どうして涙が出てきたんだろう。
嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
彼を責めてることになってしまう。そうじゃないんだ、違うんだ。
独りよがりで自分の思考ばっかり押しつけて彼がどう思ってるか考えていなかった。
彼のこと全部知りたくて一緒にいたくて抱いてほしくて、そうしたら、振り向いてくれると勘違いしていた。
迷惑にも負担にもなりたくない。そんなことは絶対に嫌だった。
なのになのに、実際はどうだろう。
素直になるって免罪符にして彼を追いつめてるのに気が付かないで、
呑気に喜んでいた自分が嫌で嫌いで、
消えてしまいたい。
もうあの瞳で見られることもない。
間近に寄ると濃い茶色の中に藍色の影が潜んだ不思議な色彩で、きっと誰も知らない、ぼくだけの、秘密。
涙が止まらない。どうして、どうして、泣きたいのはぼくじゃない、彼のほうが、泣きたいはず。
これじゃあ駄目だよ。泣くなんて、卑怯だ。
止まれ、とまって……
「……、ぅ…、! …」
お腹が痛くて立っていられなくなる。下半身に重しを付けたみたいな鈍くて引きずられる痛み。
ずるずると座り込みながら腰に覚えのある感覚がする。
明日は体育祭なのに、まだ先のはずなのに、普段は痛みもないのに、
こんな時に限って、……
「10分位デ効いてくるからチョット我慢してナ、ゆっくり寝ておいで」
「……はい」
鎮痛剤を切らしていて、先生とは顔を合わせたくなかったけれど、保健室に行ったら強引に寝かされてしまった。
「収まったらすぐに行きます。ごめんなさい」
「平時が無理してるからネ、頭じゃ気が付いていないケド体が悲鳴あげてたりするのサ、明日も見学しといデ」
「それは駄目です。体育祭には出ます。平気です絶対出ます。無理なんてしてません! ――っ、!」
「してるヨ、ホラ、女の子は無茶すると大変だヨ?10代のうちは安定してないカラ、こうして精神状態が響くのサ」
「こんなのは当たり前です。女も男も関係ありません、大丈夫です」
誰にも迷惑をかけたくないのに。もう、わがままを沢山言っているから。
「困った子だねぇ、君モ」
先生は呆れた顔でため息をついた。
「大人しくしていないト、学園長に報告するヨ? イイかい?」
「そ、それだけは止めてください! ……雨宿は悪くなくって、ぼくが勝手にっ……!」
必死になるぼくを見て、にやっと笑う。
「先生っ!」
「体調のコトだったんだケドね。あはは、午前中はいい子にしておいで。ワタシも仮眠を取りたいカラ」
頭を撫でられて昇った血が顔に集まってくる……
「松月を選ぶなんて、まア、――似てるんだか似てないんだか、どっちも人付き合いの成績は最下位だネ。
大いに悩んで学ぶのが、学生の本分だ。気楽に頑張レ」
「先生、名前で呼ばないでください」
いくら美人でも才女でも年上でも…胸が大きくても……雨宿のことを知っていても……
……彼が言わなかったことは聞けない…許せない……
お腹の痛みが薄れていくのと同じに、意識が遠くなってゆく――
「……――」
「〜〜〜〜……」
「――体が痛…ら薬、……だろ…ウ」
「正し……、で、…んせい、」
嶺先生と誰かが話してる?、カーテンの影で分からない。
「彼女は違いますから。新珠は…、只の――」
ちょうどベルが鳴って先が聞こえない、でも、声は。
――雨宿!! 途端に体中の目が覚めた。
ぱんっ
乾いた音がする。
「ついでダ」
「……失礼します」
只の、友達?ううん、只のクラスメイト。只の、ただの……
「…り、……、燐さ…、君……」
「……い、こう?」
「新珠…君、大丈夫?」
いつの間にか横に衣黄が立っている。
「うん……」
まだぼんやりしてる、けれど、また心配をかけてしまった――
昔からずっと傍にいてくれて許してくれる存在で、感謝なんて言葉で尽くしても全然足りない。
3年になってからはますます不安にさせることばかりしているけれど、言葉でしか返せない。
「平気、ちゃんと休んだから」
口元を上げて目頭を下げて、ほら、いつも通り笑ってるだろう、何ともない。
何ともないよ、うん。
彼にはっきりと拒絶されて、気持ちが分かって、ほっとした。
やっぱりぼくが思っていた通りだった。振り向いてくれることなんてない。
頭はすっきり晴れ晴れとしている。
ベッドから這い出て伸びをすると体も気持ちよい。
「先生、お世話になりました。おかげで痛かったのも嘘みたいです。ありがとうございました」
「念のため、薬は幾つカ渡しておくカラ。奥丁字君、よろしくナ」
「本当にいつもありがとう、ごめんね、衣黄」
衣黄が振り返り振り返り先生を見てたけど、もう元気だから気にしなくていいよ。
お昼休みの校内、廊下や食堂で午前中休んでいたのを知って、何人も声をかけてくる。
『心配してくれてありがとう、大丈夫だよ』
いつものようにいつも通りに笑って答えることを何度も繰り返した。
だって、みんなお芝居のように、どこかスローモーションで同じ動きをしているから、
ついぼくも真似をしてしまうんだ。
目の前に薄い紗みたいな、もやがかかってるみたいだ。ぎこちなくて、嘘っぽい。
でも楽だよ、何も考えなくていいから、不思議なくらい、平気。…平気って、何に、何だっけ?
「病み上がり? そーでもないみたいやな。新珠いねえと華が無くてつまんねー、助かったー」
「半日いない位でそんなにありがたられると、気持ち悪いな」
「男クラに潤いの有る無しは最重要だろー」
相変わらずな市原を受け流して自分の場所へ向かう。
席に着く時に机の脚に靴をぶつけて変だな、と思った。
つま先から膝が震えてきて背中は寒いのに、手の平はじわじわと熱くてペンが上手く持てない。
ノートを取りたくても真っ直ぐな線が書けなくて斜めになったりぐねぐねと曲がっていく。
おかしいな。
なんで思い通りにいかないんだろう。
頭も目も耳も感覚がぼやけてる。
ちゃんと薬をもらって痛みもなくなったのに、どうしちゃったんだろう、ぼくの体。
「……珠、新珠…、」
「あ、うん、何?」
休み時間に入って、雨宿が声をかけてきた。昨日までと何ら変わらない、みんなと同じ普通の様子で普通に答える。
「今朝、な――」
「新珠ーーっ! 2年の奴が呼んでるー!」
「先輩が具合悪いって聞いて……、今日の応援練習の事です。自分たちだけでやれますから。
明日に備えて早く帰ってください」
「もう最後なのに何を言ってるんだ?気にしなくてもいいんだよ」
「でも、」
「そう、俺等でやれるよなぁ。新珠無理すんなぁ」
近くにいたクラスメイト達も合いの手を入れてくる。
「みんなでぼくを除け者にするの?そんな風に思われていたなんて心外だよ」
「あわっ、違いますよ!!「そりゃ罰当たるって」」
「言ってみただけだよ。あれだけ頑張ってきたからどう仕上がるか見届けたいんだ。
横で見ているなら構わないだろう?」
「それならば、はい……」
「じゃあ、放課後すぐに始めよう。1年生にも伝えておいてね」
6時限開始のベルが鳴って後輩は走って戻っていった。
「律儀な奴だなぁ。息抜きしてもいいんじゃないかぁ」
「当たり前のことだから」
頭で考える前に不思議な位?自然に言葉がすらすらと口をついて出てくる。
ばらばらだな、と思わないこともないけれど……何がばらばらなのか分からない。
戻るついでに雨宿に断ると、自分も用が出来たから、と話した。
「平気なのか?」
雨宿は首をかしげているように見えるけど、瞳には何の色も見えない。
「? 自分のことは、ぼくが一番よく知っているよ」
「そうか、……」
何を言っているか聞こえないよ?
「よおーし、気合入れて行けー! 1.5倍で行けーっ、ただし本気は明日まで取っておけよー」
「本気じゃないのに1.5倍っすかー、おかしくないっすか」
「本番で100パーセントを出すには練習を1.5倍の力で向かうもんだ。過信するんじゃないぞ」
「キビシーっ」
まとめ役の御車(みくるま)の指導も熱がこもる。
ぼくら3年生にとっては最後の体育祭、明日で最後、今日までの結果が現われるみんなの晴れ舞台。
明日のために。
…………
……
「先輩、そんなに心配そうな顔しないでくださいよう、
――いい感じでしょ? それとも僕達信用ないですか?」
休憩に入ってたみたいで色んなざわめきが聞こえ始める。全然気づかなかった。
「そりゃあへなちょこな後輩どもが心配じゃない上級生なんておらんね」
「御車先輩から見たら全員もれなくヘタレでしょうけど……」
「ここまで来てみんなの息も合ってきて、とってもいいよ、嬉しい。明日が楽しみだよ」
「と、新珠先輩は優しいからこう仰っておられるが、甘えるなよ」
「はい。皆わかってます! 新珠先輩は何の種目に出るんですか?
去年の対抗と400メートル、どっちもトップで僕感激しましたよ、カッコよかったです」
「今年は得意種目じゃなくて全員参加するほうを優先したから、くじ引きになったんだよね。
だから今年は二人三脚。組対抗の得点では頼りにならないかもしれなくて申し訳ないけど」
「わぁ、勿体ないなー」
「安心しておけ、対抗リレーは決まってるさ。二人三脚の相手は誰だった?」
「……雨宿だよ?」
名前を言うと何でもないはずの胸の奥がきりっと痛んで、霞んでいた意識が少し動いた。
「じゃあ市原と奥丁字が組むのか? 妙なことをしているな」
「雨宿なぁ、あいつ運動神経ゼロだしなぁ、明らかに足手まといだよなぁ」
「それは、雨宿のせいじゃないよ。参加することが第一、だろう?」
「何考えてるか分かんないし正直苦手だなぁ、合わせてやってる新珠は凄いよなぁ。
昨日練習してんの見たけどなぁ、やる気あるのか? って思ったよ」
「先輩が頑張っているのに? 何ですかその人」
「ち、違うって…」
「頭いいんだけどなぁ、自分のことも話したがらないし、面白見は無い奴だなぁ」
「そんな人が新珠先輩に迷惑かけるなんて許せませんよ僕。この応援練習にも来たことないでしょう?
自分勝手なだけじゃないですか?」
「俺はお前らとは違うって、空気はあるかなぁ」
「やっぱり!それで新珠先輩に嫉妬してるんですよ。嫌な人ですね」
「違う!! 雨宿は君たちが思ってるような人じゃないっ! …勝手なことを言わないで!」
2年3組の教室内が静まりかえった。
――ぼくは大きな声を出していたみたいだ。
「博、後輩、言い過ぎだぞ」
御車が二人の頭を軽くつついた。
「あぁ、ゴメンな。まぁ、俺等も頑張ればいいんだからなぁ」
「すみませんでした。……先輩が浮かない顔をしているのは、その人のせいかと思って」
えっ――、気づかれた!?
「責任感が強いから相当気にしているんでしょう?」
「ありがとう、でも、本当に彼は悪くないんだ。ぼくが……」
「どうしてそんなに自分を責めるんですか?」
「――っ!」
「しつこいぞ。新珠も知らんが互い――」
「やあーっ、待たせたなー、ベストショットはオレに任せなー。今日はリハをやらせてもらうぜーっ」
「わはは、来たなぁ市原。誰も呼んでないけどなぁ」
「せんぱーい、カワイク撮ってくれなきゃダメですよー」
「じゃあ最初から通してやるぞー、全員並んで位置につけー」
最後の練習を終えて充実感と一体感に包まれて誰もが明日の成功を確信していた。
「3週間も頑張ったんだから、ちゃんと成果は上がるよ。大丈夫」
「新珠先輩がそう言ってくれると、本当になりそうで心強いですよ!」
「事実だよ。自分を信じて」
「はい! やります! 先輩も言うこと聞かない奴なんて無視して引っ張っていけばいいんですよ!」
「あは…、それじゃあ二人三脚にならないよ?」
「コラ、蒸し返すな」
「先輩みたいな優秀で格好いい人には、その権利がありますって」
違う、違うんだ、と叫びたい。
ぼくは……ぼくこそ、みんなが思ってるようなかっこいい人間じゃない。
みんなの為を思ってたんじゃない。
彼の為を思ってたんじゃない。
今もこうしていられるのも、みんなが無意識にでも許してくれてるおかげだから、
ぼくに出来ることをするのは当たり前で、褒められることじゃないんだ。
「でもでもクラスメイトをかばうセンパイは優しくってやっぱ素敵」
嘘だよ。彼のことを悪く言われたから許せないだけだ。他の人のことで怒ったりしないんだ。
優しくとも何ともない。
「先輩が怒るトコ見るの初めて見て、私達と同じとこあるんだってわかって、ちょっとうれし」
だって、彼は違うから。
こうして話せば話すほど、彼だけが、他の人と違う。どうしようもないほど。
特別なひと。
みんなと同じ相手に、只のクラスメイトなんて、やっぱり考えられない。
「雨宿と上手くいってないのかー、仲がいいほど喧嘩するってな、ひゃはは」
「市原君、そーゆー誤解を招くような表現はやめてくれよ……」
「曲解してんのはオマエじゃんか、やーらーしーなー。お年頃だなー、奥丁字」
「っ……、ああ言えばこう言うんだ。……新珠君、気にしないでね。
さっき自分で言ってたよね、頑張ったんだから成果は出るって、その通りだと思う」
「正しい方向に向かっていれば、ね」
自分のことは、とても信じられない。
「そりゃーそうだ。力入りすぎて、噛み合ってないんだな。合わせてやってるって空回りしてさ、
雨宿も珍しく余裕ねーし、いつ奴がキレるかと思ってたぜ」
市原椿は普段通りに笑いながらさらりと言い流した。
「……市原、気付いてたのか?」
「オレのカメラは伊達じゃないぜ」
「どうして言ってくれないんだ!」
「そのほーがおもしれーっつーか夫婦喧嘩は犬も食わ、…もががっ!」
「だから言い方をっ…、ね、ねえっ、新珠君っ」
「――君は、もしかして…………、いいよ、放っておく」
相手にするのはまた今度、今はそれどころじゃないんだから。
ずっと彼のことを想ってきた日々は、今までの想いは消せない。消したくない。
だからぼくはきちんと謝らないといけない。泣いてるだけじゃ駄目だ。
彼がどう思ってるかは関係なく、やっぱり自分の気持ちを押し付けることしか出来ないけれど、
ぼくは他のやり方を知らない。
5月の終わりだと7時半を過ぎても薄明るくて、街中の人通りは昼間と全然変わらないように見える。
鷲尾学園は寮も施設も、繁華街から車で15分位のちょっと静かになった所にある。
一人でこんな時間にこんな所にいるのは慣れなくて緊張してしまう。
ガラス張りのコーヒーショップでロイヤルミルクティーを注文して、端の席に座って外を眺める。
道路を隔てたお向かいには、レンガの外観が可愛いケーキショップがあって、
右隣には彼のバイト先のお店がある。
一旦部屋に帰ったけど、待てなくて来てしまった。
早く、早く会いたい。
謝って気が済むのは、ぼくだけで、彼はぼくの顔なんて見たくもないに違いない。
最後まで自己満足の固まりだけど嫌われているんだから怖くない。…怖くないさ。
それにしても、高校、中学生くらいの子も沢山歩いている。
友達同士や…カップルも一目で分かる様子で楽しそう、特に女の子はみんなキラキラしてる。
流行りみたいな服を着て、私服の娘はもちろん制服の子達もお化粧してたりして、可愛い。
校内では女の子達を見ても特別な思いはなかったのに、
外に飛び出したところで間近で見てると、ひとりひとりから溢れる体の中に収まりきらない輝きがまぶしい。
「…………いいなぁ」
ぽつんと口から出て意外な言葉に焦ってしまう。誰かに聞かれてなかったか、と思わず店内を見回した。
何人かの女の子が顔をそむけた、みたい……、大丈夫、だよね…。
今まで同世代の女の子達と仲良くする機会が少なくても、寂しく思ったことはなかった。
父様や母様、衣黄や高砂もいて、男の子と一緒にいるほうが多くて楽しかった。
別に女に生まれたのが嫌だったとか、家のしきたりだったから男装しているとの理由でもなく、
その、きっかけはあったけれども……男の子のように行動するのは自然な流れだった。
意識して振る舞い始めたのは中学生になってからだ。
どちらでもあるけど、どちらでもない。仲良くするかわりに、仲良くならない。
勉強も運動も趣味も好きなように好きなだけ集中出来る、都合のいい世界。
だけど高校になって、それまで悪い虫が付かないから良しと笑ってた父様も、うるさく言い始めて
母様はかえって女の子として目覚めるかも、なんて言ってたしなめてた。
確かに男の子ばかりの生活に息が詰まってきていた。
やっぱり、違いを感じることも増えてくる。外見も体力も中身も……
もう、無理かなあ、って思ってた時に、彼の言葉がぼくの心を軽くした。
それまで順位表の名前でしか知らなくて顔も見たことがなかった彼が、ぼくの思いを変えてしまった。
2年生の秋に、彼が1年の女の子と歩いているのを見て吐きそうに――実際、吐いてしまった。
あれから心の中でこっそりライバル視して支えにしていた彼を、それだけじゃない想いで見てたって気付かされた。
その日の夜、初めて自分で自分を慰めた。
8時に近くなり、やっと日暮れて外灯が目立ち始める。
心なしか手をつないだり肩を抱いている二人連れが増えているようだ。
ちょうど通り過ぎるカップルを彼と自分に置き換えてしまう。
……もし、男装していなかったら、彼は…………
ううん、意味がないよね。
それに今さら似合わないし、変だよ。
スカートもすっごく短くて見えそうじゃないか、恥ずかしくないのかな、恥ずかしいよ絶対っ。
あんな格好出来ないよ、胸も開いてるし、可愛くって自信がないと絶対できないっっ無理無理っ!
恥ずかしくて死んじゃうよ。
熱くなる顔を手で覆って隠す。
――本当は、したくないと言ったら、今は嘘になる。
「――!」
彼が出てきた。店の脇から自転車を持ち出してくる。
急いで飛び出して向かおうとして、閉店準備で外に飾っていた花鉢を抱えたケーキショップのお姉さんに
つかまってるのが見える。
そのまま店内に連れていかれてしまう。
車道を挟んでしばらく様子をみる。行き来する車や人の流れで時折隠れてしまうけど、明かりが照らしているから分かる。
……まだかな、何しているんだろ。
ケーキ屋さんだから、ケーキを買ってるんだよね。当たり前でしょ?
遠目だけど黒いワンピースと白いエプロンでメイドさんみたいだった、綺麗なお姉さんで…
今度こそ出てきてショルダーバックを背負い直している。
行かなきゃ。
行って謝らないと。
今すぐ。
ほら、そこにいるから。
――――
――――
冷たく突き放した瞳が甦る。
足の裏が地面に張り付いて動かない。
もし無視されたら?
呼べば届くところにいるのに。
息を吸う音ばかりで喉が詰まる。
嫌いだ、と面と向かって言われたら?
そんなこと初めから知ってる、分かってる。
自転車にまたがって、早く、早くしないと。
顔も見たくないと言われたら?
車の音も歩く人のざわめきも聞こえない。
ずっとここで待ってたのに、今、行かないと、声を出さないと、
気持ちがしぼんでしまう。
行ってしまう!
凍ってしまったぼくの体、動いて、動け、動け!動けっ!!
すうっと、左手に進んでいく、まだ、間に合うから、
今じゃないと――!!
「あま――」
思い切り振り絞って前に動いたぼくの体は、もっと強い力で後ろに引き戻された。
「――!!?」
目の前を車が通り過ぎていく。途端に周囲の音と景色が一気に頭の中に流れ込んできて、くらくらした。
走っていく車の風圧が頬をかすめる。
「ちゃんと前を見ないと危ないよ。――――お嬢さん」
はっ、と振り向いたけれど、人混みにまぎれて分からない。
今の、声は――。
……ありえない…………
気を取り戻して前を向き直した時には、当然、彼の姿はなかった。
掴まれた右腕が痛い。跡が残るかもしれない。
悔しくて悲しくて泣き出しそうになる気持ちを必死で押さえながら、帰り道を急いだ。