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広瀬について(エロ無し)

8_530氏

 俺は知っている。
 広瀬は女だ。
 ひょんなことから、広瀬が性別を偽り男子として入学したことを知った。黙っていてくれと頼まれたので黙っている。

 俺は知っている。
 広瀬は猿だ。
 2限終わりのチャイムと共に、広瀬が教室を飛び出て行く。正確には2階の窓から飛び降りる。
 目的は購買の焼きそばパン。
 俺たちの教室は東校舎にある。ここから購買部へは校庭を斜めに突っ切るのが最短となる。広瀬は更に近道し、教室のドアではなく窓からすっ飛んで行く。文字通りの一直線だ。

 俺は知っている。
 広瀬には色気がない。
 秘密をネタに、脅してヤっちまおうなんて不埒な妄想も引っ込むくらい、どうしようもなく色気がない。
 競争率の高い焼きそばパンを手に入れたと、小躍りしながら戦利品を俺に見せつける。
「アキオ、食いたい? これ食いたい? やらねーよーーーだ、はっはっはー」
 いや別に。俺おにぎりでいいし。

 俺は知っている。
 広瀬には最近気になる女ができた。
 こいつに性別をわきまえろなど、今更言うだけ無駄なことだ。
「あのさあアキオ、―――ってどう思う?」
 広瀬が口にした名前は、校内一の巨乳ちゃん。巨乳。なるほど。人は己に無いものを求めると言うからな。
 焼きそばパンにかぶりつきながら広瀬は続ける。
「結構カワイイと思わね? カワイイよな? うん、カワイイ。地味っつか、大人しめだけどさ、なんつーの、すげー女の子〜って感じするっつーか。そいでさ、なんか分かんねーけどすげーふわーってしてんの。アキオさあ、そういうの良くね? ん?」
 俺に同意を求めるな。突き出た乳しか印象にない。
「あとさ、あとさ、やっぱ女の子だしさ、おっぱい大きいっつーのもポイント高くね?」
 もちろん乳は重要だ。


 俺は今日、新たに知った。
 広瀬には焼きそばパンより大切なものがある。
「あの、広瀬くん……」
 教室の入り口には、くだんの巨乳ちゃんの姿が。頬を染めてもじもじしながら――その度に乳がぷるぷる揺れる――こちらを見ている。
 いかにも「恋する女の子です」という表情に、クラスの連中がはやしたてる。乳ほど肝っ玉は大きくないのだろう、巨乳ちゃんは顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「おめーら、うるせーよ」
 冷やかしを軽くいなし、広瀬は巨乳ちゃんをうながし外へ出た。涙ぐんでいる彼女の背を抱くようにして。
 そんな風に馴れ馴れしく女の子に触れられるのは、同性ゆえの気安さなのか、気持ちが通じているからなのか、俺には判断が付かない。
 後に残されたのは、食いかけの焼きそばパンが一欠け。せっかくだからいただいた。
 評判ほどにもない味だった。

 俺は甘かった。
 広瀬の、焼きそばパンにかける情熱をあなどっていた。
「あれ? 焼きそばパンは? オレの焼きそばパンは?!」
 はい、俺が食いました。ごめんなさい。すみません。
「オレの焼きそばパン、焼きそばパン、焼きそばパン〜〜〜〜〜!!!」
 前言撤回。
 広瀬は焼きそばパンも大切にしている。
「明日買って返せよな! ちゃんと買って返せよな! すぐに売り切れちまうんだからな! すっげー少ないんだからな! でもだからって、オレがめちゃくちゃ傷ついたって事実は変わらないんだからな! アキオさあ、反省してんの? ホントにホントに反省してんの?」
 はい、反省しています。
「じゃあさ、放課後、オレに付き合って」

 放課後、広瀬に連れられやって来たのは購買だった。既にシャッターは下りていて、焼きそばパンはおろか人気すらない。
 俺は気付いていた。
 広瀬が緊張している。
 さっきからとりとめもなく意味のないことをベラベラと喋り続けている。それだけなら普段と変わりないが、いつもならしつこいほどに相槌を求める広瀬は、今、俺に口を挟ませないよう一方的に喋り立てていた。会話ではない。言葉でもない。自分の気まずさを気取らせないよう、ただ音を発しているにすぎない。
 広瀬。明日の2限にならなきゃ購買にパンは並ばない。男なら、言いたいことははっきり言え。
「アキオさあ、……今付き合ってる子とかいる?」
 何を突然。
「あのさあ、アキオと―――ってお似合いじゃないかなーって」
 巨乳ちゃんと? 俺が?
「うん、いいじゃん、すっげーいいじゃん、んとさ、なんかさ、オレがアキオの話するとすげー楽しそうなんだよ彼女、アキオの誕生日とか聞かれてさ、血液型も聞かれてさ、そいでさ、色々アキオの話聞きたがってさ、すげーイイ子だしさ、おっぱい大きいしさ、アキオおっぱい好きだしさ、今日の放課後アキオをここに呼び出すからって約束しちゃってさ、もうすぐ来るはずなんだけど、オレがいたんじゃやっぱ邪魔じゃん、うん、そゆことだから、てなわけで、じゃっ!」
 一気にまくし立てて、俺と目を合わすことなく広瀬は逃げた。
 逃げやがった。


 翌日、俺は2階の窓から飛び降りた。
 2限終わりのチャイムと共に、購買までひた走る。
 こんな障害物競走を毎日のようにやっているのか、あいつ。やっぱ猿だな。ああ、猿だ。
 だから、惚れた女の恋の仲立ちなんて、損な役回りを引き受けるんだ。バカだ。アホだ。間抜けな猿だ。俺のことを、友達が惚れた女相手でも、平気で乳繰りあえる奴と見ていたか。
 なめるな猿の分際で。
 人だかりを力ずくで掻き分けて、焼きそばパンを掴み取る。
 どこがレアアイテムだって? 3つだ3つ。ざまあみろ。
 帰りの渡り廊下で、広瀬が俺を待ち伏せていた。
 無言のまま、真っ平らな胸ぐらに焼きそばパンを押しつけて通り過ぎる。
「アキオ。待てよ。何で朝から喋らねーんだよ。アキオ?」
 泣きそうな声を出しても無駄だ。俺は今怒っている。
「アキオ、なあ、アキオってば! 無視してんじゃねーよ! なあ!」
 右肩に軽い衝撃。ぶつかって床に転がったそれは、いましがた渡した焼きそばパン。
 コラ猿。食い物を粗末にするんじゃない。
「何なんだよ、女の腐ったみてーな怒りかたしやがって、っ、てめーオカマか糞ったれ!!」
 怒鳴りながらしゃくり上げるものだから、つい振り返ると、涙をこぼす広瀬と目が合った。

 俺は知っている。
 広瀬は男ではない。
 男ならこんな風に泣かない。
 非常階段へと場所を移したが、一旦堰を切った広瀬の涙はなかなか収まらなくて、俺はどうしたらいいのか分からない。
 おそるおそる広瀬の頭に手を乗せてみたらますます激しく泣き出して、やはりどうしたらいいのか分からないまま、俺は広瀬の頭を撫でつづけた。

 俺は知っている。
 広瀬の背中は小さい。
 俺は知っている。
 広瀬の肩は細い。
 俺は知っている。
 広瀬の首筋は白い。
 俺は知っている。
 広瀬の髪はやわらかい。

 怒っていた理由を聞かれたので、広瀬が惚れている女とは付き合えない、そう答えたら、きょとんとした顔で俺を見返してきた。鼻水が垂れている。
「アキオってバカだろ? なんでオレがあの子好きになんだよ? アキオ知ってんじゃん。
 オレ、――おんなだよ?」
 俺ははじめて知った。
 こいつ、自分が女だって自覚あったのか。

 もう、とうに3限に入っている。
 泣いたら腹が減ったからと、広瀬が焼きそばパンを食いはじめた。焼きそばパンを口いっぱいにほおばる広瀬は幸せそうだ。
 広瀬はいつも美味そうに飯を食う。こいつと飯を食うのは嫌いじゃない。

 俺は知っている。
 女は乳だ。
 俺は知っている。
 だけど、理屈じゃないんだよな。


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