小さな恋のメロディ

 出来上がった生地は二回に分けてオーブンで焼いた。二度目のクッキーが焼きあがる頃には、いつもの就寝時間を過ぎて、舞の瞼もすっかり重くなっていた。
「舞、もう寝なさい。明日起きられなくなるぞ?」
「でも、まだラッピングしなきゃ……」
「それなら僕が代わりにやっておくから。本当はもう眠くて仕方ないんだろう? ほら、手がこんなに熱くなってる」
 薪が両手を包むと、それにつられるように彼女は大きなあくびをひとつした。

 舞が部屋に戻ると、それまでリビングでニュースを見ていたようだった青木が、急にこちらに寄ってきた。
「何かお手伝いしましょうか?」
「いや、いい。もう後は包装するだけだから、大した手間じゃない」
「そうですか」
 薪が断っても、青木はその場から離れようとしなかった。いかにも手を出したそうに、うずうずと薪の手元を覗き込んでいる。
「クッキーはハート型になったんですか。可愛いですね」
「こないだモールに買い物に行っただろう。あの時に買ったんだ」
「そういや、時期柄あちこちでバレンタインフェアがやってましたね。このラッピングの袋もそこで買ったんですか?」
「ああ。ラッピング専門のコーナーがあったんだ」
「へえ、今はこんなのが売ってるんですか。本格的ですねえ。本当にお店で売られてるやつみたいだ」
 青木は余った袋を一枚とって、しげしげと眺める。
 舞が選んだラッピングセットは、正方形の封筒のような形をしている。幅に厚みがないので、恐らく板チョコのような薄いものを包むことを想定しているのだろう。包装の形状に合わせて、クッキーも「一口サイズを複数」から「手のひらサイズのもの一枚」に変更した。
 色はビビッドなピンクだが、片面が透明なシースルーになっている。クッキーにはチョコペンで一つ一つ名前を書いているので、どれが誰充ての物か見て分かるという寸法だ。
 最後にリボンのシールを貼りつけると、なかなかの見栄えに仕上がった。クッキーも淡いきつね色に焼きあがっていて、青木の言う通り、店で売られているものと比べても何ら遜色がない。
「舞が自分で選んだんだ。あの子はなかなかセンスがいい」
 薪がそう言うと、青木はまるで自分が褒められたように、嬉しそうな顔をした。そしてクッキーの一つを指さして言った。
「ねえ、薪さん。この『こうちゃん』って書かれてるのが、俺のですよね」
「まあそうだろうな」
「それでこれが薪さんので、これがゆきので……あ、お袋の分もある。こっちが学校のお友達の分だな。ちほちゃん、あいかちゃん……」
「あまりいじるなよ」
「はい」
 青木が楽しそうにクッキーを眺めている横で、薪は黙々と作業を続けた。


 後片付けを済ませてリビングに戻ると、今度は反対に青木がキッチンに立った。薬缶に火をかけ、戸棚からドリッパーのセットを出して、コーヒーの支度を始める。粉は専門店で購入したものだ。毎朝自分たちが出勤前に飲んでいるのはインスタントだが、たまにゆっくり時間が取れた時には、彼がこうしてコーヒーを淹れてくれる。
「はい、どうぞ」
 青木は丁寧にソーサーに乗せて、コーヒーカップを運んできた。
 一口飲んで薪はほうと息をついた。酸味が抑えられ、豆の甘みやコクがちゃんと引き出されている。そして鼻に抜けていく焙煎の深い香り。明日舞から供されるクッキーは、このコーヒーにきっとよく合うだろう。
 青木も隣で同じようにコーヒーを飲み、「うん」と頷いた。自分でも満足のいく味だったようだ。
 薪はそっと彼の横顔を見つめる。そして先ほどの一幕を思い返した。


『男の人って、自分の好きな人が他の人と仲良くなっても平気なの?』


 舞にそう言われた時、薪はひどく動揺した。そしてこう思った。どうして彼女がそのことを知っているのだろうと。かつての自分を言いあてられたような気がしたのだ。
 思い返してみれば、いつもそうだった。科警研の中庭で彼女が彼に手を差し伸べた時も、怪我をした彼に彼女が心配そうに駆け寄った時も、薪は自分からは何もしようとしなかった。傍観者の振りをしながら、じっと彼の後ろ姿を──自分以外の人間に愛おしそうに微笑みかける彼の横顔を、ただ見つめていた。
 今思うと、我ながら滑稽だ。当時のことを彼女が知るはずもないのに、何を焦っていたのだろうか。それとも、薪自身が疚しさを感じているからこそ、彼女の言葉をそう捉えてしまったのかもしれない。
 もし今自分が死んで、脳がMRIにかけられることになったら、きっとあの時の映像がクリアに映し出されることだろう。そして見た者全員に薪の想いが分かってしまうのだ。冷静な上司の仮面をつけながらその実、年下の男の背中にすがるような視線を送っていたことも、全て。
 それはさすがに勘弁してほしいなと、薪は苦い笑みを浮かべた。

「薪さん」
 物思いに耽っていた薪の肩に手が回された。青木を見ると、彼は言い訳するように言った。
「なんか、寒そうだなと思って……」
 暖房の効いた部屋の中で熱いコーヒーを飲んでいて、寒さを感じるわけがない。それでも青木がそう言ったのは、彼が薪の様子に気づいたのだろう。
「別に……寒くない。お前の気のせいだ」
「そうですか。なら良かったです」
 薪が否定しても、青木は手を離そうとしなかった。
 この男は時々妙に勘がいい。昔から薪の変化には目敏かったが、一緒に暮らすようになってから、それがますます顕著になった。薪が何か心配事を抱えていると、それを機敏に察してくる。しかし無理に聞きだすことはせず、こんな風に黙ってそばに寄り添ってくれようとする。
 薪は彼から目を逸らした。あの頃かつえるような思いで彼の視線を追っていたのに、いざそれが自分に向けられるようになったら、とても受け止めることができない。今も青木は優しい目をしてこちらを見ているのだろう。それを思うと、どうしても顔を上げることができなかった。
 薪はカップをテーブルの上に置き、彼の肩に頭をもたせかけた。そしてぽつりと呟く。

「……で、お前はいつから僕らの話を聞いてたんだ?」

コメント

なみたろうさん

うわ、名前入れてませんでした!?
失礼しました!!( ;∀;)
てか文脈からなみたろう(笑)

ネタ元、と仰って下さって、いつのか読み返してみたらコメントでお話した時のでしたね!
ほとんど沈丁花さんがお話されたことですよ〜。
ほんとに書いて下さって…こんな幸せな時間を(私が)ほんとにありがとうございます( ;∀;)

合っててよかったですw
文脈的にっていうのは、「ゆき」の呼び方について言及されてたからです。
てか、すみません。毎度毎度聞かれてないことまで解説つけるのウザいですよね。
自分でも悪い癖だって分かってるんですが、ついつい語りたくなっちゃって……(;´∀`)
いや、これでも一応キープはしてるんですよ?(笑)

> ほとんど沈丁花さんがお話されたことですよ〜。

いえいえ、なみたろうさんが最初にとっかかりを作ってくださったおかげです。
ちなみに酔っぱらった青木のご乱行事件もいつか書こうって企んでますw
これからもどんどん家族妄想を供給してくれると嬉しいな♡

 

無記名様

もう〜。雪子のことを思い出すとほんとに。
一緒に切なくて切なくて(ノ_・。)
薪さああああああん!

今はもう、青木はまっすぐ薪さんだけを見つめてて、そう信じてて(私が)
てゆうか他行ったら今度こそ刺すぞて感じなんですが。
ちょっとしたことであの切ない気持ちを思い出すんですね。
なんていとおしい人…どうしていいかわからないとか、なんて可愛い人なんでしょう。

て思ってたら「どこから聞いてた」とか、さすが薪さんです。
はい、すいませんて感じです(笑)

あ、そうだ、「ゆき」って呼ぶシーン、詳しくありがとうございます!!
もう薪さんが我が子(しかも青木の子)を抱いて揺すって呼ぶ、なんて
感動しすぎてあのシーン何度読み返したか……(ノ_・。)

お名前なかったけど、文脈的になみたろうさんかな?(もし違ってたらごめんなさい)
コメントありがとうございます!

> 今はもう、青木はまっすぐ薪さんだけを見つめてて、そう信じてて(私が)
> てゆうか他行ったら今度こそ刺すぞて感じなんですが。

刺しちゃっていいんじゃないですか?(笑)
私も本編連載中は青雪エンドに落ち着くんだろうな〜って諦めてましたが、今となってはもう無理です。
絶対、絶対、青薪エンド以外認めないんだから……!o(>_<)o

> ちょっとしたことであの切ない気持ちを思い出すんですね。

そう、しかもちょっと罪悪感を持ってるんだろうと思うんです。
上司で同性の身でありながら、自分の部下に何を求めているんだーって。
青木に片思いしている間、薪さんは苦しかっただろうな。
でも好きになってしまったから、自分では気持ちを止められなくて……。
青薪って年齢差や立場の違いがあるのが萌えなんですが、
一方でそれが、薪さんが素直に青木に甘えられない要因にもなってるんですよね。

> て思ってたら「どこから聞いてた」とか、さすが薪さんです。

はい、なみたろうさんのネタをアレンジさせてもらいました!
こんな感じでどうでしょ? うまく調理できてます?w
(ってか、ご本人じゃなかったらすみません……)

> 感動しすぎてあのシーン何度読み返したか……(ノ_・。)

うわー、良かった。自分でもお気に入りのシーンなんです♡
薪さんが幸せの中にいることを感じてもらえたら嬉しいです。(*´ω`*)
たった数行しかない短いシーンなのに、
ちゃんと情景を思い描いてもらえたんだなって分かって、嬉しかったです。
いつも本当にありがとうございます。このお話、書いて良かったです!

 

 (無記名可)
 
 レス時引用不可