「さ、飲んで下さい。」
そういって少しさましたお湯を差し出された。
しかしそれは唯のお湯ではなくてしっかりとアニシナさん印の薬が溶かされている。
どうしても飲まなくちゃ駄目デスカ・・・?
俺は恐る恐るそれを口元に持っていった。
幸い、強烈な香りや味はしない。
「陛下はお疲れなんですよ・・。本当にいろいろありましたからね。きっとその症状も精神的なものだと思います。だから、少しでも体と心を休めないと・・」
サヤさんは俺をベッドに寝かせると楽なようにベルトなどをゆるめてくれている。
お湯の温かさに俺はほっと息を吐いた。
少しだけ体が楽になった気がする。
「ありがとう。サヤさん・・。ごめん、心配かけて・・」
「いいえ。でも、ここにヴォルフラムがいたらきっとまた『へなちょこ』っていわれますよ?」
その言葉に俺は涙が出そうになった。
ヴォルフラムやギュンターたちとはぐれてから緊張や不安の連続だった気がする。
少し俯いた俺の髪をサヤさんが優しく撫でてくれた。
「サヤさん・・。」
「・・あまり無理をしないでくださいね。私やヨザックじゃギュンターやヴォルフラムや猊下の代わりにはならないかもしれないけど・・陛下の愚痴ぐらいなら聞けますから。」
「・・ありがとう。」
「貴方は御自分で思っている以上に周りから愛されているわ。それを忘れないで。」
優しく気遣ってくれる言葉が心にしみる。
結局俺はアニシナさんの薬を半分だけ飲んで枕に顔を埋めた。
まだ緊張感とか不安とかが渦巻いてはいるけど・・何とか眠れそうだ。
「おやすみなさい、陛下。」
「・・おやすみ・・」
しばらくはもぞもぞと寝返りを打っていたユーリだったがやがて規則的な寝息らしきものが聞こえてきた。
(・・眠れたみたいね)
その様子を見て沙耶はホッと息を吐く。
−最近ユーリの笑顔を見ていない−
始めにそう言ってきたのはヴォルフラムだった。
あの船の上でそう告げられ沙耶自身、思い起こすと心当たりがあった。
「微笑み」というものは何度か見ていたが以前のような−あの心から楽しそうで見ているだけでこちらまで笑顔になる表情は最近見た記憶がない。−
それだけでユーリがかなり無茶をしていることは理解していた。
「・・・まだ・・こんなに幼いのに・・。」
ユーリの髪を優しく梳いている手を止め沙耶は立ちあがる。
「・・こんな幼い体に色々な思いや気持ちを背負い込んで・・辛くないはずはないのに・・」
それでも彼は笑っている。
自分たちを心配させないようにと。
『大切だから、皆が好きだから』心配させないように・・。
「・・・陛下・・・。」
その時。
コンコンっとドアが2回ノックされた。
その音に反射的に沙耶はドアは見つめる。
時刻はすでに真夜中に近い。
「ヨザック・・・?」
ヨザックには今日はもう寝ていいといっていったはずなのにな・・。
そう呟きながらドアの方へと歩いていく。
この瞬間、沙耶は油断していた。
まさか、こんなホテルの中で何か起こるはずもないだろうという気持ちとユーリを起こしたくないために腰に納めている剣を椅子に起きっぱなしにしてドアのノブを回し少しだけドアを開けてしまったのだ。
「どうしたの、ヨザック。なにか・・用事・・。」
ドアを押すことによって少しずつ廊下にいる『彼』の影が見えてきた。
そして・・・。
「!!!」
それが誰か分かった途端沙耶はぐいっとドアをひいた。
(開けた隙間は数cm。まさか彼もすぐに反応できるはずない!)
ガッ・・・。
しかしドアは閉まることはなかった。
反対にドアの隙間を掴まれゆっくりと開けられていってしまう。
「ッ!!」
廊下にいる『彼』を沙耶はドア越しに睨み付ける。
剣を椅子に置いたままこちらに来てしまったことが今更ながら悔やまれた。
「・・・。」
今、ドアをしっかり押さえて閉まらないようにしている相手は無表情なまま一言も口を開かない。
沙耶はその様子を見てからちらりとユーリの方を見た。
ユーリはぐっすりと眠っている。
「・・・なにかご用ですか?」
低い声でそういうと彼は一瞬だけ顔をゆがめた。
「・・・何かご用ですか、と聞いてるんです。ウェラー卿コンラート閣下。」
冷たい声だった。
サヤ師範が俺を「閣下」付けで呼んだのは初めてだ。
「・・・陛下・・ユーリの体調は・・」
サヤ師範の後ろに見えるベッドからは微かな寝息が聞こえてくる。
「ついさっき眠ったところです。明日の朝には体調も少し良くなってると思いますので大シマロンの使者の方が気にかけることは何一つありません。」
師範は静かな声でそれだけ言うとぐっとドアノブを引いた。
話すことはもうないということだろうか。
「サヤ、待ってくれ!」
その声に師範の手が止まる。
「・・貴方とユーリ陛下を一緒の部屋に入れることは出来ない。ヨザックにもいわれたでしょ?『陛下に近づくな』って。」
「・・・」
その言葉を無視して俺はドアを大きく開けると部屋の中に入った。
「な・・・っ・・なにを・・コンラッド!!」
後ろの方から師範の慌てたような声とドアを閉める音が聞こえてくる。
ヨザックがこの部屋に入ってこないようにかわざわざ鍵までかけたようだ。
俺はその間に少し急ぎ足でユーリが眠っているベッドへと歩み寄った。
見慣れたはずの黒髪が、その小さな肩が呼吸に合わせて小さく動いている。
「ユー・・」
思わずユーリに触れようとして手をそっと伸ばすがそれはユーリに届くことは叶わなかった。
「動かないで。」
背後から冷たい声が聞こえてくる。
それと同時に首筋にひやりとした鋼の感触を感じた。
・・サヤ師範が俺の首筋に剣を当てている。
「・・・師範。」
「・・ギュンターは貴方を殺せなかった」
カチャ・・と剣を握り直す音が耳に響いた。
「でも・・私は違う。コンラッド・・私は貴方を殺せるわ。」
その声にはためらいなど少しも含まれていない。
それだけでこの人がどれだけ多くの死線をくぐり抜けてきたか容易に想像が付いた。
「『生徒』が不始末を起こした場合、『先生』がその生徒を罰すると言うことはあまり無いわ。でもね・・『弟子』が不始末を起こしたのなら・・・『師』はそれを罰さなくてはいけない。自分の命に代えても・・・」
剣を喉元に押し当てられるとピリっとした痛みが走る。
少し皮膚が切れたようだ。
「・・・師範なら俺を殺してくれるでしょうね。」
思わず本音が漏れ、自嘲の笑みを浮かべてしまう。
「・・・え?」
俺の言葉に少しだけ驚いたのか剣を押さえる力が微かに弱まった。
「でも・・・俺はまだ死ぬわけにはいかないっ!」
一瞬の隙をつき剣を抜きながら振り返りサヤ師範に斬りかかる。
「ッ!」
しかし師範の動きの方が素早かった。
俺の剣を体を反らすことで避けると同時に柄と手に強烈な蹴りを喰らい剣がはじかれてしまう。
「・・・眞魔国一の剣の使い手が聞いて呆れるわね、閣下?」
自らがはじいた剣を空中でキャッチしながら師範が静かに言い放った。
その瞳はどこまでも深いまるで「闇」のようだ。
俺は手を押さえたまま眉をよせた。
やはり強い・・・。
「・・・貴方は・・・一番してはいけないことをした。許可無く護るべき方の−ユーリ陛下の元を離れただけでなく、敵として大シマロンに仕え・・・。そして、あげくのはてにユーリ陛下を殺そうとした!」
サヤ師範の肩が小さく震えている。
「その罪は裁かれるべきよ・・・。」
再び首筋に剣が当てられた。
「師範・・・。」
しかし次の瞬間、短い声が辺りに響き渡る。
「待てっ!!!」
それは間違えるわけがないほど聞き慣れた声だった−。
「・・・ユーリ・・・」