「付き合って欲しいの」
「―― え?」
委員会の来月の予算費を考える為に教室に居残って作業をしていた。そうしたら、忘れ物を取りに来たらしいクラスメイトの女の子が入って来て、そこから何気なく会話が始まった。けど、いきなり彼女が黙ってしまったので、どうかしたのかと顔を上げた所で、いきなりそう言われた。
力を入れすぎたせいか手にしていたシャーペンの芯がポキンと折れたのが分かった。けど、ノックを押し直す余裕もなかった。パチパチと瞬きを繰り返すけれども、目の前の彼女の頬は赤く染まっていて、さっきの台詞が嘘ではなかった事を物語った。
付き合ってということは、俺に彼氏になって欲しいということだろう。以前に三郎がクラスの男子に結構人気があるみたいだぞって言っていたのを耳にしていた。だから、彼女が可愛い事くらい知っていた。だから、嬉しかった。こんな可愛い子が俺と付き合いたいと言ってくれたのだ。
俺で良ければと、そう告げても良かった。良かったはずなのに――なぜか、口はそう紡いでくれなかった。まるで、その言葉を忘れてしまったかのように音になってくれなかった。
なんでだ? 俺は別に、この子のことを嫌いじゃない。付き合ってもいいと思った。けど、言えない。何かがストッパーになっている。
「……やっぱり」
俺が戸惑っていると、目の前の彼女がポツリと呟いた。
「竹谷君、好きな人、いるよね」
「え?」
言われた言葉に思わず声が漏れた。
好きな人? そんなものいない。いたら付き合っても良いなんて思わない。でも、実際、付き合いたいという言葉は出てこなかった。なぜだ?
「うん、いいの……分かってたんだ。無理だろうなって」
カタンと彼女が音を立てて席を立った。
「竹谷君の想いが、その子に伝わるといいね」
泣きそうな笑顔を浮かべて彼女は教室を出て行った。
数分ほど固まっていた。けれども、謝らなきゃいけないことに気付いて慌てて席を立った。ガタンと大きな音が響いたが気にしない。
どこにいったんだ? 帰るならば玄関を必ず通る。だとしても、階段は東と西の二つがある。どっちから階下に行ったんだ。どっちでもいい。違ってたら、追い越して玄関で待ち伏せればいいんだ。
そうと決まれば、こっちだ! そう思いながら、階段を駆け下りた。
バタバタと煩いと言われかねない音を立てながら俺は、一階を目指した。
「うわっ!?」
「ひゃっ!?」
もう直ぐで一階だと思っていたら階段の中腹に人がいて、ぶつかりそうになった。相手は、俺の叫びに吃驚して肩を大きく揺らした。慌てて手摺りを掴んで勢いを止めた。
「わりぃ! 急いでるんで!」
そう告げて相手を追い抜いて、そのまま降りようとした。
「竹谷先輩?」
けど、その呼びかけに足がピタリと止まった。さっきまで急いでいたはずなのに、その気持ちが何処かに吹っ飛んだ。ゆっくりと声のした方に顔を向けた。
「?」
名前を呼ぶと相手は不思議そうな顔をして首を傾げた。
「どうかしたんですか? あっ、もしかして、また下級生が虫でも逃がしたんですか?」
「いや、そうじゃねぇ、けど……」
自然と歯切れが悪くなる。まさか告白された子に謝るために追いかけていたなんて、言えるはずもない。いや、知られたくなかった。
ん? なんで、こいつには知られたくないなんて思ったんだろうか。は、俺にとって可愛い後輩だ。生物委員は、性質上、男ばかりの委員なので、異性の後輩が出来たのは初めてだ。だから、尚更に嬉しかった。楽しくて心地が良くて。けど、ときたまドキドキさせられるし、他の男と楽しそうにしているのを見てると俺がいるのにってムカついてしまうくらいに可愛い後輩だ。傍においておきたいと思える存在だ。
『竹谷君、好きな人、いるよね』
……ちょっと待て、俺。
何故、のことを考えているときにその台詞を思い出したんだ。
そもそも、なぜ彼女は俺に好きな人がいると言ったのだろうか。
しかも、まるで俺の片想いみたいな言い方もしていた。どういうことだ?
「竹谷先輩?」
「うわっ!」
いきなり目の前に、の顔があって驚いた声を発してしまった。そう言えばここは階段の中腹で、俺より数段上にいるの身長は、ちょうど俺と同じくらいに並んでいるので、顔が直ぐ傍に見えたのだ。
俺の驚きの声に彼女も驚いた後、眉根を寄せた。
それが、直ぐ近くではっきりと見えるものだから、俺の心拍数は自然と上がった。
「どうかしたんですか? さっきから、ずっと変ですけど」
「へ、変じゃねぇよ」
声が上ずった。誤魔化しが全く説得力のないものになった。
「!?」
すると、少し冷たい手が額に当てられた。
吃驚して俺は何も言えなかった。これくらいの接触は普段もやってたんだから、別にどうってことないはずなのに、今日は変だ。すっげぇ緊張する。
「んー、ちょっと熱いですね。熱あるんじゃないんですか?」
「そ、そうか?」
そう告げて離れていった手を名残惜しいと思ってしまった。
俺、本当に変だ。いつもなら何とも思わないのに緊張ばかりしている。さっき告白されたせいで、どっか思考が壊れたのだろうか。
「早く家に帰ったほうがいいですよ?」
「でも、委員の予算案立ててる途中だし」
そうだ。教室開けっ放しだし机の上にモノを広げっぱなしだ。戻って続きしねぇと。けど、その前に謝りにいかなきゃいけない。そもそも、まだいるだろうか。もしかしたら、帰ってしまったかもしれない。仕方ない。不本意だが謝るのは明日にしよう。それに予算案も大事だ。
「今度手伝ってあげますから今日は帰りましょう」
「けどなぁ……」
「もうっ! ほら、さっさと教室に戻りますよ!」
「え、ちょっ!」
いきなり腕を取られて引っ張られた。先ほど降りてきた階段を逆戻りする。
振り払う事もできたけど何故か出来なかった。触れられた部分が凄く熱を持ってるみたいで熱い。
やっぱり、俺、熱あるのかな?
「えっと、ここですよね。失礼しまーす」
教室は、俺が出て行ったときのまま開けっ放しだった。
机の上もそのままだ。誰もいない。夕焼けが部屋に充満して景色を赤く染めている。
「はい、鞄にしまってください」
「え、あ、ああ」
言われたとおりに机に出していたものを鞄に仕舞い直した。
ボタンを閉じて、横に置いたままのサブバッグを持ち上げた。忘れものはありませんか? と聞かれて、ないと答えたら、じゃあ、戸締りして帰りましょうと、黒板の傍に掛けていた鍵を彼女は手にした。なので、俺は、室内の窓の施錠を確認してからドアのところで待っている彼女のもとへ足を進めた。俺が廊下に出たのを確認すると、扉を閉めて鍵を掛けた。
「戸締り完了! 鍵を返しにいきましょー!」
片手を天井に突き上げてそう言うものだから、俺は思わず笑みを浮かべた。引率のお姉さんみたいな態度だったのだ。たぶん、年上の俺に指示が出来るのが楽しいのだろう。俺のそんな笑みに気づいたのか、彼女の顔がムッと不機嫌なものに変わった。
「先輩は、病人なんですからね!」
いつの間にか病人扱いされていた。微熱程度なら、そこまで大げさなものでもないだろうに。
「分かってるって」
あまりにも、その拗ねた様子が可愛らしくて思わず笑ってしまう。
「先に行きますからね!」
けど、機嫌を損ねられてしまったらしい。そのままくるりと背を向けて、さっさと先に行ってしまった。そういう動作が、さらに可愛らしさを引き立てるというのに、彼女は気付きもしない。
「悪かったよ」
彼女の後を追いかけて、その頭を撫でてやった。手に触れる髪の柔らかさが心地良い。
もっと触れていたいと思ってしまう。
『竹谷君、好きな人、いるよね』
――まただ。どうして、といる時に限って、その台詞を思い出してしまうのだろうか。
まるで、俺の好きな相手がだって言ってるみたいじゃねぇか。
「―――― は?」
「竹谷先輩?」
ちょっと待て、俺。今、なんて思った? 俺の好きな相手が、?
待て待て待て。なんで、その回答で俺は納得出来てしまうんだ。
だって、は、俺の可愛い後輩だろ? 可愛い妹みたいなやつだろ?
だから、可愛いって思えるし。傍にいて楽しくて嬉しくて。他の男と仲がいいとムカついて。
それは、可愛い後輩故の感情だよな?
ありえない。ありえないんだ。そもそも、あいつらの好きな奴だぞ。
友達とライバルとか、どうするんだ、俺。って、待て、既にライバルと認めてるぞ。
だから、それは違うんだ。これは、家族的な感情であって――
「たーけーやーせーんーぱーい!」
「うわっ!」
そうだ、がいるのすっかり忘れてた。うわ、なんだ。急に恥ずかしくなってきた。
なんで、こんなに意識し出すんだ。こいつは、後輩だ。妹だ。
なのに、意識すると全部に目が行く。目とか唇とか、鎖骨とか。
なんだ、これ。本気でやばいじゃねぇか。
「気分悪いんですか? でしたら、先に帰っていいですよ。鍵を返すくらいなら私でも出来ますから」
「へ、平気だ! ちょっと暑いだけだから!」
不思議そうに見つめられたけど、俺の精神は既にいっぱいいっぱいでどうする事もできない。
彼女は、やっぱり熱あるみたいですねと呟いて、じゃあ、さっさと帰りましょうと告げて、俺の手を取ると歩き出した。
それが、物凄く嬉しくて。自然と笑みが浮かんできてしまった。
やっぱり、俺は、熱があるみたいだ。
(……ごめん)
無性にあいつらに謝りたくなった。
知らぬ間に、発熱
少年Tの場合