僕は猫になりたい

 1.

 日曜日の午後。僕はバイトの帰りに子猫を拾った。
子猫は道路の隅にうずくまっていた。真夏の太陽を避けるかのように、電信柱が作り出す小さな影の上で体育座りをしていたのだ。
体育座りのできる猫はかなり珍しい。だからといって僕はそれほど驚きもしなかった。 それは猫が最初から人間の姿をしていたからだ。
その子猫はオスだった。
彼はベージュの長いズボンをはき、丈の短いティーシャツを着ていた。そして首筋にはキラリと光る汗があった。
肩まで届くほど長い髪は毛先の方だけが薄茶色。そしてつむじのあたりは黒い色。
明らかに淋しげな子猫は、右手でそっと二色の髪をかき上げた。

 僕は一旦子猫の前を通り過ぎた。でも、どうしても気になってもう一度彼を振り返った。
彼は相変わらず体育座りをして俯いていた。 特に何をするというわけでもなく、まったく動こうともせず、気温30度の外気に晒されてただそこにうずくまっていた。
僕はそんな彼をどうしても放っておく事ができなかったのだ。 少しも動こうとしない彼が、「僕を拾って」と心の中で叫んでいるように思えたからだ。
僕は彼に近づいてとにかく声を掛けてみる事にした。
外はすごく暑かったから、本当はさっさとアパートへ帰って涼しいエアコンの風を浴びたかった。
でも子猫が同じように暑いと感じているならば、2人でその風を分け合ってもいいと思ったのだ。

 「おい、チビ!」
電信柱に手をついて、とりあえずもっともらしい言葉で彼に呼びかけてみた。
電信柱の影に僕の影が繋がって、日影を好む彼の居場所はさっきよりも少しだけ広くなっていた。
子猫はすぐに顔を上げた。体育座りはそのままで、顔だけをフッと僕の方へ向けたのだ。
人間の姿をした子猫は、人間の年齢で言うと12〜13歳ぐらいに見えた。
僕は猫の年齢については詳しくないのだけれど、人間で12〜13歳ならば猫としてはきっとまだ赤ん坊なのだろうと思った。
頬がぽっちゃりしていて、大きな目は淡い茶色。そして鼻と口はすごく小さかった。
不安げな茶色の目が真っ直ぐ自分に向けられると、僕はますます彼を放っておけなくなった。
「お前、行くところがないなら僕のアパートへ来るか? ここにいるよりずっと涼しいし、冷蔵庫にはミルクもあるぞ」
僕は子猫にそう言ってなんとか彼を家へ連れ帰ろうとした。
高校卒業後に1人暮らしを始めて、約5ヶ月。実家の団地ではペットを飼う事が許されなかったけれど、今はもうそんな規則に縛られる必要もない。
1人暮らしは理想と違って不自由な事ばかりだった。でもかわいい子猫を飼えば少しは暮らしが楽しくなりそうな気がしていたのだ。

 子猫は何も言わずにスクッと立ち上がった。彼は唇を横に広げて屈託のない笑顔を見せた。
ぽっちゃりした頬には針で刺したようなエクボがはっきりと浮かび上がり、小さな唇の奥に真っ白な歯が覗いた。
子猫は人間の言葉を喋れないようだった。だから僕はその笑顔が彼の意思表示なのだと判断した。
「こっちだよ。ついておいで」
そっと手招きすると、彼は歩幅の狭い足取りでチョコチョコと僕の後をついてきた。
時々僕が立ち止まると、子猫もピタッと立ち止まった。またすぐに僕が歩き出すと、子猫も同時に歩き出した。
真夏の太陽は乾いた大地に強い熱を浴びせていた。真っ青な空はどこまでも遠くまで続いていた。
アパートの赤い屋根が見えてくると、僕は心からほっとした。
外は本当に暑かった。早く涼しい風に当たらないと、体がドロドロに溶けてしまいそうな気がしていた。