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日和見崩壊スピン


記憶を逆さまにたどっていくと、明確にそこが日和(ひより)との出発点だったと思いだせるシーンがある。
日和がいうには、そこに至る過程にもっといろいろあったらしく、むしろそっちの方が重要らしいのだが、全然記憶にない。

なにせ俺は今も昔もその辺の凡人。
鼻だってずるずる垂らしてたはずだし、自分の名前だって満足に書けやしなかった。

内藤火之助(ひのすけ)

その漢字を初めて見たのは日和の手の平の中で、中央には笑顔の日和。反対の手には油性のマジックが握られていて、その持ち方は3歳児にしては完璧に正しかった。

俺はといえば、丁度その前日かなにかに、自分の持ち物には自分の名前を書くべし、かくあるべしと、絶対の摂理の如く母親から賜っていたものだから

「やいひよ、おまえ俺のなまえがかいてあるから俺のもんだぞ」

見たいなことをバカみたいに口走り、対する聡明な日和は

「うん、そうだよね!! 絶対そうだよね!!」

と、嬉々としてまだバカな俺にあわせたのである。



総じて見れば、ひょっとしたらバカなのは日和の方で、俺はやはりその辺にいくらでもいる平凡なバカに留まるということができるのかもしれない。

なぜなら

俺は少なくとも自分の名前くらいは覚えたし、書き順だって知っている。
にもかかわらず日和は、ひよってヤツの手の中には、いまだに俺の名前がハッキリクッキリありやがるからだ。

初対面の人に、それはなんのまじないかと聞かれたら、日和は一時の逡巡も見せずにこういうだろう。

「だって私はひのちゃんのものだから」


・・・・・・。


「ひのちゃん、朝ですよー」
「うー、わかってる。おはよう、ひよ」

耳朶にこもるようなやさしげな声は、小鳥のさえずりに紛れて俺に近づく。

本日もまた、一分一秒の狂いもない覚醒。
昨日の疲れなど微塵もない。日和の体調管理は完璧だった。

「もうごはんできてるよ。お着替えここにおいとくね」
「うん、わかった」

ノリの利いたシャツに、キチっと折り目のついたズボン。
一般的な家庭に見られるような、朝特有のせわしなさなどこの家にはない。日和に任せておけば、大体全部がうまくいくのだ。

恐るべき話だが、俺が自分で着替えるようになったことですら、実はつい最近の変化だった。
やむにやまれぬ生理機能が互いの羞恥を呼び起こすまで、俺はただ、ボーっとしているだけでいつの間にかでかける仕度が整っていた。

「ひのちゃん、あーん」
「うん」
「だめだよ、ちゃんとあーんして」
「う、うぐ、うん。あーん」

小骨一つないほぐれた魚が、ふーふーされて俺の口に届く。
その行為自体より、どちらかといえば咀嚼中の横顔をうっとりとながめられるコトの方が恥ずかしいのだが、よもやもう少し離れてよなどとは口が裂けても言う訳にはいかない。
なぜなら、俺は日和が、今この一時の邂逅のためにお風呂にはいって、自分の一番綺麗な状態で俺に寄りそっていると知っているからだ。

ちょっとでも眼が合おうものなら満開の笑顔が咲き乱れ、艶やかさと軽やかさを伴った黒髪が、ずっとかいでいたくなるようなにおいを鼻孔に残しておいていく。
同じシャンプーを使っているのになんでこんないいにおいがするのかしらん。心臓に薔薇でも生えてるんちゃうだろうか。

「十回噛んだ?」
「…か、噛みました」
「はい、よくできましたー」

花畑みたいな笑みである。
もう10年以上も、毎朝咲いている花である。

飽きる気配などまったくない。
少女らしさと女らしさが毎日毎日めまぐるしく入れ替わり、もう限界だろうと思っていた美しさの上限が、日々日々更新されていく恐ろしさ。

ぼーっと見惚れていたら、そのくちびるがゆっくり開いて、じわじわと俺に接近してきたものだから、俺はあわててほっぺたをまさぐって米粒を自分でとった。
日和はそれを見てくすくす笑う。
ほほの裏側がきゅーきゅーする。

「こ、こここ、この味噌汁…だ、ダシを変えたね日和」
「うん! どうかな…? 瀬戸内の職人さんにかつお節を分けてもらったの……」

ダシは全て天然。
豆腐一丁妥協を許さない日和の姿勢は、全国の食通からお呼びがかかるほどのもの。

どうかなといわれても美味い以外にいいようがなく、欠点といえば外でメシが食えなくなったことくらい。

食後には糖質を補うためのフルーツが用意されており、甘い甘いいってるうちに動きだした腸がぐるぐる鳴って、本日も実に心地のいい快便が、ひとかけらの紙と共に便器に飲まれて消えていく。

「ひのちゃんまた背ー伸びたねぇ」
「んー? 朝だからだろ」
「ちがうよ、絶対伸びたよ」
「まー、ひよがいうんなら伸びたんだろう」

鏡越しに日和がぴょんぴょん跳ねている。
濡れ布巾で丁寧に丁寧に寝癖を直して、クシで梳く。そのまま、小さな鼻をスンスンさせて、俺の襟首辺りをにおっているのがバレてないとでも思っているのか。
俺としても恥ずかしいから、気づかないフリをして歯磨き続行、ガラガラペッと口をゆすぐ。

「ひのちゃん、忘れ物ない?」
「ん? うん、全部そろってるよ、ひよがやってくれたし」
「あっ! ひのちゃんダメだよ、かがんで、かがんで」
「ん? ん?」

ちゅっと。

ほっぺた辺りではじけた音がほわんほわんと頭で鳴って、ああ人間、起きてても夢は見るもんだと、トボトボトボトボ学校に向かった。


「いってらっしゃーい」
「んー」


・・・・・・。


「なんでこんなことになるかなぁ……」

異変に気づいたのは駅のホームでのことだった。

しんどいけれど歩みを止めない現代の企業戦士たちに混じって、明らかに筋肉質の黒人がチラホラ見える。
視線を読まれないためのサングラスに、耳骨の振動を読みとるイヤホン。
片方だけ開いた脇は、その下に吊ってあるだろう凶器の存在を明示しているのだが、コイツラ一度不自然という日本語を学んだほうがいい。

「内藤火之助君ダネ?」

黒尽くめの、一際背の高い白人が、不意に俺の肩に手をおいた。

瞬間ダッシュ。

するとすぐさま、行きかう人々の合間を縫って、丸太のような腕が俺の四肢を掴みにかかる。
制服の袖を掴まれた。ひねりを加えて、ねじ切るように振りほどく。”もしもの時のために”と、日和に教えてもらった護身術だ。

あの時は”全力でおっぱいを揉みにきて”という衝撃的な要求をする日和に対し、野獣根性丸出しで踊りかかった俺は指1本彼女に触れることができなかった。
彼女の柔道の帯色は紅白であるとか何とか。悔しいので足首をひねったフリをしたら、あわてた日和をなんなく捕獲できてしまったのだが、これはまた別の話。


紙一重で避けながら人垣を抜けると、腰を低く落とした黒人が2人、逃げ道を塞ぐように十字に構えていた。

高く跳躍。

転がるように黒人の頭上を越え、緊急だからと言い訳して、女性専用車両に転がり込む。
ドアが閉まって一息。大丈夫? という女性の声に顔を上げたら、星空みたいな銃口が扇状に広がっていた。

「こちらアルファ1、目標確保しました」
「な、な…なんだなんだあんた達……」

車両中が、通常ではありえないくらい女体ですし詰め。見ればどいつもこいつも、はちきれんばかりのナイスバディ。
ブロンドの中にブルネットが混ざっているといった感じで、香水のビンを叩き割ったようなにおいに鼻が詰まる。
思わず日和を見習えといいたくなった。いったら恥ずかしいからいわないけども。

正面の開襟シャツが、あわてる犬をなだめるようにしゃべりかける。

「大丈夫よボク……王子様には怪我一つさせるなって厳命されてるから」
「誰から? って、レナしかいないか。勘弁してくれ」
「ノンノン、雇い主はヒミツ」
「秘密にしたいならもっとつつましくやってくれっていっといてくれませんか? こないだ首都高を半壊させたばかりでしょ」
「もう、だからギルボンド家は関係ないったら」


――次はギルボンド家前、ギルボンド家前――


流された車内アナウンスに、俺は相対している組織の巨大さを改めて痛感した。
無口になる開襟シャツ。この女、ノーブラだ。

「家の前まで線路引かせたのか…引かせたんだなアイツ…無茶苦茶だ」
「ノン、レナ様はあなたのことを思って……」
「ちょ…ちょっと待った!!」
「ンーフー?」
「アイツん家学校の反対だろ…このまま家いって、説得して、折り返して……遅刻だな、よし」
「アッ! チョット!!」

そのまま開襟シャツの乳房が、俺の顔面を押しつぶした。緊急レバーを引いてやったのだ。
シリコンだと思ったら存外ふんわりしている。ともあれ。
背中に回した右手で、じりじりとドアを開く。次の瞬間山盛りの乳と共に表に投げだされた。

後ろ周りに受身を取って、ダッシュ。
足元で土が弾けた。実弾。誰だ傷つけないとか抜かしたヤツは。

「目標逃亡!! 手足の一つや二つなら構わん吹き飛ばせ! レナ様が看病して恩を売る口実になる……」
「全部聞こえとるわ!!」

運がいいのか悪いのか、放りだされたのは近くを走る新幹線だけがとりえの田舎道。
学校からそうそう離されたわけでもないし、なにより無関係な一般人を巻き込む心配はしなくていい。

学校。まずは学校。とりあえず遅刻をすると日和が悲しむ。それだけは絶対に避けねばならない。
彼女は、俺に教育を受けさせる義務を己に課しているのだ。ズル休みなんてもっての外。

ありがたいことに、日和との秘密特訓で養った脚力は、見る間に追っ手を引き離す。この分なら走って学校につく。多分つく。初めからそうすればよかったという話だ。もしつかなかったらどうしよう。
俺は3日前の夜の、日和との会話を思いだしていた。



「ひのちゃんひのちゃん」
「んー? なんだいひよ」
「ひのちゃん、これ貰って」
「んー? 暗くてよく見えない」
「ひゃう! そ、そそそ、それも貰ってほしいけど、い、い、今は違うの!!」
「え? え? ごめ…いや、なんだこれ?」
「お守りだよ。この頃物騒だから…」
「お守り?」
「困ったことがあったら開けてみてね。3回まで有効だよ」



はたして今がその時だろうか。俺は暗がりで日和から貰いそうになったなにがしかを想像してにへりといやらしい顔になり、その顔にむかっ腹が立ったのか、前方上方には集団発狂したカラスと思しき戦闘ヘリの大群がわんさか。
どうやって隠れていたのか、休耕中の田んぼからは、もこもこもこもこ装甲車両が湧きでてくる始末で、兵隊達は俺にもわかり易いようにファッキューと叫んでいる。

ひよ様仏様。俺がお守りを縛る紐を解こうとしたまさにその時、電柱の上にある町内放送用のスピーカーが唸った。

「内藤火之助!! おとなしく私のものになりなさぁぁああああああい!!」

ここで首謀者のおでましか。
俺は下っ腹には自然と力をこめ、きたるべきあらゆる厄災を頭の中で想定する。

彼女を相手にするときは、どれだけ覚悟を決めても決め足りるということはないのだ。
どっからでもかかってきやがれ、まるでその思いに甘えるように、あってはならない影が視界に入った。

「な…なんだそれ」

ドッドッドッドッと。

まるでちょっとさびしい時とか切ない時とかに布団の中で一人聞く、心臓の鼓動みたいな音が前方から響いて、あまりにも規則正しいその音は逆にボクを不安にさせるとかなんとか

どこかのテレビのナレーションみたいなセリフをぼんやりと思い浮かべたのは、あまりにもその光景が非現実的だったからか。
ここは確か日本である。なのになぜか、俺の前方で土煙をあげているのは、中世ミドルエイジよろしく荘厳華麗な騎士団軍団。

人間が集団で行動するというのはそれだけで圧力があるというのに、それがまあ、どいつもこいつも無慈悲な鉄の塊に身を包んで勢ぞろい。
対峙すると、いかにも自分という存在がアリンコのように見下されている気がして、ああイジメってのはこうやって起こるんだなと、気分はもう絶滅寸前蛮族異教徒。

後ろを振り返れば、俺を中心とした放射線状に現代の鉄の塊が砲身を構えていて、俺の命をプチンと潰せる準備は万全。
俺の生きてきた人生なんて、気泡緩衝材とおんなじ要領で吹き飛ぶんだなあなんて考えてたら一人でおもしろくなってきて、帰ったら日和にも話してやろうなんて思っていたら、目の前に白馬が歩いてきていた。


「やっと捕まえたわ火之助! 結婚しよ!!」


まったくそれはなんの冗談か。

賢そうな白馬の上には、純白のドレスに身を包んだ金色色の天使が横座りに座っており、手にはなんだかいっぱいの花束を抱えている。
遠くで教会の鐘が鳴った。ごろーんごろーん。赤い絨毯が、地平線の向こうまで続いている。

「き、今日?」
「うんっ!」
「んー……、とりあえず学校行こうぜ」

少女は異国の言葉でぶーたれたが、頭を撫でたら笑顔になった。
そのまま一緒に馬に乗る。少女は俺の、腕の中。

「ふぁーあ、どっと疲れたぜ。おはようレナ」
「火之助、キスがまだだわ」
「はいはい」
「だめ、口にして」
「おめーんとこの国にそんな習慣ねーだろう」
「もー」

こうして毎朝恒例のバカ騒ぎが終わった。

今朝から数えて、唯一不自然でないと認めていいのは、彼女と白馬のとりあわせぐらいだろうか。
ドレスも正味似合っている。そしてそこに俺が混ざる。やはり変な感じになった。


・・・・・・。


一体いつ頃から、朝というのはこんなにも騒々しいものになったのだろう。

最初の頃は確か、曲がり角で食パン加えて待構えるみたいな、間違いではあるが可愛げのある求愛行動だったはずだ。
それがなんだか日に日にエスカレートして、いまでは通学紛争ともいえるシロモノに膨れ上がってしまった。

普通に家の呼び鈴を鳴らせというとるに。
そうすれば俺も遅刻を心配せずに済む。病院や葬式が頭によぎらずに済む。日和の心配をすることもない。

だが目の前の少女は、そんな庶民の風習は恥ずかしいもの、できないもの、の一辺倒。
ほほを赤らめ、ナチュラルに庶民とは一線を画する彼女こそ


レナ・アスペルアーノ・ギルボンド。


大陸を裏から牛耳ってきたギルボンド家の次期当主にして同級生である。

かの家の歴史は古く、はるかローマの時代まで遡るといわれているが、やはり古過ぎるので定かでない。
代々多くの王や皇帝を輩出した名家で、度重なる政略結婚は、一時その版図を大陸全土にまで拡大したほど。

近世、革命によって政権が民衆の手に委ねられ、かつての威光は失墜したかに見えるがそれは表向きの顔。
今でも形態を変えた支配は続いていて、現在世界市場の中核をなす企業のほとんどは、かの家の側近で固められているという。

「そんな話あるわけねー」

幼き日の俺は、まだ天使としか形容されたことのない幼いレナのほっぺたを、つねった。

なるほど当時の彼女は、頭の上にわっかがないだけで他はだいたい天使である。
砂金でも漉いてきたかのような黄金の髪、緩やかにウェーブするその金糸は、カップ麺がよくスープを絡めるみたいに光を吸いとって、常に彼女に光のフチドリを与えている。

増長するのも無理はない。うぬぼれるのも無理はない。
そんな感じがヒシヒシと伝わってきたから、俺はつねった。らしい。

レナは泣いた。
泣きに泣いた。

まさか敗戦国の黄色いサルを眺めるだけの物見遊山で、意地汚くエサをもらうだけしか脳のないサルからひっかかれるとは、夢にも思っちゃいなかったのだ。

結果的にそのやりとりが、敵対勢力に彼女の居場所を知らせるきっかけとなってしまった。
彼女は誘拐された。その事実は、ようやく戦争から立ち直りかけた小さな島国を、再び泥沼の闘争に巻き込む危険を孕んでいた。

警察内でカク秘扱いされている資料の中には、当時の緊張感を克明に綴った文章がある。


――我々は皆覚悟を決めていました。弾は絶対に避けるな、我々の命百をもって、ご令嬢のかすり傷に匹敵すると思へ――


最終的にレナは助かった。だからこそ俺の腕の中で猫みたいにゴロゴロ甘えているわけだ。
彼女がいうには、彼女を助けたのは幼い頃の俺らしいのだが、そんなもの記憶にあるわけがない。

「火之助はカッコよかったわ…、任務のために命を棄ててきたはずの暗殺者が、幼い戦士を前にあとじさったのよ」
「そ、そうなの…?」

楽しそうにしゃべる少女は、さながら生きた宝石である。
少女が振り返るたびに、さらっさらの髪の毛が俺の鼻の穴をくすぐり、蜜をたっぷり湛えた花みたいなにおいが残されていく。

幼き日の彼女が天使といわれたなら、今の彼女は産まれかけの女神といったところか。

もし日和がいなかったなら。

まったくその仮定は考えただけでも恐ろしい。俺のことだ、きっと思う存分女神のつむじに鼻を擦りあてて、すーはーしながらやわらかそうな腋の下やらふくらはぎやらをもてあそんだ挙句に、周囲にめぐるスナイパーにヘッドショットされて人生を終えただろう。

日和が昔俺にいったことがある。ひのちゃん気をつけて。ひのちゃんはたまに、普通の人なら踏みとどまるであろう一線を、気づかず踏み越えていることがあるの。
あれはそう、エロ本を隠すのがめんどくさくなって、ジャンプと一緒にその辺にほったらかし始めてからすぐの話だ。日和は真っ赤になって怒った。俺は怒ってる日和も可愛いなあとか考えていた。

「いーじゃんやらせろよひよ」

そういった俺は360Mくらい殴り飛ばされたらしく、幸いなことに当時の記憶は残っていない。
悪いのは俺なのだが、日和はその教育的鉄槌を気に病んでいて、俺が頭が痛いとかいいだすとものすごいわかりやすい顔で心を痛めるのだ。


「火之助、またひよのことを考えているのね?」
「あーうん、考えてた」
「フンだ。火之助はひよのことを考えてる時、顔がひよこみたいになってるのよ? 野蛮な未開人は鏡なんてもってないかもしれないけど」
「怒るなよレナ」
「怒ってないもん!」

レナはパタパタと、俺がギリギリ抑えきれる範囲で暴れる。
明らかに俺を狙うスコープの数が増えている感じ。レナがあと30センチ離れたら、何人か命令無視して引き金を引きやがるだろう。させるか。

俺はいつもそうするように、レナのわき腹をつんつんつっついて強制的に笑わせる。
普段はだいたい数分で機嫌も直るのだが、今日は手強かった。

「ひぅ…や、やめて!!」
「ほーれほーれ、ここか、このへんか」
「やだ…今日は違うの!」
「ん?」
「火之助……覚えてないの?」
「ん? ん?」
「今日がなんの日か」
「ん? なに? 生理か? それなら……」


ハタッと。

くだらないジョークをいいかけた俺は気づいてしまった。
そういえば今日は、レナの誕生日ではないか。

それもたしか、彼女の一族では、伝統的に女性が成年とみなされる最も重要な年齢。
不義にしようものなら、ギルボンド家に忠誠を誓うありとあらゆる権力が末代まで敵に回るだろう。

「ば、バカなこといわないでよ…もう。火之助のイジワル」

普段は下ネタなんか振られたら、即座に愛用のデリンジャーをぶっ放すこの娘が、俯いてほほを赤らめている。
その上目遣いが要求するところは一つ、プレゼントだ。

(しまったぞ俺。なーんも用意してないじゃないか)

少女の側近である黒服たちが、やんわりと俺に対する包囲網を狭め始めていた。
コノヤロウお嬢様を泣かせたら殺すぞ、話す言葉は違えれど、思ってることは確実にわかる。

絶体絶命。

ゆるゆると走馬灯が回転する音が聞こえる。その中には、なぜだか日和の裸体がいっぱい。
お風呂で鉢合わせてしまった日和。トイレのドアを開けられてしまった日和。着替中に飛び込まれてしまった日和。

それらは俺の脳内フォルダに厳重管理されているベストショットであり、最期の時にこのフォルダを開いたのは、単純に男としての本能だろう。
ごめんな日和、もうイチャイチャできなくなるな。そんなことを考えてたら、肌色の日和がいっぱいでてきて、しゃべった。



「大丈夫だよひのちゃん。ひのちゃんにあげたお守りがあるでしょう?」
「ひ、ひよ!? お、お、お前、集団でなんて格好を!!」
「こ、これはひのちゃんが望んだから……もう、ひのちゃんのえっち!!」

俺は脳内の日和にまで遠慮して眼をつぶり、うっすら開いて肌色を見る。
最期に日和の裸体を見たのは2日前、掃除終わりの汗だくの日和が、おっぱい丸出しのまま腋の下をタオルで拭ってるところをモロに見てしまった。

もちろん直後に、砲丸投げの鉄球みたいな回し蹴りで頭骨を粉砕されたが、超得した気分。日和のおっぱいの曲線は、はっきりいって完璧である。

「や、やだ……恥ずかしいよ…」
「なにをいうんだひよ、お前の身体に、人様にはばかる部分なんてどこにもないんだ。むしろ見せろ」
「ほ、本物にいってください」

恥ずかしい一人遊びもたけなわ。続きは夜寝る前にするとして、脳内日和は要点をいう。

「3回まで有効だよ」
「有効だよ」
「だよ」

走馬灯の回転が止まり、世界は白い光に包まれる。
逃避した脳内から戻ってきた俺は、現実がのっぴきならない事態に陥っていることを思い知る。



「火之助…あなたもしかして覚えてないの?」
「ば、ばばば、バカいうない! お、おおお、おぼおぼ、ぼぼぼ、覚えてるよもちろん!! 誕生日おめでとうレナ!!」
「火之助……!!」


ああなんだこのとてつもなく愛らしい笑顔。
その後ろに控える部下達の殺気。

今度こそ神様仏様ひよ様。

俺は祈るような気持ちで、日和からもらったお守りを開いた。



「火之助……ソレは」

中からでてきたのは、今はもう見かけることもなくなった、缶ジュースの切り離し式プルトップだった。
日和よ、どういうことだ? いったいこの不燃ごみでどうしろというのか。

「ヘイジャップ!! 分別ノ仕方ヲ教エテ欲シイッテ? 間違イネェ、テメェハ生ゴミダ!!」

レナの部下で、もっとも忠実そうなスキンヘッドが憤りをあらわにした。
主人の大切な誕生日を不燃ごみで笑おうというのだ、当然の反応。
電車で一緒だったブロンドの開襟シャツがそれを止める。彼女の視線はレナに注がれていた。少女は今にも泣きそうだ。

「火之助……覚えてて…くれたの?」
「へ?」
「うれしい…ひぐ、わたし…わたし……」
「れ、レナ? あれ?」

こらえきれぬように涙を拭いだした少女は、おずおずと小さな手を差しだした。
そこに光るのは、少し古ぼけた感じのする、銀色のプルトップ。

その瞬間、長いこと寝ぼけていた俺の記憶が、鮮明な色を伴って蘇った。



「もう泣くなよレナ」
「ふえぇぅ…ないて……ないてナイ…!!……ぅぇぇぇぇえん」
「ああそうか、日本語わかんねーんだな、よし、ナクナーヨオーケー?」
「ふえぇぇ、そ、そ、ソレくらいワカルもん!!」

営利誘拐団を壊滅した後、幼き日の俺とレナは都心から外れた山奥で迎えを待っていた。
近くには丸裸の山やらゴミ捨て場やらがいっぱいあって、作業員用の自販機の近くに、俺達は座っていた。

当時のレナはまだ日本語を覚えたてで――彼女にとって語学習得は、クロスワードパズルの延長だったらしい――伝わらない部分はジェスチャーでカバー。
もうすぐ親御さんが迎えにくるというとるに、彼女は泣きに泣いて俺の手には負えなくなっていた。

モノで釣るというのもなんだが、俺はなけなしの小遣いから100円だしてジュースを買ってやったというのに、レナは黄色いサルの飲むものなんていらないもの、と、罵倒だけはやたらと達者。
ようやく泣き疲れてきたと思ったら、今度はしゃっくりが止まらなくなった。

「ホレホレいい子いい子。もう泣くな。な?」
「ヒグ…ひっう……ヒグ……ひっきゅ」
「もう怖いおっさんはこないから」
「ひっきゅ……ひっきゅ」
「またきても俺がぶっ飛ばしてやるから」
「ひっきゅ……ホント?」

ひっきゅ、ひっきゅ。

「ああホントホント、俺が守ってやる」
「…!!」
「ん? どした?」
「……ヤクソク」
「ん?ん?」
「ヤクソク…シテ」
「なんだ? このプルトップ指にはめりゃいいのか? よしよし約束約束」
「ヒノスケ……」
「よーしもう泣くなよー……」
「……ウン!」



「こうして私達は、婚姻の約束を取り交わしたのよね」
「…またれよ、どこからそうなった」
「”守ってやる”というのは私の国ではプロポーズと同じ意味なのよ」
「ははは、いやあ異文化交流って、難しいですね……」

そういえば、レナがマジメに日本語を覚える気になったのは俺のためだといっていた。
どういう意味かと尋ねたら、その時はあなたを罵倒するためよ! っといったのものだったが。

「火之助……今夜私をもらってね」
「はは…おかしいな。今日のオレは日本語がよく理解できない…」

レナは半開きの目でうっとりと俺を眺めながら、いつまでもくすくすと笑っていた。


・・・・・・。


「暴れ牛だーーーーーーー!!!!!!!!!」


まったくもって忙しい朝である。
時計の針は、トラブルにかかずらっているヒマなどコンマもないと告げている。

にもかかわらず、左手に見える牧歌的な山々からは土煙が上がり、獰猛な雄たけびと共に、破滅的な地響きが鳴り響く。
10頭20頭ではきかない、さながら、獣の河だ。

「火之助!!もーもーだわ!!」
「ああ、もーもーだな。見るな、大人たちに任せとけ」

関わりあいはごめんだ、その願い虚しく、一介の学生にはあれほど強気だったゲルマン人たちが、牙を剥いた野生を前に次々となぎ倒されていく。
ひっくり返される戦車。撃墜される戦闘ヘリ。弾き飛ばされる騎士の皆さん。
いや流石に、ここまでくれば褒められるのは野生の恐ろしさか。彼等は草食獣にあるまじき精密な動きで、群れに邪魔する人間共を駆逐していく。

土煙が近づいてきていた。
このままいったら俺達の進路と直交する。あ、やばいかも、そう思ったその時。

フラリと。

一切れのボロを纏ったフーテンが現れ、凶暴な牛達の前に立ちはだかったのである。

「あぶない!!」

叫び声は、唸り声によってかき消された。人の形をした影が上空に舞い上げられ、田んぼの真ん中へと落下する。
ドスリという音。不思議なことに、地面を揺らしたのはそれが最後となった。

牛達は直前のバカ騒ぎがウソのように、落ち着きを取戻していた。
減速し、歩みを止め、困ったように、自分達が跳ね飛ばした影の周りをウロウロ回る。

その影は、少女のようであった。


「あ、あれ……桜子か? 桜子じゃないか?」

俺はレナをその辺に放りだすと、罵倒を尻目に走りだす。
そこにいたのは思ったとおり、幼馴染の日国桜子(ひのくにさくらこ)その人であった。

短く切り散らかした黒髪に、同年代よりは遥かに低い背格好。
何があったのか、吹けば飛びそうなボロ布を羽織って、体中に乾いた土がくっついている。

その小さな口が、うわごとのようにつぶやいた

「やほー、ひっちん」
「やほーじゃない、何があった、何やってんだ…その前に救急車……」
「ひっちん、おれのことよりこの子頼むよー」
「え?」

少女がボロの中から差しだしたのは、足を引きずった子猫であった。
まさかこの娘、この猫を助けるために暴れ牛の群れに巻き込まれたのか。

猫はニャオウと鳴いて、桜子のほっぺたを舐めている。
なんというお人よし。いけない。この娘を死なせてはならない。

あわてて側で伸びているブロンドをたたき起こす。ケータイは持っているか、俺は持ってない。
なぜなら通信手段を持ちだすと、日和が我慢できなくなって四六時中通話状態になるから……んなことは置いといて。

なれない機械に苦労していると、その手をゆっくりと桜子が止めた。

「だいじょぶひっちん……腹、へっただけだよう……ぐー」
「な…なにおう…?」
そういわれて、俺は出かけに日和にかけられた言葉を思いだす。



「ひのちゃん、桜子ちゃんによろしくね」
「へ?」
「きっとお腹がすいているだろうと思うから」
「いや日和、だって桜子は……」



その時はおかしなことをいうもんだなぁと思った。なぜなら桜子はここ2ヶ月行方をくらましており、親御さんから警察に失踪届けがだされていたからだ。

彼女の実家の事情を鑑みれば、それはよほど切羽詰ったこと。
元々ふらりといなくなることはよくあったが、今度こそはと誰しもが思い始めていた矢先である。

はたしてお守りを開けてみると焼き海苔が入っていて、なんじゃいこれはとかばんの中をあさってみると、”桜子ちゃん用”と書かれた弁当箱があった。
桜子の好物塩おにぎりである。味噌汁入りの魔法瓶もあった。

日和よ、お前には全てわかっていたというのか。
俺は今にも降りそうで降りださない空を仰ぎ、日和の天気予報が外れたことがないのを思いだした。

「うー、握り飯のにおいがするぜー」
「おう、ここにあるぞ、本当に腹減ってるだけか? 吐き気とかしないだろうな? ホレまず顔を洗え」
「うはー、ひよすけの弁当か? おれ、アイツのメシが一番好きだ」

桜子の一人称は、昭和のすれた女性のように「おれ」、この場合「お」にアクセントがつく。
いろいろと聞きたいことはあったが、まったくこの朝の騒動はこれで終わらなかったのである。

「火之助! わんわんだわ!!」
「あーもう! なんなんだいったい!! …し、しかも明らかに闘犬クラスじゃねぇか……」

握り飯のにおいをかぎつけてきたらしいそいつは、見るからに餓えていて、メシにありつくためなら足の一本二本は覚悟している風である。
これはまずい。例によってレナの部下はもろもろ役に立たないくさい。

俺はゆっくりと前にでる。いざとなれば自分が……するとまたしても信じられぬ出来事が起こった。

先ほど桜子をはねた牛の群れが、まるで彼女を庇うように闘犬の前に立ちふさがったのである。
もしも日和がこの場にいたら、きっとこう通訳したことだろう。



――もーもー、哀れな野犬よ、腹が減っているなら私を食べるがいい
(合唱)食べるがいい
――わんわん、去ね、愚鈍な鈍牛め!! オレはそこな握り飯が食べたいのだ
――もーもー、愚かな、飢えで自分を見失っておるのか? どうみても私の方がおいしそうだろう
(合唱)おいしそうだろう
――わんわん、バカめ、お前なんか食ったら胃がもたれてたまらん! どけ! どかんと容赦せんぞ!!
――にゃーにゃー、させないぞ!! このお人はお前なんかよりよっぽどお腹がすいてるんだ! 握り飯はこのお人のものだ!!

ならば牛が人間に食われてやればいいじゃないか、そんな応酬が続き、ついには交渉決裂と思われたその時

「そうかい、おめーさんもこの握り飯が欲しいのかい?」

もうフラフラなはずの桜子が、ゆるゆると歩みでたのである。

「お、おい桜子! 大丈夫なのかお前……お前まさか」
「おめーさん舌が肥えてるなぁ。確かにひよすけの握り飯は絶品だー」

遠くで雷が鳴った。否、桜子の腹の虫である。
その蒼白な顔をみれば、彼女も立っているのがやっとのはず。

なのにその手は、自分ではなく闘犬の口元に寄せられる。
手の中には、新潟産コシヒカリ。
桜子は一言、さぁ食いねえとだけいった。

次の瞬間、俺は目を疑った。
なんと犬が、この荒々しい闘犬が、ボロをまとっただけの無防備な少女を前に、コロンと回転、腹を見せたのだ。

――ちっ
――どうした? 食わねえのかい?
――バッキャロゥ、オレは飼い犬じゃぁねぇんだ、人間の手からモノが食えるか
――おめぇ……
――オレの負けさ。オレぁもう十分に生きた。最期にあんたみてーなヤツに出会えた。もう満腹よ
――なら余計にコイツは食っときな。またしばらくはこの渡世も悪くねぇえって、そう思える味だぜ

そうして桜子は握り飯を半分こしたのである。

世にも見事な手打ちであった。
横にいたラティーノが俺に問う。

「ヘイボーイ、モシカシテー、アソコーノ娘さんハ、サクラコ・ヒノクニかい?」
「ん? そうだよ」
「ホーリーシット!! マッタク戦争ガ50年前ノ話デヨカータゼ!!」

そうして背中をバンバンされ、俺は目の前の幼馴染の恐ろしさを知った。



日国桜子、またの名を皇国の修羅桜。

戦後の混沌を1代でまとめ上げた裏社会の首領、極楽組の血を継ぐ8代目組長。

自らの天分を秩序の維持と定め、この国に自分以外の血は吸わせないと心に決める任侠の女子高生。
趣味は慈善に告解。ヴィクトル・ユゴーをこよなく愛し、戸締りを忘れた家があれば金貨を放り込み、具のない鍋があれば肉を入れる。

そんな彼女、かつて一度だけ命がけのケンカにおもむいたことがあって、相手は俺。
全然覚えてないのだが、その時の俺は100人からなる戦国武将みたいな戦闘集団をちぎっては投げちぎっては投げ…だったらしい。バカな。

そのケンカ以前の彼女は結構な悪党だった。ときいている。
だがしかし俺に敗れてからというもの改心し、現在では道行くおばあさんの荷物をもってやらない日はない。


・・・・・・。


「く…組長…! お帰りになられてたんですかい!?」

戦車と戦闘ヘリと騎士団と猛獣達がいるところに、明らかなスジ者と思われる方々が乱入し、そこに警察がくっついてきたからあたりは収集がつかなくなってきていた。

とりあえず学校行きたいんだよ。
そんな切なる思いをレナや桜子に告げてみるのだが、両名とも肝が据わっているのか鈍感なのか、これだけカオスな状況の中心にあって、悠長に世間話なぞしている。

「今度はどこにいっていたの桜子?」
「へへー、北の方さ」
「北? もったいつけてないで全部教えなさい」
「うはぁ、レナにゃぁかなわねぇなぁ」

レナは俺の腕の中にいる。そしてレナの腕の中には桜子が、丁寧に髪の毛をクシで梳かれている。

2人は仲がいいのだ。

桜子の方は田んぼのドロでべっちょんべっちょんだが、レナはそんなこと気にしやしない。
まるで横着な妹をなだめる様に愛情を持って、柔らかそうな布巾で身体を拭いてやっている。

そんな光景は微笑ましい。微笑ましいのだが、俺は学校に行きたいのだ。

「行きたいのだ」
「桜子、もういっそのことお風呂にはいりましょ」
「おい…」
「うへぇ…風呂は嫌いだよ…」
「おいってば……」
「ダメよ。あなたは素材がいいんだから、ちゃんと磨かなくてはダメ」

おいおいなにをいいだすんだ。レナがパチリと指を鳴らすと、おつきの者共がレナ様用浴場車両を走らせてくる。
俺の部屋より広くて、なんか大理石でできてるやつだ。けしからんけしからん。時計の針はじりじり回転を進める。

「火之助、あなたもはいる?」
「バカタレ、いくんならいくでさっさといってこい。さっさとだぞ、早くしろよ。10分したら妖怪ヨダレマミレが襲いにいくからな」

ハーイ、と。実に聞き分けのいい声が返ってきて、実に楽しそうだから責めるに責められなくなってきた。
折れた青龍刀の切っ先が、俺に向かって飛んでくる。指でつまみ、棄てようと思ったが犬猫が踏んだら危険と思い、仕方なく桜子が残さず食った後の弁当箱へしまう。

前に進むことはできないだろうか。白馬を浴場車両と併走させつつ、俺はちょっとずつでも学校に近づく努力をした。
で、努力は実って、ちゃんと学校に着けた。


・・・・・・。


そういえば昔、日和が口から火を吹いたことがある。
あれはいつだったか、あの日も確か暑かったようなそうでもなかったような。

俺は熱で寝込んでいて、夢も現も定かでなかった。
真夜中にふと眼を覚ますと、ずっと手を握ってくれていた日和がいない。
ひよー、ひよー、と呼びかけようとするのに声にならず、ノドがヒクヒク震えることにたまらない恐怖を覚えた。

金縛りというヤツなのだろう。俺の腕はいくらがんばっても、中心に鉄が入っているように固まって動かない。わかるのは、汗がジワジワと肌を伝う感触だけ。
眠ることが死に直結する気がして恐ろしく、重たいまぶたを懸命に開かせようと試みる。そこで俺は見たのだ。


部屋中を埋め尽くす大小無数の顔。人の顔。


どの顔も尋常でなく、呪いの念に満ち満ちて、血が滴ったり、肉がただれたりしていた。
そして一様に皆、俺を見ているのだ。

俺は日和を呼んだ。
その時の俺は、自分の命がどうこうよりも、この化け物達が彼女に何かしてないか、それだけが知りたかった。彼女の無事を確かめたかった。

やはりノドは震えるだけで、声にはならなかったと思う。
しかし日和は着てくれた。そんで火を噴いたのだ。


「ひよー、ひよー、ひよってば、どうして火が吹けるの?」
「ああひのちゃん、見てしまったのね? ごめんなさい、わたし達もう一緒にいられないわ」

そんなこといわないでよ日和。俺はそこで眼を覚ました。


「えー、それでは転校生を紹介する。帯刀結(おびなたゆい)君だ」

ホームルームは無事に始まってくれていた。まあでも、毎朝毎朝命がけなのは俺だけだから、普通は無事に始まるものか。

それにしても、なんでまた昔のことなんか思いだしたりしたのだろう。
いやまてアレはホントに夢なのか。俺は昔のことを思いだしている夢を見たのとちがうか? よくわからない。

頭がボヤけているのは疲れのせいだろうか、はたまた両隣に咲いた可憐な少女等のせいだろうか。
レナと桜子は、別に教科書を忘れたとかそういうわけでもなく、机と机を俺のとくっつけ、俺にもたれて眠りこけている。

その安心しきった顔の、憎たらしいこと。

桜子はまあいい。この娘はいつも食べているか寝ているか猫を助けているから、見ていて微笑ましいくらいだ。寝る子は育つ。よく育てばお父さんもうれしい。
だがレナは別だ。コイツはどうみても寝たフリだ。あざとい。

「おいレナ。起きてんだろ? 重たい。自分のスペースで寝ろ。こっからここな」
「んん〜? やーん、ひのすけのえっちー」
「いんや、えっちというのはこういうヤツのことをいうのだ……」

俺が両手をワキワキさせると、レナは全力でおっぱいをかばいだした。ホラ起きてる。ううん、起きてない。こんなやりとりはレナの思う壺である。
コイツその長くて綺麗なまつげをひっぱってやろうか、そう思ったところで、教室の扉が開いた。


現れたのは、とびっきりの美少女。
そういう形容詞が、すんなり受け入れられるほどの、少女だった。

黒い髪。綺麗な長い髪。切れ長の眼。
脚が長く、下手な男子よりは背丈があって、肌が白い。

なにやら手には長い筒のようなものを持っていて、パッと見剣道部かしらんなどと思わせる。
なるほど武道をやっていればたいそう様になるだろう。こういうのをなんというのだろうか。いわゆる一つの理想形だ。大和撫子の完成形だ。

しかし同時に、酷く危険で、危うげな雰囲気がただよっている。
その理由はすぐにわかった。夏場だというのに、彼女の制服は長袖で、スカートの下には黒のストッキングがのぞいて見える。

あれかしら、聞いたらダメなゾーンかしら。
……なことを考えてたらレナと眼が合って、とりあえず微笑んでみたらぎゅーぎゅーと追加で抱きしめられた。なにか好意的な解釈をしたらしい。洗いたての髪が、凶器的な刺激を伴って俺の鼻孔に突き刺さる。

同じく俺の机にも、手裏剣が刺さった。

「……なんぞ?」

そこからの出来事は少し丁寧な説明が必要だろう。

まず謎の転校生が教壇の上にジャンプした。パンツは薄紫。
次にギルボンド家の黒服と騎士団が教室に乱入してきた。レナの半径30センチに刃物が迫ったからだ。
続いてヤクザ屋さん。なるほど、桜子が狙われたと思ったのだろう、まだわかる。

トドメに、牛。
どうやら彼等は、騒ぎに興奮したらしい。なぜここにいるのか。そうかギルボンド家の人間が全員殺到したから、彼等を管理する者がいなくなったのだ。
闘犬や傷ついた猫はいつの間にか仲間を呼び、ニワトリ小屋の鳥達はコケコケのたうち回って大発狂。

警察が鎮圧に乗りだし、援軍と思しき機動隊が盾をガチャガチャ。
外では自衛隊所属と思われるヘリがバタバタ飛んで、ギルボンドの連中とごちゃごちゃやっている。

窓もライトも水槽も、ガラスや花瓶は全部割れた。
謎の転校生は、数多の障害物を全部窓から放りだし、襲いくる弾丸を全て叩き切る。

斬る?

そう、彼女は命無きモノを容赦なく切り捨てていた。机椅子、生徒のかばんによれた教科書、盾に木刀、パラベラムまで。その手にもった日本刀でことごとく。

さながら嵐。大挙して押寄せた人や獣畜はあっというまに吹き飛ばされて、アレだけにぎやかだった教室は、ついに俺達3人とその席、そしてその上に仁王立ちする転校生を残すのみとなった。それ以外の全てのものは、塵になるか場外でのびていた。


俺はじーっと薄紫のぱんつを見る。パンツとストッキングの間のふとももが白くまぶしい。レナが俺のほっぺたをつねりながら怒った。
ぱんつがしゃべる。

「ついに……ついに見つけたぞ……」
「は? え? 俺?」
「覚悟しろ!! 内藤火之助!!」

空間を塗りつぶす、白銀の直線1本。

俺はそれを見ながら、また少し昔のことを思いだしていた。



「あのねひのちゃん」
「なんだいひよひよ」
「この頃は世の中も物騒になってきたから、ひのちゃんも自分を守る術を身につけたほうがいいと思うの」
「ふんふん、袴姿のひよひよもいいよ、ひよひよ」

あの日も夏の暑い日で、あんまり暑いから俺はいつにもまして適当になっていた。
とりあえず日和さえ愛でていれば人生損はしないだろう、そんな適当な判断で脳みそに夏休みをとらせることを決めると、日がな一日日和の尻にひっついてまわる。

いい加減鬱陶しくなったのだろうか、日和はいつものように俺を正座させると、護身術の稽古をしないかと提案してきたのである。
日和のやり方はうまい。俺が怠けていると指摘するのでなく、俺と一緒に何かを成すことで、普段の俺が豚の脂身にも劣ることを自ら悟らせるのだ。

俺は反省し、おとなしく指導を受けることにした。

「あのねひのちゃん、例えば学校で黒髪の女子高生に日本刀で斬りかかられた場合を想定するね。」
「随分ピンポイントなシチュエーションで練習するんだね。うん」
「彼女はひのちゃんの机の上で仁王立ち。必殺の構えだわ。ひのちゃんならどうする?」
「んー、ぱんつを見るかな」
「どーん! はい斬られた」
「…え? なに今の」
「いい、ひのちゃん? ぱんつなんか見てたらだめなの。白刃取りもダメ。両手にはひのちゃんを慕う女の子が抱きついているんだから」
「ねえひよ、どーんっていった? ねえ? ねえって」
「正解はこうよひのちゃん。ここに水があるでしょ?」

それから日和が見せた忍法水陽炎は驚嘆すべき忍術であった。
水は斬っても傷口が残らないでしょう? つまりそういうこと。なるほど。だから俺はその術を使ってみた。



「なに!?」

転校生の一撃は俺をすり抜け、俺の座っていた椅子を斬り机を斬り、最後に空を斬って一回転。

アッと思った時には目の前に尻が迫ってきていて、俺は熱と汗で蒸れたストッキングに挟まれながら、ぱんつのにおいをもろに嗅ぐことになった。
俺は普段、女の子の隠されたにおいなどというものはにおったことがない。普通そうだ。俺だってそうだ。

いつもはオープンな、さわやかな髪のにおいだとかそういうものばかりでも十分満腹だったわけで、それだけにこの邂逅は強烈だった。
強烈、そう、子供用のプールに飛び込んだら深海だったってくらい強烈だ。

あるいは後頭部を鈍器で殴られるような…そう思ってたらホントに強打。床に押し倒されていた。
遠くでレナや桜この声が聞こえる。俺はずーっと、ふとももと股間のにおいだけを嗅いでいた。


・・・・・・。


帯刀結との出会いはそうした形であった。

俺が何事もなく意識をとりもどした後、レナは結を死刑にしろと主張したが、それは桜子がなだめた。

いーじゃんレナよう、ひっちんもこうして元気なんだし……
なによそれじゃあ火之助がうかばれないじゃないの!

俺の怒りはレナが代弁してくれたといってもいい。確かに俺はぱんつを見たが、それだってわざわざ覗き見たわけじゃないし、見せているのに見るなとはこれいかなる言い分か。例えその顔がすけべったらしかったとしても後頭部を打ちつけられるいわれはない。やり過ぎだ。
あくまで末代までの殲滅を望むレナに、黒服たちの銃口がゾロゾロと従い始める。いいぞやれ。いやいや、これもやり過ぎだ。パイナップルはしまいたまえ。

困りかねた桜子は、ゴメンなひっちんとウインクして、俺のちんこを指で指した。レナは3秒ほど無言になり、銃口はめでたく全部、俺に向いた。



「それじゃあお友達が増えたのね、ひのちゃん」
「ちがうよひよ、プラス思考にもほどがあるぜ」

人肌ぐらいの温度のお湯を、肩口からゆっくりかけられる。
俺は日和に背中を流してもらっていた。

「人の魂はねひのちゃん、このお風呂のお湯みたいなものなのよ」
「え? 突然なにをいいだすんだいひよ」
「ある日ひのちゃんの魂はお風呂のお湯として、身体という名の浴槽に張られたの。ひのちゃんはどうしてほしい? なにがしたい? お風呂のお湯として」
「そ…そりゃあお前……綺麗な女の子に入ってってもらいたいなー」

日和みたいな。と思った。

「でしょう? 女の子もね、自分にあった最適温度のお湯を探しているの。さっぱりしたいもの」
「うーん」
「その結さんは、きっとひのちゃんの温度が熱すぎたのよ。だからかき回してぬるまるのを待ってるの。せっかくなんだから、もう一度湯加減を見ていってもらったら?」
「うーん、うまいのかうまくないのかわからないけど、ひよがいうならうまい気がする…」



そうして俺は、翌日から股間のにおいを嗅ぎ倒したことなどなかったことのように結に話しかけたら、ビックリするくらい舌打ちされた。

「……なんの用だ内藤火之助」
「おこんなよ。あのな、こういう話があるんだ。いいか、人の魂ってのはお風呂のお湯と同じでな……」

俺は得意になって話し始める。そうしているうちに舌が回らなくなってきて、なんだと思ったら刀の切っ先とディープキスをしていた。

「……くだらん。用がないなら消えろ」
「ふぁぶ…ま、待てよおい。一体全体なにをおこってんだ。自慢じゃないが俺は女の子に嫌われるようなことはしたことないぜ。クラスの子にゃぁヒヨコンだヒヨコンだいわれて……」
「キサマは…」
「ん?」
「忘れて……キサマは……何一つ…」
「な、なんだ? こ、ここ、この目に見える紫色の妖気は……」

「食い千切れ! 妖刀ウスムラサキ!!」

ああぱんつの色とおそろいの妖刀さんですね。俺はそんなことを思いつつも決して口にはだしたりせず、全力で迅速に走って逃げた。
まったく、日和に教わった”ブチ切れた女子高生が妖刀をぶん回しながら迫ってきた場合”の対処法がなかったら危ないところだっただろう。

日和よ、本当にこの女は俺の風呂に入りたがっているんだろうか。



「もちろんだよひのちゃん」
「またえらく自信たっぷりに断定するね」

そして俺はまた実際のお風呂に入る。
俺は脱力して湯に浸かり、極楽気分。日和は頭にのっける濡れタオルをこまめに代えながら、俺の話し相手をしてくれている。

「結はね、子供の頃から素直じゃないの。ううん、今だって子供。ずっとずっと、5歳の頃の自分から変わりたくないって思ってるんだ。……あの時がきっと、あの子にとって一番楽しい時だったから」
「あれ? 結って名前、ひよに話したっけ? 全部代名詞で済ませてきたような気が……」
「………………は、話した…ょ」
「そっか? うーん、そんでさ、レナのヤツが大変でさー。アイツの家、パワーバランスが崩れるから国境をまたげないっていう、核兵器みたいな家来が山ほどいるだろ? 大陸からそれ全部呼びよせるっつってさー……」

結はレナの放った刺客をことごとく返り討ちにしていた。
さすがにレナの方も、結の力を認めだしてきていて、こいつはただの身の程知らずじゃぁないと、腹を決めたようだった。

本気のレナは超怖い。

なにがって、部下を駒とみなすようになる。命を消耗品と考えだす。
そういう時の彼女に、チェスやら将棋やらをいどんでも絶対に勝てない。情報処理能力の、桁が違うのだ。

かつて日和だけが、本気のレナを将棋で下したことがあった。
しかし彼女は次の日、知恵熱で寝込んだ。にもかかわらず、レナの方は3回勝負よ、と押しかけてきたのである。

日和はいう。私には経験があったからなんとかなったの。でも今もし、将棋のマスが10×10になったなら、私はあの子に絶対勝てないと思う。
にわかには信じがたいが、多分そうなのだろう。だってレナは、対局のまさに最中に、コマの動かし方を日和に尋ねていたのだから。



そんなわけだから俺は、レナのご機嫌とりに結構な苦労をしていた。

結婚式の日取りをエサにして、くちびるは式当日にと首筋や耳の裏に舌を這わす。
この娘、もしかして全部承知でやってるんじゃなかろうか。そう思いつつも、とろんとろんになったレナを問い詰めるわけにもいかず、明らかにキスよりもエロいことを毎日毎日。

俺も俺で、これは役得だと気づきだし、この際普段できないようなことまでレナにする。

部下達もレナの本気を知っているから、ちょっとばかし行き過ぎた愛撫にも文句をいわない。いってみれば俺との乳繰り合いはガス抜きだ。放っておくと超高圧、インデンジャー。
黒服達は歯を食いしばって俺を射殺するのを我慢しているのだろう。この頃は道端によく、大人の歯が落ちている。


相変わらずマイペースなのは桜子だ。

恐ろしいことにこの娘、超絶ATフィールドを持つ結にものともせず近づき、最近は一緒にウサギ当番をしているとか何とか。
話せばいい子だよーというこの娘は、俺が刀とキスしたことを知らないのだろう。

情報収集には重宝するから、休み時間になるとまあ、トイレの入口まで一緒に歩いていったり。
変な誤解を生まないよう、できるだけ人のこないトイレを選ぶのだが、これが見事に裏目にでた。

「ひっちん、ひっちん」
「わっ、わっ、お、おい。こらこら、お前はこっちじゃないだろ」
「あのさーひっちん」
「ん? なんだどうした」

桜子は、短いが栄養の行き届いた髪の毛を指の先でいじっている。
この娘がこんな態度をとることはあまりない。大体思ったことは、脳からストンと滑り落ちてくるのが桜子だ。逡巡なんて似合わない。最後にそれを見たのは彼女が組の跡目を継いだ時。もうあまり俺と遊べなくなるからと、夕焼けの玄関先でしばらく話した。

そういえばこの娘、その時からまったくもって背が伸びてない。

「あんなー、ひっちん」
「お、おう」
「血……でてきた」
「なぬおう!?」

桜子はするすると制服のスカートをまくってみせる。ぱんつがどうとかより、本当にべっちょべちょだった。息を呑む。

「ひっちん……おれ、死んじまうのかなぁ……」
「あ…アホ! こんなもんで死ぬか!! むしろ産むためのもんだ! 祝え!!!」

わたわたわたわた、どうしたこうした。

オロオロしているうちに桜子が泣きだしてしまい、俺は始めてみる桜子の少女らしい部分に心臓がバクバクし。どうしていいかわからないから思わずぎゅーっと抱きしめてしまった。

元がいいのはわかっていたが、こいつこんなに可愛かっただろうか。
この娘でも泣くことがあるのだ。機関車に跳ね飛ばされても笑っていられるこの娘が。

「ひっちん…おれ……おれ…」
「安心しろ桜子、俺がついてる!」

そっからさっさと保健室に行けばいいものを、錯乱した俺はなぜだか桜子の股を洗おうなどといいだし、桜子の方も気持ちが弱っているから頷くばかり。

さーさーこうやって足あげて、尻つきだして、と。
女子高生の下半身をまさぐっている俺は真剣そのもの。

水で濡らし、指で拭く。内股を綺麗なハンカチで拭い、ぱんつをずらしたところで正気に戻る。

「ああ違う、こう違う、何をしようとしてるんだ俺は…ほ、ほ、保健室…」

コイツまだ生えてないのか。俺は冷静に生理血のついたハンカチで汗を拭き、くるりと振り返ったら帯刀結がトイレの入口に立っていた。



「……ゆ、ゆ…ゆゆゆゆば…結!」
「…お、…お、……オマエ」
「ま…ま…待て! こ、こういう話しがある…人間の魂はお風呂のお湯と一緒でな…!」
「うるさい! 浴槽に沈んだまま浮かんでくるな!!」

結は刀を振り回す。俺はギャーギャー逃げ回る。桜子は泣きに泣いて、事態はいつかの教室よりも収拾がつかなくなっていた。

「だーあー!! 血! 血がでた!! 顔が切れてる!!」
「うるさいバカ! うるさいバカ!! 死ね! 死ねったら!!」

結の剣撃にもキレがない。初めは動揺のせいかと思ったがそうでもない。
いかにもおっくうそうでフラフラし、ついには倒れて俺が支えた。

「ひぐ…う、…う、…放せ…」
「なんだお前? 風邪か? どっか悪いのか? ……って、血がでてるじゃないか!!」

俺は失礼とは思いながらも結の制服を捲り上げる。傷なんてない。足か、足? …ていうと

その嫌な予感はそのままズバリ。
血は黒のストッキングにじわじわと染みていて、しかも発生源はつけ根のぱんつである。

神様仏様ひよ様

俺はしばらくぶりにお守りを開き、日和の加護にすがった。
中からはタンポンがでてきた。


・・・・・・。


「まったく大変だったんだぜひよ」

今日も今日とて背中を流される。
日和は笑顔で聞いているが、俺は彼女に隠していることがあるのだ。



あの後、俺はなぜだか、やり方のわからない少女2人にタンポンを挿入する運びになった。
結も”初めて”だというのだ。彼女も泣きそうだった。俺の方が泣きそうだった。

薄暗い男子トイレの汚れた個室で、汗ばんだ2つの尻が俺に向く。

桜子の方はそうでもなかったが、結の方は眩暈がするようなにおいがする。俺は混乱の極地に達していた。

相変わらずストッキングは蒸れてるし、元々体臭が強いほうなのか、凝縮された密林に鼻っ面を突っこんでいるような感じで息が詰まる。
俺はにおいに気づかないフリをするのだが、結の方はそんな俺の気遣いに気づかないフリをする。自分の体臭に恥入るような少女の顔。申し訳なさそうな顔。全然気にすることないんだぜ、みたいな俺の顔に、しぶしぶ了承するような結の顔。

そんな顔をするから余計ににおいが気になって仕方ないのだ。逆効果なのだ。

とりあえずよく伸びるぱんつをふとももまでおろし、結は手で隠そうとしたが、それもどける。

肉はぴっとりと閉じていて、スキマが少しにちゃにちゃしている感じだった。
陰毛は周囲を覆うようにうっすらと生えている。お前これで本当に初潮なのかと何度も聞いた。結は押し殺した声でうんとしかいわない。

勝手に閉じようとする肉を何とか開く。陰になってよくわからない。
金属質の、潰れた廃工場みたいなにおいが鼻を襲う。脳みそがぐるんぐるんする。タンポンもって、多分ここだろうという、ウネウネした穴にゆっくり挿入。

指で押すたびにきばってしまう少女をなだめ、なんとかなんとか、事を済ませた。

そうしてまたぱんつを引き上げた時、俺はなんだかものすごい大手術をこなした後みたいな気持ちになっていた。

ここまではまだいい。
いや、明らかに異常であるが、日和の想定の範囲なのだろう。タンポンを俺に持たせていたくらいなのだから。

問題は桜子だ。

俺は結と同様に、桜子の姫肉にタンポンを挿入した。
そんで、明らかに性的な意図を持って、入口の肉を指でこねた。

時間にして10秒もない。結も見てるし。あからさまな愛撫などできるはずがない。それでもその瞬間、俺は少女を、その初めて大人になった少女の肉体を、己の汚らしい欲求の下に組み敷きたいと思ったのだ。俺の精神の全てが、ドス黒く変色していた。

そして俺は、分解した理性のまま、可能な限りの欲望を指で演じた。
桜子が気づかなかったとも思わない。彼女は何もいわなかったが、そのまま一言も口を聞いてくれなくなってしまった。

こんなこと、日和にいえるわけがない。
ああまったく、俺はなぜあんなことをしたのか、死んだらいいのだ。桜子の信頼に背くような真似。彼女は俺の情欲を受けるために性器を見せたのではない。安心して、親兄弟にそうするように、俺にすがったのだ。それを……

彼女は困っただろう。怖れただろう。俺の見せた雄としての本能に。鼻息荒い獣の獣欲に。
俺は桜子に嫌われてしまったのだろうか、このまま一生ぎこちない関係が続くなんてことが、そしたら俺は……



「桜子ちゃんは別に怒ってるわけじゃないと思うよ」
「え?」
「ただ戸惑ったんだと思うの、自分がひのちゃんの性の対象になるなんて、思ってもみなかったんじゃないかな。ある意味で桜子ちゃんは諦めてたのよ。でもそれは間違いだったと気づいた……」
「ん? どういうこと?」
「だからね……ううん、これはやっぱり本人から聞いたほうがいいかな」
「えー、ヒントだけでも…」
「だーめ。浮気した罰です」

こうして日和の読心術によって、俺が桜子の性器をいじくったことは読まれてしまったわけだが、動揺までは悟られないよう、鼻歌なんかを歌ったりしてなんとかごまかす。

日和はなんだか、逆に機嫌がよかった。
鼻歌が伝染して、俺達2人は即興の演目で遊びだす。
幸せなのだが、俺は日和のことがよくわからない。

「ねえひよ…ひよは怒ってないの?」
「ん? どうして? しょうがないよ、ひのちゃん男の子だもん」
「そうなの?」
「うん。でも桜子ちゃんを泣かすようなことをしたら、いくらひのちゃんでも一回殺すからね」
「ウン、ボクコロサレタクナイ、桜子ナカサナイ」
「はい。よくできました」

夜も更け、日も変わり、そうこうしているうちに夏休みになった。


・・・・・・。


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