「あそこそ」隙間埋め。アーバンラマ小景。(2月3日 ... 改稿&改題)思いついたシーンを並べただけなので冗長な話。
キエサルヒマ大陸北東部に位置するその都市をアーバンラマという。人間種族が作りあげた最大の都市のひとつであり、造船や蒸気機関をはじめとした工業で名高い。
また、アーバンラマは自治都市としての顔も持ち合わせている。とはいうものの、それはアーバンラマが最初に自治を獲得したというだけのことで、現在では大陸西部の方がよほど王都からの干渉を免れている。
だが今となっては、たとえお粗末な自治でも馬鹿げた騒乱からアーバンラマを守る役には立っている。
魔術士同盟と貴族連盟の対立が本格化したとき、アーバンラマ議会が最初にしたのは門扉を閉ざすことだった。キムラックを目指し進軍する騎士軍に横から攻撃をかけるわけでなく、補給の手助けをするでなく、我関せずの態度をとったのだ。
つまり消極的な恭順である。
騎士軍は補給の求めすらしてこなかった。こんなときになっても、貴族連盟は法が認めたアーバンラマの自治を撤回しようとしない。彼らが奉ずる王権治安維持構想がそれを許さないのだ。
むろん騎士軍、ひいては王都も裏で「開拓計画」なるものが動いていることは知っているだろうし、それを苦々しく考えてもいるだろう。だが、アーバンラマが魔術士同盟との戦争に首を突っ込まない限り、むやみと攻撃をかける愚を冒すこともないはずだ。
騎士軍がやることといったら、せいぜいキムラック難民を殺到させるという嫌がらせくらいである。
そして。今日もまた、騎士軍の嫌がらせの成果がひとつ実ったようだった。新たな難民の一団がアーバンラマにやって来たのだ。
一団を迎え入れるため、南門周辺は混乱の極みにある。難民は例外なく南下してくるのだから、北門から入市させればいい話なのだが、議会は頑として首を縦に振らなかった。
もともと、アーバンラマの南地区が難民キャンプとして利用されているということもある。だがそれ以上に大きな理由があった。議会や事業家たちは自分たちの街――北地区に踏み入れられないことの方を優先したのだ。
そこまでの事情を知らずとも、過酷な道程に疲れ果てた難民に整然と入市させるのは骨が折れる仕事ではあった。いや、知っていたら怒りで混乱はさらに広がっていたのかもしれないが。
都市警察か、それとも事業家が雇ったのか、制服姿の警備員たちがなんとか混乱を収拾しようとしていた。しかし、殺気立った彼らの存在は、むしろ拍車をかけているといったほうが正しいようにも思える。
そうした空気に惑わされなければ、混乱の突端に一人の青年がいることに気づけただろう。
とりたてて目立つ風貌の持ち主というわけではないが、難民たちの中にあってその青年の異質さは隠しようがなかった。
「オーフェェェーン」
と、気の抜けた声が人ごみの向こうから投げかけられる。呼ばれた青年――オーフェンが顔をそちらへ向けると、警備員に囲まれた若い女が歩み寄って、いや警備員に支えられて近づいてくるところだった。言わずと知れたコンスタンス・マギーである。
待てよ違うな、とオーフェンは胸中で訂正する。コンスタンスは自力で歩けないのか、半ば引きずられている状態だった。
「無事に着いたようでよよよ、よかったわぁぁぁ」
目玉をぐるぐる回しながらそんなことを言う。土まみれ、ほこりまみれで口調もどこか危ういのは、おそらくここに来るまでに人ごみに揉まれたからだろう。そのついでに、コケて人に踏まれまくっただろうことも服についた靴跡を見ればわかる。だが……。
「てい」
「はぅっ?!」
オーフェンの手刀がコンスタンスの後頭部を直撃した。
「なにすんのよっ!……って、あれ?」
「俺はこっちだ。ガレキの山とお喋りしてる暇はねえぞ」
「しょうがないじゃない!あんたからの伝書鳩が戻ってきたのがつい一昨日で用意も何も急ピッチだわ、今日なんか朝ごはん抜きだわ、転ぶわ、踏まれるわ、最後には鳩の糞が落ちてきたんですからね!」
「知るかンなこと。で、用件は?」
「ええと、姉さん、じゃなかった、総監督からの呼び出しよ。到着したら、至急あんたと……キムラック側のリーダーを連れて来いって」
コンスタンスが一瞬言いよどんだのはあえて無視し、オーフェンは背後を振り返った。目的の人物は探すまでもなく、すぐそこにいる。
「だとさ」
「わかった。あ、ちょっと待って」
頷くと、メッチェンは手近の人間に矢継ぎ早に指示を出す。自分たちが不在の間についてのことだろう。
「……ま、紹介が先だろうな。こいつがコンスタンス・マギー、開拓事業委員会のとにかくいろいろ変なこと対策係だ」
「警備主任よ」
律儀に訂正するコンスタンスをもう一度無視してオーフェンは続けた。
「んで、あっちがメッチェン・アミックとサルア・ソリュードだ。この二人が今日到着したキムラック人のリーダーってことになる」
「よろしく」
「……」
メッチェンは軽く笑みを浮かべながら、サルアの方は無言でそれぞれ会釈してくる。
「は、はじめまして。……えーと、まあとにかく着いた早々だけど、こっちへ来てくれる?案内するから」
かくかくと、ぎこちない仕草でふたりと握手すると、先導するためにコンスタンスは歩き出した。その背を見ながら、サルアは思わず呟いた。
「俺、なんで怖がられてんだ?」
「人相が悪いからね」
「自覚がないのか?」
独り言のつもりだったのだが、オーフェンとメッチェンには聞こえていたらしい。サルアは眉をしかめ、ずっと手をかけていた剣の柄を軽く撫でた。意味のない、ただの癖になった仕草。
おそらく案内というよりは護衛役なのだろう、一団は警備員に囲まれながら開拓事業委員会のオフィスへ向かう。長くも短くもない道のりの間、会話が弾むわけでもない。ただ、オーフェンが自分が留守にしていた間について二、三質問を口にし、それにコンスタンスが要領の得ない答えを返す。会話といえばそれだけだ。
オフィス、つまり総監督の自宅に着くと、コンスタンスは屋敷に入ろうとせずその足でまた外壁の南門へと戻っていった。警備主任の仕事があるからだろう。
よろよろ去りかけるコンスタンスを、オーフェンが慌てて呼び止めた。
「ちょっと待て。確認したいことがある。……奴はいないな?」
「安心して。今の時間、家にいるのは姉さんだけよ。ベビーシッターも散歩に連れ出してるし」
深刻な顔で言うと、コンスタンスは警備員を引き連れて今度こそ去っていった。意味の取れない会話にいぶかしむ風のふたりに、オーフェンは気にするなと片手を振った。
「いずれわかる。ともかく来てくれ。……それとな、事前に言っておくが、気をつけろよ」
玄関の前に立っていた警備員の求めに応じ、手持ちの武器を渡していた死の教師たちはまたもや疑問符を顔に浮かべた。メッチェンが問うてくる。
「……何に対して?」
「言葉通りの意味さ」
それ以上の説明はせず、勝手知ったるというように扉をくぐる黒魔術士に、今はついていくしかない。解決されない疑問が振りまかれ続けているにせよ。
やがて現われた奥まった一室の扉を前に、オーフェンは足を止めた。どういうわけか緊張した様子で拳を作る。そして、慎重かつ丁寧な仕草で扉を叩いた。
「来たの?入りなさい」
返ってきたのは、細い女の声である。細いといっても、絹糸よりも鋼で縒られたワイヤーのそれを思い起こさせた。オーフェンはなんともいえない顔で背後のふたりを見やると、ため息をひとつこぼして扉を開く。
その後に続こうとして。
「?!」
サルアの眼前に拳が突き出された。えぐるような、いやむしろ触れたものを削っていくと感じさせるほど鋭い軌跡で拳が振り抜かれる。だが、サルアはその軌跡を最後まで見ていなかった。かすらせるようによけ、自分もまた相手へ向けて拳を放つ。
ぱし、という乾いた音――目の前の女(そう、女だ)が掌で受け止めたのだ――を聞きながら、サルアは半歩下がろうとした。視界の隅で、メッチェンがどこに隠していたのかナイフを手中にひらめかせているのが見える。
しかしその瞬間、脛に走った鋭い痛みで思わずバランスを崩しかけた。後退しようとするサルアにタイミングを合わせて前進してきた女が、思い切り蹴りつけたのだ。凶悪に尖った靴のつま先で。
どん。オーフェンが木製の扉を力の限り殴りつける音とともに、三人は動きを止めた。サルアは受身を取ろうとしたまま。女は攻撃をしかける一瞬前の態勢で。そして、メッチェンはナイフを女の首筋につきつけている。
「……ったく、だから気をつけろって言ったんだ」
ぶつくさぼやくオーフェンの声を背後に、女はさっと間合いから下がった。戦闘態勢も解いている。
「どういうつもり?」
メッチェンが鋭くささやく。ナイフはまだ左手に構えたままだ。
「ふうん」
軽く言ったのは、襲いかかってきた女だった。扉の影にひそんでいたのだろう。奇襲と呼べるほど上等な技でもない。今は息も乱さず、面白くもなさそうな顔で黒髪を手で直している。
「この穀つぶしヤクザもどき兼パシリ犬が、妙な知り合いを連れて来ると言ったときは今度こそ脳みそがワいたんじゃないかと思ったけど――本物の殺し屋みたいね」
「言っとくが、あんたも妙な知り合いの範疇に含まれてるんだからな」
オーフェンのつぶやきが洩れると同時、女の裏拳が目にも止まらぬ速さで顔面を襲った。しかしあらかじめ予想していたのだろう、オーフェンは振り上げた腕で攻撃をしのいでいる。骨がきしむような鈍い音が室内に響いた。
「失礼なこと言わないでくれる?仮にも監督に向かって」
「待て」
態勢を整えたサルアは、会話に差し入れるように手を上げた。わかってはいても、耳にした名称と今しがた起こった出来事が容易に結びつかない。
「監督だと……?!」
「そう。わたしがドロシー・マギー・ハウザー。開拓事業委員会の総監督よ。ようこそアーバンラマへ。歓迎するわ」
信じられないことだが、それが後々まで続く堅苦しい会合の第一回目だったのだ。
「なんだったんだ、あれは」
「同感」
ふと気がつくと、サルアとメッチェンは玄関の外に呆然と立っている自分たちの姿を見出していた。つい今しがたまで、かれらはドロシーと名乗った総監督から現在のアーバンラマと開拓計画に関する説明を受け、また自分たちが率いてきた難民団についてもしつこいほどの質問攻めにあっていた。
ドロシーのその様子はいかにも有能な事業家といった風で、初対面の人間を殴りつけてきたのが幻だったかのように思えてくる。
ただ、話の途中で入室してきた秘書らしき人間から、ベビーシッターが戻ってきたと聞かされた瞬間、オーフェンに屋敷から追い出されたのが謎といえば謎だったが。
「あれは序の口だ。次、行くぞ」
やや遅れて玄関から出てきたオーフェンが言う。どういうわけかぐったりと疲労していた。
「事情がさっぱり飲み込めないんだけど?」
「説明するのが面倒くせえ」
いずれわかる、とまたもや同じ言葉で会話を打ち切る。と、オーフェンはもたれかかる倦怠感を払うかのようにかぶりを振り、言い直してきた。
「俺としちゃ、そっちにもたっぷり味わってほしいところだが……とにかく、これ以降はあっちがまともに話ができる状態じゃねえんでな。まあいい。とりあえず宿舎に案内する」
「宿舎?俺らもキャンプ暮らしじゃねえのか」
「そのほうが面倒が多いらしくてな。重要人物はひとかたまりにしとけ、ってことだ」
「賞金首の間違いだろ」
苛立ちを隠さずに言うサルアには構わず、オーフェンは道を歩き出した。どこもかしこも本当に時間がないのだ。事情を説明する時間も、八つ当たりにつきあう時間も。
オーフェンが死の教師たちを案内したのは、南地区と港湾にほど近いホテルである。今はまだ荷物を運び入れている段階だが、間もなくここが開拓委員会のオフィスとして本格的に機能するという話だった。
さすがアーバンラマというべきか、最上階に用意されている部屋まで向かうのに昇降機を使うことができる。メッチェンがやや落ち着かない様子であるのをちらりと見、オーフェンはそういえば彼女は高所恐怖症だったのだとどうでもいい記憶をよみがえらせた。
「大丈夫なのか?」
「え?」
「高いところが苦手だと言っていただろう」
生活に支障があるなら……と言いかけるのを、メッチェンは苦く笑いつつ首を横に振って否定した。
「大丈夫よ。窓から下をのぞきこまない限りはね。それに……いろいろなことに慣れなければいけないんでしょうし」
「これもそのひとつ、か」
まあ確かに彼女の言うとおりではある。頭をかいたとき、ちょうど目的の階に着いたことを知らせるベルが頭上で鳴った。
「なんだこれは」
寝室の扉を開け、ノブに手をかけたままサルアがうめく。驚いたことに、連れて来られたのはスイートルームで、人間ふたりが長期間暮らすには充分すぎる広さがあった。
そう、つまり一人用の部屋ではない。むしろこんなしろものがシングルルームにあるのなら設置した人間の神経を疑う。
「ただのベッドじゃねえか」
部屋の中を一瞥し、オーフェンは無感動に言った。なにがそんなにサルアの気に障ったのか、理解できていない様子である。苛々と髪の毛をかきまわし、サルアは口を開いた。
「なんでダブルベッドがあるのかっつってんだよ」
それを聞き、今度こそオーフェンは呆れきった表情を浮かべた。いや、もしかしたら馬鹿にすらしていたのかもしれない。
「違うのか?」
「てめえ……」
「ああ、そうだ。さっきの打ち合わせのとき言い忘れていたことだけどな、お前ら結婚しろ」
さすがに絶句する。サルアのそんな様子に気づいていないわけでもないだろうに、オーフェンは淡々と説明を続けた。
「スポンサーの意向ってやつだよ。仮にも公的な立場に立つ人間が内縁関係ってのは、あちらさんには気分がいいもんじゃないらしい。俺にはよくわからねえが」
「あのな、おい。てめえは軽々しく言うが――」
「いいじゃないの。落ち着きなさいよ」
遮ったのは、それまで無言だったメッチェンである。さすがに疲れたのかソファに腰を下ろしているが、彼女の様子はどこか落ち着き払っていた。衝撃をおぼえる言葉を聞かされたにもかかわらず。
「わたしは構わないけどね。それが生きていく方策なら」
きっぱりと言い切り、けれども挑みかかるような視線をオーフェンへと投げつける。
「わかった。そのつもりで話を進める。いろいろ手続きもあるんでね、今日明日でどうこうってわけじゃないが、詳しいことはまた後日説明する」
メッチェンの言葉にひとつ頷くと、オーフェンは部屋から出て行った。一時間後に迎えに来るから休憩していてくれ、と言い残して。
サルアはまた髪の毛をかきまわした。苛立ちではなく、今度は居心地の悪さから。今日は何度もよくわからない事態に遭遇したが、最大のものはこの寝室であるように思う。感情を誤魔化すために、とりあえず口を開く。
「……あのベッドの脚、切っていいか?」
「それをしたら殴るわよ」