「さ、いくよ。……いち、に、さんっ、…………
どうして合わないんだ!雨宿、もっと早く!」
「お前が早いんだよ新珠……、はぁ、はぁっ、……俺は無理だ……」
「これ以上遅く走ったら勝てないよ? 全力で勝つ。ぼくの主義だ」
「クラスで五本指の俊足と運動音痴年中補欠が二人三脚という設定がそもそも有り得ない……」
「決まったことだ。泣き言を言うなんて君らしくない。さあ、もう一度!」
「13回目だな、……」
五月最後の週末に行われる体育祭、2年間補欠扱いで逃げおおせていたのだが、
この3年クラスは人数が少なく学園生活初の運動競技に出る羽目になった。
しかもまた出席番号で頭から4人で二人三脚? 雨宿新珠市原奥丁字と嵌められた気分だ。
「今日中に組み合わせ考えろってさ、オレと奥丁字、雨宿と新珠で決定っとな、終わり〜」
「20pも身長差があってどう走るんだ? 近い者同士で組むのが自然だろう? 183,178,167、163で、俺とお前、新珠と奥丁字だ」
「運動音痴と走りたくねえーよー、決まり! じゃーなー、今日はチアガールの撮影だぜひゃっほう」
市原は、いかにもこれ以上の討論は無用とばかりに、俺と新珠の背中を叩き浮き足だって出て行った。
誰からともなく3人の間から溜息が漏れた。
「奴の言う事を聞くことは無い、合理的なのは身長順に変わりない」
「……でも、市原が結局押し通してしまうから、僕は大丈夫だよ。雨宿君よりちゃんと努めてみせるから。走りには自信あるよ、これでも」
にこにこと受け入れる童顔の眼鏡少年が俺より速く走る事は確実に分かっている。
しかしだな、新珠と俺の顔を見比べながら落ち着かない素振りをして言われても困る。
「ぼくは二人三脚は初めてなんだ。一緒に練習してくれる?」
机に両肘を付いて、にいっと笑う新珠、ほっとしている奥丁字、一人で頭を抱える俺。
「勝ちたくないのか、おかしいだろこの組み合わせ……」
腰まである艶やかな髪をひとつに束ねて覗く項にはうっすらと汗が浮かんでいる。
腕に背中と細い肩、間近に迫る綺麗な横顔――色気のある状況では全く無い。
そんな事に気を回す余裕も有りはしない。
「……バイトの時間が近いから終わりにしてくれ……」
28回目で俺は完全に根を上げた。
「そうだね、ぼくも組対抗の応援合戦の練習に行きたいんだ。後輩達が頑張っていてね、もう2週間も前からやってるんだ」
「ああ、じゃあな」
「体育祭まで5日間、二人で頑張ろう!」
涼しい顔をした新珠と対照的に、息が上がって肩を落として歩く俺は同年代かと疑わしい。
努力云々以前に問答無用に向いてないんだ、体力ものは。
意志の強さを表す大きな瞳でいつも前を見ている――新珠燐。
背筋を伸ばして凛々しく周囲の視線を受け止める、学園内で知らない者はいない美少年が、
校内一の美少女である事を知っているのは家族と関係者以外ではおそらく俺だけだ。
3年で初めてクラスが同じになり何故か俺をライバル視する奴がひょんなことから女だと知り、
違う世界の人間だと考えていた相手と交錯した。
1日経ったが事態に変化は無かった。
「どうして上手くいかないんだろう……?」
「原因は明白だがな……」
更に翌日。
「もしかして、ぼくたちは気が合わないのか?」
「本来接点があると思っていた?」
「よし! 一緒に生活したら波長が合うに違いない」
「何だその超展開っっ!!」
『お帰りなさい、ご飯にする? お風呂? それともあ・た・し?』
部屋に帰ったら成績優秀容姿端麗性格…良好な憧れの娘が出迎えてくれる……
ベタ甘なお話で定番ネタだが、いや、実際こんなシチュエーションは困惑するだけだが心情では正にこれだ。
勿論眼前の彼女は、おたまを持ってフリル付きの裸エプロンで満面の笑みなどでは無く、
ベージュのシャツにブルーグレーのストレートジーンズの出で立ちで当惑する俺を訝しげに見つめている。
「本当に来たのか」
「ぼくの部屋の方がいいと思うんだけど、君、来ないかもしれないじゃないか。それじゃあ意味ないし」
21時半にバイトから帰ってきた所をさも当たり前の様に出迎えて、俺の机で本を広げている。
「無駄な努力だと思うぞ」
「する前から諦めるのは良くないよ」
「どうやって部屋に入ったんだ」
「ん?ここの鍵がぼくの部屋に合うってことは、反対も然りだろう?」
「……せめて机を開け渡してくれ」
場所を取り戻して自分の体勢を整えると幾分平常心が帰ってくる。
新珠もおとなしくベッドに腰掛けて読書を続けている。
長めの前髪と伏せた睫毛が整った顔に彩りの影を落とす。小振りな唇が時折ほころんでいる。
新珠燐だけが持つ、本質も外見も男でも女でも無い、彼であり彼女である奇跡。
二人の息を合わせるという目的に合った対処かは、判断しかねるが、こうして互いに邪魔をせずに視界に留める分には、
普段と変わらず密かな占有感に満足する事も叶う、――悪くない。
授業の内容や他愛の無い会話をして12時を廻った所で風呂に行く。
出て来れば居なくなっているかと思ったが、ちゃっかりとパジャマに着替えて待っていた。
「じゃあ、お休み、」
「どうしてベッドで寝ないんだ?」
「狭いだろ、俺はいいから」
「なら、ぼくも床で寝る」
「……寝不足になるぞ。ちゃんと寝ろ」
「君と一緒なら」
平穏に一日が終わると考えていたのが甘かった。
最終的に傷つくのは彼女なんだ、これまでも成り行きでHしてしまったが何度も振り回される訳にはいかない。
「ぼく寒がりなんだ。あったかいほうがよく眠れる」
「5月も終わろうとしている時期にか?」
「女の子には関係ないんだ」
こんな時だけ主張されてもな。
「襲うぞ「いいよ」」
あっさりと即答され脱力する。聞いた俺が馬鹿だった、しかも藪蛇だ。
「意志疎通に体を重ねるのは基本だと思うんだ」
「男に言うな」
「女の子相手に言う趣味は、ぼくにはないよ」
「そっちの方が平和かも知れない……」
澄んだ瞳が覗き込む。今はろくに見えないが、見つめられて虜にならない者は存在しない眼差しは心に焼き付いている。
細い指があの時と同じように頬を滑り、惑わす。
「……横にも来ないのか、……………………いくじなし」
言いたい放題言ってくれる、どれだけ我慢しているか分かって無いだろうっ。
「何、も、しない、から、な」
電気を消してベッドに潜り込み背を向けて横になる。
「……おやすみ……………………」
微かに呟く声が聞こえた。
体は泥に浸かった様に重くて休みたがっているが、頭は背後の事で冴えて仕方が無い。
確かに双方の体温で暖かい。触ればもっと、いや…………今日は負けないからな。
徐々に慣れて、ようやく眠気に襲われた頃に背中に強烈な衝撃が来てたちまち覚醒した。
腕が当たったレベルじゃない、正に力任せに殴ったが相応しい攻撃だ。
思わず振り向いた所へ腹に蹴りが入った。
寝相悪すぎだろ、咳き込む俺の気配にも気付かずにすやすやと寝息を立てているのが聞こえる。
見えないが、さぞ平和な顔をしているんだな。
と隙を付いて体当たりされ見事に転げ落ち頭をしたたかに打つ。
「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
今やベッドの上に大の字になり我が物顔で占領して一緒に寝ようも無いもんだ。
復帰を諦めて床に寝そべりながら彼女の野望を遠く感じる。
「朝食は一日の基本だよ。しっっっかり食べてね」
危険防止に据え付けられているコンロ代わりの電子オーブンレンジが調理に使用されたのは初めてだな。
昨夜俺が帰る前に持ち込んでいたという食材で、10分で作り上げてしまった。
トースト、サラダ、スクランブルエッグ、コーヒー、
食事に対して全く興味が持てないから、およそ一人では縁の無い品揃えだ。
「普段も自分で作ってるのか?」
「これくらいすぐに出来るよ。ご飯とおみそ汁が欲しいときは食堂に行くんだ。さ、どうぞ」
朝日より眩い笑顔で、にこやかに脅迫されている。直に監視付きで逃げるのは無理……か。
「凄いな、有難う」
食べる食べないは置いておいて素直な気持ちだ。
本来なら彼女と朝食とは憧れの光景なのに床で眠った反動で背中が痛い。つられて首や後頭部も重くのしかかる。
「よく眠れたか?」
「うん、二人だとやっぱりあったかくていいね。ありがとう」
一時間しか横に居なかったんだが、指摘するのも馬鹿らしいので止めておく。
当然あれから寝付ける訳も無く、うとうとしながら夜明けを迎えた。様子を伺う度彼女の頭の位置は壁際や枕元、果ては反対側まで移動していた。
あれだけ動いて疲れないのかと場違いな心配をしてみるが、新珠は爽快そのものの顔でサラダを頬張っている。
平気らしい。
早朝7時の教室でようやく安寧の時間を手に入れる。
あと2日我慢すればいい、新珠に合わせて寝不足さえ乗り切れば時間は経つ。
悪い事ばかりでは無く彼女が傍に居る、俺だけに向けられる笑顔は何者にも代え難い。
しかし、この状態で体が昨日より思い通りに動く訳が無く、一向に進展しない二人三脚の練習を渋々終えて、
昨日と同じく21時半にドアを開けると予想通り新珠が居た。
形ばかりのキッチンにはグラスや皿が複数並べられ、折り畳みテーブルも持ち込まれている。
「少しでも快適なほうがお互いのためだ、明後日には元に戻すから。
洗濯物をたたんで仕舞っておいたよ、たんすを無断で開けてごめん。片づいていたほうが帰ってきた時に落ち着くと思って」
「……駄目だとは言わないから先に一言断って欲しかった、それだけだ」
ざわりと苛ついたが悪意を持ってやったんじゃない、新珠なりに考えた結果だ。
そう思い込む事にする。
「うん、わかった。……この棚の本見てもいい?」
「ああ、どれでも構わない」
「ありがと」
どうやら昨晩と同じ様にやり過ごせそうだ。
今夜は互いに無言で1時間が経った。読む事に夢中になっているのか? どの本だろう。
視線が気付かれたらしく、つと新珠が顔を上げた。
「ね、何か飲む?」
「気にするな、新珠が飲みたいものがあれば一緒に入れてくれ」
「ん、じゃあ、ホットミルク、どう?猫舌用にするし、甘くしないから」
「自分用には熱くして砂糖を入れるのか?」
「美味しいよ、すっごく」
そう言った時の顔が堪らなく幸せそうで、内心の焦りを誤魔化す為に言っただけだったが、つい気持ちが揺らいだ。
「……お前と同じ様に作っていいよ、飲んでみたい」
彼女は嬉しそうに頷いた。
「あつっ!」
マグカップを持つだけでも熱い、白い液体を僅かに口に含んだだけで舌先が燃える。
「大丈夫! 雨宿っ、だからぁっ」
幸か不幸か熱さで麻痺して味はまるで判らなくなった。
「冷ましてから飲むよ、手間かけてすまない」
「これでも少しぬるめに作ったんだけどね、ごめん。もうしないから」
つい舌を出して冷やしていると顔が寄って来て、ぺろっと先端を舐められた。
「おい…っ!」
「早く治るようにおまじない」
心配げに見つめる潤んだ瞳が間近に迫る。待てっ、不意打ちは反則だろ。
今日も何事も無く我慢すると決めていたのに、こんな所で流されるのか……頭が回らない。
頬に触ると彼女が眼を閉じるのがうっすらと見えた――
携帯の呼び出し音が鳴る。
こんな時に、いや、こんな時間に? ――発信者は、嶺枝垂(みね・しだれ)。
「はい、」
新珠に背を向けて離れる。
『門限も過ぎてルからどうしたものかとネ、思ったのだがネ、連絡だけでもネ、悪くないと……』
「勿体ぶってどうしたんですか、用も無く掛けてくる嶺先生じゃ無いでしょう」
背後で息を呑む気配。……油断した。
『虎尾教授が倒れて入院した。意識はあるがネ、高齢だから』
「――――そうですか。そうですね。連絡有難うございます」
『千島も付いてる。まア、性格はアレだが腕は立つ男だ。ワタシも今夜は付くが明日の朝は戻る』
「はい。では、お願いします」
『……そういう子にしたのハ、教授とワタシの責任なのかネ……』
「俺は俺ですよ。感謝しています。」
『――有り難う』
電話を切る。
いわば親同然の相手に対して冷たすぎるか?
どんなに想っても焦がれても抱いても欲しがっても無くすのは一瞬で呆気無い。
一度手を離れたものが戻ってくる事は有り得ない。もはや意味が無い。
結果が同じなら経緯の差は必要無い。
「嶺先生と仲がいいんだ」
「仲……なあ、」
状況を説明して態度が変わる新珠でない事は認識しているが、自分の話をするのが面倒で嫌だ。
「何? 人に言えない関係?」
上目使いで睨んでくる。
「阿呆、入学前から知り合いだっただけだ」
「いつ? どこで?」
「医者だから病院に決まっているだろう、行きつけ先に居たんだよ」
「どうして? 何かあったの? 教えて」
「患者でとは限らないし、何故そこまで聞きたがるんだ。――関係無いだろう」
しまった、と思ったがもう遅い。実際俺の事を知った所でどうなる?
「――もっと君を知りたいんだ。そ、そのっ、呼吸を合わせる、ために……」
「じゃあ、新珠の事も話してくれるのか、男装の理由は?俺にばかり聞いて不公平と思わないか?」
「! ……それは……」
「誰だって話したく無い事があるだろう、終わりだ。」
「でも……」
尚も言いかける新珠の唇を口で塞ぐ。
瞬間反射的に肩を震わせたが強引に舌を割り込ませて絡め取り、内側をなぞっていくと彼女の体から徐々に力が抜けていく。
もう細かく組み立てて説明出来る思考力なんて残ってない。
1ヶ月振りに触れる彼女の肌は一層艶やかさを増し吸い付く様な感触で俺を酔わせる。
さらしを外した跡がまだ赤く残る胸を鷲掴みにして荒々しく揉み上げる。
「あ、そんなに…っ、しないで」
まだ柔らかい先端の輪をぐるりと舐め真ん中を舌先で弄り口腔で尖らせてゆく。
「……だめぇ、駄目、はぁっ…」
口では拒絶しながら俺の頭をかき抱いて離さない。腕に残るシャツの衣擦れの音が絶えず聞こえる。
固くなった突起を吸うと跳ねて反応するが、同時に更に強く抱き締めてくるので顔を押し付けられて、柔らかい頂に埋もれる。
鼻や頬に心地良い弾力が来る、奥から激しく打つ鼓動が熱さを伴って響く。
俺の心臓も同じように聞こえるんだろうか、口に含んで夢中で愛撫するうちに何だろう、
いい匂いがして妙に安心する。髪の間を滑る指がやたらと気持ちいい。
「待、て……息出来ない……っ」
名残惜しいが顔を外して酸素を確保する。
熱くしっとりとして薄く染まった双丘は唾液が垂れる程濡れて、俺の荒い息がかかると恥ずかしげに揺れる。
「……君の、せいだろ…」
彼女は軽く咎める様な拗ねた瞳で見下ろしながら、腰や脚をもどかしそうに動かした。
「脱がすのは初めてだよな」
いきなり裸からのスタート続きで手間が省けた感もあるが、1枚ずつ脱がしていく期待と高揚感は堪らない。
前をはだけたシャツを外し、下のファスナーに手をかけると急に思い出したように慌て始めた。
「い、いい! 自分で脱ぐ!触らないでくれ」
俺の体を押し戻そうとするが敵わない、体力は無いが一応体重を掛ければ男と女の差は出る。
「全部見てるのに?」
「そうじゃなくて、っていうか、……やぁんっ、! だめ!」
左腕で細い腰を抱えて浮かせて一気に脱がすと、手で押さえられる前に脚を開いて組み敷く。
「見るなっ、嫌ぁ、」
子供がいやいやする様に手や首を振って声をあげる。
「翠色か。下はちゃんと女の子物なんだ、脇にレースが付いて可愛いな。新珠の趣味?」
「あっ、あの、その、それ、はっ、あのっっ、ええっと……」
裸を見た時より余程動揺して今にも泣き出しそうだ。
顔も耳も首や胸元辺りまで、すっかり朱に染まって焦る姿は、そそる。
「これ見られたく無かったのか?裸より?」
上から軽く撫で回すと、正に「ぽかぽか」という擬音が当て嵌る叩き方をされた。
「ばかぁ……っ! 女の子の、舞台裏、は、見せないもの、…だろうっ」
こんな事態でもそういうものか?
「男物穿いていても、らしいかなと思ってたが、これはこれでいいんじゃないか?」
「や、だか…、ら、っ、そそそ、そうなん、だ、けど……っ、」
「折角だから穿いたままするか?こう、ちょっとずらして」
「あぁっ、やぁっ……! だめぇ!」
ゆるゆると指を持っていくと形が分かる程濡れて透けていた。
布地の脇から強引に剥き出されたそこは不自然な形で露わにされ、ちょんと触れただけで快感に震える。
つるりと指先で撫で上げると甘い吐息と匂いが漏れた。
入り口を探ると既に熟れきった部分が愛液と共にまとわりついて準備が整っていることを主張する。
わざと音を立てて二本指で掻き回して弄ると両手で顔を覆って目を逸らした。
「聞こえる?」
「ば、か、…っぁ」
「先月お前も色々したからな」
言葉で答えは無かったが指先に絡まる襞が締め付ける。
「思い出した?」
「……言う、なぁ、やだ……」
「で、今更だけどな、脱ぎたい? それともこのまま? あるいは、自分で脱ぐ?」
「何を言い出すんだ君は」
一瞬素に戻ったぞ。
「俺はどれでもいい、新珠の好きにしていい」
意地悪く言ってみる。だが最初の時の昏い感情で無く子供じみた心なのは、どうしようも無く駄目駄目な証拠だ。
「どうする?」
指を抜いて目の前で擦り合わせると複数の糸が引いた。一本ずつ舐めながら待つ。
「…………………………………………脱ぐ」
「新珠が?」
「見るな」
「無茶言う」
この期に及んでというか、恥じらう姿は非常に新鮮で劣情を刺激するが、以前にも恥じるべき時はあっただろうと内心突っ込んでおく。
俺と眼を合わせない様に伏せた瞳はそれでも涙が溜まっているのが分かる。堪えて噛みしめた唇は余計いじらしく思う。
俺の下から抜け出して体を起こすと体操座りの体勢をとって、そのままベッドの頭枠にぶつかるまでにじり後退る。
くるりと反対を向くと背中を丸めて両端を掴む。
躊躇っていたが意を決して腰から外すと膝を通って下りていくのが見えた。
右、左と足を動かして脱ぎ終わると、さあ、どうする?
左手を横に突いて体ごと擦り動く。そんなに体を丸めて団子虫かお前は。右手には脱いだものを握り締めているに違いない。
端まで来て先に脱いだ服の下にもぞもぞと隠した。当然最後まで見えない様に両手で隠して。
そうまでして見せたくない女心はやはり不明だ、一生かかっても理解不能だな。
だがパンツ1枚脱ぐ光景だけで目が回る男心は、良く、分かる。たったいま、身に染みた。存分に。
良く判らない安堵の溜息を吐いて振り向こうとする躰を背中から羽交い締めにする。
「きゃっ、…あん!」
「悪い、今日は…もたない」
桃の様とはこの事だ。丸く手触りがいい尻を掴んで、割れ目の間の熱く濡れた中へ狙いを定めて突き入れた。
勢いよく粘膜と粘液とが擦れ合い刺激が脊髄を駈け昇る。
左手で枠を支えにしてもたれかかり、右手はシーツを握り締め四つん這いになって俺を受け止めた。
美しい弓なりの背中と肩の先に、突かれる衝撃や快感にせめぎ合う横顔が見える。
もう口を塞ぐ術を持たず形の良い唇から喘ぎが漏れる。
「あぁぁ…、あんっ…はぁ……やぁん、」
脳髄も痺れて融ける、最初より次より動かす度に際限無く呑み込まれていきそうだ。
「やっ、あぁ……そん、な…っ、あっ!……奥…っ、はあっ…ああぁん!」
次第に快楽に溺れてこちらの動きに合わせて腰を回してくる。
「あ…っ、だめ…もうだめぇ…こわれちゃ、う…っ、あぁ…いぃ…っ……いいのぉ」
分かっているのかいないのか、らしくなく悦楽に満ちた言葉を吐かれ益々昂ぶらされる。
ずるずると枠から頭が落ち、俯せになって腰だけを抱え上げられて挿入される形になる。
後ろのもう一つの穴が一緒にひくひくと収縮しているのも良く見える。
混じり溶け合わさった液体が脚を濡らし、彼女の下半身もいやらしく汚れる。
「気持ちいい?」
のしかかり気味で囁く。届くか?
「……い、いぃっ、…いいよ、ぉ、……あぁぁあ、…もう…、もっと…ぉ…」
背中や腕、シーツの上にも落ちる髪を揺らしながら譫言のように呟く。
吐く息が合わさる。熱と動悸が重なる。ベッドの軋む音すら共鳴する。
「はぁぁ…っ、あっ!…ああ…あぁっ!、…ああぁっっー!!」
より激しく強く打ち付けた先に、微かな戸惑いと充実感が染みて体内を巡り、互いに果てた。
珍しく彼女がそのまま眠ってしまったので軽く拭いてやってシャツを着せておく。
下は……、あれだけ頑張って隠匿したものに手は付けられまい。
やることやってしまうと頭も体もすっきりと晴れてしまったのは、……つくづく男は単純な生き物だな。
体だけは誰よりも――比べられる経験も数回しか有りはしないが、相性が良いのかと錯覚しそうになる。
心が伴っていないなんて最低の関係だ。
無論根本的な解決には至っていない、思考のすれ違いは俺がやり過ごせば終わると考えているが違うのか?
だが、彼女の心を手に入れられる男、……人間なんて存在するのか。
その時彼女はどんな顔をするのだろう。
今夜もベッドでは眠れないし変に醒めてしまった。
電話の件が柄に無く引っかかったのか、Tでナンバリングしてある本を棚から抜き出しデスクランプだけを点けて頁をめくる。
虎尾教授の著作で続編が期待されているが重要課題の研究が7年前から中断しているので、この本自体の部数は極小だ。
教授を筆頭に数人が参加していた。嶺先生も関係して無くはない。
間に合うのか。俺が追いつくまでに。内容を改めて辿れば辿る程絶望的に遠い事が解ってくる。
数十年は追い越せなくても数年なら追い越せると、初めて読んだ時は愚かに思ったものだ。
「ん、……」
背後から寝言が聞こえる。
新珠が俺だったら、どう考えるのか。
『追い越せるんじゃなくて、追い越すんだろう?』
眩しすぎる笑顔。正論は時に反発を生む。
お前が思ってる程俺は強くない。
朝6時を回り、熱めのシャワーで脳の奥まで極力刺激を伝える。
眠気よりズキズキとこめかみで疼く痛みが強く響いて邪魔をする。
「――!――っ!」
扉の外か?蛇口を締めて応えると新珠が携帯を差し出した。
「電話だよ」
受け取りながら反対の手でバスタオルを腰に巻いて部屋に出る。
『ワタシだ、大事無いようなのでネ、そっちに戻る』
「そうですか。安心しました。先生も気を付けて』
『おヤ珍しい、――彼女の所為か?』
「――っ!彼女!?ちがっ…」
頭の血が沸騰する。「彼女」? 訂正する間も無く通話が切れた。
つい呆気に取られて携帯を手にしたまま画面を見つめる。
「…………勝手に出たな、言わないうちに何故そんな事をする?」
俺の様子に驚いて新珠はびくっと体を固くし意外そうな目で見た。
「君がなかなか返事をしないから、切れたらいけないと思って出たんだ。話はしてないよ」
「着信履歴に残るから掛け直せる。放っておけばいい」
「次があれば気をつけるよ。…………そんなに、知られるのが嫌だなんて、よほど…」
「人にばれて困るのはお前だろ。俺相手で男同士でも変な噂を立てる奴もいる」
「誰が言ってる?誰に言われても関係ないよ。君が教えてくれたのに」
「俺は、自分が何を言われても気にしない。だがお前は違う。秘密もあれば人望も才能もある。
周囲への影響力が桁違いに大きい。特別な存在だ」
「同じだ!君とぼくはおんなじで君だけがライバルで横に並ぶ相手なんだ」
「いい加減に止めないか、俺は並ぶべくも無いと繰り返してる。誘惑するのも傷付くのはお前だ」
「どうして分からないんだよ……っ」
「こっちの台詞だ」
頭痛が止まない。苛々する。何も言うな。放って置いてくれ。
……ああ、この痛みも、元はお前の所為じゃないか。
「ぼくは、……ぼくは君が」
「う、る、さ、い。出て行け」
睨んで言い放つと、気合いに押されてたじろぐ色が見えた。この際ぶちまけてしまえ。
「部屋に押し掛けられるのは大迷惑だった。
一方的にそっちのやり方を通して我慢しろ、というのが意志疎通とは到底思えない」
「努力を放棄するのは卑怯だ。でも言ってくれれば、無理強いはしなかった」
「即座に拒否しなかったのは謝る。受け入れられると考えてたが器量が狭いのが分かったよ」
「……そんなに、迷惑だった……?」
「一緒に寝ようと言う割にはベッドから蹴落として悠々と占領してな、おかげで2日間ろくに寝てないな。
朝も食欲が無いのに無理矢理食べさせようとしたな、
持ち込みも家捜しも跡から謝ればいいってもので無いはずだが?
俺がどう思ってるか考えてたか?」
お前がどう考えてるかも知らないな、他人だから。
言葉を受け入れるのに時間がかかっているのか、大きく目を見開いたまま身じろぎ一つしない。
「――――」
「……新珠」
「ぼく、
―――― ……っ!」
不意に表情が崩れて涙が零れ落ちる。
「ち、ちが、違う違う違う違う!!!」
慌てて否定する彼女は、何が違うんだ。
「違うんだ、――ぼくは!」
駆けて出て行った彼女の居た場所に変わらず朝陽が差し込んでいる。眩しすぎて目を細める。
――――――――
――――
オーブンレンジが鳴った。
食パンが2枚いい具合に焼けている。
服を着てトーストをかじる。
味気無い。
インスタントコーヒーを作って流し込む。
どうにか全部収めた。
冷めた牛乳の入ったカップが残っていた。
捨てるか。
…………
一気に飲、
「――っつ!」
表に張った膜が邪魔してこぼれた。
派手に。
制服のシャツと、
開きっぱなしの本に。
拭いてもこれじゃ跡が残るな。
元には戻らない。
零した牛乳も。
本も。
…………
頭蓋骨を直接打たれる様な痛みが繰り返し襲う。
泣き顔が澱になってこびりつく。
明日は、体育祭だったか。
それにしても、今朝の日差しは目を灼く。