炎色反応 第一章・1
運が悪かったとしか言いようがない。
眠れない夜、ほんのささいな好奇心から村を出て少年ティスは近くの森に入った。
この時点でかなり軽はずみな行動だったのだが、彼は生まれてからずっと同じ村で暮らしている。
夜の散歩も始めてではなかったので、寝巻きの上に薄いフードを羽織っただけでついふらふらと歩き出してしまった。
ところが寝付くために少し薬を飲んでいたためと、元々多少方向音痴の気があった彼は呆気なく道に迷ってしまった。
行けども行けども似たような木が月明かりに黒い影を作っているばかり。
元来た村がどちらだったのか皆目見当が付かない。
それだけならまだしも、困り果ててうろうろする内にティスは何か人の声を聞き付けた。
夜の森で上がる大声などまともなものであるはずもないのに、彼は心細さから自ら声の発生源を求めて近付いてしまったのだ。
「あっ!?」
やっとすがるものを見付けたという喜びも束の間、立ちすくむティスの前には信じられない光景が広がっている。
木々の狭間に、体中から噴水のような血を噴きながら倒れている鎧姿の男が三人。
いずれもまだ完全には絶命していないらしく、地面の上でもがきながら無様に身をくねらせている。
「なんだお前」
しゃべったのは、一人だけ無事な姿で立っている短い黒髪の男だ。
ティスが着ているのと似たような濃い灰色のフードを肩に落としているので、月明かりにもその強い金色に輝く瞳がよく見える。
狼を思わせる野性的な整った顔立ちが人目を引くが、更に印象的なのは彼の指で光るまるで炎のような形をした赤い指輪だった。
火の精霊の指輪。
火、水、土、風の四大精霊の恩恵を受けた証である精霊の指輪は、この世界では魔法使いであることの証である。
同時に生まれ付きの能力である魔力に驕り、力なき人々を見下す傾向の強い人間であることも示していた。
中でも火の精霊の恩恵を受けた魔法使いは選民意識が非常に高いと聞いている。
ティスも昔一度だけ村に来た火の魔法使いを見たことがあったが、大人たちの恐れようは滑稽なほどで彼が去るまで小さな村は死に絶えたようにじっと息を殺していた。
「あ…、オレ…」
がたがたと震えるティスは、逃げる、もしくはすぐにも膝を付いて服従の礼を行わなければいけないと頭では分かっている。
けれどそのどちらも出来ず、膝頭をがくがくさせながら突っ立っているだけ。
魔法使いはどうでもよさそうにティスから眼を背けた。
赤い糸で縁取られた真っ黒の衣から出た右手の指先と、人差し指にはまった火の精霊の指輪が光った。
ティスが震えながら見守る中、指先の光がそこから離れた。
それはまるで流星のように、正確にいまなおもがく三人の男たちの後頭部を貫く。
ズッ、と嫌な音がして、三筋の血流が宙を飛ぶ。
そして男たちはぴたりと動かなくなった。
吹き上がった血に紛れてまた飛び上がった三粒の光が再び魔法使いの指先に戻った時、ティスは足から力が抜けてその場に座り込んでいた。
一体何が起こっているのか分からない。
これは夢なのか。
そうなのなら、早く覚めてくれないだろうか。
だが魔法使いの丁度膝の辺りに視線を固定させて呆然としていたティスは、さっきの光がこちらの方に向かってくるのを見た。
避ける暇もない。死の予感に凍り付いたティスのフードが、何かの力に引き裂かれ肩に落ちる。
「……驚いたな。こいつは上物だ」
魔法使いは片眉を上げ、驚きながらもどこか楽しそうにニヤリと笑った。
月明かりが淡い金色の髪に天使の輪を描いている。
裂かれたフードの下に露になったのは、両親がひそかに互いの浮気を疑うほどに彼らにまるで似ていない美少年だった。
水色の瞳をぽかんと見開いたまま、まだ動けないでいる。
魔法使いは男たちの死体を蹴飛ばしながら大股に近付いて来て、ティスの寝巻きの襟元に手をかけると一気に引き裂いた。
白い胸、白い腹、寒さに少し立ち上がった桃色の乳首が彼の前にさらされる。
やせた細い体はまだ大人にはなり切れておらず、かといってただ細いだけでもなく、しなやかで上質の薄い筋肉に覆われていた。
「オレは火のオルバン。雑魚に手間をかけさせられて気が立っている。お前が鎮めろ」
傲慢な口調で、オルバンと名乗った魔法使いは当然のようにそう言った。
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