そんな君が好きだから
鉢屋・不破編


チケットが余ったからという理由で、鉢屋先輩と不破先輩の二人に映画に誘われた。今話題の作品だったので興味もあり素直に誘いを受けた。

当日、映画館に着いた私たちは、画面の見易い真ん中辺りに座ることにした。

「すごく怖そうだけど、大丈夫かな?」

パンフレットを見ながら不破先輩が不安そうな声を発した。
紙の色は真っ黒で、字は血を思わせるような赤色だけしか使われていないので、さらに怖さが強調されている。
今から見る映画はホラーもので、有名な監督が指揮をとっていることから公開前から評判になっていて、テレビでも何度もCMが流れていた。

「不破先輩は、怖いのダメですか?」
「あー、うん、ちょっとだけ」

私の言葉に不破先輩が微苦笑を浮かべた。情けなくてごめんねと付け加えた言葉に、私は首を横に振った。

「そうだ。手を繋ぎますか?」
「……え?」

私の言葉に不破先輩は驚いた表情でこちらを見詰めた。

「いえ、以前、友人と映画を見に行ったことがあるんですけど、その子、海外のホラーものがダメだった見たいで、手握ってて欲しいって頼まれたことがあるんです。だから、落ち着くんだろうなって思って……あ、すみません、暑いし嫌ですよね」
「う、ううん、嫌じゃない!」

引っ込めようとした手を不破先輩が慌てて掴んだ。

「そうですか? じゃあ、繋ぎましょうか」

笑みを浮かべて告げると、不破先輩は少しだけ頬を染めて嬉しそうに笑んだ。

「お取り込み中のところ悪いんだが、私の存在を忘れないでもらえるか」

私の直ぐ右側から覚えのある声が聞こえてきた。

「あ、鉢屋先輩、いつから居たんですか?」

飲み物を買ってくるから席取っといてと告げて売店にいった鉢屋先輩が、いつの間にか私の右隣に座っていた。
先輩は、私の台詞に不機嫌そうに眉根を寄せた。

「ジュースやらないぞ」

手にしている紙コップが視界に入る。ちょうど喉が渇いていたので、それがとても魅力的なものに見えた。

「欲しいです」
「だったら、その手を早く離せ」

そして、鉢屋先輩の視線は、私たちの手元に向けられた。そういえば、不破先輩は私の手を握ったままだった。鉢屋先輩の視線を受けて、不破先輩は私から手を離した。
それと同時に私の手には紙コップが握られる。

「オレンジジュースにしといたから」
「ありがとうございます」

お礼を告げると、先輩は満足そうに頷いて、もう一つを不破先輩に手渡した。

「三郎ありがとう」
「ん、150円な」
「お金取るんだね」

笑みを浮かべて手のひらを出した鉢屋先輩に不破先輩は呆れた声を発した。

「じゃあ、これで」

私は、鉢屋先輩の手のひらに500円玉を一枚乗せた。すると、先輩たちが驚いた表情でこちらを見る。

「三人分ですよ。あ、おつりはいりませんから」
さん、自分の分は自分で出すよ」
「いいえ、今回のチケットは先輩がくれたものなんですから、これくらい奢らせてください」

ジュース代まで出してもらうのは、気が引けたので、御礼の意味も含めて3人分のジュース代を払ったというわけだ。私がそう告げると、先輩たちは互いに困った笑みを浮かべた。けれども、突っ返されても受け取る気はない。両手で紙コップをもって両手を塞ぎ、受取拒否の意思表示をする。

「仕方ないな。って変な所で頑固だしな」
「うん、頑固だもんね。仕方ないよ。今回の厚意は受け取ろうか」

二人は、私に対して失礼とも取れる発言をしながらも、お互いに納得したようだった。先輩に口で勝ったような気がして私は自然と口の端が上がった。

そんなやり取りをしている間に、上映時間が近づいてきたのか館内アナウンスが流れ、照明が薄暗いものに変わった。それを合図に、私たちは画面に集中する為に互いに姿勢を正しなおした。

「あ、不破先輩」
「え、何?」

こそりと小さな声で声をかけると、いきなりのことに驚いたのか先輩は勢いよくこちらに顔を向けた。

「手、どうぞ」

上映中に急に繋いだら逆に驚かせるだろうから、今のうちに言っておこうと思い、左手を差し出した。

「う、うん、ありがとう」

先輩は、照れくさそうに笑みを浮かべてそっと私の手を握った。こういうところが、世間の女性の母性本能とやらを擽るのだろう。少しだけ気持ちが分かる気がする。不破先輩は、優しいし困っていると手を差し伸べたくなる気質がある。

「じゃあ、私も繋がせて貰おう」

すると、右側から楽しそうな声が聞こえた。視線を向けると、薄暗い中でもニヤニヤと笑みを浮かべた鉢屋先輩の顔が見えた。

「……鉢屋先輩は、絶対に怖いの平気ですよね?」
「今日から苦手になった」
「いやいや、あからさまに嘘じゃないですか」
「だって、雷蔵だけずるい」

先輩が頬を膨らませながら告げた。ずるいって、どこの子どもだ。しかし、だからといって良いとは言えない。私の手は二つしかない。一つは不破先輩の手と繋がっていて、もうひとつはジュースの紙コップを持つために使われている。つまり、鉢屋先輩と繋ぐ為の三つ目の手はない。

「手が塞がってるんで諦めてください」
「……じゃあ、その紙コップ捨てて」
「まだ一滴も飲んでません」

というか、自腹で買ったジュースを捨てるなんてそんな勿体無いことができるか。

「じゃあ、私が飲んでやる」
「ちょ、止めて下さい零れます」
「三郎。館内で騒ぐなって、迷惑だろ」

私の手から紙コップを奪おうする鉢屋先輩から逃れようとしていると、見かねた不破先輩が鉢屋先輩に注意した。
その声に、鉢屋先輩の動きが止まる。

「雷蔵だけ、ずるいぞ」
「それは、だって、折角の機会、だし」

鉢屋先輩の言葉に不破先輩はもごもごと口の中で何か呟いている。
しかし、そんな状況もお構いなく、上映の始まりの合図がなった。

私は、画面に視線を向けた。





画面にエンドロールが流れ始めると、興味のない客が席を立ち周りが少しだけざわつき始めた。

「こわかった、ね」

不破先輩は気が抜けたようにぽつりと呟いた。
時折びくりと体を震わせていたのが繋いだ手のひら越しに伝わってきたので、その様子はよく分かった。

「脅かし系が多かったですね、無音の後の大音量は反則だと思います」
「う、うん。静かな空間でいきなりガラスが割れるのは吃驚した」

私の言葉に不破先輩は同調するように頷いた。
無音になった後は何かあるだろうなと構えていても、急に叫び声や効果音が響いたら、思わず体が反応してしまう。きっと不破先輩は、そういう吃驚系が苦手なだけで、極度の怖がりという感じではなさそうだ。

「つまんなかった」

ぽつりと別の声が耳に届いた。視線を向けると、鉢屋先輩が不機嫌な表情を浮かべていた。

「そうですか? それなりに面白かったと思いますけど」
「そうじゃなくて、がちっとも怖がってない」

その言葉に私は呆れた表情を浮かべた。
鉢屋先輩は、他人をからかうのが好きな人である。だから、今回、私をホラー映画に誘ったのも、私が怖がるのを傍で見て楽しむつもりだったのだろう。

「だから、慰謝料ちょうだい」
「……はい?」

にっこりと効果音が聞こえてきそうなほど爽やかな笑顔を浮かべて、鉢屋先輩は、手のひらをこちらに出した。爽やかとはいうが、鉢屋先輩が素でこんな笑顔を浮かべるはずがない。明らかに楽しんでいるのが見て取れる。

「慰謝料って、意味が分からないんですけど」
「そう? 私を楽しませなかった罰ってことだから、あってるだろ?」

めちゃくちゃだこの人。面白くなかったのは、鉢屋先輩の勝手で私のせいではない。だから、私が罰を受ける必要性は全くない。

(捨てて帰ろうかな)

そんな酷いことを私が考えていると、すっと私の前に陰が差した。
視線を向けると、少しだけ怒った表情を浮かべた不破先輩が立っていた。

「三郎、いい加減にしろよ」
「……雷蔵」
「そんなことの為に、さんを映画に誘ったわけじゃないだろう? 楽しんでもらう為なのに、不快にさせてどうするんだよ」

その言葉に私は内心で驚いていた。
映画に誘われたのは、私が一番暇そうにしていたからだとばかり思っていたので、まさか先輩たちが私を楽しませる為に誘ってきたとは思わなかったからだ。

「……分かってるけど、ずるい。雷蔵だけ、ずっと手繋いでたじゃん」
「……! そ、それは、えっと、」

鉢屋先輩が呟いた言葉に、不破先輩は慌てて弁解の言葉を述べようとしているけれども、言葉にならないようで、ただ頬は赤く染めるだけに留まった。

(段々と論点がずれていってるような?)

映画の話をしているのに、いつのまにか手を繋いだ繋がない云々に話が挿げ替わっている。

「あー、さぞかし柔らかかったんだろうなぁ?」
「さぶろうっ!」

そして、私を差し置いて何だか盛り上がっている。だがしかし、張本人がいる前でそういう話をするのは如何なものだろうか。たとえ不破先輩が、私の手がお気に召さなかったとしても、ここではっきりとは言い辛いだろう。

自然と私は自分の手に視線を向けた。マニキュアもしていないし、指だってそれほど長くはない。園芸部に入ってからは土いじりの為に爪も短くしているし、所々荒れている。はっきりいえば飾り気のない手だった。


「……手を繋ぐなら、綺麗な方がいいよね」

デコレーションされた爪に興味がないわけではない。荒れていない綺麗な手にも憧れる。それでも、これが今の私の手だ。自分の手が荒れる代わりに、綺麗な花や野菜が育っているのだと思うと逆に誇らしく思える。

それでも、繋ぐならば、やはり綺麗な手だろう。



「あ、はい、すみません。出るんですね?」

漠然とそんな感想を漏らしていると、鉢屋先輩の私を呼ぶ声が聞こえて、ここが映画館内であることに気付いた。エンドロールは既に終わっていて、客もほとんどいない。慌てて立ち上がる。

「ごみ、貸せ」
「え?」

聞き返す前に手にしていた空になった紙コップを奪われた。

「ん」

そして、鉢屋先輩は空いた方の手をこちらに伸ばしてきた。
意味が分からず首を傾げる。

「手を繋げ」
「はい?」

いきなりのことに意味が分からず首を傾げる。すると、隣にいた不破先輩が軽く笑んだ。

さん、僕とも手を繋いでくれる?」
「へ? え?」

差し出された手を交互に見遣っていると、痺れを切らしたのか二人が私の手を掴んだ。左手は不破先輩に、右手は鉢屋先輩に繋がれているので、私は必然と彼らの間に挟まれる形になる。

意味が分からず、不破先輩に視線を向けると先輩はニコニコと笑みを浮かべているし、反対側の鉢屋先輩に視線を向けると、何故か不機嫌そうにそっぽを向いていた。

「あ、あの」
さんと手を繋ぐの、嫌じゃないよ?」
「え?」
「じゃないとこっちから繋げなんて言わない」

不破先輩に続けるように鉢屋先輩の声が響いた。

(もしかして、さっきの呟き、聞こえてたのかな?)

だから、先輩たちは急に私の手を握ってきたのだろうか。
だとしたら、なおさら恥ずかしい。自分はただ愚痴を言っただけなのだ。

(でも、嬉しいな)

こうして、手を繋いでくれる。その気持ちがとても嬉しかった。

「ありがとうございます」


だから、私は、握る力を少しだけ強めた後、笑みを浮かべてお礼の言葉を告げた。





100722



▽おまけ会話



さん、この後、お茶でも飲みに行く?」
「そういえば、この近くにが好きそうなカフェがあったな」
「行きます!」
「甘いものになると即答だな。太るぞ」
「うっ、それは言わないでください」
「まあまあ、今日くらいはいいじゃない」
「仕方ないな、行くか」
「はい!」