小さな恋のメロディ

 彼女の様子がどこかおかしいことにはすぐに気がついた。
 なので夕飯の後、青木が息子と風呂に入りに行ったのを見計らって、薪はさりげなく彼女に話しかけた。
「舞、今日は学校はどうだった?」
「うん、楽しかったよ」
 舞はそれだけ答えると、視線をテレビに戻した。だが夢中になって見ているというわけでもなく、どこかぼんやりとしている。その様子を眺めているうちに、薪はふと気づいた。
 ──そういえば、確か明日は……。
 壁のカレンダーを見ると、果たしてそうだった。明日は二月十四日、バレンタインデーである。
 今年はお店のチョコを買わず、家で手作りしようという話をしていた。舞のクラスメイトにお菓子作りの得意な女の子がいて、それに触発されたのだ。一人で作る自信がないから、薪も手伝ってほしいとお願いされている。
 そのために一度予行演習もした。作ったものはチョコチップクッキーである。学校の友達に配りたいからということで、日持ちがして持ち運びしやすいものを選んだのだ。
 クッキー型と材料を買い込んで、二人で本を見ながら一から作った。結果はなかなかの出来だった。子供たちも盛んに美味しいと喜んで食べていたし、青木などは「こんなに美味しいクッキーは今まで食べたことがない。有名店の味にも引けを取らない」と大絶賛だった──さすがにそれは叔父の欲目が大いに入っているだろうと、薪は見ている。
 そんなわけで、本日がお菓子作り本番のはずだった。
「そういえば、今日はバレンタインのお菓子を作るんだったっけ」
「うん」
「そろそろ冷蔵庫からバターを出しておいた方がいいんじゃないか? 今のうちに常温に戻しておかないと、後で使いにくいだろう」
「そうだね」
 薪に言われて、舞は相槌を打つものの、なかなか動きだそうとしない。キッチンの方をちらりと見るも、ソファの上で膝を抱え込んで、小さくため息までついている。
 薪は彼女の隣に腰かけた。
「どうした、舞? もうクッキーは作らないのか?」
「ううん、やるよ。みんなと約束してるもん」
 そう言いながらも、あまり乗り気ではなさそうに見えた。何より理由が「作りたいから」ではなく、「約束しているから」なのが引っ掛かった。
「なあ、舞。もし気が変わったのなら、無理をすることはないんだよ。明日お友達と交換する分なら、僕か一行が今からコンビニで何か買ってこよう。それとも舞も一緒に行って、自分で選ぶかい? 外出するにはちょっと時間が遅いが、今日は特別だ」
「え、でも……」
 舞は薪と一緒に出かけるのが大好きだ。だから、いつもなら喜んでこの申し出に飛びついただろう。しかし、この時の彼女は明らかに嬉しそうではなかった。どうやら単純にお菓子作りが面倒になったという話ではないらしい。
 薪が肩に手を回すと、舞はこちらに寄り掛かった。
「こないだもちゃんと成功しただろう? 大丈夫、今度もうまくいくよ」
「…………」
 舞は薪のわき腹にこすりつけるようにして頭を振る。どうやらこれも違うらしい。一体何を思い悩んでいるのだろう。
「そうか、舞がやる気をなくしたんじゃないのなら良かった。安心したよ。本当言うと、舞の作ったクッキーをもう一度食べたいなって思ってたんだ。一行なんて、こないだの試作品でもあんなに喜んでただろう? もし明日舞からお菓子がもらえなかったら、きっとひどく落ち込むだろうなあ」
 薪は彼女の頭を撫でながら話しかける。職場の人間が聞いたら驚くに違いない、優しい声音で。
 すると、舞はようやく顔を上げて、こちらを見た。きらきらしたまっすぐな瞳が誰かを思わせる。やはり姪だ、よく似ている。薪がつい見とれていると、彼女はこう言った。


「ねえ、マキちゃん。男の人って、自分の好きな人が他の人と仲良くなっても平気なの?」


「えっ、なんだって?」
 思っても見ない方向から質問が飛んできて、薪は呆気にとられた。
「マキちゃんも男の人でしょう? 好きな人が……もし行ちゃんが他の人を好きになったら、嫌? それとも全然平気?」
「え……と、それは……」
 薪は返答に詰まった。質問の意図も、なぜ彼女が突然そんなことを言い出したのかも分からなかった。まさかと思いながら、薪は恐る恐る聞き返す。
「一行が……何か言ってたのか?」
「ううん、何にも?」
「えっ?」
「もしそうだったらって話だよ。だって行ちゃんはマキちゃんしか好きじゃないでしょ?」
 舞はさも当然のように言う。そこで薪はようやく自分の思い違いに気づいた。
「いや……ごめん。ちょっと質問の意味がよく分からなかったんだ。そうだね、この話に一行は関係なかったね」
「うん」
 舞が頷く。思わず胸に手を当てると、いつの間にか心臓の鼓動が早くなっていた。薪は落ち着けと自分に言い聞かせる。
「ただ、どうだろう。その質問の答えは、人それぞれじゃないかな。一概には答えられない」
「いちがい?」
 聞きなれない単語に、舞は首を傾げる。
「ああ、一般論……ええと、世の中の人みんなが同じ答えを持っているわけじゃから、ひとくくりにこうだとは決められないってことだよ。分かるかい?」
「うん」
「だからね、舞が知りたい答えは、知りたいと思う相手の中にしかないんだ。他の人のケースでは全く状況が変わるかもしれないからね」
「ふうん」
 舞は純真な目をして、こちらの話に聞き入っている。自分がどんなに薪を驚かせたのかも気づかないで、いつものように薪が自分の質問に的確に答えてくれるものだと思って。
 薪は心の中で苦笑を漏らす。
「それで、舞はどうしてそんな疑問を持つようになったのかな」
「それは……」
「良かったら、事情を話してくれないか? それが分かったら、何かアドバイスできるかもしれない」
「うーん、でも……」
 舞は言い渋っている。薪は彼女に小指を差し出した。
「一行には内緒にする。ゆきにも。僕と舞の二人だけの秘密だ」
「本当?」
「僕が今までにも一度でも嘘をついたり、約束を破ったりしたことがあった?」
「……ない」
「だろう?」
 薪が優しく微笑みかけると、舞も安心したように笑い返した。
 二人で指切りを交わしたあと、彼女はぽつぽつと話し始めた。最近学校であった出来事を。
 そして薪は彼女に気づかれないよう、密かに胸を撫で下ろしたのだった。

コメント

あやさん

こちら、ご無沙汰しちゃってすみません。
薪さんもう、ママ?になっていたのですね。
うーん、いいなあ。この感じ(*^。^*)
薪さんは多分、料理上手だし一緒にお菓子作りは苦も無くできますね。
ゆきちゃんて息子なのですね。
実は私の夫も名前が○○ゆきで母親や姉からゆきって呼ばれてるんですよ。
単に4文字だと呼び辛いからでしょうけど偶然でなんか嬉しいです(#^.^#)

> 薪さんもう、ママ?になっていたのですね。

ママですね〜。息子には「お母さん」って呼ばれてますし。
薪さんぐらい綺麗だったら、ご近所さんにも「青木さんちのママ」で通用するんじゃないですか?w

> ゆきちゃんて息子なのですね。

はい、男の子です!
薪さん的にはもう可愛くて可愛くて仕方ないみたいです。
そりゃそうですよね。好きな人との子供ですから。
青木の方は言わずもがなですw

> 実は私の夫も名前が○○ゆきで母親や姉からゆきって呼ばれてるんですよ。

えー、それはすごい偶然!
なんかおかげで作品にリアリティが生まれた気がしますw
素敵な情報をどうもありがとうございまーす。

 

Sさん

薪さんのママさん業、違和感なかったですか? 大丈夫ですか?
話し方とかも特に変えずに、原作のままの男口調で書いたので、そう言ってもらえてほっとしました。
名前呼びに関しては、えへへ、そうですよね。
自分や青木のためではなく、子供たちのために呼び方を変えるところが薪さんかなという気がします。
でも最初に呼んでもらった時は、犬はたいそう感激したことでしょう(笑)。

お忙しい最中なのに来てくださってありがとうございます!
うちの小説で少しでも息抜きになれば嬉しいです♡

 

ほねおさん

あ〜〜〜〜〜〜〜〜薪さんのママっぷりが可愛い……かわいすぎます苦しい(´・ω・`)
そうかあ、薪さん本当にママになったんだねよかったねって感情移入しすぎて私涙目なんですけどwww
舞ちゃんが薪さんにちゃんと甘えてて、薪さんもそれを受け入れてるのも嬉しいし……
ここは天国かな?????
あっ、私も舞ちゃんは薪さんのことちゃんづけだと思ってる派です!笑
だって響きがかわいいんだもん♡

そしてゆきちゃん……そうか、男の子かあああ萌えますな〜!
なんとなく男の子かなって気はしてましたが、こうして生まれてみるとやはりしっくりきますね!
まだ本人出てきてないけど!笑

本編に続きこちらも楽しみにしてまーす(*'▽')

> 薪さんのママっぷりが可愛い……

ありがとうございます〜!
書いてみたら薪さんのママさん姿が予想以上に嵌って、自分でもびっくりしましたw
なんでだろう。中身は誰よりも男らしいと思ってるのになー。
あ、もしかしたら「旦那よりも男前な奥さん」像にぴったり嵌ったのかも?
いますよね、そういう夫婦。ぽやんとした旦那さんとしっかり者の奥さん。
あ、確かに青薪だわ(笑)。

> あっ、私も舞ちゃんは薪さんのことちゃんづけだと思ってる派です!笑

そもそも青木が旧第九の写真を職場に飾ってたじゃないですか。
あれ絶対家でも同じことしてると思ったんですよ。
それで写真を見つけた舞に「この人だあれ?」って聞かれて、
「それは薪さんだよ」って風に教えてたんじゃないかな〜って。
でも所詮幼児じゃないですか。
「薪」って漢字も思いつかなければ、そういう変わった苗字があることにも思い至らないと思うんです。
で、必然下の名前だと思って、なおかつ薪さんが性別不詳の見た目してることから、
「マキという名前の綺麗なお姉さん」として刷り込みされてるんじゃないかなって。
それで「マキちゃん」と呼ぶようになった説を推してるんです。
マキちゃんも舞には逆らえないでしょうねw

> なんとなく男の子かなって気はしてましたが

おお、当たりましたか!w
青木は子供が男の子でも女の子でも、どっちでも喜んだと思うんですが、
薪さんは子供が娘じゃなくてちょっとほっとしたみたいです。
日頃の舞の可愛がりようを見てて、
「これで娘が生まれたら、もっと大変なことになるぞ」って予感したみたいで(笑)。
青木って絶対娘の結婚式で大泣きするタイプですよね(笑)。

 

なみたろうさん

ああああ薪さんがママになっとる…( ;∀;)
そして…そして…

「一行」!!(°▽°)

そ、そうだよね、そうですよね、家族だもんね、旦那だもんね、青木じゃあないよね。
子供たちの手前も、そうなるよね。
子供、男の子だったのね、可愛いだろうなぁ…薪さん似かなぁ。
薪さんち、血が濃いからな。瓜二つの子供できる家系だもんね。天使だなきっと。
青木、可愛くて死にそうだろうな……

薪さんが旦那を好きすぎてたまらんです!
舞ちゃんの無邪気な質問も、ふたりがラブラブ前提で普段どんだけ……
もういつまでも見てたいです!見てられます!
沈丁花さんありがとうございます( ;∀;)

こちらこそ読んでくださってありがとうございます!
こんな特殊嗜好の番外編にまで付き合ってくださるなんて、ほんとなみたろうさんは天使だな……!

> 「一行」!!(°▽°)
> 家族だもんね、旦那だもんね、青木じゃあないよね。

そうなんですよ〜、旦那なんですよ〜。
なみたろうさんのコメント見て、思わずにやにやしちゃった♪
ちなみに呼び方に関しては、大人三人で家族会議をして決め合ったんです。
舞に申し訳ないから、皆下の名前呼びするかって案もあったんです。薪さんがひどく気を使って。
でも「親がちゃんといるのにお父さん、お母さんって呼べないのは不幸だ」って青木母が主張したんですね。
それで結局、
・息子→「お父さん」「お母さん」「お姉ちゃん」
・舞 →「行ちゃん」「マキちゃん」「ゆきちゃん」
・青木→「薪さん」「舞」「ゆき」
・薪さん→「一行か青木」「舞」「ゆき」
になったんですね。
そんで息子と話すときは、その時だけ息子に合わせます。
「お母さんはなんて言ってる?」とか「お父さんを呼んできてくれ」みたいな感じで。
青木は相変わらず薪さんを苗字呼びなんですが、これは一回下の名前で定着させようとしてた時に、
昼の職場でも間違えて下の名前で呼びそうになって(「つよ……」ぐらいで止めました)、
視線で人を殺せるかってぐらいに睨まれて、後でものすごい怒られたので、結局苗字呼びに留まりました(笑)。
ちなみに息子が「○○ゆき」っていう名前で、なんで上の○○じゃなく、下の「ゆき」で呼ぶのかっていうと、
それにもちゃんと理由があります。
おいおい本編で語っていけたらなと思いますので、どうぞお付き合いください。
(そこまでちゃんと連載を続けられるかって話ですがw)

> 子供、男の子だったのね、可愛いだろうなぁ…薪さん似かなぁ。

それもまた本編でお話しますが、薪さんにも青木にも、それぞれ似たところがありますとだけw

> 舞ちゃんの無邪気な質問も、ふたりがラブラブ前提で普段どんだけ……

青木は普段から割とオープンに嫁ラブを出してるんですが、薪さんは子供の前では一応隠してます。
でも隠してる「つもり」でしかないので、結局バレバレなんですねー。
子供たちからはいつも「自分が青木のことが大好き」な前提で話されたりするので、薪さん困ってます(笑)。

 

 (無記名可)
 
 レス時引用不可