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「やっぱギルボンドっつーのはスゲーなー」
俺は日和のお手製”夏休みのしおり”を手に、大口を開けてレナの別荘を眺めていた。
この日のために突貫で造ったという城みたいな家は、プール庭つき、ジムやら遊技場やら諸々ついて、さながらリゾートホテルのようである。
いわくこれでも小さめにつくったらしい。今回の旅行はレナの召使いがついてこないから、俺やら日和やらが飯も風呂も仕度しなければならないのだ。
レナは今回の旅行中、お供もなし、身辺警護もなし。一応形として、別荘を中心とした半径3Kの円周上に、この国を転覆させるのに十分な軍事力が警戒態勢をとっているとはいえ、彼女からしてみればカゴからでた鳥のような自由である。
こんな奇跡が許されたのも、ひとえに日和の人望がなせるワザ。
レナのご両親は、今回の旅行の保護者が日和であると聞いて、結構簡単にOKをだしたとかださないとか。
俺の存在は大丈夫なのかと尋ねてみたら、日和はクスクス笑うだけでなんにも教えてくれなかった。
「ひっちん、これどこに運ぶー?」
桜子が、日和特選新鮮食材を運んできた。
料理主任は俺なのだ。重そうなイモ類を持ってやり、一緒に厨房まで担いでいく。
あれから桜子の態度は元に戻っていた。
いつも通りのマイペース。しゃべる時はしゃべるし、しゃべることがない時は無理してしゃべらない。
結局飼うことになった猫がどうした、闘犬がどうした。
彼女独自の世界観、視点雑感が楽しくて、ついつい相槌を打つのも忘れて聞き入ってしまう。
「猫太郎も風呂が嫌いでさー、おれも嫌いだけど、アイツを風呂に入れてやるのは妙に楽しいんだなー」
「ははは、多分それ、レナも一緒だぞ」
巨大な業務用の冷蔵庫に、あらかたの食材をしまい終える。
冷蔵庫の冷気がなくなると、なんだか途端に暑くなった。
なあ桜子、どうやらこの別荘にはプールがあるらしいぞ、もうここですっぽんぽんになってそのまま……
そんな軽口を叩きながら振り返ったら、桜子は真っ赤になっていた。
「い、いやだよ…ひっちんのえっち」
そういい、そそくさと俺の脇をすり抜けて厨房をでていく。
なにが起こったのかわからなかったが、わかったときには落雷のような衝撃が俺の中で爆発した。
桜子が俺を避けたのだ。明確に避けたのだ。
まるで弟のようでもあり、恥らうなんて感情がお互いこれっぽっちもなかった桜子が。
お風呂や添い寝、はたまた連れションだってナチュラルにこなしていた桜子が、たかだか裸のプールくらいで俺から離れていく。
「ち、違うんだ桜子! 誤解だ!!」
俺は走った。取戻さなければ、あの変わらぬ日常を。しかし――
「おぶ!!」
なにやら柔らかくていいにおいのする壁に、鼻っ面を突っこんでしまった。
なんだなんだとまさぐりながら顔を上げると、結のおっぱいだった。おっぱいの上には、殺すという字の語源になったのではないかと思われるほど、殺気のこもった眼。
「なにをしている……?」
「ち、違うんだ結。話を…いや、せめて謝るだけの時間をだな…」
そうして俺は調理済みの豚肉と見分けのつかないくらいに切り刻まれ、文字通り肉片と化しながら、ゴミのように三角コーナーに突っこまれた。
そう、この旅行にはなぜだか彼女もくっついてきているのだ。
俺、日和、レナ、桜子、結。これが全員。
変なヤツばかりだ。皆は俺が一番変だというだろうが、変なヤツラが一所に集まることがなお変。そこに異端の日本刀女が加わったとなればこれは一体なんの集団だろうか。次元でも歪むのではないだろうか。
生理事件の後、結は俺への嫌悪感を加速させていた。
すれ違うたびに、背後でロッカーをへこませたり、扉を叩きつける音がする。
日和がいうには、やっぱりタンポンが最悪だったらしい。
普通に保健室に連れて行けばよかったのだ、そこでタンポンを挿入するという行為自体がレイプと同罪。
人が意志薄弱なのをいいことに好き放題さわりまくったと、そういうことになっているとかいないとか。
全責任は俺。いやまったくその通りであるが、あまりにも露骨に唾を吐かれるからさすがに気分も滅入ってくる。
悔し紛れに毎晩のオカズを彼女に固定してやったら、それはさすがに品性が下劣であると、ゴミ箱を片付ける日和に怒られた。
「ちくしょうひよのヤツ、なんでまたアイツを呼ぼうなんていいだしたんだ」
この旅行に結を呼んだのは日和である。当然俺は反対したが、笑ってとりあってくれなかった。
でもどうせ、俺がいるんじゃあ結のヤツだってきやしないだろう。そうタカをくくっていたら当日普通にきてた。
”日和殿、此度は私のような若輩者をお招きいただき恐悦至極に……”
”やだやだ結ちゃん、頭上げて、そういうのはなしにしよ”
俺達3人は待ち合わせ場所に早めに着いて、俺一人だけが蚊帳の外。
続いて現れた桜子は当然のように結達の中に溶け込んでいき、最後に現れたレナまでもが”まぁいいんじゃない?”で済ませてしまった。
レナはもう完全に結の力を認めていた。あの娘はデキる子だわ、だから許す。彼女はデキる人間には国宗教民族人種を問わずやさしい。
「ていうか、なんでまたアイツもノコノコ俺達についてきたんだ」
日和達に混じって会話を交わす結は、どう見ても少しおとなしめの清楚な少女だった。決して日本刀を振り回したりなんかしない、可憐なたたずまい。
時折ほころぶ顔は木漏れ日のようで、そんな娘に心底嫌われているというのは精神にずっしりと応える。思いだしてやりきれなくなった俺は泣きながらリビングへ。すると――
「火之助! 一緒に泳ご!!」
レナが頭から飛びついてきた。
心すさぶ精神の寒冷地にあって、この娘のなんと暖かなことか。
俺は無言で少女を抱きとめると、そのまま近くのソファに押し倒した。全身が沈むくらい強烈なスプリング。レナはきゃーきゃーとはしゃぎ、暴れる。その声があまりに愛らしかったから、彼女のくちびるを舌で吸った。
「んっ……、ぁ………火之助…」
俺の人生においても、彼女の人生においても、初めてのキスだった。
あまり感慨が湧かないのは、それがあまりに当然の行為だったからだ。こうなることはわかりきっていたし、ここ一週間、レナとはキス以上のつながりでもって交わりあっていた。
教室で、屋上で、トイレで、体育倉庫で。プルトップを交わした日からこっち、常態化した愛撫は歯止めが利かず、俺とレナはヒマさえあれば互いの肌を擦り合わせていた。
護衛が見てる。俺の弱気な提案を、彼女は女王の気質でもって一笑にふす。
”みせつけてやればいいわ”
彼女がサディスティックな一面をのぞかせるのはそんな時。
まったく彼女の護衛達はどんな気分だろうか。
部下達がレナに寄せる思いは主従のそれを越えている。それはもはや信仰。幼い頃から彼等が育ててきた、いわば神だ。
そんな彼女が、どこの馬の骨とも知らぬ一介の学生に汚される。しかもそれらの愛撫を、眼をそらさずに見続け、護衛として心を殺さなければならないその気持。
レナは俺の考えを見透かしたように笑い、今度は自ら進んで舌をつきだした。粘膜が交わり、2人で溜めただ液を一緒に飲む。
今別荘をとりかこんでいる軍隊は、彼女のためなら喜びのあまり涙しながら死ぬ連中だろう。
彼女はそれらの部下を、よいしょと全部踏みにじってから、俺を選んだ。
誇らしさと快感。それとわずかにくすぶる不安がある。
さらにやっかいなのは、”不正を働いている”という後ろめたさだ。
俺には日和がいる。
その思いは、押しやろうとすればするほど、俺の頭を占有した。
レナの指が、だ液で濡れた俺の鼻を摘む。
「またひよのこと考えてる。顔がひよこみたいになってるわ」
「うん、……ごめんなレナ」
心が挫けそうになった。一体自分はなんという卑劣なやつだ。
レナとのファーストキスも、日和に対するあてつけのように思えてきて、考えるほどに自分があさましく見える。
レナは首をかしげて、丁度桜子を見るときによくするような、自愛に満ちた眼になっていた。
彼女のことだ、日和のように忍術など使わずとも、俺の心など三手詰みの詰め将棋見たく転がしてしまうだろう。
今この少女に嫌われたら俺はどうなるだろうか、麻薬を奪われた中毒者のように、発狂して死ぬしかない。
レナはゆっくりと口を開く
「ねぇ火之助」
「ん?」
「私はね、私だけの火之助はイヤなの」
「え?」
「火之助だけは私のものにならないで」
いい様彼女は、今までで一番深く俺の口を吸い、口腔のできる限りを舐めようとする。
小さな舌だった。汚れもなく、産まれたばかりで初めて空気に触れたような舌だ。
俺は衝撃を受けていた。
彼女の言葉を理解するまで、しばらくかかる。
「日和が好きでもいいよ火之助」
「……」
「でも私は、日和が好きな火之助が好き」
ギルボンド家の長女として、生まれながらに人生の全てを肯定された少女。
そこには光ばかりが満ち満ちており、反対に蠢く闇は、多くの大人たちによって自動的に退けられたきた。
痛みのない運命。だがそれは、夢と同じだ。
そんなようなことを、レナは俺に伝えた。
その夢を、ほっぺたつねって覚ましてくれたのも俺だと。
「わかる火之助? 私は追っかけてるほうが好きなの。そっちの方がドキドキするもの」
「なるほどなあ…」
相手がレナでなければ納得できない思考だっただろう。彼女は女王、その辺の凡人とは器が違うのだ器が。違うのだよ。
「でももちろん私も見て」
「うん」
「あんまりつれなくされるとスネちゃうわ」
「うん」
この娘を目の前にして、心のどこにも留めない人間がいるとしたら、そいつは未来人だ。
なんだか俺は日和なんかどうでもいい気がしてきた。そう思ったことを心の中で日和に謝る。彼女は気にしないよという。でも謝る。
「まだ迷ってるの火之助? あんまり女の子からいわせないで」
「うん、ごめんな」
「…まったくだらしのない、あなたはもう少し自信を持つべきね」
レナはそういうと、俺の頭をがっしと掴んで、ぺったんこの胸にぎゅーぎゅーと抱きとめた。
俺が苦しいというと彼女は笑い、掴んだままの頭を撫でながらこんなことをいう。
「好きよ火之助、大好き」
そのまま彼女は、習得している128の言語で俺を愛しているといい、ようやく開放されたと思ったら顔が真っ赤だった。
「私はアナタに好きっていいたくて日本語を覚えたのよ」
「レナ…」
「ああ、でもダメ、全然足りない。どれだけ言葉を尽くしても、私がどれだけ火之助を愛しているかなんて汲みとりきれないんだわ。もどかしい……」
「うぐ…レナ…ちょっと苦しい」
「ダメ。私の方がもっと苦しいもん」
そうして俺は、レナの体温でのぼせるまで抱きしめられた。
鼻血がでるかと思った。
・・・・・・。
「というわけでひよ、俺達結婚することにした」
周囲の山海を望める広々とした和室で、俺はこう宣言した。
日和はきっちりとした正座、対峙する俺の腕にはレナが巻きついて、力をこめたり緩めたりして遊んでいる。
「だからひよもいい加減、俺と結婚すべきだと思うんだ」
俺は夏場の生ゴミのように腐ったことをズバリといった。
俺の人生は日和を抜きにして考えることはできない。
俺は日和に育てられ、日和から学び、黙って日和のいう通りにすればあらゆることがうまくいった。
俺が自分自身で勝ち得たものといえば、日和には絶対にかなわないという事実のみ。
そしてその事実こそが、日和を神聖な、凡人には決して汚すことを許されない、気高き存在へと高めてしまっているのだ。
だから俺は、日和とキスもした事がない。
やろうと思えばいくらでもできたのに、だ。
確かに日和は、無理強いすると肋骨を握りつぶしてきたり、腱という腱を指でちぎったりしてくるが、そんなもんただの照れ隠しだ。
そこから一歩踏み込めば、日和はなんだって受け入れたはずだ。だが俺は踏み込まなかった。
だが今は違う。
汚泥の楼閣のような俺の自尊心を、レナが支えてくれている。
レナが俺を褒めてくれるのだ、なら俺はすごいに決まってる。
腕に絡まるレナを抱き寄せ、くちびるを重ねる。ものすごい元気がでる。今なら体当たりでクリボーだって倒せる。
俺はその勢いのまま、子供の頃のように、ちょっと上から日和を見た。やいひよ、やいひよ。
「お前は俺のもんだひよ」
「……うん」
「もちろんレナもだ」
「…うん」
「ちなみに桜子も狙っている。どうだ最低だろう」
「………」
日和は少しうれしそうな表情を見せたが、すぐに顔を伏せてしまった。
泣いているのか、笑っているのか。
図りかねていたら、みょうちくりんなアニメ声で、含み笑いが聞こえてきた。
「ふっふっふ。いいだろう、その勇気だけは褒めてやろう、内藤火之助君」
「ん? ひ、ひよ…?」
丁度こう、ほお骨のラインをベタ塗りで塗りつぶした、典型的な悪役のような日和がいて、なんだかヤケに楽しそう。
「どうしたんだひよ…? 暑さにやられたのか?」
「この痴れ者め! 我輩はひよではない、世界征服をたくらむ悪の秘密結社、日和見団の総帥なるぞ!!」
わっはっはーっと、腰に手を当てて仁王立ちする日和は、学芸会でやたらと張り切る保母さんごたる。こんな日和もアリだなあなんて思ってたら、ものすごい勢いで指を指された。
「内藤火之助!! お前が本当にひよを愛しているというのなら、その証しを示すがよい!レナ・ギルボンドをめとり、ひよをめとり、あまつさえ日国桜子をテゴメにしようというのならその甲斐性を示すがよい!! ……もっとも? ひよがいなけれトイレットペーパーの換えの場所もわからないようなヘタレにそんな覚悟があれば、の話だが?」
「な…なにおう!? 上等だ! やってやろうじゃねぇか!!」
手の甲を口に当て、ノリノリでしゃべる日和を相手についついのせられる俺。レナは息を呑んで観客役に回っていた。そういえばレナは戦隊モノが大好きだった気がする。
ミュージカルでも見ているかのように、滑らかな動作まで加わった日和総統は――
「その意気やよし! いでませい、怪人ウスムラサキ!!」
スパーンと。
左右に開いた障子の向こうに現れたのは、怪しげな白装束に身を包んだ結だった。
刀は抜き身。抜刀された妖刀は露を帯びたようにヌラヌラと光っていて美しく、同時に獲物を噛む前の野獣の口内にも等しき恐ろしさを備えている。
確実にわかる未来を憂うこと、それは予感とはいわない。
なんだかしらないが、俺は結と戦うハメになるな、そう思ったら、その通りのことを日和が叫んだ。
「ひのちゃん! もしもアナタに、私達をまとめて愛する気概があるというのなら、己の力で結ちゃんを倒して見せて!! ひのちゃんの力を見せて!!」
結が跳んだ。
俺は日和に習った護身術リストを検索する。そのどこにも、死を決して踊りかかる白装束の女子高生を制圧する手段は書いていなかった。
日和はこの日のことを、俺に教えてはくれなかったのだ。俺が自分で、判断を下すしかない。それは物心ついてから初めてのことかもしれなかった。
時間はない。それは結の眼を見ればわかる。結は本気で俺を斬りにきている。獲物を狩る野鳥のすばやさ。覚悟。退路もない。俺の背にはレナがいる。逃げれば万が一、彼女に危険が及ぶ。
簡単な選択だった。
俺は疲れたセミを捕まえるようにゆっくりと、妖刀の根元の部分を指で挟むと、そのままポッキリとへし折る。
驚愕に眼を見開く結が見えた。以前のようなミスは犯さぬよう、バランスを崩した結を空いた手で受け止める。そのまま静かに、折った刃を床に置いた。
「お見事!!」
どこからもってきたのか、日和が日の丸の入ったセンスをバツリと開いて、盛大に俺を祝福した。
・・・・・・。
「いやーまったく、疲れたことだぜ」
アレからしばらく、刀を折られた結は茫然自失の態だった。
日和とレナは手を繋いで大はしゃぎ。俺のことなどほったらかして仲良しこよし。
とりあえず今夜はお祭だから、ひのちゃんテキトーにお風呂でもはいってきてよといわれたからそうした。
なんとこの別荘には温泉が湧いているのである。広すぎる脱衣所で無防備になると、そういえば一人で風呂に入ったことなどいままでなかったなと、改めて己の異常な環境を痛感する。
熱されたひのきのにおい。誰もいないことの気の緩みか、あるいは寂しさか、一通りの独り言を並べて自分をごまかす。
湯に浸かり、大きな伸びをしたら、腕の先に硬直した桜子がいた。
「ひ……ひっちん…」
「ぬああ!? さ、桜子…!?」
「ご…ごめんよひっちん!!」
「あっ! コラ!! にげるな!!」
ここで逃がしたらまた気まずいことになる。そんなことを考えるよりも先に、俺は跳んだ。
2人まとめてすべって転び、つるんつるんのふとももがほっぺたにあたる。ふにゃんとかひにゃんとか声がして、ゆっくりと上体を起こしたら、丁度身体の下に桜子を組み敷いていた。簡単にいうと、押し倒していた。眼が合う。少女は涙を溜めている。
「さ…桜子…」
「ひ…ひっちん…」
もうよくわからないのだが、目の前のいじらしい少女は本当にあの桜子なのだろうか。
俺の中の桜子といえば、虎やライオンとじゃれあいながらサバンナを駆け抜け、密猟者のサブマシンガンに素手と素足で立ち向かう、そんなイメージなのだが、今目の前にいるこの少女はどうだ。
濡れた髪と肌、艶やかなまつげ。たよりなく、おちつきもなく、視線はどこかしら逃げ道を探している。
これでは雨の中怪我をした猫だ。気を抜けば、あっという間に逃げ去ってしまいそう。
「ごめんよひっちん…すぐでてくよおれ……だから離してくれよ…」
「なんであやまるんだ桜子、悪いのは俺で謝るのも俺なわけで…」
「ひっちんは悪くねーよう、おれがもちっと注意してれば…」
そのまましばらく、俺が悪いおれが悪いの応酬が続いた。時折肌と肌が触れ合って、どちらともなくそれをずらす。身体は離れず、顔はむしろ近づいていく。桜子の声が小さいせいだ。
互いの息が交じり合う距離。俺の視線に耐えかねたように、小さなくちびるがゆるりと開いた。
「恥ずかしいよひっちん…」
「どうして…?」
「どうしてって…」
「こっちみて桜子…」
「や…ぁ」
「綺麗だな桜子は…」
ひらいたくちびるをゆっくりと塞ぐ。
歯があたり、すぐに引っ込んだ。くちびるとくちびるが、ぐにぐにとひっつきあう。
「……ウソだよ」
「ん?」
「ひっちんのウソつき…」
「ウソ? なにが?」
「おれのこと…キレイとか…」
「俺が桜子にウソついたこと…ある?」
そのまま舌で首筋をなぞり、ペッタンこの胸に何回もキスをしながら、中央の突起を吸った。
ひゃぅンと、思わずでてしまったらしい声が、耳に心地いい。
「やめてくれよぅひっちん…」
「痛かった?」
「お……おれなんかその…背もちっさいし…胸だっておっきくないし…こんな…こんなこと…」
その瞬間、俺は理解してしまった。
桜子の思い、悩み、コンプレックス。
幼い頃から日本の裏社会を背負ってきた彼女は、女であるわけにはいかなかった。
日々の死闘、抗争、代理戦争。血なまぐさい日常の中で必要なのは、力のみ。恋だの愛だのなんてものは、おぎゃぁと泣いた時から母親の腹の中に置いてきたのだ。
にもかかわらず身体は育つ。
変わらざるをえなくなった時、彼女は自分の中の失われた日々に気づいてしまった。女としての空白の日々、その大きさに。
「いまさらおれみたいなのが…ひっちんを好きになったりできねぇよ…ひっちんにはひよやレナがいるんだから…」
「バカだなぁ桜子。あんなのどーだっていいんだよ」
俺はあまり脳みそを使わずにほざいた。実際熱気でのぼせたのか、桜子以外は心底どうでもよくなっていた。なにが日和だ、なにがレナだ。
お前が桜ならあいつらはその辺の雑草さ、多分そんなことをいったと思う。桜子は噴出して笑った。
「うはは、やっぱひっちんはウソつきだ…」
「ええいまだいうか! この口か! この口か!!」
「へへ、でもいいんだひっちん」
「ん?」
「ウソでもいい…ううん、ホントだったらおれ…うれしくて死んじゃうから…」
瞬間、俺の脳内には数万にも及ぶ婚姻届がばっさばっさと撒き散らされ、俺はその全てに全身全霊でもってハンコを連打した。
あーもうこいつはかわいすぎるとばかりに抱きしめ、抱き上げ、ふにふにの肉にキスしまくってからひっくりかえし、丸出しの性器に亀頭をあてがってもう、ひっちんしちゃうの? なんて声に首振って応えながら腰さえ進めれば合体完了、その時――
「失礼します」
結が入ってきた。
俺は桜子を抱えたまま後方伸身宙返りで湯船に着水。
心臓に身体の内側からぶん殴られているような感じだった。
動揺を隠さず、俺は問う。
「な…なななん、なな、…なんの用だ結!!」
なんか心臓鳴り過ぎじゃね? と思ったら、桜子とゼロ距離で密着しているからだった。桜子も相当動揺している。万力みたいな力でぎうぎうと俺を締めつけ、俺の方でも全力で彼女を抱きしめる。
膨れ上がったちんこが桜子の股のつけ根に圧迫されて大層心地よく、結に怒鳴りながらもじりじりとなすりつけることをやめられない。身体中から雫が噴出していた。
「お背中を流しにまいりました」
「せ…背中ぁ?」
はたして結は、絵面だけ見たら犯罪者な俺を軽蔑するでなく、斬りつけるでなく、頭をさげてしずしずとお辞儀をする。
腰に湯巻一枚おっぱい丸出し。僅かに汗で艶味を帯びたおっぱいは、まさにおっぱいの完成品ともいうべきシロモノで文句なし。
それを恥じる素振りなど業も見せずにほりだしているから、逆にこっちが気おされる。
様子がおかしかった。
「火之助殿、これまで再三にわたる非礼の数々、どうかご容赦くださいませ」
「ゆ……結…?」
「いかな罰も戒めも受けいれます。ですからどうか、私をお側に置いてくださいませ」
「そ、側…?」
「妻として」
「妻ぁ!?」
結のおっぱいしかみてなかった俺は、叫んだ拍子に桜子にひっかかってズッコケる。鼻に入るお湯お湯お湯。
どっちが上かもわからぬ浴槽の中でもがき苦しみ、ざぶりと顔をだしたら結がもうそこまできていた。おっぱいが近い。
「火之助殿…」
「わ、っこら…あ、さ、桜子!!」
「ひっちん、おれ先にあがってるから!!」
「あああ!! 待ってくれ桜子!! 一人にしないで!!」
濡れたタイルの上を抜群の安定感で走っていく桜子。追おうとした俺の進路には結が立ち、おっぱいの圧力に押し返されるかのように背をそらす俺がいる。
「ええいなんなんだ結!! たばかっているのか! 俺をたばかっているのか!?」
「いいえ。これは掟、我が一族が3000年もの長きにわたり貫いてきた、これは掟です」
おっぱいはいう。
彼女等の一族は、神代の時代より魍魎跋扈するこの国の礎を支えてきた、影の一族であると。
歴史の闇に潜み、人外の存在にのみその力を向けてきた異能の集団。
その力を維持することに重きを置き、それゆえ人の世とは常に距離を置いてきた彼等は、人体に関することならば現代科学を遥かに凌ぐ知識を蓄えている。
なぜなら彼等には、現代においてデリケートにならざるをえない人権や尊厳というものが備わっていないからだ。
遺伝子改造、人体実験、近親交配。彼等にはありとあらゆる人体の可能性をつぶさに網羅し、検証することが可能だった。そうする力があった。そして彼等が脈々と生き延びてこれたのも、そうした特異な性質があったからこそ、すなわち――
「人の世と距離を置くこと……これは我々一族のアイデンティティそのものなのです」
「は…はぁ…」
結はその一族絶対の掟を破ってしまった。否、俺が破らせてしまったのだ。
幼い頃、両親のいいつけを破って人里を見に行った結は、運悪く周囲をうろついていた大妖怪につかまってしまった。
絶体絶命。その妖怪はタチが悪く、捕らえたものを1000年かけて生かさず殺さず、細胞単位で陵辱した後ケツの穴から吐いて棄てる。そんな胸糞悪いヤツだから、子供の頃の俺は靴の裏でソイツを踏み潰した。
俺はからくも貞操の危機を脱した結を背負い、何重もの結界をぶち破って一族の里に潜入、驚く里の人間を尻目に、泣きじゃくる結に飴玉を与えて帰路についたとかつかないとか。全然覚えていない。
「私がとるべき道は3つ。あなたを殺すか、私が死ぬか……」
「う…うん」
「あなたの妻となり、生涯をあなたのために尽くすか……」
「またれよ、3つ目だけおかしい」
それは即ち、完全に人間となり、一族のことを忘れて過ごすことだという。
だが待て、それだったら別に結婚せんでもいいじゃないか。
そんなやりとりが続き、その度にぷるぷる揺れるおっぱいが、全然重力に負けないことがそら恐ろしい。
垂れる気配がない。これが人体練成というやつの集大成か、こんなんなら大歓迎だ。
「掟なのです!!」
「知るか! 棄てちまえそんなもん! カビくせぇ!!」
おっぱいのぷるぷるが止まった。
なんだかいってはいけないことをいってしまったらしい。すげー泣きそうな顔をしている。その顔で――
「私は…掟にすがるしか……そういう生き方しか知らない!!」
いきなり怒鳴った。
「あなたはずるい!! そうやって飄々となんにもできないサルの下の低級な出来損ないみたいなバカ面して、私なんかが束になっても寝ぼけたまんま弾き飛ばす力を持っている…!! 私が…私が今の力を得るためにどれだけ血反吐を吐いたか……!! 全部あなたを越えるためだったのに!! なのにあなたは! 人の命を助けたことまで忘れて!!」
それからもう、矢筒の中に残ってる矢を全部いっぺんに引いたみたいな暴言が飛んできて、それがいちいち俺の精神的な急所ばかり狙ってくるから、さすがに堪忍袋の緒が切れた。
やれ日和がいなければ尻の穴も拭けない、やれ日和がいるときはいまだにオムツだ。なにをいうとるのかねこのおっぱいは。
「ええい黙れ黙れ!! 知らねぇもんは知らねぇんだ! 覚えてねぇもんは覚えてねぇんだ!! こちとら好きな娘に認めてもらいたくて、その一心で毎日毎日息継ぎ一つせず全力疾走してるっつーのに、いちいちいちいちオメーみてーなザコにかまってられるか!! オメーにわかるか!? 好きな娘に遥か高みからひのちゃんすごいっていわれることの虚しさが!! どれだけ泳いでも光すら入ってこない深海の苦しみが!! 日和にゃ勝てねぇんだよ!! いまだにスタートラインすら見えてこなくて、進化遅れのトカゲの気分だ! 頭なんかとっくに狂ってる!! でもまあレナがいるからもうどうでもいいけどな!! おい俺は今なにをしゃべってんだ!?」
予想外の反撃にあっけにとられた結は、二度三度空中で手が泳ぎ、とりあえず何かいわなければ雰囲気に飲まれると思ったのか、やはりまくしたてた。
そういえば湯巻もどっかにいって、陰毛なんかが丸出しである。俺は当然のようにガン見する、結はひるまない。
「そ……それじゃああなたにすら近づけない私はどうなるんだ!! こうして裸をさらしているのに他の女の名前を口にして!! 戦士としての剣を折られ、女としてのプライドまで踏みにじられ……結構自信があったのに! 私はもう……」
限界まで近づいていたおっぱいがくるりと反転、黒髪をなびかせながら浴場をでていく。嫌な予感のした俺は全力ダッシュ、案の定、脱衣所には短刀でノドを突こうとしている結の姿があった。
「だぁああああああ!!! なにをやっとるんだバカ!! やめろ! やーめーろー!!!」
「離して!! 死なせて!!」
もみあって絡まりあって、あっちへゴロゴロこっちへゴロゴロ、そこら中のモノというモノを蹴り飛ばし、鉢植えだのなんだの、全部ひっくり返った。
ようやく短刀を弾き飛ばした時、俺は思わず手がでていた。ペチリという、頼りない音。女の子を殴ったのは初めてだったし、こういう形で叩かれるのは、結だって経験ないだろう。なんだか涙がでてきた。
「いっしょに頭冷やそうぜ…ホラ、そこに水風呂あるし……」
「冷やしても変わりません…」
「お前…あのな」
「毎日毎日、あなたの夢ばかりみます…忘れようと思って、どれだけ身体を痛めつけても無理でした」
「結…?」
「掟なんてウソです。里なんてホントはどうだっていい。育ててくれたことには感謝しているけど、あの人たちの占める割合なんて、私の中では微々たるものです……。あなたを夢中で追いかけていたらいつの間にか置き去りにしてしまった。今の私なら、里の人達を3分で皆殺しにできます。でもあなたにはかなわなかった。あなたを殺せていたらどれだけ楽だったか、長い長い夢から覚めることもできたのに。あなたは強かった。私なんか足元にも及ばなかった」
「……。」
「私、里をでてきました。本当はあと2年は修行を積まなければ駄目なんです。でもあの人たちに私を止める力はありません。私を怖れてさえいる。私にはもう、里に居場所なんてないんです。そのせいで毎日が最悪です。今は四六時中部屋にこもって自慰ばかりしてます。相手はあなたです。じゃなきゃ興奮しないんです。この癖もあなたを殺せば治ると思った。実際は酷くなる一方。洗わずにそのまま寝ちゃうから、自分でもにおいがすることは知ってます」
俺は結がしゃべるのにまかせた。後から思い返せばとてつもない告白なのだが、真面目に聞いた。
妄想ではレイプが多いけど、実際には優しくして欲しいです。ナスは試しましたごめんなさい、でも入らなかったからまだ新品です、安心してください。
まったくとんでもない。
「火之助さん」
「ん?」
「私もう全部話しました。火之助さんが好きだから全部話しました。これであなたに近づけないのなら本当に死にます。あなたが自分で死んでもいいです、どっちかにしてください。ハッキリして。これ以上私を苦しくしないで」
俺はとりあえず結を抱き上げると、そのまま水風呂に飛び込んで乳繰りあった。
冷たいところにいると、肌をくっつけあうことに罪悪感を抱かないものである。
というわけでなんだが、結が嫁になった。
・・・・・・。
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