迎えの馬車が来てレオナルトとユーリは、ホアン医師と、野次馬達に羨望の眼差しで見送られ、高台
にそびえるグレゴリー伯爵の別宅へ向かった。
伯の城は、港から馬車で二時間ほどかかるグレゴリー地方にあり、港に近い城は昔、異民族と海上
戦があったときに建てられたもので────
「今は、療養の為に伯の妻と、付き添いで第2子のルカ様が住んでいる───と言うこと。」
「嫡男かと思ってた。」
「御嫡男はグレゴリーの城で、父君とお暮らししている────こちらも傑出した方らしい。
まあ、問題があると言えば・・・・なかなか、結婚が決まらない事くらいだそうだ。」
「そんなに素晴らしい方なら、立候補の姫君が沢山いて決めるの大変そうだもんね。」
想像したのか楽しそうに笑うユーリ。
乗り物酔いもせず、上機嫌で喋り、更けていく街並みを窓から覗くユーリを見てレオナルトは
─────結局、楽しみにしてたんじゃないか
と、安堵していた。
やはり女だな、華やかな催しは心惹かれるのだろう。
ただ、ドレスを着せてやることが叶わないのは可哀想だが・・・・。
ユーリの国に居た頃────老師に取り入り『桃娘』を育成する屋敷に潜り込んでいた頃に
ユーリは華服を着ていた。
ボタンを使わず、帯で締める色鮮やかな褥裙。
飄逸な華服は歩くと軽やかに裾が上がり、布に取り込んだ色彩に光や暗を受け、ユーリを包んだ。
その姿は、きっと清雅に見えるだろう。
しかし、きつい靴無理矢理履かされ、偏った栄養で弱々しく歩くユーリ。
あれが儚げで男の欲情をそそるなど、美しいなど、生気の無い瞳で舞踊や楽器を習う様子を見てそう
思うのか?
でも、今の彼女ならきっと美しいだろう・・・・。
レオナルトは、目を瞑り、輝くように笑う今のユーリが華服を着ている姿を想った。
別邸に着くと、メイド達に着替えの手伝いを詰め寄られ、何とか断り着替える。
(着替えなんか手伝われたら女だって事が露見しちゃう。)
いきなり入ってこないか冷や冷やしながら着替え、隣の控え室に入るとレオナルトは既に着替え、装
飾品を見定めていた。
レオナルトは貴族達が好んで着る、刺繍が入った長い背広と、膝丈のズボンではなく、仕官の礼装を
着込んでいた。
瞳の色と同じ露草色の詰め襟をすっきり着こなし、背筋良く立つその姿は顔立ちの良さも手伝い軍に
従ずる貴公子そのものだ。
ぼんやりと見とれているとレオナルトが話しかけてきた。
「────そうしているとユーリ、小姓みたいだな。」
「・・・・どーせ。」
かくゆう自分は、その貴族が好む丈長の背広に七分丈のズボンだが・・・顔立ちに西方民族の特長の
彫りの深さが足りないせいか、豪華な飾りが付いた服装を着ると顔負けするらしい・・・。
結果、質素な印象になり地味に頑張る小姓のように見えた。
「そのまま、この屋敷に仕えても良さげだな。」
頬を膨らませたユーリを笑いながらからかい、ますます機嫌を悪くさせる。
「まあまあー。」
笑いながらユーリを引き寄せ、顎を掴み顔を上げる。
「あに・・・!」
突然の口付けに抵抗しようとするが、レオナルトとかなり身長差があるユーリの足は
つま先立ち状態でなお、背筋を目ぇ一杯伸ばしてる為に、身体に力を入れ、拒否をする余裕がない。
それでも、いつ人が入ってきてもおかしくないこの部屋
見られたらいけないと、
いつもは絡める舌をレオナルトの咥内に入れようとしなかった。
それに気づいたレオナルトは口を離し
「いつもは貪欲に絡めるのに、さすがに抵抗を感じる?」
ユーリの耳元で囁く。
「人に見られたら・・・!?」
身を捩って離れようとするユーリをがっしり捕まえ、さらに食らいつくように唇と舌に吸いつく。
抱きしめられ、宙に浮いたつま先をどうにか床に着けようと、じたばたと足を動かすユーリに一言
「落ち着きのない子だ。」
と口を離して呆れたように呟くと
「扉の外で聞き耳を立てているルカ殿に仲が悪いと思われてしまうよ。」
と、耳元で囁く。
─────ルカ様─────?!
驚き、顔を扉に向ける。
レオナルトは、自分から顔を背けた姿勢になったユーリの頬や首筋に音を立てて口付けをしだした。
「あっ・・・駄目・・・。」
ぎゅっとレオナルトの腕を握り、弱々しく拒否を繰り返すが、先ほどの強気な態度がない。
「ユーリは相変わらず首筋が弱いね。」
聞き耳を立てているというルカを意識しているのか、いつものレオナルトの喋りより若干声が大きい。
首筋が弱いのはいつものことだが、
─────本当に扉のすぐ側に?
そう思うと、恥ずかしさで声が出ない。レオナルトは、小さな音や声に敏感で、今、どれだけの距離
にいるのか、大体の年齢や特徴を見極めることができる特技を持っていた。
「長い間の盗賊家業の成果」
と話していた。
だから、レオナルトの言ったことは間違いはないだろう・・・・。
ルカ様が聞き耳を────入るに入れないのだろうか?
それとも、他に理由があるのだろうか?
だから、こんなところで!こういう事をしちゃ・・・・!
そう思いつつ、背筋に走る痺れる快感に身をあがなえない・・・・。
消え入りそうなユーリの拒む声に、香おってきた甘い体臭・・・・。
このまま続けると体臭に酔い、事を済まさないと収まらなくなる。
いつもは積極的か、あからさまな拒否のユーリが、恥じらいながら見せる拒否は大変珍しい。
押し倒したい風情だが仕方ない。
「─────この辺までにしておこう。
夜会が始まっているようだし。」
下ろすと、決まり悪そうに髪を整え、さっと離れ、距離を取るユーリ。
絶妙な頃合いで、扉を叩く音がし、着替えは終わりましたか?と、ルカが入ってきた。
「─────ええ、すっかり。」
何事もなかったようにルカに話しかけるレオナルトと、穏やかな態度を崩さずに応対するルカ・・・。
だけど夜会会場に案内されている間、私によそよそしく感じられたのは気のせいじゃないし、刺す視
線も思い過ごしじゃない。
レオナルトとルカが談笑しながら歩く姿を見てユーリは、浮かれた気分はすっかり消沈していた。
四重奏が奏でる繊細でかつ、華やかな音楽が会場である間に流れる。
色とりどりに着飾った淑女達、礼装の紳士達が飲み物や扇を片手に、音楽を聴き、談話を楽しんでいた。
ユーリは軽食が置いてある卓の側で、一人、黙々と食事を食べていた。
たまに音楽に耳を傾ける。
自国の音楽の調子も音色も随分違う。
こちらの音楽も良いけど、やはり、自国の胡弓や古琴の音が懐かしい。
特に、こういう異国の上流階級の者達の中に一人でいると、心細さからなのか、つらつらと思いだし
てしまう。
────決して、良い思い出ばかりではないのに・・・・。
ちらりと、レオナルトの方を見ると、何人かの淑女達に囲まれ談笑している。
先ほどより、囲む女性の数が増えたのは気のせいじゃない。
眉目秀麗で、女性を引きつける声音と洗練された会話に紳士らしい振る舞い。
自分の魅力を最大限に披露し淑女達を虜にしている。
医師や盗賊やっているときより生き生きしているかに見える。
おかげでユーリはほっぽかれ、控えている小姓・・・・ではなく、壁の花と化している。
後、大きな人の輪を探すと、ルカを中心としたものと、
扇子を片手に長椅子にゆったりともたれ、艶やかな微笑みを絶やすことなく話す、金髪の淑女だ。
頃合いを見て、控え室に戻ろう────夜会が案外つまらない事が分かったし。
────夜会がつまらないのではなく
誰にも相手をされないからつまらないのだと、ユーリは気づいていない────
空腹を満たし、皿を置くとすっと、飲み物が目の前に表れた。
給仕の人かと、それを受け取ろうと顔を向けると中年の紳士であった。
あまり背は高くはないが、整った顔立ちで着こなしている礼服はとても上品で落ち着いている。
「ユーリさん?ですかな?」
「あ、はい・・・・。」
そう返事して飲み物を受け取る。
「シードルです、若い子でも飲みやすいはず。」
ありがとうございますと、口に含む。
甘い味と共に、発砲のはじける刺激が喉を伝う。
─────誰だろう?
困惑している事が相手に伝わったのだろうか
「─────これは失礼、私、ルカの父のアンヘルと言うものです。」
と、軽く頭を下げる。
────グレゴリー辺境伯!!
ユーリは肝をつぶしグラスを置いて慌ててお辞儀をする。
「も、申し訳ございません!何とご無礼をお詫びしたらよいか!」
「────いえ、非をお詫びしたいのはこちらの方です。
昼間は、ルカの乳兄弟のハイメが貴方に狼藉を働いて怪我をさせたと聞きました。
怪我の方は?」
「擦り傷で大したことはありません、返って大げさになってしまい、申し訳なく思っております。」「それは良かった。
「・・・あのこの母はよく使えてくれていましてね・・・制裁をするのが忍びなくて、許していたの
ですが・・・。
それで、いい気になっていたようで・・・我が物顔で振る舞って不貞を働き、苦情が多くなって来た
ところに、ユーリさんの事件で、さすがにルカも私もこのままにはできなくなりました。」
「・・・では処分を?」
グレゴリー伯は頭を振ってハイメの母親には辛いでしょうがと応えた。
「─────ところで、ユーリさんは出身は東方の方で?」
「はい」と頷くユーリ。
「ユーリ、という名は北方の名のはず・・・・出身の方での名は?」
「────忘れました。」
「?」
異国語圏内の国に入る者達の中に、相手が呼びやすいようにと新しく名前を付けることがよくある。
その場合、通行手形に自国名の後に新しい名が記される。
────いや、実際それもしない者も多いのだが────犯罪者や追放者、亡命者など・・・。
特に東方出身の者にエダナム国王殿下は良い意味でも悪い意味でも興味があるらしく、情報を送るよ
う伝達が来ていた。
殿下の東方文化の熱の入れようには、開いた口が塞がらないが、主に仕える者としては主の命令は絶
対である。
しかし、国の海の玄関口を守る伯は、尚更このことには敏感にならなければならなかった。
ユーリと言う名の東方の異人───エダナムに、国王に、害を及ぼす者なのか見定めないと殿下に報
告はできない。
しかし、伯は疑心を悟られぬよう穏やかに訪ねる。
「忘れた・・・というのは?」
「小さい頃に親と死別したものですから・・・。
一人でとにかく生きるのが精一杯で、名前なんか聞く人もいませんし────小さかったから忘れる
のも容易い・・・そうやって生活していたある時に、東方医療の勉強に来ていたレオナルト先生に
拾われたんです。」
「では、ユーリという名は・・・。」
「先生が付けてくださいました。」
と、流暢に答える少年を見て、伯は嘘なのかどうか判断が付きにくかったが、寂しげに微笑みながら
話す姿を見て、信じたい感情が強く、取り合えず『泳がして置こう』────と決定した。
────作り話だ、勿論・・・。
すらすらとレオナルトが作った台詞を喋りながら、『ユーリ』という虚像に慣れていく自分、そして
、いつか、その作り話が自分の過去を埋め、本物と錯覚する日が来るのだろう・・・寂しさと安堵が
混じる・・・。
それを察するようにレオナルトはいつも言う。
『生きるために人買いに売ったお前を、家族が生死の安否をするものか』
────だから、逸話の中で家族が死んだことにしていること位で気に病むことはない、お互い生き
ていく為なのだから、そこに善悪も道徳もない、ぎりぎりの中の人の動物に近い本能の選択なのだ
から────
彼は言った。
あの人は話してはくれないが、泥棒家業をしなくてはならない環境だったのだろう────それが当
たり前で、今にいたって・・・。
だからユーリはレオナルトの家業を咎めなかった。
お互い貧苦の生活を味わっていた本能のみ過去があったのだから・・・。
伯は他に挨拶を回る人がいると言うことで、ユーリから離れたのを見計らうように、
音も立てずに近寄ってきた女性がいた。
「こんばんは・・・楽しんでいて?」
ユーリはその人の美しさを間近で見て、息を飲んだ。
乳白色の肌に金糸の刺繍が入った、Vカットの胸元のドレス。
裾にいくにつれ広がり、優雅に流れている。
肌に溶けるような淡い色の金髪は真珠とダイヤの宝石がついたヘアピンで絶妙に編み上げられ、ドレ
スと良く調和している。
そして、この地方によく見られる琥珀色の瞳は色味が濃いせいか、優しい印象より、意志のはっきり
した女性にとらえられる。
先ほどまで、長椅子に座って紳士達に囲まれていた淑女だ。
(こんなに綺麗な女の人、間近で見るの初めて・・・・)
うっとりと見つめる。
女は紅色にひいた唇に笑みを浮かべユーリに話しかけた。
「あちらに美味しそうなお菓子や果物があってよ。
お話がてらに、一緒に召し上がりません事?」
扇で指した向こう、確かにオブジェのように花と一緒に色とりどりの果物や、お菓子が置いてある。
紳士達の刺す視線が気になりながら、レオナルトの食事指示を思い出し、丁重に断った。
「─────まあ、甘い物はお嫌いなの?」
女は口元を扇で隠し驚く。
「────いえ、決して嫌いなわけではないのですが・・・・甘い物は極力控えるよう医師から指示
があるもので・・・。」
「何かの病で?」
「大したことはありません、念には念をと・・・・。」
買われ先のお屋敷で過ごした二年間・・・・。
短かかったが、ユーリはそこで酷く体調を崩した。
強制の香り付け施術で長いこと寝込み、その後は、甘い物のみしか許されない偏った食生活。
空腹なんか無いはずで、自宅にいたときより衣食住は恵まれていたのに、徐々に体に力が入らなくな
り、動くのが億劫になって・・・・。
レオナルトに言わせれば、甘い物ばかりで血や骨や肉が作れるか?肉ばっかり増えて、体を動かす栄
養を取らないからだ─────と。
しかも、手足が腐る病は甘いものだけの食生活も原因らしいと・・・・知ったレオナルトが甘い物は
自分の許可を得てからにしなさいと日頃から口酸っぱく言われていた。
「甘い物は駄目ですが、甘い会話でしたら喜んで・・・。」
と、柔らかに女の手に触れ、口づけするユーリ。
いつもレオナルトの側にいて、女達との対話を聞いていた成果だ。
男の姿でいる以上、紳士の振る舞いをしなくてはならない。
ユーリは良く理解していた。
女はころころと鈴の音のような声で笑うと
「貴方のようなまだ幼い子にそう言われるのも、悪くはなくてよ。」
そう言うと、すっと、ユーリの耳元に顔を近づけ扇越しに囁く。
「─────『また、会おうよ』・・・と、約束したでしょう?
可愛い娘さん。」
ユーリの顔は瞬時に強ばり、血の気が引いた・・・。
「二人っきりでお話したいわ・・・誰にも邪魔されないところで。
勿論、貴女の先生にもね・・・・。」
(ユーリ?)
いつの間にか、ユーリが夜会の席からいなくなっているのに、レオナルトは気付く。
群がる淑女から押し出されるように輪から外れ、奥で食事をしていたのは見た。
淑女達が気分を害しないよう離れ、一回りするがユーリらしき者は見かけない。
先に控え室に戻っているのかと、部屋に戻るがそこにもいない・・・。
急に不安になってくる・・・。
談話の中で、今、王宮では東方の文化や芸術が流行っていて、その火付け役はエダナム国王殿下、そ
の人だと言う。
そして、一番の殿下の関心が友好関係にあるコルスリフィルの国王から聞いた、『不老長寿』『精力
増大』の効を持つ『桃娘』だと─────
どちらの国王も噂のみの情報でどんな娘なのか、よく知らないらしいというのが幸いだ。
─────やはりこの国は早く出た方が賢明だ────
それにしてもユーリは一体何処に・・・
普通にしていれば、密着されない限りそう香ることはないが、体が上気すれば、強い香りを放つ。
それに酔うだけならまだ良い
ベネボォリ男爵はただ香りに酔っていただけだ────だからまだ助かった
自分みたいに性欲を刺激される相手だったら・・・自分を見失い、性欲を満たすまで獣みたいになる。
(冗談じゃないぞ)
想像するとぞっとする。
とにかく、一部屋ずつあたってみるかと、控え室を出ようと踵を返すと、ルカが入ってきた。
扉に閑を差す。
何だこの部屋、閑が差せるのか、だったらユーリを押し倒しても良かったな。
と、ふっと思いながら、一応ルカの行動にも警戒する。
「ルカ様・・・。」
「ユーリなら、ファルコーネ女子爵の控え室にいますよ。」
ふっと、長椅子にもたれ掛かっていた美女を思い出す。
「あの方も身元は怪しいものですが、サロンを作って若い男達を囲ってましてね・・・・何人か有力
者の息子もいるので放任ですよ・・・・。」
呆れたように話すルカに軽く会釈すると「失礼」と、ルカの脇をすり抜け閑を抜こうとすると、ルカ
がレオナルトの腕を強く握る。
「ユーリが子爵とのお楽しみのところを邪魔する気?以外と嫉妬深いんだね。」
「・・・・・お離し下さい。」
邪魔しに行くのはそんな理由ではなく、もっと深刻な問題です。
と、言ってやりたいとこだが─────それも言えない。
「────!」
突如ルカがレオナルトの胸の中に飛び込む。
「ねえ、誘われればすぐにのるユーリの事なんか忘れてしまえば?
しかも、女になんて・・・・不純じゃないか!」
真性だ─────同姓愛好者の・・・
レオナルトは軽く眩暈を覚えた。
「ルカ様、落ち着いて下さい。」
「落ち着いてるよ!
一目見たときから好きだったんだ・・・・あの人に似てて・・・・。」
「─────あの人?」
その問いに答えず、ルカはレオナルトの背中に手を回し、その広い胸に顔を埋める。
「僕を貴方の恋人にして・・・望む物何でもあげる、ユーリみたいに拒否しない────貴方の望み
通りにして良いから・・・・。」
『四重奏』前編 終わり