ベタとそうでないのとの違いがよくわからなくなりつつ、年内完走をめざして「リライト」さん配布のお題、「選択課題・ベタ」に挑戦。ジャンルは009。
今年の風邪は性質が悪い。ギルモア博士はそれを身に沁みて感じることになった。あいにくと、ジョーたちは世間一般でいう「病気」から縁遠くなってしまっている。
「いいですか博士。毎晩遅くまで起きていらしたからこういうことになるんです。おとといは徹夜までなさっていたの、知っているんですからね」
ジョーが部屋に入ると、高熱に目を回してベッドにもぐりこんでいる博士の横で、フランソワーズが長々と小言を述べていた。この状態だと、あまり聞こえていないんじゃないのかなあ、とジョーは思う。
しかしフランソワーズの気持もわからないではない。不摂生を改めるよう、これまで何度言っても博士は聞き流していたのだから。
「フランソワーズ、それじゃ出かけてくるよ。帰りになにか買ってくるものはあるかな」
呼びかけると、フランソワーズはお説教を中断してこちらを見やった。何秒か思案したが、首を横に振る。
「すぐに必要なものはないわ。コズミ博士によろしくね」
了解、と告げて部屋を辞す。病人がいるのにフランソワーズひとりを残すのも気が引けるが、風邪をひいたのはギルモア博士ひとりではなかったのである。
「コズミ博士、起きて大丈夫なんですか?」
いまひとりの風邪っぴき、コズミ博士のもとを訪ねたジョーが目にしたのは、どてらを着こんで火鉢にあたっている博士だった。
「わしはギルモアくんほど重篤でないでな。自分で病院に行ったし、薬も飲んだ」
笑ってジョーを手招きする。どうやら布団の国の住人でいることは放棄したらしい。見れば、火鉢で餅など焼いている。
遠慮なく上がりこませてもらうことにして、ジョーも火鉢の前に座った。室内を温めているヒーターに比べれば火鉢はいかにも頼りない。だが、昔ながらの日本家屋といったたたずまいのこの離れには火鉢こそが似つかわしいだろう。ずいぶんと前にBGの一件で母屋が全壊して以来、コズミ博士は建て直しもせず離れで生活を続けている。
「たいへんなことになっていますよ、ギルモア博士は。もういいお歳ですから、すこし心配です」
「ほー。ギルモアくんはわしよりも齢は下だったんじゃがな。理屈からいえばあちらの方が体力があるはずなのにのぅ」
面白そうなのと気の毒そうなのを混ぜた調子で言って、コズミ博士はかれ独特の、髭を揺らす笑いかたをした。だが、すこしギルモアくんが羨ましい。ふと、そうつけくわえる。
コズミ博士がギルモア博士をうらやむ?不思議に思ったジョーがその理由を尋ねると、コズミ博士は餅をひっくり返しながら柔らかく笑んだ。
「なに、すぐそこに誰かがいるというのは心強いものだということじゃ。わしも好きでこの暮らしをしておるが、病気になるとふと気弱さがやってくる」
家族のことを思い出しているのだろうか。コズミ博士の目は遠くへと向けられていた。
「……そういえば、ギルモア博士から聞いたことがあります。昔、コズミ博士の周りに人が絶えなかったのが、ときどきうらやましかった、と。ぼくには意外な話でしたが」
「ほ、ほ。ジョーくんは知らんかもしれんな。若いころのギルモアくんは望んで人を遠ざけるところがあったんじゃよ。しかし、そうか。ギルモアくんがそんなことをなぁ……」
コズミ博士はますます丸く笑い、一旦言葉を途切れさせた。ぷぅ、と餅が食べごろにふくらむのを見ながら、何の気なしといった風に口を開く。
「あのころといえば、わしは心底からギルモアくんをねたんどっての」
言って、箸でつまんだ餅をジョーの目の前にかざす。こちらを見つめるコズミ博士の瞳はきらと輝いていた。
「つまり、やきもちを焼いておったんじゃよ」
ジョーは――かたわらに置いてあった小皿を差し出しながら、はっと気がついた。
「それが言いたかっただけでしょう、博士」
「ばれちゃった?」
コズミ博士は髭を揺らし、差し出された小皿に餅をのせた。食べなさい、とうながす。
「さしづめ、嫉妬の炎で焼いた餅ですね」
ジョーが言うと、コズミ博士は大声で笑い出した。よほど気に入ったのか、口の中で幾度も繰り返している。
二人で笑いながら食べた餅は、おいしかった。