博士ネタって無限にわいてくる気がするから不思議ですよね(棒読み)。
このところギルモア博士がしょっちゅう外出している、というのでまず不思議がったのがジョーだった。
かれらの暮らすギルモア邸は、すこしばかり町から離れた――俗っぽい言い方をすれば、交通の不便な場所にある。一番近い町には張々湖とグレートの経営する店があるが、そこに行くのさえ自家用車で向かうか、タクシーを呼ぶ必要があった。
であるので、博士がどこかへ外出する際には、ほとんどの場合ジョーが運転手役を務めるのである。だから最初に博士の外出の頻度が上がったことに気づいたのだ。
博士はさほど出不精というわけではない。しかし、放っておくと論文のチェックやら研究やら新素材の開発やらに文字通り「取り憑かれ」、ほかのことが目に入らなくなってしまうきらいがある。もっとも、そんなときでも毎日一時間の散歩は欠かさないのだが。
「そんなにおかしいことでもないと思うけれど」
そういえば、博士は最近よく出かけるなあ。ふと口をついて出たジョーの疑問を、フランソワーズはなんでもないことだと判断した。
「それっていつから?」
「先月の半ばくらいかな。でも一月は週に一度だったのが、二月に入ってからは三日に一度になってるんだ」
「ほほう」
割って入った声の主、グレートは独特のぎょろ目を光らせて人差し指をぴっと立てた。
「我が輩の見たところ……」
「見たところ?」
「ずばり、女だな」
フランソワーズは思いきり冷ややかな眼差しを放り投げた。ジョーも思わず「それはないんじゃないかな」と一刀両断にする。
「なにおう!恋というのは生命の妙薬、喜びの源泉はこれがあってこそなのだぞ」
「まさか!博士に限って」
「いやいや『まさか』という人間こそ思わぬところで……な。ジョー、なにか博士にそれらしい様子はなかったか?美女と待ち合わせてたとか」
「いや、ぼくは博士を駅に送り迎えしているだけだから、知らないよ。それに博士だって、いつも本を何冊か抱えているだけだし」
「……怪しいわ」
フランソワーズまでが前言を忘れたかのように、いきなりそんなことを言い出した。
「出かけるたびに本を買うとはいっても、最近は三日に一度なんでしょう。それはちょっと変じゃない?」
「なるほど。つまり博士は美しい書店員にひとめ惚れを」
「えーと……」
なにやら盛り上がってきたふたりを横目に置き去りにされていたジョーだが、気がつくと次の博士の外出に合わせて尾行することになっていた。どうやら「本人に尋ねる」という選択肢は存在しないらしい。
「では博士、夕方迎えに来ますから」
「あぁ、頼んだよジョー」
駅前で博士を下ろし、そのまま帰る――と見せかけ、ジョーは電車と同じ方向へ自動車を走らせた。ちなみに、電車内ではグレートとフランソワーズが博士を見張っている。
やがて到着したのは県の中心地である。複数の百貨店が軒を連ね、週末ということもあり人ごみでかなりごったがえしていた。ジョーはやや離れたところにある駐車場へまず向かうと、そこから博士がいるという百貨店へと走った。
「博士は?」
「それがね、おかしいのよ」
声をひそめてフランソワーズ。かれらは、博士には絶対気づかれない、声の届かない距離を取っている。だが後ろめたいことをしているという自覚が、どうしても人間をそのように振る舞わせてしまうものらしい。それはともかく、ジョーは眉をひそめた。
「おかしい、っていったい何が」
「誰とも会ってないの、博士」
がっくりと肩を落とす。脱力しているジョーの様子に気づいているのかいないのか、グレートが言葉を継いだ。
「それどころか、かなり意外なことになってるぜ。見てみなよジョー」
言われて、ジョーは指し示された方向に視線をやった。確かに、人ごみにうもれるようにしてギルモア博士の小柄な姿が見え隠れしている。どうやら買い物にいそしんでいるようだが……それにしても場所がそぐわなさすぎた。
「な、なんで博士がお菓子売り場に?」
しかも二月初旬の今、バレンタインデー商戦真っ只中の時期だ。見渡す限りほぼ女性、義理か本命か知らないが、品定めに余念がない彼女たちに混じってうろうろする博士は、明らかに浮いている。
「間違って紛れこんだとか」
「このお店に入って、まっすぐここに来たのよ。ねえ見て、もういくつか買ったみたい」
「……ただのおみやげってこともあるんじゃないかな」
「いーや違うね。あれは獲物を狙うハンターの目だ」
「やっぱり贈り物なのかしら」
「待ちたまえ。ひょっとしたら毎回外出のたびに買っていたのかもしれん。きっと相手は度を越した甘党なのだ」
またもやひそひそ話を始めたふたりを置いて、ジョーはごく自然な動作で歩き出していた。つまり、博士に向かって。
「え、あ、ちょっとジョー?!」
「尾行相手に直接聞くのはお約束的にまずいーッ!」
「博士」
「ん……?ジョッ、ジョー?」
なぜここに。背後から思わぬ相手に声をかけられた博士は、わたわたと持っていた紙袋を隠そうとした。しかもジョーに続いてフランソワーズとグレートまで姿を現したので、なおも狼狽する。
「い、いやこれはその、なんじゃ。ええと」
ばさばさばさ。紙袋が手からすべて落ちた。
タネも仕掛けもない、もちろん美女の影などかけらもない話で、博士は単純にチョコレートを買いに来ていただけのことだった。
「この季節はあちこちで新商品が出るじゃろ。だからその……言うなればマーケティングリサーチじゃな」
そう言う博士の頬はわずかに赤い。
「それなら別に、わざわざ隠さなくてもよかったんじゃないですか?」
フランソワーズが聞くのも道理で、普段博士は甘いものを出されてもあまり手をつけないのだ。ここしばらくの「マーケティングリサーチ」の成果も、ご丁寧に荷物に隠して持ち帰っていたのだという。
「うん、実は以前コズミくんがのぅ……」
もごもごと口ごもる博士に業を煮やし、グレートが続きを促した。
「なんです、コズミ博士がどうしたっていうんです」
「大学の教え子からチョコレートをもらったとかで、『どうだね、いいだろういいだろう』と見せびらかされたものだから、つい『チョコレートは嫌いなんじゃ!』と意地を張ってしまったんじゃ」
「は、はあ」
いかにもありそうな光景である。その様子を克明に想像し、ジョーたちはそれぞれ、笑いをこらえているような、困ったような三者三様の表情を作った。
「こうして自分で買っているのを知られると、その……取り繕っているように見えるんじゃないかと思えてなぁ」
ちんまりと肩をすぼめる博士を前に、かれらはロシア製のチョコレートをみんなで買って贈ろうとこっそり決めたのだった。