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衛兵長動揺する 5

ナサ ◆QKZh6v4e9w氏

五度か六度、衛兵長は麻布を巻き取った。
おそらく胸にひどく醜い古い傷か、あるいは痣でもあるのかもしれぬと彼は思った。
そっと見ると、クロードは相変わらずふてくされたような目を崩れた暗い天井に向けて、されるがままになっている。
その目の縁がうっすらと赤らんでいた。
「副……」
胸の奥がざわつくような妙な感覚を覚え、サディアスは呼びかけを中断させた。
きつく層を成していた麻布が緩み、もう巻き取らなくても良さそうだった。
サディアスは俯き、やや乱暴に最後の残りをひき抜いた。

「……………」

下顎がかすかに下がった。
青い目がまじまじと、布を取り去った胸に注がれた。



だがそれもほんの数秒、サディアスは麻布を床に落とすと副長のはだけていたブラウスを合わせ、二番目と三番目のボタンを閉じた。
裾の間から見え隠れする左の肋を確認し、変色している場所を見つけると重ねた二本の指先で軽く押す。
クロードがかすかに呻いたが、さほど急激な反応はない。

衛兵長はブラウスの裾を合わせて、細っこいその腹を隠すように閉じた。
わずかにためらったが、彼は、クロードの腰に掌を廻してズボンの胴回りをぎこちなく、だが静かに掴んだ。
クロードが腰を浮かせたので、ズボンは足首までするすると楽に降りた。
衛兵長が、手製の包帯を床から探り当てると、クロードはやはり無言で、左の膝を軽くたてた。
きっちりと傷口に包帯が巻かれた。
サディアスはズボンを持ち、包帯の巻かれた部分にあたらないよう気を使いながらひきあげ、再びクロードの腰に両腕をまわし、着付けさせようとして──。

───固まった。

太い首すじから続く陽に灼けたうなじに、胴と同じく細い腕が二本、巻かれていた。
目をあげると、碧い目が鋭く、間近から彼に注がれていた。
「……で」
クロードは唇を開いた。
もうその顔は青白くはない。むしろ赤い。
目の縁だけではなく、頬全体が上気している。
副長に唇があることすら普段は意識したことがなかったが、それがなかなか綺麗なかたちをしている事に、今のサディアスは気付かざるを得なかった。
「……何か言いたいことがあるんじゃねぇのか」



「………」
サディアスは首に手をあげて、その腕を解こうとした。クロードは放さなかった。
じっと、衛兵長の目を見つめている。
その視線も解きようがなく、サディアスは呟いた。
「──わ、わ悪かった」
「悪かったって?」
クロードは噛み付くような勢いで応じた。
「五年間だぜ。あんたを五年も騙くらかしてきた俺に、『悪かった』?……なんでそこまでお人好しなんだよ、サディアス!」
「おお、お『俺』はよせ。そ、その言葉使いもな」
サディアスはその追求を断ち切った。
クロードは傷ついたように口を噤んだ。

「お、お前は──おまえ、ク……い、いや、あー…」
「クロード。──偽名じゃ、ない」
『クロード』は男の名前にも女の名前にも使われることを思い出し、サディアスは納得した。
「……ななな、なぜ?」
「なぜって…」
碧い目が一瞬伏せられ、すぐに青い目までまたあがった。
「…俺──いや──私が」
クロードの口からこんな一人称がするすると出てくるのを聞く日がこようなどと想像すらしていなかった衛兵長の顔が、段々赤くなってきた。
「私が…故郷から家出してきたのは、知っている……だろ」
本人も喋りにくいようだった。
これまで四六時中荒い男言葉で喋っていた相手に、いきなり五年前の言葉に戻れといわれても難しいのかもしれない。

サディアスは頷いた。
首に巻かれた滑らかな腕を解いてほしかったが、クロードはここで放したら衛兵長は話を聞いてくれないと確信しているが如く断固として腕の力を緩めなかった。
力任せに解くのは簡単だったが、そうもしかねるのがこの衛兵長がお人好しであるという証拠かもしれない。

「親父、いや、ち、父は貿易商だったんだけど、子どもには女姉妹しかいなくて、私は…その長女だったんだ」
クロードはかすかに俯いた。
「あのさ…そういう時って、婿、とるだろ。うちも、俺、いや、私が十四になったときにさっさと父が探して来た。乱暴な船員あがりの、目端のきく男」
「………」
黙って聞くしかないようだ、と諦めた衛兵長は、副長に負担をかけないように肘をつき直してはっと気付いた。
自分が敷いているのは副長ではない。
いや、副長なのだが、確かに同一人物には違いないのだが、やはり、違う。
自分より十歳も離れた若い女性なのだ。
しかも半裸で、ちょっと──可愛い。
躊躇い勝ちに、サディアスはその事実を自分の心に認めた。

「私はその相手は嫌いだったんだ──でも、うちの父、せっかちでさ──さっさと既成事実作れば、私が言うこと聞くだろうってんで──その」
クロードは目を伏せた。
さらに紅潮した頬の線が悔しそうに歪んだ。
「……夜這い、かけさせやがんの。もう、冗談じゃないってんで…ランプの台でそいつの頭ぶん殴って、店の有り金攫って、逃げた」
綺麗とか美人とかいうのとはちょっと違うかもしれない。
顔は整っているが、それはどこか年齢としては未発達で風情というものが欠落した、すがすがしいような愛嬌のなさだ。
男所帯のなかで性別を偽ってきたから、その途切れのない緊張がそのまま現れているのかもしれないとも思う。
だが、今のクロードは、初対面の時にも感じた、肩肘はった固さだけは薄れていた。



「……聞いてるのか?」
我知らずその顔に見蕩れていたサディアスは、我を取り戻して目の焦点を碧い目に向けた。
「あ、あ、ああ。ひ、ひどい父親だ」
「だろ?だよな?そうだよな!」
クロードは我が意を得たりとばかりの勢いでサディアスに巻いた腕に力をこめた。
「あ…」
衛兵長は度を失った。
ぐいと彼──いや、彼女の躯を引き離そうとして、自分の握ったものが半裸の肩だと云うことに気付き、慌ててまた手を放す。
「あ、ああ。ひどい、じじじ実に──だだだが、その時お前──その──」
「安心しな。未遂だから」
クロードはさも不愉快げに眉をひそめた。
「あんな野郎にヤられてたら、頭割るくらいじゃ済まさねぇ。目隠ししないで矢の練習台にしてやってたとこだ……いや、とこ、さ」
「…そ、そうか。よよよ良かったな」
クロードは、サディアスを見上げて少し恥ずかしそうに頷いた。
「………うん」

『うん』?

ああ、だの、当然だろ馬鹿野郎、だのといった相づちに馴れているサディアスは、やけにしおらしげなそのたった一言にますます狼狽した。
「あんたなら笑ってくれてもいいんだけどさ…な、なんか…らしくねーから」
顔を赤くしたクロードが、聞き取りにくく声を小さくしたのまでが心臓に堪える。
巨大な躯全体の血流が激しく脈打っていて、その熱に気付かないらしいクロードが、まるで異世界の生き物のようにサディアスには思えた。
「…どーせなら、好きな相手とヤりたいじゃないか…。そんなもんじゃねぇか…?」
「そそそ、そんなものかもしれぬな…あ、まあ、そうだな」
クロードはまたちらりとサディアスを見上げた。
碧の目は、男としても綺麗だが女の目としても魅力的だということを衛兵長は知った。
「……男は違うんだろ」
少し口調に棘がある。
こいつはやはり副長だ、と彼は思い、そこでなぜだか安心した。

「あんた、惚れてない女でも二度も抱いたってさっき言ったじゃねーか」
「……おおおお前な」
サディアスは呟いた。
「まさか、じゅ、十四のときにもその調子だったのか?」
「まさか。……いくらお上品な伝統が売りの衛兵隊でもさ、男の真似ばっかやってて五年も経つとこうなンだよ」
ぱっ、と頬をまた赤らめてクロードは顔をしかめた。

なぜクロードは彼の首を抱いたまま放してくれないのか。
いい加減に離れたい。
離れなければまずい。



「……、クロード」
なんとか、サディアスは緊張したときの呪わしい癖を抑えつけた。
「なに?」
白い肌と碧の目を間近に見ればまた心臓が不吉に高鳴った。

──さっきまでは、無二の仲間というだけだったのに。
なぜこいつはよりによってこういうややこしい女になるのだ。
理不尽すぎる。

「は、放して──くれぬか」
「……………やだ」
耳を疑い、サディアスは呆然とクロードを眺めた。
『彼女』は唇を歪めた。
サディアスの胸に額を埋めるように、彼女は腕を引き寄せた。
潰さぬように、衛兵長は慌てて腕と腹筋に力を入れ直した。
「…衛兵隊に入ったのは確かに弓の腕を活かしたかったからだけど、余計な苦労してここに五年もいたのは、弓のためだけじゃない」

「……………」
異様に心臓が高鳴っていることに気付いたサディアスは、クロードにそれが聞こえているのではないかとうろたえた。
本当はクロードの頭を胸から離したい。
…だが、このままであと少しだけ、この言葉の続きを聞くまでは我慢しなければ。
誰にともなく、彼は胸の奥で言い訳をした。
クロードの腕が滑り、サディアスの肩を、それから脇の下をくぐって、分厚い背中に半端に廻された。
全部は届かないらしい。
躯の幅も厚みも圧倒的に違う。

「……単純でお人好しの衛兵長がいたから」

ぽつりと消えそうな声が言い、まわされた腕に力がこもった。
なぜ、クロードがこんなに近くに自分を引き寄せたがるのか、サディアスはそれにやっと気がついた。

拒絶されはしないかと、それが心配でたまらないのだ。


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