとりずつだ。彼女を待っていたらしい。声の届く距離まで近づくと、男が口を開いた。
「これから緊急の会議だ。時間あるか?」
「ない、って言っても行かなくちゃならないんでしょ?」
メッチェンは束ねていた髪を解き、かぶりを振った。男――オーフェンとはこれまでもたびたび顔を合わせていたが、難民キャンプの奥にあるオフィスまで足を伸ばすことはめったになかった。なのにこんなところまで来たというのは、それだけ急を要する会議なのだろう。どうやら昼食は抜きになりそうだ。
「ああ。ただの会議じゃない。スポンサー連中も雁首揃えての、な。悪いが時間も押している。すぐに着替えて――」
「ストップ。着替えるってスーツってことよね」
「当たり前だろう」
不思議そうに言うオーフェンも実はスーツ姿だ。初めてその格好を目にしたとき、サルアはメッチェンにだけ聞こえるようにささやいたものだ。ありゃヤクザだな、と。
ちなみに、やはりスーツを着せられたサルアを横目に、オーフェンもメッチェンにこっそり言ってきた。
「君に向かって言うのも悪いが、ヤクザにしか見えねえな、あいつは」
どちらの感想に対しても、結局コメントはしていない。
それはともかく、メッチェンは顔をしかめた。
「今日クリーニングに出したばっかりなんだけど」
「替えはないのか?」
「二着ともまとめて出しちゃったから全然ね」
参ったな、と思案顔のオーフェンの隣で、それまで居心地悪そうに黙っていた女、コンスタンスが手を上げた。
「えーと、あの。わたしの、貸そうか?会議場に行く前に、わたしのオフィスに寄って行けばいいんだし」
言われ、あらためてメッチェンは彼女をまじまじと見た。コンスタンスの背丈はメッチェンとほぼ同じだ。以前ならばともかく、筋肉の落ちた今なら服のサイズも合うだろう。
「決まりだな。急ごう」
メッチェンが頷くのを見て、オーフェンも言う。
コンスタンスのオフィスは港湾にあるため、すこし遠回りをしなければならなかった。オーフェンを詰め所の外に待たせ、更衣室に入る。
「汚れることも多いから、予備を置いてたのよ。あ、こっちのロッカー使ってね」
そんなことを言いながら、コンスタンスはロッカーからハンガーにかかったスーツを取り出す。メッチェンはまず左手でロッカーを開けてから、差し出されたハンガーをやはり左手で受け取った。右手をほとんど動かさないその仕草を見て、コンスタンスが、あ、と口を押さえる。
「手伝いましょうか?」
「……ありがとう」
ふたりがかりでどうにかスーツを着ると、コンスタンスはメッチェンを鏡の前に立たせた。髪もとかしておいた方がいいから、と言って。
メッチェンの癖っ毛にブラシを通しながら、コンスタンスがおそるおそるといったように口を開いた。
「変なことを聞くようだけど――その、気を悪くしないでね?オーフェンとは、前からの知り合いなのよね、あなたは」
「ええ。正確には協力者というところかしら。変に思った?」
まあ、その……と、ごにょごにょ尻すぼみに呟くコンスタンスを鏡越しに見やり、微笑む。
「まあかれとは敵じゃなかったし、これからもそうよ。あなたの方は?かれの友だちだったの?」
「コギーでいいわ。オーフェンが友だち……友だちねえ。そう言われるとなんか違う気が、っていうか友だちなら無能無能なんて言わないし、バリヤーにもしないわよね」
なにやら妙な思い出がよみがえってきたらしい。どす黒い顔でぼやいている。
「さ、できた!」
髪を三つ編みにし、ほつれ毛をピンで止める。するとそこには、小ざっぱりとした、いかにもこれから出勤するといった風の女が立っていた。
「行きましょう。オーフェンをあんまり待たせたら魔術で吹っ飛ばされるかもしれないし」
「いくらなんでも、そーゆーことはしない気がするんだけど……」
「ええっ?!あなた吹っ飛ばされたことないの?」
大げさに驚くコンスタンスと共に、メッチェンは更衣室を後にした。
そう、友だちではない。だが一緒に仕事をすることはできるのだ。