聖魔の血脈・2
「い、いいえ、いいえ、僕、僕は神父様が無事でお戻りならそれで……!」
感極まったミシェルはそれだけ言った後、はっとして慌てて彼から離れた。
「ご、ごめんなさい! 神父様、あのっ、どこかお怪我は…………!」
「ああ、心配ない。私は大丈夫だよ…………いっしょについて来てくれた皆には、気の毒なことをしてしまったけど」
言われてみれば確かに、ロランは一人。
ミシェルはここに残していったが、吸血鬼退治に赴く際彼は屈強な村人たちを何人か連れていったはずなのだ。
「じゃあ、皆さんは……」
「……気の毒なことをしてしまった。けれど相手は並の吸血鬼ではなくてね、私も自分の身を守るので精一杯だった」
少し悲しそうな目をしたロランは、ずぶ濡れの神父服を脱ぎながら独り言のように語る。
「奴は多分真祖だ。吸血鬼に噛まれてなった後天的な吸血鬼ではなく、何らかの理由により自ら吸血鬼になった化け物。数は少ないけど通常の吸血鬼の何倍もの能力を持つ……私も出会ったのは初めてだった」
暗い目をしてそう言った後、彼は声もなくその顔を見上げているミシェルにいつものとぼけた笑みを向けた。
「まあ、けれど、細かい話は後だよ。ミシェル、悪いけれど何か着替えを持ってきてくれるかな」
ひょろりとした印象とは裏腹に、黒い神父服の下から現れたその肉体は驚くほどたくましい。
そこに何箇所か見知らぬ傷が増えているのを見つけ、ミシェルも一瞬表情を暗くした。
けれど今はロランの言う通り、消耗している彼を休ませるのが先決。
「はい、分かりました。少しお待ち下さい」
そう言うとミシェルは、教会の奥にあるロランの部屋へと駆けていった。
五日の間主を失っていた小部屋の扉を開き、壁にかけてあった替えの神父服を手に取る。
すぐさまロランのところへ駆け戻ろうとしたミシェルだが、振り向いた瞬間彼は驚きに小さく声を上げてしまった。
「あっ!? あっ、なんだ、神父様」
開きっぱなしの戸口に立った黒い影に驚いたのも束の間、そこにいるのはロランだとすぐに気付く。
びっくりしたのが恥ずかしくて、少年は照れを隠すように少し怒った声を出した。
「もう、だめですよ、神父様はお疲れなんですから…………後のことは僕にお任せ下さい。ほら、これ、着替え」
そう言ってミシェルは、着替えを差し出しながらロランに近寄っていった。
その腕を掴む強い力。
あっと思った時には、ミシェルの手から抱えていた着替えは離れている。
布が床に落ちる音に続き、聞こえたのは寝台が軋む音。
仰向けに寝台の上に押さえ付けられたことを理解するまで少しかかった。
「……神父様…………?」
見上げた瞳に、薄暗い天井と上半身裸のロラン神父の顔が映る。
訳が分からぬまま、ミシェルは呆然と育て親の顔を見上げた。
「ロラン、神父…………様……な、何……」
確かにこの神父は時々寝ぼけておかしな行動を取ったりすることがある。
しかし見上げたその顔は、間違いなくいつもの彼の顔。
髪がほどけているので多少印象は違うが、それでも彼は間違いなくロラン。
いや、とミシェルは思い直した。
どこかに何か違和感がある。
瞳を細め、表情を険しくしたミシェルを見下ろしたままロランは無造作に右手を動かした。
濡れた長い黒髪がかき上げられ、彼の首筋が薄闇の中に露わになる。
そこにあるものを見付け、ミシェルは小さく喉を鳴らした。
並んだ二つの傷。
ほどけた髪の下に多分ちらちらと見え隠れしていたのであろう、違和感の正体は小さな牙の跡だった。
吸血鬼に血を吸われた証。
それはすなわち、彼らの生贄になったということ。
もしくは、その眷属となったということ。
「神父様っ…………! ンッ……!?」
血相を変え、叫ぼうとしたミシェルにロランが覆い被さってくる。
薄く開いた口元に牙を見た、と思った瞬間、少年の唇は彼のそれに塞がれた。
てっきり自分も首筋を噛まれると思っていたミシェルの、驚きに食い締めた唇をぬるりと舌が這う。
「…………ンッ、ふ…………」
ねっとりと蠢く舌が、唇の隙間を割って侵入してきた。
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