聖魔の血脈・1



深夜を過ぎた時刻になっても、雷雨の音はいっこうに収まる気配がない。
いてもたってもいられなくなり、ミシェルは神像の前から立ち上がった。
「ロラン先生…………」
薄紅色の形良い唇から不安げな声が漏れる。
飾り気のない黒い上下を着ていてなお、清浄な光を放つかのような美貌の少年だ。
緩やかな金の巻き毛はその首筋までを覆い、金のまつげに縁取られた澄んだ緑の瞳は新緑のような輝きを持つ。
いまだ戻らぬ育て親への不安による憂い顔も、かえって彼の儚げな美しさを引き出す結果になっていた。
いつも黒い神父服にきっちりと身を包み、穏やかな笑みを絶やさぬロラン神父がこの教会を発って五日。
事の発端はそれより更に何日か前、小さな村に突然もたらされた凶報だった。
開墾のために近くの森の中に入った何人かがずっと戻って来ない。
彼らの家族の訴えを聞き、結成された捜索隊がその足取りを追った結果森の奥に見知らぬ廃墟が見付かった。
そしてそこには、行方不明になった者たちの変わり果てた死体も散らばっていたのだ。
驚き慌てる彼らに襲いかかった影。
運良く逃げ延びた一人の青年は、真っ青な顔をして村長に報告した。
口元に牙を持つ化け物が、村人たちに襲いかかりその首筋に顔を埋めた。
次の瞬間襲われた村人はまるで枯れ木のように痩せ細り、ばたばたと地面に倒れていった。
間違いない、あれは伝説の化け物。
吸血鬼だ。
朽ち果てた廃墟の奥で眠っていた怪物を、迂闊な連中が目覚めさせてしまったのだ。
その報に震え上がった村長は、ただちにロラン神父に連絡してきた。
事の重大さをすぐに理解した彼は、ミシェルに留守番をするよう言い残して吸血鬼退治に向かっていった。
普段はちょっと人よりぼんやりしているようにさえ思われるロラン神父だが、悪魔祓いの腕では右に出る者がいない。
使命感も人一倍強い彼は、下手をするとこの村だけの被害では済まないかもしれないと厳しい顔をして言っていた。
ミシェル、だから君は絶対にここを動くんじゃない。
君の血は絶対に奴らには渡せない、分かるね。
「…………はい、神父様……でも…………!」
珍しく強い口調で残された言葉を守り、ミシェルはひたすらに彼の帰りを待っている。
けれどもう五日が過ぎた。
その間何の連絡もなく、村長たちもたびたびここへ「神父様はまだか」と訪ねてくる。
そのたび「まだです」と無力に繰り返す、こんな日々はいい加減限界に近かった。
ロラン神父の足下にも及ばないことは分かっているが、自分だって彼の手ほどきを受けているのだ。
悪魔祓いの最低限度の心得はある。
足手まといにしかならないとは分かっていても、吸血鬼の住まう廃墟へと神父を追っていきたい思いは日増しに強くなっていた。
教会の前に捨てられていた自分を育ててくれた父代わりの人。
そして、長じるにつれ次第にはっきりして来たミシェルの特殊な体質を理解してなお、変わらぬ優しさで包んでくれた人。
どこかとぼけたのんきな笑みに、何度救われたか分からない。
無言のまま、ミシェルはぎゅっと服の裾を握り締めた。
昨日教会を訪ねてきた村長、及び村長の息子の目にあった欲望の色が頭から離れない。
神父が戻らないのなら、差し当たって君の面倒を見る者が必要だろう。
うちの息子は大層君のことを気に入っていてね、よければ…………
神父様は必ず戻りますと繰り返して何とか追い返したが、あの様子では今後も執拗に村長の家に来るよう迫られるだろう。
「…………吸血鬼が、退治されたかどうかも分からないのに…………」
腹立たしい思いを込めてつぶやいた、その時だった。
一際大きく鳴り響いた雷に続き、扉を開く音が礼拝堂の中に響き渡る。
はっと入り口の方を向いたミシェルの目に、ずぶ濡れのロラン神父の姿が映った。
普段は縛っている長い黒髪はほどけて首筋に張り付き、特徴的な丸眼鏡もすっかり曇ってしまっている。
しかし少なくとも見た目上それと分かるほど、ひどい怪我などを負っている様子はなさそうだった。
「神父様…………!」
激しい衝動に駆られ、ミシェルは彼のところへ駆け出した。
飛びつくようにしがみ付いてきたその体を、神父はいつものように穏やかに笑いながら受け留める。
「ミシェル、ごめんね…………心配をかけたね」
耳元にささやかれる優しい声に、目尻がうっすらと濡れるのを感じた。


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