(最悪だ)
学校を飛び出して、漸く自分の仕出かしたことに気付いた。
混乱していたとはいえ、これでは完全なやつあたりだ。
目を瞠ってこちらを見ていた鉢屋先輩の様子を思い出して、さらに重いため息が出る。
「随分と辛気臭い表情だね」
「!?」
唐突に掛けられた声に、吃驚して顔を上げた。
相手の顔を視界に入れて更に驚きに目を見開いた。
「ざっと、さん?」
「久しぶりだね、ちゃん」
私の驚きの様子に、相手は目を細めた。
メランコリックな夕方の雑音
「はい、熱いから気をつけてね」
「ありがとうございます」
目の前に置かれたコーヒーカップの中は、真っ黒ではなかったのでカフェオレだと一目で分かった。
私の好みを把握しているんだと思うと、さすがはこの店のオーナーだと思った。
校門前で出会った雑渡さんに連れられてやってきたのは、彼が経営する喫茶店だった。
過去に一度だけ伊作先輩と一緒にきたことがあるけれども、あの頃と何も変わらない内装に懐かしささえ感じた。
まさか、その後に何度も会うことになるとはあの時は全く思わなかったけれど。
「ごめんね」
「謝るようなことをした自覚があるんですか?」
唐突に謝罪の言葉を述べた彼に対して返すにしては、自分でもどこか棘のある言い方だと分かっていても言わずには居られなかった。
「約束したのに破っちゃったからね」
「どうして、彼があそこにいたんですか?」
「私もあの大学に足を踏み入れるとは思っていなかったよ。彼が出入りする必要のない大学だからね」
私もそう思っていた。木を隠すなら森の中。まさかこんな近くに、ましてや、接点のありそうな大川学園にいるとは微塵も思わないだろう。
「だから、本当に偶然だったんだ。何か用事があったのかもしれないし、知り合いがあの大学にいたのかもしれない」
だとしたら、偶然あの場所に足を踏み入れた私と偶然あの場所に彼が来たということか。なんという奇跡。なんという不遇。
「彼は、なんて言っていましたか?」
恐らくあの後直ぐに彼は雑渡さんに電話をかけたはずだ。だから、彼は私を迎えに来た。
この場に彼がいないのは、雑渡さんの計らいなのだろう。
「『なぜ、嘘を付いたのですか』だって。うん、まあ、当然だよね――でも、あの時、直ぐに君が身近にいると伝えられるはずもない」
「…………」
改めて言われると胸が痛みを覚える。
「……そういえば、『あの方』に会ったんだね」
唐突に話題転換をされて、一瞬の間があったけれども、こちらも知りたいことがあったので直ぐに口を開いた。
「あの人は、賛成派に回ったと伺いました」
「うん、私も聞いたよ。あの方が賛成されるのなら、この話は早くに纏まるだろうね」
「そう、ですか」
「ちゃんは、それでいいの?」
「…………」
聞かれた言葉の意味を理解しているけれども、肯定も否定も出来なかった。
恐らく彼はそれを分かっていてあえて尋ねてきたのだろう。
「君は今回の件をよく思っていない。それでも、この話を一度も断らなかった。その意図を私は計りかねている」
その言葉に私はギュッとスカートの裾を握った。そうしないと怒鳴り声を上げてしまいかねない。
「拒否権がなかった場合は、どうなるんですか」
嫌だといえるのならば、私は初めからそう告げている。そう告げられない圧力があるからこそ、私は逃げ道を探していたのだ。
「逃げたいってずっと思ってます。今も思ってます。だけど、誰かを犠牲にしたくはないとも思っています」
「…………不器用だね」
そう告げる雑渡さんの表情は、どこか優しげだった。愚かな選択だと思ったのだろうか。それでも、私は私として最後までいたいのだ。
「そう思わないか――――――尊奈門?」
「!?」
その言葉に、私は後ろを振り返った。けれども直ぐにそれを後悔した。
一年前と変わらない彼が、そこに立っていたのだ。