「ま……って」

流石は体育会系。全然距離が縮まらない。むしろ、開きまくっている。文系の自分は既に息が切れた状態で、これ以上スピードを上げることなんてできなかった。目の前で段々と遠くなっていく先輩の背中を見つめるだけだ。このままだと確実に振り切られる。

「ひゃっ!」

疲れていた足がもつれて盛大に地面に転んでしまった。
顔を庇う為に咄嗟に出した手のひらは擦り剥いて赤く血が滲んでいる。見ているだけで痛くなる。
前方を見たけれども誰の姿も映らなくて、立ち上がる気力すら起きなかった。でてくるのは、荒い息ばかりだ。


否定をしたかった。
けれど、そんなことをして一体どうなると言うのか。けど、第三者に知られてしまえば、それが真実になってしまうような、そんなわけの分からない恐怖があった。
否定して誰に関係がある。関係などない。でも、それでも何か言わなければならないような気がした。言わなければ心まで離れてしまう。そんな恐怖があったのだ。

ああ、なんて勝手な言い分だろう。先ほど花乃子の言葉に覚悟を決めたはずだったのに、それでも、心はまだ誰かを求める。向こうから求められると困るのに、どうして、私ばかりが求めたがるのだ。
罰が当たったのだ。曖昧なことばかりしてきたから、その付けが押し寄せてきたに違いない。

ポタリと雫が地面の色を濃く染めた。それは留まることなく、幾度も地面に落ちた。
何が悲しいのか何を悲しんでいるのか。当然の結果に悲しむのは間違っている。こんな自分の傍にいてくれる人なんて誰もいるはずもない。いても、私は何も与えられない。だから、これは、あるべき未来図だったのだ。

それなのに、どうして、寂しいと思うのだ。私は、もとより一人だ。これからもずっと一人だ。だから、淋しいという感情は早々に捨ててしまわなければならない。そうしないと、また私は誰かに寄りかかりたくなる。

それでも、淋しい。さびしい。

――さびしい。





?」

突然響いた私を呼ぶ声にビクリと体が震えた。その声色は、小平太先輩でなかったけれども、聞き覚えのある声だった。

(久々知先輩……)
顔を上げられなかった。
私の様子がおかしいことに気付いたのだろうか。先輩は、私の元へと早足で歩み寄ってきた。
近寄ってきた彼は、私の直ぐ傍でしゃがみ込んだ。

「転んだのか?」

心配そうな声で尋ねてくれるけれども、答えられなかった。
寂しいと思った自分の気持ちが、彼を引き寄せてしまったのではないかとすら思えてしまった。だから、この甘えに縋ってしまえば、何の意味もなくなってしまう。

「……なんでも、ない、です」

そう答えた。構ってほしくなかった。放っておいてほしかった。今は、その優しさが何よりも怖かったのだ。

「何でもないわけないだろ。怪我して、泣いてまでいるんだから」
「なんでも、ないんです。ただ、転んだだけ、ですから」

早々に話を切り上げて去ろうと、私は、そう告げて立ち上がった。


「っ」

なのに、先輩は、私の手首を掴んで引き止めた。それどころかその手を強く引っ張って何処かに連れて行こうとする。掴む手はさほど強くないけれども、振り解くことのできないそんな強さがあった。

「せ、んぱい」
「医務室に行くだけだから」
「一人で、行けます」

そう告げたけれども、先輩の歩を進める速さは全く変わらなかった。無言でそのまま先を進んでいった。もちろん、私はそれに着いていくしかなかった。





「……すみません」

丁度、校医は席を外しているのか医務室には誰もおらず、久々知先輩が救急箱を取り出して手当てしてくれたのだ。手のひらと膝小僧に定番の絆創膏が貼られていた。

貸出票に名前を書いている久々知先輩は、私の謝罪の言葉に一度視線を上げた。けど、直ぐに視線がボードへと戻された。

「謝るなら、泣いていた理由くらいは教えて欲しい」
「…………」

その言葉に私は答えを返せなかった。
ただ寂しくて泣いていたなどと子ども染みた理由を話せるわけがない。
傍にいて欲しいと告げるのは、とても簡単だ。けれども、それに覚悟が無ければそれはただの世迷言でしかない。ギュッとスカートの裾を握った。

「それとも、俺には話したくない?」
「っ、そういうわけじゃ、」

その言葉に私は首を大きく横に振った。その動作に久々知先輩はボードを横において、その手で私の頭を撫でてくれた。
その包み込む様な優しくて大きな手に、冷たい心が少しだけ温かくなったような気がした。

「大丈夫だから、話して?」

優しい声が、すっと私の隙間に入り込んだ。

「ほんとうに、たいしたこと、じゃないんです」
「うん」
「ただ、こわくて」
「うん」
「どうしたらいいのか、わからないのに、ただ、こわくて……!」

止まっていたはずの涙がまた溢れ出て来た。
先輩には全く意味不明な話だろうに、否定も肯定もせずに静かに聞いてくれていた。申し訳ないと思うのに、それが嬉しい。


「っ、は、い」
「一人じゃないよ」
「え」

その言葉に顔をあげようとしたけれども、直ぐに闇に遮られてしまった。
私の頬に伝わる温かい温もりに、先輩に抱きしめられたのだと悟った。

は、一人じゃない。俺がいるから、ずっと傍にいるから……怖くない」

その言葉に息を詰めた。
嬉しいと思ったのに、体はなぜかそれを拒絶していた。先輩の胸を強く押し返したのだ。

それにより、私たちの間に距離が出来た。
視線を向けると、私と同じように少しだけ泣きそうな表情を浮かべた久々知先輩がいた。
その表情に、私の行動が彼を傷つけたのだと分かった。

それでも、怖かった。あの時の利吉くんみたいに、また頼ってしまう。拒絶したいわけじゃない。けど、優しさに甘えたくもない。そうした結果、利吉くんを傷つけているのだと分かってしまったから、尚更。

「っ、ごめんなさい!」

どちらを選んでも誰かを傷つけるというならば、私は、迷うことなく拒絶するしかない。

私は、その言葉を発して、部屋を飛び出した。




人を拒絶して虚勢を張る、
人の弱さ




150330
誰にするか物凄く悩みましたが、まだフラグ立ってないので彼にしました。