Glitter in The Air 番外編「Thanks A Million」
その晩の薪はいつになく我がままに振る舞った。青木に一緒のベッドで寝るように言い張ったのだ。
「だめですよ、薪さん。一人用なんですから」
「それでも、お前がその簡易ベッドから足をはみ出させて眠るよりマシだろう」
「俺のことはどうでもいいんです。俺が隣にいたら、薪さんが寛げないじゃないですか。それに寝てる間に俺が寝返りでも打って、薪さんをベッドから突き落としたりしたら……」
「お前、寝相はいい方だろうが」
「それは薪さんと一緒のときだけで、家で一人で寝るときは結構動いてるんですって」
「今は僕と一緒に寝るんだからいいじゃないか」
青木がどんなに説得しても、彼は聞かなかった。しまいには、これ以上四の五の言うなら自分が簡易ベッドで寝るぞとまで言いだしたので、青木は仕方なく彼の提案を受け入れた。
青木は渋々ベッドに乗り上げる。薪は横に移動して、彼の分のスペースを作った。
「不満そうだな」
「薪さんが心配なだけです。ちゃんと安心して寝てほしいんです。……大事な体なんですから」
その言葉を言った瞬間、青木はなんだか気恥ずかしくなった。まだたいして実感もないのに、それらしいことを言ったことで、急に現実味が帯びてくるような気がしたのだ。それは向こうも同じだったようで、薪は少し顔を赤らめて俯いた。
「大丈夫だ。お前の寝相の良さは僕が一番知ってるし。それに……」
薪は視線だけを動かして、ちらりと青木を見る。
「安心って言うなら……お前が隣にいてくれたほうがよっぽど安心して寝られる」
「薪さん……」
この上目遣いに太刀打ちできるものが、この世にどれぐらいあるだろう。少なくとも青木には無理だった。彼は心の中で白旗を振りかざしながら、枕を並べたのだった。
やはりシングルベッドは二人には狭かった。少し身動きするだけで、すぐにぎしぎし音が鳴る。
「大丈夫ですか、薪さん。そっち狭くないですか?」
「ん、大丈夫だからもう少しこっちこい」
「はい……」
ごそごそと身動きして、ちょうどいい頭の置き場所を探す。青木が腕を回して、なんとかうまい具合に収まった。
「お腹、圧迫してないですか?」
「ああ。ほとんど当たってないだろう?」
「そうですけど……なんか落ち着かなくて」
青木はひどく緊張していた。薪に対してどう触れたらいいのか分からない。こうして身体を抱いているのもおっかなびっくりの状態だ。今からこの調子なら、これからの十か月がどうなることだろう。
そんな彼の心境を察して、薪は声をかける。
「少し触ってみるか?」
「えっ、いいんですか?」
「ああ。今はまだ何も分からないと思うけど……」
「じゃあ……」
青木はごくりと唾を飲み、恐る恐る手を伸ばした。まだ平たいままのそこを覆うようにして、ぴったりと手のひらをつける。彼の手の温もりが心地よくて、薪は目を細めた。
しばらくの間、青木は無言で薪の腹部に触れていた。彼が、少しでも心音のようなものが感じ取れないかと、手の平に全神経を集中させているのが分かった。妊娠している薪自身が分からないのに、青木に分かるはずもなかったが、薪は黙って彼のやりたいようにさせてやった。
やがて青木はゆっくりと手を離し、薪の頭を引き寄せてぎゅっと抱きしめた。
「ありがとうございます、薪さん……」
その感極まったような声の様子に、薪は驚いて彼を見る。
「まさか、何か聞こえたのか?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど……」
青木は照れくさそうに笑う。
「ここに俺たちの子供がいるんだなって思ったら、なんか嬉しくて」
「青木……」
「ありがとうございます」
薪はふるりと首を振る。ありがとうと言いたいのはこちらの方だ。今、彼が何の衒いもなく「俺たちの子供」と言った。それだけのことが、ただ嬉しかった。
いつもは高さの合わない目線が、今は同じ位置にある。二人は至近距離から互いを見つめ合った。
そのうち青木がぽつりぽつりと話しだした。
「……俺、以前婚約を解消したじゃないですか」
「うん……」
薪はわずかに目を伏せる。
彼の過去を思い返す時、いつもある種の感情が湧き起こる。それは傷のように痛みを伴うものではなく、ただ奇妙なしこりとして薪の胸に存在していた。
「あの時俺、彼女に言ったんです。俺は自分の子供を持ちませんって」
「……ああ」
「自分ではその決意は本物だと、一生続くものだと思ってたんです。でもこういうことになって、薪さんが俺の子供を産んでくれるんだって思ったら……やっぱり、嬉しいです」
「青木……」
自分でも気づかない間に、悲しい顔をしてしまっていたのだろう。薪を安心させるように、青木はにこりと笑った。
「でもそのことに、罪悪感を持っていません。あの時の気持ちが嘘だったわけじゃないし、舞に対して申し訳ない気持ちも少し残ってます。でも、こうなって良かったって心から思えるんです」
「……本当に?」
「はい」
青木は力強く肯定する。それで薪は自分の心配が杞憂であることを知った。そう言えばそうだった。この男は、こう見えて案外強いのだ。それこそ自分よりもよっぽど。
薪の強さと彼の強さは違う。薪が上に向かってまっすぐ伸びた大木なら、彼は幾重にも枝を張り巡らせた木だ。一見、ひょろひょろと頼りなく見えるのかもしれない。だが風雪にぐにゃりと折れ曲がっても、ぎりぎりまでしなるだけで、決して根元から折れることはない。そして目に見えない地面の下では、深く根を張っている。
彼はどんな嵐に巻き込まれても、変わらず空に向かって両手を広げ、そうして受けた天の恵みを隣にいる薪にも分け与えてくれる。同じように、この子にもそうしてくれるだろう。
薪はお腹にそっと手をやる。
この子はきっと世界一幸せな子供になるだろう。母親はともかく、父親が彼なのだから。
すると、まるで薪の思考を読み取ったように青木が言った。
「それにしても、薪さんがお父さんだなんて、その子は生まれる前から幸せ者ですね」
「え?」
薪はきょとんとなる。
「父親はお前だろう?」
「ええ、もちろんそうですけど、薪さんだってお父さんじゃないですか」
「いや、僕はこの子を産む側だから、母親の方に分類されるんじゃないか?」
「あれ、そうなんですか? でも戸籍では両方父親になるんですよね」
「それはそうだが……」
ちなみに、現在日本に父親二人の項目を並べる出生届は存在しない。なので父親の欄にはどちらか片方の名前を書いて、備考欄にパートナーの名前を書き加えることになるだろうと東原は言っていた。
「じゃあお前、この子が生まれたら自分を何と呼ばせるつもりだ? 僕がお父さんでお前もお父さんか?」
「うーん、それだと確かにややこしいですね。じゃあ薪さんはお母さんになるんですか?」
「まあそういうことになるだろうが……」
いざ青木にそう言われると、なんだかおかしな気がした。まさか四十年生きてきて、自分が「お母さん」と呼ばれる立場になるとは思ってもいなかった。そもそも「お父さん」になるつもりもなかったのに、そこを一足飛びに超えてしまった。いや、超えたというか、役割が変わったというか。
「ふふ、薪さんがお母さん……そのうち俺も薪さんのことお母さんって呼ぶようになるんですかね。その辺の夫婦みたいに」
薪はくしゃりと顔をしかめる。お世辞にも楽しい想像ではなかった。できれば勘弁してほしいが、子供が混乱することを考えたら、いずれは受け入れざるを得ないのかもしれない。
「……もう先のことを今から考えるのはやめよう。頭がおかしくなりそうだ」
「そうですね」
青木はくすくす笑いながら、薪の額に口づける。
「もう寝てください。夜更かしは体に良くないです」
「うん」
薪はそのまま瞼を閉じる。だが、ふと目を開けると、彼が微笑みながらこちらを見つめていた。
「お前は寝ないのか?」
薪が聞くと、彼は苦笑した。
「なんか興奮して眠れそうにないんです。このまま一晩中薪さんの顔を見ていようかな」
「ばか」
薪が呆れて言っても、青木は嬉しそうに笑うだけだった。そして自分は寝るつもりがないくせに、「早く寝てください」と急かしてくる。なんて自分勝手な男だろうか。
しかしこうして横たわっていると、確かに眠気が襲ってくる。いつもはあまり寝つきがよくないのに、妊娠したせいだろうか。それか隣に彼がいるせいかもしれない。お腹の子供もきっと安心していることだろう。父親と母親と、二人分の体温に包まれているのだから。
人生の不可思議さを薪は思う。昔からずっと、自分に温かい家庭を築けるとは思っていなかった。だから子供は作らないとも決めていた。なのに今、自分の子が幸せになれるだろうと疑いもなく確信している。
彼はひっそりと呟いた。
「……て、良かった……」
「え?」
青木が聞き返すが、薪はすでに目を閉じていた。その子供のように無邪気な寝顔を、青木は愛おしげに見つめる。
この何物にも代えがたい存在を一生かけて守っていこうと、新たに生まれた決意を噛みしめながら。
──生まれてきて、良かった。
コメント
あやさん
「生まれてきて良かった」
・・これはもし、秘密に本当の最終回があるなら薪さんに最後に言って欲しいセリフです;;
薪さんは二度も家族を失っているし結婚する意思は無さそうです。
でも、青木の子供を妊娠したら家族ができるのは必置ですものね。
子供好きな青木に自分の子をもたせてあげられるし、これ以上幸せなことはないですね(*´▽`*)
> ・・これはもし、秘密に本当の最終回があるなら薪さんに最後に言って欲しいセリフです;;
はい、私も全く同じ気持ちでこの話を書き始めました。
新章になってから薪さんの心情に変化が出たように思いますが、それでも全然足りないです。
最終回までに心から幸せだって感じられるようになってほしいですね。
> 子供好きな青木に自分の子をもたせてあげられるし、これ以上幸せなことはないですね(*´▽`*)
青木ほど子供を持つのにふさわしい人もいないのに、
その幸せをみすみす逃すのって絶対もったいないですよね。
薪さんは青木に家族を持ってほしくて、そして青木曰く薪さん自身が実は誰よりそれを欲していて。
じゃあやっぱり薪さんが青木の子供を産むしかないですよね! うん!
なみたろうさん
すいません、不覚にも最後の言葉で涙ぐんだなみたろうですが薪さん薪さんっ、
おめでとうございます!!
きっと生まれてきたこと自体を呪った時期もある、
贖罪のために生きてきてたとえ青木と結ばれても罪悪感の完全に消えることのなかった薪さん。
うー。良かったですねっ。
パパとママのイチャイチャがほんとに可愛いです( ´∀`)
これで薪さんお嫁に行く決心がつきますねぇ〜。
舞ちゃんだって、綺麗なママにすぐなつきます。いいお姉ちゃんになりますよ。
薪さんも絶対に幸せになれます。
だってバカだけど愛だけはたっぷりのパパがいるから!(°▽°)
沈丁花さんありがとうございました。
すごく幸せな気分になれました!
> 不覚にも最後の言葉で涙ぐんだなみたろうですが
ありがとうございます! そこまで深く読み込んでもらえて、すごく嬉しいです。
> きっと生まれてきたこと自体を呪った時期もある、
> 贖罪のために生きてきてたとえ青木と結ばれても罪悪感の完全に消えることのなかった薪さん。
私、「薪さんがこの世で一番幸せに感じることはなんだろう」って考えたんですよ。
そしたら「自分の力で好きな人を幸せにしてあげること」じゃないかなって結論に至りまして。
それの最上の形が「好きな人に家族をあげられること」だと思ったんです。
なぜなら12巻で青木が言っていた通り、薪さん自身が誰よりそれを欲しているから。
もうすごくおかしなことを言ってしまいますが、
原作でも薪さんに本当に青木の子供を産んでほしいくらいなんです。
そのためなら常識とか生物学的原理とか全部捻じ曲げてしまってもいい〜!
> パパとママのイチャイチャがほんとに可愛いです( ´∀`)
うう、なんて可愛いんでしょう……!
そうそう、二人はもうパパとママになったんですよね!
薪さん、自分からママになるって認めましたもんね!
この一文だけですごく顔がにやけちゃいました^^
> 薪さんも絶対に幸せになれます。
> だってバカだけど愛だけはたっぷりのパパがいるから!(°▽°)
同意です。岡部にはまだ半人前って言われてしまいましたが(笑)、
ママへの愛はたっぷり100人前だと思います♪
> 沈丁花さんありがとうございました。
> すごく幸せな気分になれました!
嬉しいお言葉をありがとうございます……!
こちらこそお付き合い頂いて、本当にありがとうございました……!(土下座)
しづさん
ふふふ、と微笑みながら読んでいましたが、最後の一行で思わずうるっ・・・(;;)
感動をありがとうございます。
こちらこそ読んでくださってありがとうございました!
私の書いたもので少しでも感動してもらえたのなら光栄です。