Plein Soleil

 地下鉄の駅を抜けて地上に出ると、むせかえるような湿気に包まれた。まだ早朝だというのに、ビルの電光掲示板の数字は三十度を超えている。夏の強い日差しに顔を焼かれて、彼は手を翳した。
 空を見上げると、そこには突き抜けるような晴天が広がっていた。この分では一日天気が続くだろう。今はまだ普通に外も歩けるが、これから昼になるにつれて、どんどん気温は上昇していく。せめて大きな雲の一つもかかっていたら、もう少し楽だったかもしれない。かんかん照りの太陽が、今は無性に憎たらしい。
 このところの異常気象で、連日のように最高気温が日本各地で叩き出されている。日中は屋内でも冷房なしに過ごすことが難しい。夜もなかなか気温が下がらず、街も人もすっかり疲弊している。青木も少々夏バテ気味だが、それよりもっと深刻な状況の人がいた。青木の恋人である。
 人間を二種類に大別するなら、青木が恒温動物で、彼は変温動物に分けられるだろう。夏の暑さにも冬の寒さにも強くない。冬は体温が下がりがちだし、夏はすぐに逆上せてしまう。思うに、日頃摂取しているカロリーが少ないために、身体の熱量を一定に保てないでいるのではないか。なんせ食事量が極端に少ない。小鳥の餌ほどとはまさに彼のためにあるような表現だ。
 今日はそんな恋人のために、少し遠出して、避暑に行く計画を立てていた。関東近辺の山奥まで車を走らせ、湖のほとりの小さなコテージに一泊するのだ。
 標高が高いから、街中よりもずっと気温が低くて過ごしやすい。釣りやテニスなどアウトドアに興じるのもいいし、本を一冊持って行って、木陰でのんびりするだけでもいい。木立の中の散策はきっと気持ちがいいだろう。夜になれば、天体観察もできる。久々に私用で高速道路を運転できるのも楽しみだった。
 ところが家を出る直前に、青木の携帯に電話が入った。
「悪いが、今日の予定はキャンセルさせてくれないか」
「え……」
 何の前置きもなくそう言われて、青木は面食らった。
 恋人の薪は非常に忙しい人だ。そして仕事に人一倍情熱を燃やしている。だから一たび緊急の用件が入れば、たいていのものは放り出して行ってしまう。そして悲しいかな、そのたいていの物に青木は入っていた。
 青木はがっくりと気落ちした。今の今まで浮き浮きと準備していたのだ。持っていくものに不足はないか確認したり、途中で寄るサービスエリアをどこにしようか考えたり。今日のために新調した道具もいくつもある。それらがすべて台無しになってしまった。
 そんな思いが受話器越しに伝わってしまったようで、薪は声のトーンを和らげて、申し訳なさそうに続けた。
「実は、家のクーラーが壊れてしまったんだ。それで修理を呼ぶことになったから、昼まで家にいなければならなくなったんだ。休みのうちに直しておかないと、平日だと都合が付かないから……」
「ああ、そうだったんですか」
 青木はほっと息をついた。
 すわ仕事絡みかと思ったが、理由を聞けばなんのことはない。そもそもそれぐらいでプランを諦める必要はないのだ。用事ができたのなら、出発を後らせればいいだけの話だ。もし修理が長引いたら長引いたで、遠出は諦めるにしても、デート自体を中止することはない。彼と一緒にいられたらそれだけでいいのだから。
 青木がそう伝えると、薪は「そうか」と短く返すだけだった。しかしその声音が少しだけ嬉しそうに聞こえたのは、自分の気のせいでないと思いたい。
 そして話し合った結果、修理の状況を見て判断し、もし時間的に間に合いそうであれば、午後から出かけようという話になった。クーラーが直るまでこっちに避難するかと聞いたが、断られた。修理業者の来訪時間が不確定で、家を離れられないらしい。それならばと青木の方から出向くことにした。
 当初の予定では車で迎えに行くはずだったが、停めておける駐車場がないため、電車を利用することにした。出発時には一度青木の家に戻らなければならなくなるが──道具一式と車が青木の家にあるのだ──仕方がない。そんな面倒を買ってでも、たった数時間を一緒に過ごしたいのだから。
 青木は手土産にアイスを持っていくことにした。この暑い最中、クーラーのない環境を耐えている彼のために、ささやかな陣中見舞いである。
 そしてドライアイスの冷気が立ち上る袋を提げながら、彼は薪の家に向かった。

 よもや、この先にとんでもない光景が自分を待ち受けていることなど、思いもよらずに。

コメント

kahoriさん

沈丁花さんあけましておめでとうございます(^^)
今季の冬こちらは非常に暖かく(日中15度以上の気温)夏のお話も楽しく読ませて頂いています。
ナポリの海を連想させる(行ったことないけど)お題で、楽しい夏のデートに期待満々していたら......
あれ?また中止>_<前にもあったような既視感。...度々ドタキャン続きで青木君不憫ですね。
この後の甘い展開期待しています(≧∇≦)

>今日のために新調した道具
すいません、迷わずいかがわしいお道具を連想しました\(//∇//)\
気合の入ったお泊りデートで、めくるめく夜のお楽しみがおじゃんになったらそりゃーワンコめげるわー>_<
青木君はきっと釣竿とかテニスラケットとか天体望遠鏡とかハンモックとかの準備を入念に新調してたんですよね。
いや、使い用によっては、、、ごにょごにょ......いえいえ薪さんにご無体はダメですって!
痛くないならいいんですよ←

あんまり暑い時ってアイスクリームよりアイスキャンデーが食べたくなります。
当たりくじ付きの安いガリガリ君みたいなの。青木君そういうの好きそうです(^^)
薪さんにとっては爽やかな青木君の笑顔が清涼剤になるかな?

前回のコメントで紛らわしい書き方してごめんなさい。悩みの種って私のことではないのですよ。
お気遣いありがとうございます(^^)お年玉青薪が来るか来ないかの瀬戸際についてでした!

kahoriさん、あけましておめでとうございます。
そちらのお正月は暖かいんですね。いいなあ。
私は数年ぶりに風邪を引いてしまいました。
寒い朝方にごそごそ起き出して小説なんか書いてるからこんなことに……。
でもこうして小説をお届けできたので、全く後悔してません^^

> この後の甘い展開期待しています(≧∇≦)

ええ、任せてください。
てかうちのサイト基本的にそれしかありませんから(笑)。内容がないようです。
「風邪っ引きラプソディ」にえろいのがプラスされるような感じになるかと思います。

> すいません、迷わずいかがわしいお道具を連想しました\(//∇//)\
> 青木君はきっと釣竿とかテニスラケットとか天体望遠鏡とかハンモックとかの準備を入念に新調してたんですよね。

kahoriさんったら大人なんだから!(笑)
うちの青木は堂々とオープンにエロいやつなので、
薪さんに隠れて準備するってことはないかなって思います。
ちなみにそういうお道具を用意するお話も考えてるんですが、
真っ先に薪さんに相談してます。買っていいかって(笑)。
痛いのは……薪さんはちょっとぐらいならいいって考えてるんですが、
青木の方がとんでもない!って感じになるので無理ですね〜。ヘタレワンコ。

> 当たりくじ付きの安いガリガリ君みたいなの。青木君そういうの好きそうです(^^)

確かに青木にはガリガリ君(ソーダ味)が似合いそう!
ちなみに今回のアイスはジェラート屋さんで買ってきたやつという設定なんですよ。
モデルはうちの近所にある店なんですが一個がお高いんですよねえ。
自分で食べる用ならそれこそガリガリ君をパックで買ったと思うんですが、
きっと薪さんのために奮発したんでしょう。

 

なみたろうさん

明けましておめでとうございます(°▽°)
そして、復活もおめでとうございます!
また沈丁花さんのSSが読めるのですね〜( ;∀;)嬉しい…
新しいお話、何が起こるんでしょう?
こんなところで切れちゃってもう。また日参してしまう。
ストーカー気味ですが今年もよろしくお願いします( ´∀`)

なみたろうさん、あけましておめでとうございます!
そして復旧を待っていてくれてありがとうございました。
え、ストーカー? 何を仰ってるんですか?
ほら、見えません? うちのサイトのど真ん中にでかでかと
「なみたろう席」が用意されているのが。(VIPと書いてなみたろうと読む)
うちは基本三日に一度更新なのでのんびり来てやってください。
本年もどうぞよろしくお願いします^^

 

 (無記名可)
 
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