「アレン」

オレは全てを理解していた。


「もしもオレかアレンのどっちかが死ぬときは、俺の本当の名前を呼んで欲しいんさ」


だからこそ彼に、残酷なその一言を贈ったのだから。
















True Name
     Lavi side
















「アクマ破壊の任務?」

手元にある一枚の地図を見ながら、ラビはそう聞き返した。地図から目を外し目の前に座るコムイを見ると、コムイは資料の山に囲まれながらもにっこりと笑顔で頷く。広くも相当散らかり、本やら書類やらが床を覆いつくしている司令室にいるのはラビとコムイの二人だけ。ソファーに座っているのは当然ラビのみで、与えられたその任務が自分ひとりだけの任務であることを示していた。

「そう。ここからも割りと近い町でね、アクマが大量発生してるんだって」
「ほー」
「探索部隊がイノセンスはないってことは突き止めたんだけど、これ以上アクマが増えると大変だからね。レベル1ばっかりらしいから、ラビ1人でも大丈夫でしょ。それに、今は動けるエクソシストも少ないし、ブックマンはもう少しお借りしたいから」

そういえばアレンも神田も別々の任務に出ていて、リナリーは科学班の手伝いで忙しく、ここ最近は遊び仲間がいなくて少し寂しい思いをしていた。師匠であるブックマンも科学班やら他の班やらに引っ張りだこで、ここ最近の修行は自習のみ。はっきりいってつまらない。他のエクソシストの状況も頭の中で反芻すると、そんな状況で動けるのは確かに自分だけなことがわかる。
ラビはコムイに笑顔を返すと、ホルダーに差し込んでいた槌を手に取り、器用に片手でくるくると弄び始めた。

「わかったさ、ちょっくら行ってくる」
「まぁすぐ終わるでしょ、もしかしたら今日中に帰ってこれるかもしれないし。とにかく行ってらっしゃい。油断は禁物ね」
「へーい、行ってきます」

ラビは地下水路に向かって歩き出しながら、ひらひらとコムイに手を振る。ぐしゃ、と足元で書類が皺になる音がしたが、この際それは気にしないことにした。





地下水路に向かうための階段を下りる。カタン、カタン、と足音が不気味に響いて木霊し、ここには誰一人としていないというような、そんな錯覚さえ覚える。だが階段を下り切ればそこには一人の探索部隊が小船に乗り込み、ラビを待っていた。探索部隊はアクマを破壊することができない。大方案内役というところだろう。
よろしく、と言って笑いかけると、探索部隊も嬉しそうに笑い返した。エクソシストは、探索部隊の憧れの存在。探索部隊とは違い、イノセンスに選ばれた者にしかなれないからだ。探索部隊もアクマをこの世から全て消滅させたいと願っている、だがそれはエクソシストにしかできないこと。だからエクソシストは、探索部隊の憧れの存在となるわけだ。
ラビが乗り込むと、その探索部隊はゆっくりと漕ぎ出した。

最初の挨拶以降は会話をすることもなく、訪れるのは沈黙。オールが水を掻く音がいちいち響き渡り、それがさらに沈黙を際立たせる。目を閉じれば、そこは完璧に孤独の世界だ。人の声はまったく聞こえない、聞こえるのは寂しげに響く水の音だけ。ラビは自分のバンダナにそっと触れた。だが何もすることなく、溜息をつくとその手を外す。
そろそろ短い船の旅も終わる。これが終われば、自分は任務を遂行するためにアクマを破壊するのだ。
それが今の、任務だから。









「火判ッ!!」

大声で叫びながら、ラビは槌を地面にたたきつけた。すると地面に『火』の文字が現れ、最後のアクマの大群を全て灰に還す。それを見送ってから、ラビは大きな溜息をついて倒れるようにその場に座り込んだ。最後の大群が8体だったから、合計で86体も破壊したことになる。運良く全てレベル1だったため一回一回は苦労してはいないのだが、流石にここまでアクマを破壊すると疲れる。目の前に広がる、アクマの残骸。半分は灰になり、半分は砕かれ、弾丸を精製する血がそのあたりに散っている。
ラビは立ち上がって団服の土や返り血を払い、探索部隊の待つ場所へと向かった。もう西の空が真っ赤に染まっていて、東の空は闇に包まれつつあるが、今日中には教団に帰れるだろう。アレンやユウは帰ってきているだろうか。そんなことをボーっと考えていたら、後ろから声がかかった。


「久しぶりぃ、兄弟」


聞こえてきた声はこのおぞましい風景とは似ても似つかない、かわいらしい少女の声だった。ピタリ、とラビの足が止まる。ゆっくり無表情で振り返ると、そこにいるのは声から予想のつく小さな少女。だがその額には聖痕が刻まれ、肌は浅黒い。フリルやリボンを多用した女の子らしい服に、持っているのはかぼちゃ頭がついた奇妙な傘。少女は、ロードという<夢>のノア。ラビたちエクソシストと敵対する存在。
だがラビは何もせず、ただ黙って無表情のままロードを見つめていた。ロードはにんまりと怪しい笑顔をラビに向ける。

「お迎えに来たよぉ〜。わかってんでしょぉ?」

ロードは傘の先端をラビに向け、バンダナをその傘で取り払った。はらり、と橙色の髪が額を覆う。それでもラビは無表情で抵抗もしない。ただぼうっと突っ立っているだけだ。その髪もロードはさらりと払うと、そのラビの額にあるのは、ロードと同じ、7つの聖痕。ノアの証であるものだ。
ラビは自分を嘲笑うような笑みを浮かべると、その少女の額の聖痕にそっと触れる。

「同じものが、俺の額にもあるんだろ」
「そうだよぉ。これが額に出てきた瞬間から、もうあんたはエクソシストじゃなくてぇ」
「ノア、な」

少女は満足げに笑みを浮かべ、ごろごろと猫のように喉を鳴らした。


ラビは気付いていた。毎晩毎晩自分を襲う苦痛と、全ての終わりを告げる終焉の夢。それは日を重ねるごとに強くなっていき、死を望んだことも何度もあった。そして徐々に濃く刻まれていく、額の聖痕。


気付かないはずがなかった。自分の中に流れる、様々なものの血や遺伝子、その中の一つであるノアの遺伝子が目覚め始めたことを。


その日から、自分が教団を出て行かなければならなくなるのは決定していたのだ。この聖痕を持つ者は、教団にいてはならない。全身を支配する殺戮欲。あのイノセンスという悪魔に魅入られたエクソシストという存在を壊したくて仕方なくなる。自分の手にある対アクマ武器も、何度壊してしまおうかと思ったことか。だがそんなことをすればその瞬間から教団にはいられなくなる。―――今までホームとして慕ってきた教団には、なるべく長くいたいというのがラビの願いだった。
だが聖痕が出始めたあの瞬間から、自分がいるべき場所が教団ではないことなど決まっていたのだ。

「……帰ろうか、オレらの家に」
「…ふぅーん、案外あっさりしてるねェ。もう少し嫌がるかと思った」
「残念そうだな、嫌がってほしかったん?」
「うふふ、ちょーっとねぇ。嫌がるところを無理やり連れて行く気満々だったのにぃ」
「馬鹿にすんなさ」

ラビはパッと手を開き、槌を地面に落とした。それから汚れた団服までもを投げ捨て、空を見上げる。


「オレはブックマンだ」


その言葉を聞いたロードは高らかに笑って、ぎゅぅっとラビの腕にしがみつく。

「ラビ、おかえりぃ」
「ラビって呼ぶなさ、もうラビじゃないんだから」
「ふぅーん? じゃぁ、だぁれ?」

好奇心旺盛な瞳できかれ、ラビはにこりと微笑んだ。だがそこにあるのは確かに寂しさの影で。それでもラビは、小さく口を開いた。



「――――」



そして新しい名前を、50番目の名前を、ロードだけに聞こえるようなか細い声で言った。









『彼』は歩き出しながら、また空を見上げた。真っ赤な空。血を連想させる、嫌な色だ。




(ユウ、リナリー、………アレン)



許してくれとは言わない、言えない。
だけど。



(……ごめんさ)



どうか、俺のことを憎んで。『ラビ』のことは忘れて、ただノアである『オレ』のことを憎んで。






身勝手なのは わかってる けど。















(07.06.24 Remake)