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86. 殴り合いの喧嘩

続き
 ドアがノックされた。何度となく確認した時計をまたもや見ても、針の位置はほとんど変わっていない。午前二時。
 律儀に待つことなどせず、さっさとベッドに入っていればよかった。メッチェンは本気で後悔しながら腰を上げる。明日も早いのだ。
 騎士軍の追撃を受けながら、どうにかアーバンラマに到着してからこっち、すぐ隣に死が待つ生活から解放された代わりに、分刻みのスケジュールに追われる日々を送っている。会議、会議、警備隊の訓練、会議、不平を述べる難民との折衝、訓練、そしてまた会議――
 もう一度ノックされたその音が、こころなしか控えめなものなのは、そのあたりの事情を慮ってのものに違いない。むしろ、そうでなければ怒る。
 心中で軽く毒づきながらドアを開けると、予想通りの人物、オーフェンが立っていた。額に汗など浮かべている。
 「遅くにすまないが……」
 言いかけたとき、オーフェンの肩から担いでいたものがどさりと床に落ちる。あらためて見るまでもない。サルアだ。朝見たときよりもなんだかずたぼろになっている。
 「やりすぎた?」
 「そうかもな」
 メッチェンがうめくと、オーフェンも力なく同意した。実際、疲れているのだろう。自分たちが投宿しているホテルの最上階まで、意識のない人間ひとりを担いで上ってきたのだから。
 「悪いけど、こいつベッドまで運んでくれないかしら。まさか、このまま置いていくなんて言わないわよね」
 「……ああ」

 完全に失神しているサルアをベッドに転がして(寝かしつけ、ではない)、オーフェンは腰に下げていたサルアの剣を帯剣ベルトごと外すと、そばの壁に立てかけた。
 かれに椅子を勧め、メッチェンはサルアのブーツを取り外しにかかった。これくらいはサービスしておいてやってもいいだろう。貸しにつけてはおくが。
 「ごめんなさいね。あと、ありがとう。お礼を言っておくわ」
 「謝るなら、おれの方かとも思ったんだけどな。それと、どうして礼を?」
 「あら、どうせこいつの八つ当たりに無理矢理つきあわされたんでしょ」
 「それならまだマシだったんだが……」
 半眼で言葉をにごすオーフェンに視線で先を促す。
 「ホテルに戻ろうと道を歩いていたら奇襲を受けたよ」
 メッチェンは天を仰いだ。まさかそこまでやるとは、という呆れが半分、もう半分は――自分でもそうするだろうという思い。つまり、この黒魔術士に一撃をくらわせたいならば、それくらいのことは必要なのだ。
 「なにか飲む?といってもこんな時間だから、お茶も出せないけど」
 「いや、いい。実は口の中を切ってるんだ」
 ということは一撃くらいは与えられたのか。なら、まるで手も足も出せずにこの状態になったよりはましなのかもしれない。そう思っていると、オーフェンはぼそりとつけくわえてきた。
 「そっちは明日、朝メシ食えねえかもしれねえ」
 「どうして?」
 「いや、ちょっと思ったよりしつこかったっつーか、しぶとかったんで立場的に顔を殴るのもマズいし内臓を重点的に」
 「……まあ、自業自得よ。それに、半月もよく我慢したと思うしね」
 そう言って黒魔術士を見やる。相手はいぶかしげな表情を浮かべてはいたが。
 「わかってたんでしょ?アーバンラマに着くまでは人前で吹っかけるわけにもいかないし、着いたら着いたでこの忙しさだもの」
 「半月経って、ようやく襲撃をかける余裕ができたってことか。ま、奴にそれくらいの怨みは持たれてるだろうと思ってたけどな」
 「そうよ。だから『ありがとう』なのよ」
 「八つ当たられてくれて?」
 メッチェンが頷くと、オーフェンは特有の皮肉げな笑みを頬に刻んだ。
 「君はどうなんだ」
 「わたしが?まさか」
 問われたがメッチェンは一笑に付した。馬鹿らしい質問ですらある。自分には、もうそんな力は残っていないのに。ふと、その問いに負けず劣らず馬鹿なことをしでかしたサルアに視線をやる。
 「よく眠ってる」
 メッチェンの口からぽつりと呟きが漏れた。オーフェンはというと、顔に疑問符を浮かべている。安らかな寝息ならばともかく、無意識にかサルアはおどろおどろしいうめき声を上げていた。おそらくは痛みのためだろう。
 「キムラックに戻ってから、あまり寝てなかったのよね。これだけぐっすり眠ってるの、久しぶりなんじゃないかしら」
 「……君が言うぐっすりの基準については疑問がないわけじゃないが……。おれもそろそろ寝るとするよ。君も、明日は早いんだろう」
 「そうね。おやすみなさい。よい夜を」
 「ああ。また、明日」
 オーフェンを送り出し、メッチェンは息をついた。長い一日が、ようやく終わったのだ。



(1回くらい険悪な雰囲気になってるだろうという妄想が、1回くらい殴り合ってるだろうという話になった)

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