どのくらい沈黙が続いたのか。
灼き折れた丸太がごとん、と短く落ちて熱い灰をふきあげた。
その小さな音に我を取り戻したように、衛兵長が顔をぐいとあげた。
クロードに向けた青い目は、ぬぐったように不穏な気配が失せ、いつもの平凡な色をしていた。
「…副長。肋を出せ。足もだ」
「…あー、あー、あー、あー」
クロードは苛立たし気に吐き捨てた。
「忘れてくれたとばかり思ったのによ」
衛兵長はきっぱりと言った。
「俺は、忘れん」
一瞬クロードの碧の目がいかつい顔の奥を探るように鋭くなった。
が、それ以上余計な口を叩かず向き直ったサディアスの巨体から身を避けようとして彼は立ち上がりかけ、足をかばって転倒した。
「ってぇっ!」
クロードは喚いた。
「おい、大丈夫か」
サディアスが腰を浮かせた。
「さ、さっきから、あんたがよけいな事さえしなきゃな。こら、触んな」
「傷が開いたのか?」
衛兵長は部下の身を案じるいつもの面倒見のいい表情を浮かべ、ぐいと痩身に近づいた。
*
衛兵長の顎に右の掌をあて、根限り乱暴に押しやる。
クロードは必死だった。
「た、頼む。これだけは俺の好きにさせてくれ、サディアス!」
「包帯を巻いたらな」
ぐい、とその手首を握って引き離そうとして、サディアスの眉尻が跳ね上がった。
ぎこちなく首を傾け、握った副長の拳を横目で見た。巨大な掌にすっぽりと隠れて見えない。
「……?」
「放せ!重い、死ぬ!」
暴れるクロードをちらと見下ろし、衛兵長は頭を振った。
自分の全体的なサイズを考えたのだろう。
「…クロード、そう暴れるな、傷に良くない」
「あ、暴れずにいられるかっ」
クロードは青ざめていた。
その青白い顔に嵌った目が、サディアスの厳しい目とあった。
「副長、そう我侭を言うものではない。おとなしくしておれ。これは命令だ」
おさえつけたサディアスの指がボタンを機械的な速さで外していく。
クロードは漆黒の髪を散らして逆らった。
「こればっかりは、聞けねぇ!!」
「聞け!」
至近距離で咆哮が轟き、炎が揺れた。
衛兵長に正面から睨みつけられ、クロードは碧い目を見開いて硬直した。
「いい加減にせよ、副長。思い上がるな」
「…………………………………。ここまで、か」
その声が、目の前の男の喉から出たものだと、サディアスはわからずうろたえた。
いつもの皮肉をきかせたハリのあるものではなく、暗い、低い声だった。
「わかった。──好きにしろ」
クロードは、いきなり全ての力を抜いて床に手足を落とした。
碧の目だけが、じろりと衛兵長を下からねめあげた。
「…ただでさえ気苦労が多いのによ、気の毒にな。……腰抜かすンじゃねーぞ」
それっきり、クロードはふてくされたように目を閉じてしまった。
「気の毒?……」
衛兵長は口を閉じた。なにはともあれ、手当をさせる気にはなったらしい。
この機を逃しては、この気難しい副長はまたいつ了承を撤回するやらわかったものではない。
急いでボタンを全て外し、上着の前を開いた。
ブラウスも開き、自分と同様前合わせのシャツの紐をほどいて、サディアスは手を止めた。
「なんだ、これは?」
すぐにも裸の胸が現れると思っていたのに、痩身の薄い胸板は、幅広の、それこそ包帯のような布で厳重に巻かれている。
「副長、怪我をしていたのか?」
「………」
クロードは耳が聞こえなくなったようにぴくりとも動かず、反応を返さなかった。
サディアスはその表面を観察した。
固く巻き付けた布には血は滲んでおらず、凝固してもいない。まっさらの麻のようだった。
下端はちょうどあばらの下までを覆っていて、これを解かねば確認はできないと理解したサディアスは、布の端を探した。
丁度胸正面の上にたくし込んであった。そこに指をつっこみ、クロードの背に反対側の掌を差し込む。
クロードがかすかにびくりとしたのが掌に伝わったが、眉を寄せ、きっちりと目を閉じたままなのは変わらない。
解いてもいいのだろう、とサディアスは丁寧に布を外し始めた。
何度もクロードの背を潜らせて布を外していくうちに、衛兵長の青い目は、徐々に薄く、いぶかしげな色へと変わっていった。
掌に載せた背中は薄かった。
もともと痩身なのはわかっていたが、お仕着せなしで目の当たりにすると、この背中は男にしては狭くはないか。
「………」
サディアスはクロードを支える掌をわずかに滑らせた。
肩甲骨がそっくりそのまま掌の窪みにおさまり、それで肩幅のだいたいの予測がついた。
狭い。
目と鼻の下の鎖骨を見下ろした。
副長の鎖骨など、これまで五年の付き合いでも、そういえば見ることなどなかった。
クロードは夏でも身だしなみを崩すことはなかったし、隊のどの洒落者よりも漆黒のお仕着せをかっちりと着こなしていた。
優男でそれではさぞかしもてるのだろうな、とからかった事もあるのだが、そういえばクロードに女がいるという話を耳にしたことは一度たりともなかった。
その時、クロードはどう返しただろう。
思い出せない。
目の下の、白い肌に覆われた鎖骨はすぐにも折れそうなほどに細かった。
「どうしたんだよ」
いきなり頭の上でクロードが呟いた。慌てて顔をあげると、碧い目が開いて、皮肉げにサディアスを眺めている。
「何か珍しいのか」
「………」
自分は何を考えておるのだ、と衛兵長は恥じた。
この、衛兵隊一の弓の名手で、やや斜めに構える癖はあるものの最も信頼すべき副長相手に、一瞬とんでもない疑惑を抱くところだった。
クロードの皮膚が滑らかすぎるからだ。
自分の背がどのような手触りかは知らないが、おそらくこんなに肌理が細かいという事だけはないだろう。
同じ男でも、いろんな人間がいるものだ──。
サディアスは作業を再開した。