サイレンサー

 1.

 学校帰りに本屋の前を通りかかると、ガラス戸に貼られたパパの本の宣伝ポスターが目に入った。
それは目がクリッとした少年と面長な顔の青年が抱き合ってキスを交わしているイラストが描かれたものだった。
僕の新しいパパはそれほど有名ではない小説家だ。
でも彼が今年になってから出した本は随分と売れ行きがいいようだった。
もしかしてパパはこの本でベストセラー作家という地位を手に入れるのかもしれない。
それを思う時、僕はいつも興奮した。

 僕の本当のパパがどこにいるのか。そんな事はまったく分からない。
ママは僕が生まれてすぐにパパと別れてしまい、それからその人とは一度も会っていないと昔から言っていた。
ママが今のパパと再婚した時、僕はまだ14歳だった。
今のパパと初めて会った時は少し緊張したけど、僕はすぐに彼と打ち解ける事ができた。 彼はその頃21歳という若さで、まるで兄さんのように僕と接してくれたからだ。
早いもので、あれからもう2年近くの月日が流れた。そして僕はこの春高校生になった。


 30階建てマンションの最上階。そこが今の僕の家だった。
僕は13歳までは鍵っ子だった。ママと2人暮らしの頃、彼女はいつも仕事で家を空けていたからだ。
その頃はやっぱり少し淋しかった。僕は1人っ子で、家へ帰っても話をする相手さえいなかったからだ。
でも今は淋しいと感じるような事はまったくない。それは小説家であるパパが家で原稿を書きながらいつも僕の帰りを待っていてくれるからだ。
僕の家はマンションの最上階。そこはワンフロアになっていて、見知らぬ他人が近づくような事は滅多にない。
マンション1階の玄関ホールから四角いエレベーターに乗って30階のボタンを押す。 すると高速エレベーターはあっという間に僕を自宅へ連れて行ってくれる。
最上階に着いて音もなくスッとエレベーターのドアが開くと、すぐ目の前に重厚なドアが現れる。
学ランのポケットに家の鍵が入っているかどうかはそれほど問題ではない。 人差し指でインターフォンを押すと、すぐに中からガチャッとドアが開くからだ。
耳障りなインターフォンの音を聞くと、パパはいつも玄関まで僕を迎えにきた。

 彼はラフな服装でドアの向こうに立っていた。
面長な青白い顔と、肩の下まで伸びた茶色の髪と、少し緩めのティーシャツが僕をますます興奮させる。
でも、僕をもっと興奮させるのはゾクゾクするほど冷徹な彼の目だ。
眼光鋭い彼の目は、学校から帰宅したばかりの僕を刺すように見つめていた。
彼はどんな時でも目の輝きを失わない。その目はアンテナの役割を果たしていて、どんなに小さな僕の変化も見逃さない。
いつか僕がパパに背を向ける時がきたら、その目はすぐ僕の裏切りに気付くだろう。
その時彼はいったい僕をどうするのだろうか。僕は時々無性にそれが知りたくなる。
「お帰り」
ちょっと掠れたその声が、僕の耳に心地よく響く。
表情を和らげた彼の目が、今度は僕を安心させる。
「おいで」
パパは囁くようにそう言って僕の右手を軽く握った。
玄関の重厚なドアをオートロックに変えたのは彼だった。万が一ドアの鍵をかけ忘れても、僕たちの邪魔をする者は誰もいない。
僕は彼に手を引かれて狭く薄暗い廊下を真っ直ぐに進んだ。
パパはこの長すぎる廊下が少しお気に召さないようだった。
彼は白いタイル張りの廊下の上を猫のように足音をたてずに歩く。
僕は廊下の先にあるリビングへ辿り着くまでの間に両足に付きまとうスニーカーを蹴ってそのへんに投げ飛ばす。 そして2枚目のドアが目前に迫ると、重い鞄をあっさりと手放すのだ。

 パパの左手が素早く2枚目のドアを開ける。
すると、僕の目に春の日差しが突き刺さった。
全面ガラス張りのリビングの壁は、太陽の光を余すところなく受け入れていた。
リビングはやたらと広いのに、そこに置かれている物はわずかだった。
ドアの横に掛けられたスクリーンと、天井からぶら下がるプロジェクター。そして部屋の奥には幅の広い真っ白なソファー。
ここは映画に登場しそうなほどオシャレな部屋だった。あまりにオシャレすぎて、生活感のない部屋だ。
廊下とリビングの床は段差のないバリアフリーで、白いタイルの床は廊下からずっと続いていた。
パパは相変わらず僕の手を引いて、足音もたてずに目の前を歩いていた。
彼が一歩足を踏み出すたびに、緩めの白いティーシャツが揺れていた。そして、茶色い髪は太陽に透けていた。

 彼は僕がどうやっても抵抗できないほど強い力で僕をソファーへ押し倒す。
胸に覆いかぶさる彼の体はとても軽い。なのにどれほどがんばってもその体を突き飛ばす事はできないのだった。
パパはひょろっと背が高く、病的に色白な事も手伝って一見とても華奢な印象を人に与えた。
細く長い首や緩やかな肩の流れや子供のように細い腕がすべての人にそう感じさせるのだ。
なのに、その体のいったいどこにこんな力が潜んでいるのだろう。
フカフカなソファーに身を沈めてゆっくり目を閉じると、僕はすぐに唇を塞がれた。
パパは渇いた唇で僕の息を止め、温かい舌を使って僕の口の中を丁寧に舐め回すのだった。
僕はその瞬間に強い快感を覚える。僕の感度がいい時は、思わずキスだけでいってしまいそうになる。
僕はいつも彼とのキスに溺れてしまい、パパの手がどうやって僕の学ランを脱がせるのかまったく記憶に残す事ができなかった。
とにかく気がつくと僕はいつも生まれたままの姿になっていて、彼はすでに僕の中にいた。
腰に伝わる圧迫感はすぐに遠ざかり、彼の硬い肉片がキスとは違った快感を僕に与え始める。
気持ちいい。
すごく気持ちいい。
本当は大きな声でそう叫びたいのに、唇が塞がれていてろくに声を出す事もできなかった。
パパの鼻息は荒かった。興奮しきった僕の体にはしっとりと汗が浮かんでいた。
しっかりと閉じた瞼の向こうには、明るい春の日差しを感じた。