「…お前なぁ…」
呆れたような声が、司にむけられる。正直、返す言葉が見つからない。
「…すいません…」
もうこれしか言葉がありません、という切迫した表情の前には、一枚の紙。詳しく言うと、答案用紙。
さらに詳しく言うと、先日の日本史の期末試験の答案用紙。さらにさらに詳しく言うと、そこには29という赤い数字。
放課後の教室に二人残った司と隆也の間には、どうにも物悲しい空気が漂っている。
それを破るように、ため息とともに隆也がからかいの言葉をかける。
「まったく、俺に見とれて授業聞いてなかったのか?」
「違います」
きっぱりと。それはちょっと隆也には悲しいぐらいにきっぱりと、司は断言する。
そのくせ恥ずかしそうに目を伏せて、ぼそぼそと言い訳を始める。
「…授業はちゃんと聞いてましたよ…ただ…」
「ただ?」
視線がこっちに向かない。どうしたのかと考えていたら、どうにも恥ずかしい告白が。
「…先生と…したときのこと、思い出しちゃって…」
今度はこちらが、返す言葉が見つからない。流石に照れる。
「…あー…」
などと、間の抜けた返答だけして、司の顔を観察する。
女の子にしては多少男らしいが、男にしては女の子っぽい。
不思議な雰囲気のある顔が、今は完全に女の子の表情で、頬を赤くしている。
「…だから…その、集中できなくて…」
「…まぁなんだ…いや、俺も悪かったな…うん」
しばしの沈黙。とはいえ、少なくとも学校での立場は教師と生徒。このままでいいわけがない。
「っつってもなぁ。お前今まで半分は取れてたんだから、これからもこうだと困るよな…お互いに」
「…はい」
理由が理由なだけに、今後もこういった事態は予想される。かといってあの日のことは忘れろ、というのは流石に酷だ。
そこまではさせたくない。自分だって忘れたくはない。
ふとその記憶をたどって、一つの疑問を思い出した。
「そーいやお前、処女じゃ無かったよな。前に付き合ってた奴とかいるのか?」
「…それを今ここで聞きますか」
あ、怒った。多分怒った。それもそうかと反省し、話を戻す。反省したわりには口調は軽い。
「いや、申し訳ありません姫。失礼いたしました」
「…先生?俺からかっておもしろいですか?」
今度こそ本気で怒ったらしい。
司はガタンと椅子を倒しそうな勢いで立ち上がり、答案用紙をカバンにつっこんできびすを返す。
「あ、おいちょっと!」
「追試はちゃんと点取りますからご心配なく。処女じゃあるまいし、いつまでもひっぱりませんから」
捨て台詞、というにしても辛らつな厭味をはいて、まるで喧嘩別れで教室を出ようとする。
「待てって言ってるだろうが!…なぁ、謝るから機嫌直してくれないか?」
その肩を掴んで呼び止めて、隆也は打開策を見出す。
「…あ、そうだ、俺が勉強みてやるよ。俺にも責任はあるしな。問題は教えられないけどよ」
その提案に、司は不機嫌な顔のまま振り返る。
「…教師は生徒に不公平じゃいけないんでしょ?」
「…あのな、いつまでも拗ねてるなって。今更お前を普通の生徒として見れるわけないだろうが」
苦笑して言ってやると、むくれたままの頬に赤みがさす。
「………じゃあ、お願いします」
「うけたまわりましてございます。じゃあ、明日俺んちこいよ。お前のとこじゃ流石にマズイだろ?」
…迷った。
正直司は迷った。休みの日は女の格好をすることが多い(といってもサラシを巻くのが面倒なだけだが)。
かといって、女子生徒が教師の家に遊びに行くのはどうかと思う。
自分はバレなければいいとしても、隆也の世間体にはだいぶ傷が付くかもしれない。
それでもちょっと、可愛らしい格好をして驚かせてやりたい気もする。
…迷った。
「…こんにちはー」
迷った挙句、結局男の格好のまま隆也を訪ねた。
変に色気づいてからかわれるのも癪だし、意識しすぎたら勉強しに来た意味が無い。
「おう。なんだ普通のかっこだな。もっと気合いれてくるかと楽しみにしてたのに」
やっぱりからかう気だったんだとため息をついて、それでも隆也の私服姿に少し胸を躍らせている。
「なんで勉強しに来るのに気合入れてくるんですか…」
「ま、それもそうだけどよ。ささ、どうぞ姫様おあがりください」
「ハイハイ、失礼いたしますっと」
爽やかに笑う隆也の後について冷房の効いた部屋に足を踏み入れて、思わず司はきょろきょろと中を見渡す。
片付けた後らしくきちんと整頓されている。
「さて…なんか飲むか?暑かっただろ外。」
「あ、できれば冷たいお茶か水で」
言いながら適当なところに腰を下ろす。同級生たちの部屋とは決定的に何かが違う。
そう感じるほどに、ドキドキと胸が高鳴る。身体が熱い。暑い中自転車をとばしてきたからだ。
顔が火照っているのがわかる。はやく静まればいいのに、と思っていたら、うなじに襲撃が。
「っひゃっ!?」
驚いて後ろを振り返ると、隆也がおもしろそうに冷たいグラスを押し当てていた。
「うん、いい反応だな」
「…どーゆー意味ですか…」
隆也は司の問いには答えず、正面に座る。
「さて、さっそく始めるかな。試験範囲どこからどこまでだか覚えてるか?」
教科書を開いた司は、角の折られたページを探し当てる。
そこから黙々と、勉強会が始まった。
「………」
「………おい」
「え?」
黙々と問題を解いていた司に、唐突に声をかける。かけられた方は不思議な顔をしいる。気付いていないようだ
「なんだ徳川康康って」
指差してやると、間抜けな声があがる。
「あ、ほんとだ」
「あ、ほんとだ。じゃないだろ。ほんとに集中してんのか?」
誰のせいだ、と司は口ごもる。
正面からじゃ見えにくいから、とか言って真横に座って、ずっと手元や顔をのぞきこんできて。
集中なんてできるわけがない。
「…やっぱ俺がいると集中できないか?」
そのとおり、というのは悪い気がする。
「う…でも、追試のときも先生が監督ですよね…?」
「うん、まぁな。しかし困ったな。そうなると追試も…ってことになるな。…そんなに良かったか?アレ」
教育者として話していたはずなのに、いきなりそこに話題をふる隆也の思考回路が、司にはわからない。
思わず顔を赤くして、くってかかる。
「い、いいとかって話じゃなくて…わざわざ思い出させないでください!」
もっともな反論にも、隆也は飄々としている。
「いや、あの時のお前が可愛すぎて…今と違いすぎてて、つい」
「…っどうせ可愛くないですよ」
ぷいと顔を背けると、後ろから抱きしめられた。
「いや、可愛いぞ、今のお前もな。生意気なところも全部ひっくるめて、って言っただろ?」
「…だからってセクハラは禁止」
身じろいで、腕から抜け出そうとするのを無理やり抱きしめる。
「…先生?」
不審そうに聞く司の耳元に口を寄せる。
こんなことを言ったら、本気で怒るかもしれないが。
「イヤだったか?」
顔は見えないが、すぐに言葉が返ってこないからきっと、表情は凍り付いているのだろう。
「…っなんで今更、そんな…」
「なぁ、イヤだったか?…だから忘れられない?」
司がうつむく。黙り込む。分っていてやったとはいえ、さすがにちょっと言い過ぎたか。
ごめんと言う前に、少し震えた声が耳に入った。
「…忘れたくない…嬉しかった、から」
あぁ、ちょっと泣かせるのが早すぎた。三回目にして後悔。
「ごめん。だよな。わかってた」
「…じゃあ、なんで」
声が泣いている。本気で後悔。というか、大人気ない。
「…ごめん。聞きたかったんだよ、お前の本音が」
これは本心だ。
司の後ろ頭に額をつけて、しっかりと抱きしめる。
まだ震えている声が、耳に刺さる。
「………先生は?」
問いの意味を反芻している間に、たたみかけるように問いが続く。
「先生は、忘れたいんですか?俺としたこと、後悔してる?」
「…馬鹿言うな。俺だって忘れたくねぇよ…」
言って少し照れるが、これはこれでいい雰囲気だ。
手を動かそうと下心を持って束縛を緩めると、くるりと司が身を反転させて向かい合わせになった。
泣き顔で見上げられると、この間のことを思い出さずにはいられない。
抱き寄せようとする前に、抱きついてきた。
「…せんせ」
耳元で可愛い声を出されると顔が緩む。思わず頭を撫でてやる。
「うん?」
普通に声をかけてやったつもりなのに、しばらく返事がない。
どうしたのかと顔を覗き込もうとしたら、どうしようもなく可愛い台詞が聞こえた。
「…好き」
「…ほんとに可愛いなぁ、お前は。」
恥ずかしい。
司の顔は火照って、それを隠すように隆也の肩口に押し付けられる。
頭を撫でていた手が耳の後ろをなぞり、うなじに唇が押し当てられる。
「んっ…先生?」
「………」
司が大人しいのをいいことに、ゆっくりと背中をなでつづける。
背に回された腕の力が抜けたのを感じて、服の中に手を差し込む。
「っ、先生!」
「しようか?」
抗議をあっさりといなして、核心を突き出す。
司は身体を離してまっとうな反論を述べる。
「…俺、勉強しにきたんですけど」
「集中できねーんだからしょうがないだろ?それにさ」
耳元で囁いてやれば、きっともう何もいえない。
「俺がしたい。お前と、今したい。嫌か?」
「……っ」
予想通り、司は固まって、それを勝手に無言の肯定と受け取る。
「ん……」
軽く頭を抱き寄せて、柔らかな唇を角度を変えながら何度も啄ばんで、舌でなぞる。
目を覗き込んでやると、恥ずかしそうに伏せる。頭を撫でたら、今度はこちらが目を覗き込まれた。
「…先生、まさか最初からするつもりだった?」
なかなかいいところをついてくる。
「………あわよくば」
「…サカリのついた雄ですか」
あきれた、という司の言葉が多少耳に痛いが、ここまできてやめるつもりもない。
「俺も男だからな」
言って唇を塞いで、さっそく司の服に手をかける。色気のない男物のシャツに、ハーフパンツ。
「っん、ちょっ、先生!」
シャツのボタンを一つ二つはずしたところで、また呼ばれる。
「ん?あぁ、お姫様はベッドじゃないとダメなんだっけか?」
「ぐ…」
姫、という単語を使えばすぐに赤面して黙ってくれる。
「ではまたお連れしましょうかね。可愛い姫君の機嫌を損ねるのは本意ではありませぬゆえ」
「…好きに致せ」
悪ふざけにのった姫の額にキスして抱えあげると、大人しく首に腕を回す。
さっさとベッドに下ろしてそのまま覆いかぶさると、抵抗がない。
―先生の匂いがする。
ドキドキと心臓が鳴っているのはきっと自分だけだろう。
少し強張った司の表情に、思わず苦笑する。
この間はどうだったっけと思い出そうとして、そういえば顔は見えなかったんだと今更気付く。
「ん…んむ……」
「…ん、んぅ…っは、先生…ん…」
舌を差し入れ口内をつつき、さらに舌を絡めとって唾液を交換する。
最初は控えめだった舌が徐々に積極的に絡んでくると、艶を帯びた息が漏れる。
「ん、ちゅっ…自分で脱げるか?」
この体勢でサラシを脱がせるのは難しい。聞いて、首筋に口づけてやる。
「…んはっ…ん、子供じゃ、ありませんから」
返事に笑顔を向けて少し身体を離してやると、シャツのボタンをはずしていく。
じっと見ていたら、赤い顔が少しむくれて言ってきた。
「…先生、邪魔」