◇それは暁の◇Capter09


 ようやく馬車が止まるころには、太陽がこれでもかというほど照りつけてきていた。ぐだぐだと馬車を降りる夜理に、ここがナスカだと誇らしげにヤニスが言う。王都傍の街ということもあってか活気があるものの、住民たちの気性は穏やからしく、夜理のような不審者にその目は温かい。
 ヤルノによれば、王都からの『はみ出し者』が多く集まるせいで適度に都会気質を残しつつも田舎のそれに良く似た雰囲気の街になっているとのことだった。
― 当たり、かな。
 都会と田舎を比べて、どちらも一長一短だと感じていた夜理には好ましくみえた。仕事が立て込んでいるヤルノとはそこで分かれ、ヤニスと一緒にグラハムの使いと会うために指定された宿屋に向かった。
 ついて吃驚したのは言うまでもない。夜理だって、ここ数日でちょっとやそっとのことでは無関心にいられるぐらいに慣れたつもりだった。もっとも、最初から周囲への関心は薄かったけれど、ここへ来て悪化させたぐらいには動じない人間になっていた。
 なのに。ああ、それなのに。
― はっ・・・馬鹿面ってこのこと!? もうちょっとマシな建築にしようとか思わなかったのわけ?
 金箔で覆われた外壁に、白が眩しい柱。磨きこんでいるだろう銀の手すりがあるのは正門と思しき扉の前に連なる低い階段。贅の限りというよりも悪癖の限りといった方がふさわしい扉の取っ手は蛇を模っていた。
「・・・ヤニス、ナスカの宿にしては趣が今までと違うようだけど?」
 ここに来るまでにも、宿への客引きらしき人物に会ったのだ。その人たちが指示した宿は、まあそれなりにそういう場所も兼ねていたものだったけれど、さすがにここよりも奥ゆかしい何かがあった。
「ヨリ、ここは一般の宿屋じゃないよ。もちろん、僕にだけ声をかけてきた人達が指すのとも違うからね。グラハム様は王都があるダート領主だから、それに倣ってお迎えの方もこちらにお泊まりになることが多いんだ・・・見た目よりも実って考えでね」
 やはりヤニスのような根っからの貴族でも、この外観は不評なのだろう。むしろ豪奢になれた貴族だからこそ、あからさまに厭う人間もいると知ったのは待合室の一席に身を置いてからだった。
 しんと静まり返った場所でヤニスと二人きりというのは気まずい。一方的に夜理がそう思っているだけだが、グラハムの使いが来るまでに何か話題を探す。
「そう言えば、聞くことがなかったので教えてもらいたいのだけど、王都はどうしてダート領の中に位置しているのかな?」
「えっ・・・聞いたことがなかった?」
 細かい事は不審がられないように襲撃にあったときに記憶を失くしたことにしていたが、それでもこの質問はまずかったのだろう。ヤニスの顔が見る間に険しくなっていく。
「あっ、違うの。昔は覚えていたような気がするのだけど・・・両親を亡くしてから世話になるばかりでこういった事は教えてもらわなかったから。勉強をするにしても私は他の子たちと違っているから、お世話をしてくれた方が気を利かせてくれて」
「そう・・・まあ、学院に行くのは貴族とかお金のある商家の跡取りぐらいだからね。ヨリが気に病む必要はないよ。王都の成り立ちは子供の遊び歌になってるくらい有名だけど・・・もしかしたら」
 ヤニスがそこでいったん言葉を区切った。
― うん、きっと多大なる誤解の瞬間。きっと両親が死んじゃったゆえの記憶喪失とか考えちゃってるんだろうなー、違うけどなー
 ふと考えるように顔をうつむかせたかと思うと、いつもの穏やかさで夜理に昔語りを始めた。




 その昔、大陸は一つ。海は一つ。空も一つだった。鱗に覆われた体躯と優しい目を持ったソレが空と大陸と海を統べていた。ソレがあまりにも多くのモノを統べなければいけなくて、とうとう疲れ果てるまで、そこにはソレと並ぶものはいなかった。
 ある日、ソレは必至の思いで光に乞うた。ともに統べるものを。
 そうして、それらをともに統べるものが迎えられた。そのものは人と呼ばれた。ソレは歓喜し、人に大陸を統べるよう頼んだ。空と海はそのままにした。何故なら、人には重すぎる業だったからである。
 人はソレの言葉に従い、喜び、大陸を良くしていった。次第に、人は子をなし、大陸に広がっていった。ソレは人を見るにつけ、歓喜の笛を吹いた。大陸は潤い、そして海と空も輝いた。
 しかし、人はソレが持っているものが羨ましくなり、ねたむようになっていった。いつしか、人はソレと話すことを厭い、人はソレから目を背け、人はソレの声を遮った。
 人がソレを避けても、ソレはいつまでも人を想っていた。けれど、人が海へ空へ嘲笑をなげかけるようになったとき、ソレは人を厭うた。ともにという願いが裏切られたからである。
 これよりソレは、己と人との大陸と海と空を分けた。そうして、ソレは人から離れ、人は最初に手にしていた大陸よりも小さな陸と、横暴な空と、僅かばかりの荒れやすい海を手に入れた。



「そうして出来たのがこの大陸だと言われているんだ」



 人が間違いに気付いた時には遅く、ソレは人の声を聞かなかった。壁がソレと人とを隔てたためである。
 次第に陸と空と海は人の手から逃れていった。人の泣き叫ぶ声の中で、ひと際響く声があった。壁を通しても聞こえてくるその声を、ソレは憐れに思った。愚かで小さき声に同情心をよせたのである。
 ソレは闇に乞い、闇はソレを受け入れた。そうして、荒れ果てた空と海とを元に戻すとソレに言った。
『全てを元に戻すのなら、お前が全てを統べなければならない』
 ソレが光に乞うた人を失くすことでもあった。それはソレの望みと違うものであったため憂えた。憐れに想うソレの横に光が立った。光は最初から見ていたのである。
『人の子の中でひと際響く声があった。彼に幾分かを分け、それから隔てれば良い』
 光がそう言うと、そのようになった。こうして人とソレは分けられ、人は小さな陸地と荒れやすい空と揺れやすい海を手に入れてた。また、陸は人が統べるものとされたが、空も海も光にゆだねられた。人が再び災いをもたらさないためである。
 闇は光よりもソレに近かった。故に、闇はソレに彼の声だけは聞き届けるように言い、ソレは闇の言葉を聴き入れた。闇は更に言った。
『彼とともに統べるものはおらず、光とともにあるのは別のものである』
 その言葉ゆえに、彼の他に光の代わりが据えられた。



「こうして、今の大陸と国の祖が出来たと言われているんだ。王宮がある場所は声が聞き届けられた場所だと言われている」
 一息に話し終わったヤニスには申し訳ないが、夜理にはどこらへんが問いの答えにあたるのか、皆目見当がつかない内容だった。
「・・・つまり、王都と王族の成り立ちは分かったんですが・・・その、なんでダート内に?」
 夜理の当初の問いに全く答えにならない昔語りを聞かせ、妙にやりきった顔をしていたヤニスが苦笑した。
「話の最後に、闇が光の代わりを置いたでしょう? それがダート領主の祖とされています。王都がダート領内にあるのは、王族がソレに声を聞き届けてもらうための場所と、闇が光の代わりとして指定したダートの祖先がその時いた場所が一致したからですよ」
 いつの間にか背後から声がした。いつの間に、と思うよりも長かった声は紳士的に落ち着いた声だ。声の主はグラハムよりは随分と若い。
「はじめまして。グラハムより貴女の身辺を預かるよう言付かった者です。名はキース・ルビィ・ド・ダート・クラウと申します」
 ルビィは公爵に相当する位だ。イーガン家と同等位とはいえ、領土内に宮があることを考えればクラウ家の方が上だろう。貴族の中で最上級なその人は、グラハムに良く似た笑顔で言った。
「祖父から聞いてはいましたが、思わずベールを奪い取ってしまいたくなる気持ちもわかりそうですね」
 何とも言えない空気が漂ったものの、社会人の礼儀として夜理も挨拶を返した。隣のヤニスは親しげな空気を出しながらも、どこか警戒しているのが分かる。
― 友達未満、知人以上の微妙なお年頃ってやつか。ややこいのう。
「はじめまして。すでに御存じと思いますが、どうぞヨリとお呼び下さい。グラハム様には先日、お会いしたばかりというのに御迷惑をおかけして申し訳ありません」
 夜理にとって社交辞令は長い方が良いと思う質ではないので、あっさりとしたものだ。それが先方にとっては興味を引き立たせるものだったのかもしれない。悪びれもせず、あろうことかヤニスに言った。
「なんだ、お前がいちもくさんに帰ったなんて聞いたから、どんな子かと思っていたら純朴そうな子じゃないか」
 はははっと朗らかに笑ったキースに、ヤニスは苦笑交じりのため息をついた。
「ヨリは子供扱いしていい女性じゃないと思うけどね、キース。相変わらず無作法なのは寄宿生活が長いからか? お前が来るならここじゃなくて、別の場所にすれば良かったよ」
 おやっと片眉があがりそうになる。先ほどまでの白々した空気はどこへやら。一気に親密な空気になっていた。聞けば、学生生活の頃からの馴染みらしい。夜理への口調も砕けたものに変わっていた。どうも下に見られたのは間違いない。顔が見えなければ年をごまかせるのは有り難いのか、不便なのか。
 先ほど見せたヤニスの警戒の理由もあっけなく分かった。率直に言えば手癖が悪いのだ。キースという男は。
「ヤルノさんは一緒じゃなかったのか? ああ、あの人はいつも忙しそうだものな。だったら、三人で役場に行って先に手続きを済ましてしまおう。こういったのは後手にすると面倒だからな」
 そう言われたものの、三人で役場に行ってからが面倒の連続だった。手続きに必要な書類はあちらこちらの管轄部門別に取りにいかなければいけず、勝手の分からない夜理は二人の後をついていくだけだ。ここで本人に面倒なことはないとはいえない。いかんせん容姿が普通ではない。
 鼻下までの短いとはいえ、視野が狭まる白いベールでは満足に動くことも難しい。足が速いわけでもない、連日の運動不足が祟ってひと段落終わるころにはがくがくと膝が震える始末だ。
 夜理はこちらの字が書けない。困ったことにこの世界の識字率は決して高くないが、庶民でも自分の名前ぐらいは覚えているのだ。そこらへんも曖昧にごまかして何とか代筆で乗り切った。
 良い年して年下におんぶにだっこ状態で夜理の神経は焼き切れそうになっている。ヤニスもキースも知らぬことだが、夜理はプライドが決して低いわけではない。かといって高いわけでもない、実に半端なプライドを持っている面倒な人間だ。
「これで最後だ。この手続きが終われば、晴れてヨリはグラハム様後見の人間として認められてダート内の一角を借りて生活していく事ができる」
「住む場所はナスカじゃないんですね」
 夜理が新たに戸籍が作られたのをしげしげと眺めながら、記載された所在地について質問すると、意外な返答だった。
「ナスカと王都を結ぶ直接の交通路が無いから、貴女にはこれから向かうコロンビという街に住んでもらう。そこからなら王都に馬車で一刻でつくから。それと職についてもらうことになるが、こちらで決めてしまってもいいと言われたから、幾つか用意してある」
 あらかた手続きが済んだところでヤニスに呼ばれ、馬車にのってから続きを話そうとキースに促された。三人で座ってもゆったりとした豪華な席につく。
― 見れば見るほどグラハムさんとは似てないかも。第一印象ってこんなに当てにならないもんだったっけ
 夜理の不躾なまなざしに気付かずに、キースはこれからの注意事項や後見の契約制度、夜理の身の回りの世話について細かく説明した。
 夜理がこれから身を寄せる所は、簡単に言えば独身寮だった。年齢、性別を問わずと管理人が獣人だということぐらいが夜理にとって『あり得ない』ことで、それ以外はなんら問題ない。ここまで気を使ってくれる人たちに一抹の気まずさを感じながら、気取られぬように息を吐く。
「規則はここに書いてあるから目を通しておいてくれ」
 キースが抜け目なく、夜理の観察に勤しんでいたとは全く気付かず、座席の座り心地の違いを不思議がっていた。。
「もう少しでコロンビに着くかな。夜理は疲れていないかい? ヤルノ兄さんから夕飯に良い物を食べろって言われているから、少し贅沢しても大丈夫だけど・・・ヨリはどうしたい?」
 ヤニスに聞かれ、急いで頭の中を巡らす。一文無しの夜理からすれば、これからの生活拠点と手段に時間を割きたいのは自明の理だろう。
「夕飯もそうですが・・・」
 紹介してもらえる仕事の内容と場所、面接の有無を確認する。住む場所は選択の余地など皆無だろう。そもそも贅沢をいうわけにはいかない。もっぱら夜理の関心は職に向いていた。
「それなら、これとこれなんかは・・・ああ、良いだろうね。面接というよりも、軽い顔合わせをすることにはなるが、話を通した段階でほぼ決まりだと思って良い。他に気になるところはあるかな?」
「いえ、十分です。ここまで手配して頂いて有難うございます」
― 本当に至れり尽くせりとはこの事、かな。始まってみないと分からないけど。
 渦巻くような不安は止めどない。精神的に強いと言われる夜理でさえ、胃からせりあがってくるものを感じていた。ヤニス達に気取られぬように夜理がそっと吐いた息はほの暗いものだった。


2011/05/30