「原罪」を考える
事件の流れをまとめると
沙羅がポトノフ外相への復讐を企てたのが発端。
タジクは沙羅への過去の恩と、また妹の復讐を思って、沙羅の計画に協力。
しかしその途中で寿明のあまりの乱行ぶりに我慢できなくなり、彼の寿命を削ろうと考える。
この時点で寿明の交際相手の女性も同じ穴の貉とみて、一蓮托生で殺すことにした。
寿明の殺害は沙羅の与り知らない、タジク個人の私怨による犯行。
結果、寿明の生命力が強かったのか、女性の方が先に発症した。
寿明はそれを自分のせいだと考え、女性を始末する。
恐らく元から薬や危険な行為を女性に強いていて、心当たりがあったのだろう。
遺体の処理はタジクに押し付ける。
ところが始末した遺体が見つかったことで警察に目を付けられてしまった。
ここから沙羅とタジクの計画に綻びが生まれてしまう。
タジクを犯行へと駆り立てたもの
そもそもこの事件には三つの犯行が描かれています。
ひとつは川谷寿明による外国人女性の殺人。
もうひとつは沙羅のポトノフ外相暗殺計画。
そして最後にタジクの料理によるヤコブ病の発症。
タジクが主犯として関わったのは3つ目の事件だけです。
もしタジクが寿明の殺害を目論まなければ、暗殺計画もバレなかったでしょう。
なぜ彼はわざわざ危険を冒してまで、寿明と取り巻きの女たちを殺したのか。
ラストの留置場で薪さんと面会した時に、彼の瞳に光が戻った意味は。
タジクという人間の行動原理を、「原罪」というタイトルの解釈も絡めて、自分なりの考えをまとめます。
タジクの犯行動機は、言ってしまえばただの私怨です。
鼻持ちならない金持ちに対しての憎しみが抑えられなくなってしまった、ただそれだけの話です。
しかし果たして本当にそうなのでしょうか?
タジクほど聡明な人であれば、暗殺計画を前にして警察に付け込まれる隙を作ることの愚行が、
分からないわけではありません。
しかしそれでも彼は寿明の殺害にこだわった。
逆に言えば、暗殺計画と並び立つぐらい、寿明の殺害が彼の中で大きな意味を持っていたことになります。
もちろん寿明個人にたいした価値はありません。
しかしタジクの目には、彼が矮小な一個人でなく、もっと違う物として映っていたのでしょう。
つまり、自分が真に憎むべきもの──自分たちを現在の境遇に貶めた原因のシンボリック的な存在として、
寿明はあったのです。
タジクという人間の根本にある動機は、日本という恵まれた国への報復だったのだと思います。
ペットの餌をありがたがって食べる自分たちと、かたやそれを作らせる日本人。
ここに「飢えた者」と「恵まれた者」という対立構造が浮かんできます。
生きるために自らの手を汚す「飢えた者」と、それを他者に押し付ける「恵まれた者」。
彼は自分たち「飢えた者」を虐げる者として、
川谷とその取り巻きの女たちを、個人的復讐心の捌け口として殺害したのだと思います。
タジクの絶望と救済
タジクにとって唯一の誤算だったのは、
女性たちが外国から出稼ぎに来ただけの、同じ「飢えた者」だったことでした。
それはすなわち、タジク自身が寿明と同じ、「飢えた者を虐げる者」に堕ちてしまったことを意味するのです。
そのことを薪さんに知らされ、彼は深い絶望の淵に落ちてしまいました。
これが留置所に拘束されていた時の、弁護の消極的な拒否という行動に繋がるのでしょう。
恩人でもあり、唯一の身内でもあった沙羅も死に、
「恵まれた者へ報復する者」としての矜持も失い、
もはや彼に守るべき物は何一つなくなってしまいました。
ですが最後に故郷が救われたことを知らされます。
何もかも失くしたと思った彼に、たった一つだけ「故郷」が残ったのです。
あの瞬間、彼はようやく自分自身の罪に向き合えるようになったのではないでしょうか。
このタジクの精神の復調の流れは、12巻の薪さんの台詞の、
「生きている限り守るべきものはできてしまう」に繋がるような気がします。
私は薪さんとタジクは同じ側に立つ人間ではないかと思います。
そして青木は反対側に立つ者。
タジクは一見、薪さんとの面会で救われたように見えますが、
本当は青木の行動によって救われていたのではないでしょうか。
青木が身を挺してポトノフ外相を守ったからこそ、タジクの故郷は残された。
青木が血を流しながら沙羅を庇ったからこそ、沙羅は尊厳をもったまま死ぬことができた。
青木こそが「救う者」であり、「救われる者」がタジクと薪さんなのです。
青木が「ただ自分だけが刺されて倒れることを選ぶ」ことで、
タジクも薪さんも救われたのではないか、そんな気がしてなりません。
「原罪」とは──
タジクは飽食の国日本に対して復讐がしたかった。
しかしその結果、「恵まれた愚か者」とみなして殺したタジクの周りの女性たちが、
実は自分と同じく「飢えた者」だったと知ってしまった──。
原罪というタイトルは普通に考えたら、他の命を殺して食べることの罪ですが、
この「恵まれた者」と「飢えた者」という関係を「食う者」「食われる者」に置き換えたら、
「同族殺し」という意味合いにも取れないでしょうか。
同じ人間が人間を食い物にしている罪。
そして最終的にはタジクにとっての「同族殺し(=川谷の取り巻きの女たちを殺したこと)」にも、
繋がるのだと思います。
留置場でタジクの目に見えていた地獄の餓鬼の光景、
あれこそがまさにタジクにとっての原罪だったのではないでしょうか。
余談ですが、もしタジクとカップリング的に絡ませるなら、
薪さんより青木の方がふさわしいと私は思います。
タジク×青木。(私は青薪にしか興味がないので、ただの仮定の話ですが)
ちなみになぜタジクが左で青木が右かというと、
「飢える者×与える者」という構図がしっくりくるからです。
まあこの辺はその人のカプの考え方によるんでしょうね。
「与える者×飢える者」の方がしっくりくる人もいるだろうし。
え、青薪ですか? 確かに「与える者×飢える者」ですが、
青木に対しては薪さんの方が「与える者」にもなれるので、その辺は問題なしです。
この両極性、二人の対等さこそが青薪の魅力だと思うんです。
やっぱり青薪って最高だな!