「あの・・・よろしくお願いします」
一夜明けて、テイラは散々考えた末、アークに付いていく事を了承した。まだ緊張が残るのかテイラの表情は固かったが、それも時間をかければ徐々に慣れてくるだろう。アークは簡単な朝食の準備をし、それを食べながら口数の少ないテイラに川の様子や森の経路を伝えた。
「それで、森を抜けるにはどれほど早くても二日半ほど、正味三日はかかると見なければいけません。歩き通しになるので休める時には遠慮せずに休んでください」
「はい・・・あいがとうございます」
遠慮がちに頷いたテイラに、アークは心の中で苦笑する。素直に返事をしても、テイラの性格からしてアークを措いて自分だけ休むなど出来ないに違いない。
人は緊急事態におかれると、どうしても休息をないがしろにしがちだが、休まなければ体がついていかない。ましてや、テイラはアークが見てきたどの女性よりも華奢な体つきをしていた。
テイラが倒れたのは、誰にも助けを求めずに自力で何とかしようとした結果だった事を思うと釘をさす必要があった。これからの道程がどれほどのものになるか分からないが、無理をして良いことなど一つもないのだ。
「その・・・あの、アークさん・・・これ・・・・・・」
そう言うと、テイラはその豊かな髪を飾っていた不思議な形のアクセサリーをアークに手渡そうとする。しかし、アークが受け取らずにテイラをじっと見ているので、決まり悪げに俯いた。
「ずっと・・・御守りにしてきたの。売ればそれなりの値がつくと思います。何かにお役立て下さい」
それでもアークが受け取らずに静かに首を振るので、困り果てたようにテイラは眉を寄せた。
「大事なものなのでしょう? テイラにとってとても価値のあるもの。違いますか? それなら、この程度の事で簡単に手放してはいけませんよ。貴方の御守りなのですから」
優しく諭すように言っても、テイラは悲しそうに顔をゆがめるだけで手を引こうとはしなかった。テイラの健気さがアークにはとても痛ましく映り、口早に言う。
「ではテイラ、受け取らせて頂きます。ですが、それはテイラが持っていて下さい。私が持っているよりも貴方の手元にあった方が御守りとしての効力がありそうですからね」
「そう・・・でしょうか・・・?」
「ええ。御守りは持ち主が持っていれば、その人に集まる者も守ると言われています。テイラが大事に持っていれば、私も守ってもらえるでしょう。それともし万が一、手放さなければならない状況になったなら、テイラが値段を決めるよう約束して下さい」
「私が・・・?」
「ええ。こういった珍しい物や高価な品を扱う業者は、本当の値段を知っていても、私達のような旅人には嘘をつく場合が多いんです。だから、いざという時、安く買い叩いてくる者のいるでしょう。せっかくテイラが大事にしていた物です。そんな形で失うのは嫌でしょう?」
一瞬、考えてからコクンとテイラは頷いた。素直なテイラに、アークから自然と笑みが零れる。
旅慣れたアークが業者の表情や態度で嘘かどうかを見抜く事は簡単だったが、テイラに持たせておくのに二重三重に手放しがたい状況をわざと作っておく。これでテイラの厚意を無碍にする事なく、御守りを奪わずに済んだ。
アークの故郷では、御守りを持ち主以外が持つ事を厭う風習がある。何故なら、持ち主が持つなら幸いが訪れ、逆に他者が持てば災厄が降りかかると言われているからだ。特に、持ち主の幸いが周囲にも与えられるという謂れがあるせいで、御守りや願掛けされた物をもらい受けるのは良くないとされている。
― 私にはこれだけで充分です。
アークは懐にあるポケットにそれとなく手を伸ばす。テイラが持っていたものと違い、鈍い色の固い石。見た目だけでは、とても金子に変えられるものとは思えない。それでも、アークにとってどれほどの金品を積まれても手放せない物だ。
― 物にも想いが宿ると言いますしね・・・
少女の髪飾りを見ながらそっと息を吐く。きっとそれを贈った人は誰よりも少女を大切に思っている。連れて行った先にいる人がアークを想うのと同じように。それが分かるだけに、テイラの生真面目さが気に掛かった。
一方、アークの手に渡らなかったそれを失くさない様、テイラは髪に再び飾っておく事にした。アークはああ言っていたが、テイラにはそれがどれほどの価値なのか検討もつかない。
それに、テイラにとってアークの態度は驚くべき事だ。今までテイラが出会ってきた人間達の多くは狡猾で貪欲だった。差し出せば必ず受け取り、差し出さない物は奪い取ろうとする。それがテイラにとって当たり前であり、アークのように何も受け取ろうとしない人間は初めてだったのである。
― 助けてもらったのに・・・
テイラは少しだけ、もっと強く差し出せば受け取ったかもしれないとも思う。しかし、アークがテイラの髪を褒め、アクセサリーを満足そうに眺めている姿を見て、その思いを否定した。
― 本当に不思議・・・・・・アーク、さん・・・
呼び捨てにしていいと言われても、テイラは出来るだけ距離を縮めるような事は避けたいと思っていた。世話になっている身でありながら、おこがましいと思わない事もなかったが、どうしても身構えてしまう。
一定の距離感よりも近づいてしまい、過度な要求をされ続けた過去が、テイラにそうさせている。アークも同じようになるんじゃないかと不安になりながらも、テイラを気遣う一つ一つが警戒心を和らげてくれる。
― そんなはず、ないのに。
テイラは小さく否定しながらも、きっとアークは傷つけないと確信していた。旅慣れたアークのことだ、剣やナイフを振るうだろうぐらいはテイラも分かっている。それでも、アークは裏切りや無駄な争いを好まないだろうと漠然と思う。
さらさらと流れる自分の髪の先を見つめ、アークをそっと見上げる。こちらを見ていないと思っていたのに、目が合い微笑みかえされ俯いた。急に渇いた喉を潤すため、テイラは水筒に手を伸ばした。
朝食を終えるとすぐに、彼らは目的地である都市エリアスに向けて出発することにした。この国で大きな都市は限られている。エリアスはその中でも比較的旅人に友好的な都市で、貿易も盛んだ。人が多く、アークの力を必要とする人も多数いる上、テイラならあの人に気にいられる可能性が高い。
エリアスに辿り着くには、普通ならこの森の端を渡りながらいく事になっている。獰猛な動植物がはびこるせいで、真っ直ぐに都市まで突っ切るのは無謀だ。古い伝承に出てくる五人の女神の内、ミーネの名を冠するが故に闇の森と呼ばれる樹海。
アークが近道として森の奥深くを進んでこれたのは、剣の腕が良かったからに他ならない。それもテイラを連れてでは難しい。その為、彼らは樹海の外れに点在するいくつかの村を中継地として行くことにした。まずは、樹海の北にある村、アンティオキアを目指す。
「森の外れのせいで住み難いと思われがちですが、作物が豊かでのどかな場所です」
「行かれたことが・・・?」
「ああ、いや。友人が良く行くので、村のことや村民の話を何度も聞かされているんです。エリアスに行くには外せない場所なので」
「そう・・・ですか」
テイラと会話をポツポツと交わしながら進んで行く。テイラから話が振られることはないが、静かな語らいは途切れることなく続いた。アークがガサッと音がして動物の気配がする度に警戒してもテイラは気にする様子もなく、だいぶ進んだ地点でアーク驚きつつ言った。
「これは・・・・・・こんなのは初めてです」
アークは首をかしげ、それを真似るかのようにテイラの肩に止まっている小鳥も首を傾げるのだった。
2009/01/09