小さな恋のメロディ

 その日は彼女にとって厄日だった。放課後の掃除当番が当たっていたのに、同じ班の岩崎が休みだったからだ。
 しっかり者の彼女ならば、相手が誰でも臆さず話すことができる。男子が掃除の最中に遊んでいたら堂々と注意するし、それを先生に報告することもできる。後で「チクリ魔」と陰口を叩かれても、「それが何?」と跳ねのける強さも持っている。
 しかし、少なくとも舞には無理だった。彼女のように毅然とは振る舞えなかったし、同じ班のもう一人の女子もそれは同様だった。
 かくして、掃除当番は二人の女子に押し付けられたのだった。

「じゃあ青木さん、私ごみ捨ててくるね」
「うん。よろしく」
 同じ班の木村がゴミ出しに行って、教室は舞だけになった。ほうきを用具入れにしまいながら、彼女はため息をついた。今から三十人分の机を元に戻さなければならない。幼い彼女には、それが終わりの見えない苦行のように思えた。
 こういう風に、どう対処すればいいか分からない場面に直面した時、舞は真っ先にこう考えることにしている。こんな時マキちゃんならどうするだろう、行ちゃんならどうするだろう、と。今回も頭の中で二人の行動をシミュレーションした結果、一方は男子たちを口で言い負かし、屈服させ、もう一方は諦めて掃除を始めた。前者の方法は自分には無理そうだったので、舞は後者に倣うことにした。
 換気のために少しだけ開け放した窓からは冷たい風が吹き込んで、教室にわずかに残っていた暖気を押しやっていく。机を持つと、金属部分が冷たくて指がかじかみそうだった。こうしていると、後悔がちらつく。さっき男子が帰ろうとしたとき、自分がもう少し勇気を出せていたら良かったのだろうか。
 欝々とした気持ちで机を運び、教室の前と後ろを何往復かした時だった。不意に後ろの扉が開いた。木村が戻ってきたのかと思ったが、そうではなかった。クラスメイトの田中が教室に入ってきた。
「あれ? もしかして、青木さん一人で掃除やってんの?」
「うん……」
「なんで? 他の奴らは?」
「ええと、岩崎さんはお休みで、木村さんはゴミ捨てに行ってる」
「男子は?」
「……内山くんと大井君と加藤君」
 それを聞いて田中は怪訝そうにする。
「そいつらならさっき下駄箱の所で見たけど? なんであいつらだけ先帰ってんの?」
「途中まではいたんだけど、なんか今日クラブがあるとかで、早く着替えて場所取りしたいんだって」
「……なんだよそれ」
「試合が近いんだって」
 舞は話しながら、手をもじもじと組んだ。ただ本当のことを言っているだけなのに、それでも自分が「チクリ魔」になったようで、あまりいい気分ではなかった。
 すると田中は「手伝うよ」と言って、黒板の所に行った。教卓の上にどさりとランドセルを置き、腕まくりをする。舞は驚いた。
「えっ、いいの?」
「だって一人じゃ大変じゃん」
「そうだけど……そういえば、田中君はどうして戻ってきたの?」
「体操服忘れたから取りに来たんだ。ほら、さっさと終わらせよ」
「うん……ありがとう」
「別にいいよ」
 田中はぶっきらぼうに言って、きびきびと机を運んでいく。舞も慌ててそれに続いた。
 そうこうしているうちに木村も戻ってきた。手が三人になると、一層作業が早く進んだ。それぞれ無駄口を叩かないで、黙々と働いたのが良かったのかもしれない。結局いつもとさほど変わらない時間に全て片づけることができた。

 木村は掃除が終わると一人だけ先に飛んで帰った。今日はお稽古事があるので、早く家に帰らなければならないのだそうだ。掃除をさぼった男子と条件は同じだったはずなのに、彼女の方は黙って当番を務め上げたことになる。
「木村は偉いな」
「あ、うん。そうだね」
 田中も同じことを考えていたようだった。舞は彼に相槌を打った。
 田中とは帰る方向が同じだったので、一緒に帰るような形になってしまった。わざとそうしたわけではないのだが、同じタイミングで教室を出て、下駄箱で靴を履き替え、校門を出たら、たまたまそういう風になったのだ。他のクラスメイトに見られたら、冷やかしの元になってしまうかもしれないので、互いに少し距離は取っていた。
 やがて分かれ道になった時、舞は思い切って彼に話しかけた。
「田中君、今日はありがとう」
「いいよ」
 やはり田中はそっけなかった。気持ちがくじけそうになるが、舞は更に勇気を振り絞る。
「あのね、すごく嬉しかったの。手伝ってもらったこと。ちょっと嫌な気持ちになりかけてたから、田中君が来てくれて嬉しかった」
「……なら良かった」
「それでね、もし今度私に何かできることがあったら言って」
「え?」
「給食のデザートでほしいのがあった時とか、あと消しゴム忘れた時とか……たいしたことはできないかもしれないけど、何かお礼がしたいなって」
「お礼?」
「うん」
 すると田中は俯いて考える素振りを取った。舞は何を言われるのだろうと少しどきどきしながら、彼を待った。
 やがて田中は顔を上げた。
「……あのさ、今日昼休み、女子たちでなんか話してたじゃん」
「え? なんだろ」
「来週、皆でお菓子を持ち寄るとか」
「ああ、うん」
 それならバレンタインデーの計画だ。仲のいいグループの中にお菓子作りのうまい子がいて、その子の話を聞いているうちに自分でも作りたいという声が上がりだしたのだ。そして作ったお菓子を交換しようという話になった。学校にお菓子をもってきてはいけない規則になっているので、当日誰の家に集まるかでわいわい話し合った。それで他の生徒の目についてしまったのだろう。
「俺にもくれない?」
「田中君もお菓子作るの?」
「いや、俺は作らないけど、食べるの好きだから」
「そう、分かった。でも私の分だけでいい? 皆の分ってなると、田中君にもお菓子持ってきてもらわなきゃいけなくなるし……あ、っていうか学校終わってから吉川さんちに集まるから、まず吉川さんにいいって言ってもらわないと……」
「いや、全員の分なんかいらないって」
 田中は呆れたように言う。
「じゃあ私が田中君の分も作るだけでいい?」
「うん。ってか俺が欲しいのは青木のだけだから……」
「えっ? 私のだけ?」
 なんだろう。言っていることはたいして変わらないのに、意味合いが微妙に変わった気がした。
 舞が聞き返すと、途端に田中は慌てだした。
「あ、いや、ええと……そういうんじゃなくて、その……だから……」
「田中君?」
「と、とにかく、そういうことで! バイ!」
 彼はくるりと振り返り、そのまま一目散に歩き去ってしまった。それまでクールだったのが嘘のような変わりように、舞は唖然となるが、さすがに彼が動揺していたのだと気づかざるを得なかった。
 彼女は彼の後ろ姿を見送りながら、小声で「バイバイ……」と呟いたのだった。

コメント

しづさん

かわいい・・かわいいよ、舞ちゃん・・・あんた間違いなく青木の姪、いや、娘だよ・・・
(誰も疑っとりませんが)
この純真さと色恋の鈍さ! 青木さんが女の子になったらこんなんだ、きっと。

しづさん、こんなオリキャラ満載の話にまでコメントくださってありがとうございます〜。
原作の舞ってどんな子なんでしょうね? こんな感じで合ってるのかな?
私も舞は青木似の性格だと思ってるので、そういうイメージで書いたのですが、
しづさんに納得していただけたのなら自信持とうっと(笑)。
オリキャラしか出てこない話なんて需要ないよ〜って思ってたんですが、書いてよかった〜!

 

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